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最終話

「ルーカスさん」

「ん?」

「準備、完了です。いつでも行けます!」


 革カバーを胸ポケットの、もっとも心臓の鼓動が伝わる場所へ深くしまい込み、トビーは顔を上げて前方の水平線を見据えた。その瞳には、メモ帳のページに並んだふたつの筆跡と同じ、どこまでも揺るぎない誇りと決意の光が宿っていた。


 馬が嘶き、車輪がゆっくりと大地を捉え直す。二人の乗った馬車は、まだ見ぬ世界へと続く黄金色の街道へ向けて、確かな足取りで動き出した。


「よし……それじゃあ、出るとするか!」


 ルーカスが低く、よく通る声を張り上げると同時に、手綱にしなやかな力が込められた。


 パシィンッ!


 乾いた心地よい破裂音が朝の静けさを切り裂き、車体を引く馬の筋肉が波打って、重い石畳を力強く蹴り下ろす。ガラガラと重厚な車輪の回転音が響き渡り、積載された荷物と木枠が擦れ合う微かな振動が、御者台の二人へと直接伝わってきた。


「行っていらっしゃーい!」

「気をつけてな、ルーカス!トビー!」

「また美味い酒と新しい特産品を頼むぞー!」


 背後から押し寄せる、迷宮都市ヴァルハイトの住人たちの万雷の歓声を背中に受けながら、馬車は巨大な南門の影を抜け、都市の外へと一直線に躍り出た。


 門をくぐり抜けた瞬間、視界の枠が一気に外れ、世界が左右へ大きく開ける。


 目の前に広がっていたのは、朝陽を全身に浴びてどこまでも、どこまでもまっすぐに伸びていく一本の広大な街道だった。まだ朝露を乾かしきらない周囲の木々が青々と葉を揺らし、冷えた風が湿った土の香りと森の匂いをふわりと運んでくる。東の空の頂きからは、昇ったばかりの眩い太陽が溢れんばかりの黄金色の光を降り注ぎ、見渡す限りの地平線と遠くへ続く石畳の道を鮮やかに染め上げていた。


 都市の喧騒がすっと遠ざかり、代わりに耳を打つのは、頬を撫でる風切音と馬の荒い鼻息、そして車輪が一定の足取りで地面を刻み続ける規則正しい響きだけだった。


 トビーは思わず御者台の上で身体を起こしそうになるのをこらえ、目を細めて前方の景色を凝視した。


 初めてこの街道へ足を踏み出したあの日、トビーはこの広すぎる世界と車輪の重みに怯え、失敗することの恐怖だけで肩を縮こまらせていた。当時の視線の先には、不安と孤独の影しかなかった。


 だが、いまのトビーの瞳に映る街道の景色は、まったく違う色をまとっていた。


 この道の先には、まだ見ぬ村があり、自分たちの届ける新しい道具や日用品を心待ちにしている職人たちがいて、誰かの暮らしを支える生薬草が静かに息づいている。そして何より、自分たちの運ぶ「荷物」と「想い」の到着を、あたたかな笑顔で待っている人たちがいる。


 広大な世界は、もはや恐怖の対象などではない。自分たちがこれから絆を繋ぎ、流通の血流を循環させていく「新しい舞台」そのものだった。


「すごい……ルーカスさん、道が……どこまでも、どこまでも続いてますね……!」


 トビーの弾むような呟きに、隣で爽やかな朝風を受けるルーカスが、口元をニッと勝気に吊り上げながら手綱を強く握り直した。


「ああ。俺たちの道は、ここからどこまでだって続いてる。街から村へ、山から海へ……そして、まだ誰も見たことのない新しい場所へな!」


 朝陽に照らされた馬車の長い影が、どこまでも続く街道の真ん中にまっすぐと伸びていく。遠く広がる地平線の彼方、まだ見ぬ明日へ向かって、二人の乗った馬車は力強く風を切り裂き、走り出していった。


 どこまでも続く一本の街道。朝陽に照らされた石畳を、馬車の車輪が軽快な音を立てて転がっていく。


 風を切る心地よい感覚に包まれながら、御者台のルーカスは前方の広大な水平線を見つめ、どこか格好をつけた横顔で不敵にニヤリと笑った。


「よしトビー、次はどんな街だ?新しい領地の職人どもに、俺たちの仕事をみっちり見せてやろうぜ」


「相棒」としての最初の旅立ち。キメ顔で風を感じるルーカスの隣で、トビーは胸ポケットから革カバーのメモ帳を取り出し、パラリと最新のページを開いた。そして、そこに描かれた自分の「記号」と、目の前の街道の景色を見比べた――次の瞬間。


 トビーの表情が凍りついた。


「はっ……!あ、あ、あ、ルーカスさん!!」


 トビーがひざをガタガタ揺らしながら、メモ帳と道を交互に指さして悲鳴を上げた。


「ん?なんだよトビー、そんなに興奮すんなって。これからは二人で対等に……」

「違います!左です!今日の新ルート、さっきの分岐を右に行かなきゃいけなかったのに、ルーカスさん普通にまっすぐ通り過ぎてます!!」

「……は?」


 ルーカスが素に戻った顔でピクッと眉を動かし、後ろを振り返る。遥か後方、さきほど通り過ぎてきた木立の脇に、ひっそりと「新領地・西街道方面」と書かれた小さな木製看板がポツンと立っていた。馬車はすでに、その分岐から数百メートルほど行き過ぎてしまっている。


「なっ……!おい!早く言えよ相棒!!」


 ルーカスはそれまでの格好良い雰囲気を一瞬でかなぐり捨て、顔を真っ赤にして叫んだ。


「僕だって今メモ帳確認して気づいたんです!ルーカスさんがあんまりにも堂々とまっすぐ手綱を引くから、そっちで合ってるのかと……!」

「お前がナビゲーターだろ!共同経営者になったんだから、そういうトコこそしっかり教えろ!」

「相棒なんですから察してくださいよ!!完璧なルーカスさんが、まさか出発十分で道を間違えるなんて思わないじゃないですかー!」

「ぐっ……うるせぇ!バックだ、バック!!」


 ルーカスが焦りまくりながら必死に手綱を引く。


「ほら、お前たち戻るぞー!」


 ヒヒーン!?


 馬たちが呆れたようにいななき、巨大な馬車がガタガタと滑稽な音を立てて急バックを始めた。


 車輪が軋む音、土煙、そして早朝の静かな街道に響き渡る、ふたりのドタバタとした怒鳴り合い。


「右だ右!ほら、そこの分岐を曲がるんだ!」

「だから分かってますって!ルーカスさん、手綱引くの強すぎます!」

「よし、これで合ってるな!?」

「はいっ!……あはははっ!」

「なにお前まで笑ってんだよ!」

「だって、ルーカスさん全然格好つかないんだもん!あはははっ!」

「ちくしょう、覚えてろよ相棒!」


 失敗しても、道を間違えても、笑い合って何度でも軌道修正すればいい。一人じゃない、二人だからこそ乗り越えていける。


 馬車はドタバタと大きな音を立てて正しいルートへと向きを直し、再び力強く加速していった。爽やかな朝風が吹き抜ける街道に、二人の弾けるような晴れやかな笑い声が、どこまでも、どこまでも高く響き渡っていった――。

お読み頂き、本当にありがとうございました。

最後まで一緒に付き合って下さった、心優しい皆様には感謝の気持ちでいっぱいです。

次の作品は未定ですが、どこかで見かけましたら覗いて行って下さい。

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