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第4話

 ルーカスは静かに近づき、トビーの細い両肩を上からしっかりと押さえた。


「落ち着け……息を吐け」


 トビーが涙目になって見上げる。首筋に嫌な汗が浮いていた。


「す、すみません……僕、帳面読むの遅いから……どれが誰の荷だか、こんがらがっちゃって……」

「文字じゃなくていい」


 ルーカスは声のトーンを落とし、静かに言葉を置いた。


「お前の頭の中には、箱の形も、角の欠け具合も、持った時の重さも全部入ってるはずだ。帳面の綺麗な文字なんかより、お前が覚えてるその感触の方がずっと確実だ」


「僕の……感触……」

「そうだ。俺たちが積んでるのは、ただの木箱や鉄くずじゃない」


 ルーカスはガルドの小さな油瓶が入った箱を指さした。


「これは、ガルドさんが火を守りながら待ってる時間だ。こっちは、これから会う村の奴らの日々の暮らしだ。……お前のその手は、どんな悪路でもそれを絶対に割らない。雑に放り投げる大商会の奴らには、逆立ちしたって真似できない手だ」


 少年の胸が、ひくっと大きく上下した。雑用係として蔑まれ、ノロマと捨て置かれていた己の指先。それが今、この小さな荷台の上で、誰かの生活を支えるための唯一の道具として指名されている。


 トビーは袖口で目元を乱暴に擦り、喉の奥で「はい」と小さく吐き出した。


 焦りが消え、少年の目が細く澄んでいく。頭の中に記憶された荷物の形と重さが、そのまま荷台の立体図となって組み上がっていくようだった。


 隙間に古毛布を滑り込ませ、重い日用品の箱を低い位置に据える。衝撃に弱いガラス瓶の入った小箱は、上段の角と角が干渉しない絶妙な角度へ差し込んだ。引き締める麻縄の結び目は固く、揺れを一切逃さない。けれど解く時には指一本で解けるような、無駄のない手際。


 ルーカスは言葉を失い、ただ少年の手元を見つめていた。悪路の揺れをあらかじめ計算し尽くしたかのような、美しく整然とした荷積み。


「……すごいな完璧だ。これなら卵を積んだって割れやしない」

「……へへ。待ってる人の顔、考えてたら……手、勝手に動きました」


 高窓から差し込む光が、いつの間にか青白い朝の気配を帯び始めていた。小さな貸倉庫の中、積み上がった荷台の脇で、トビーは誇らしげに己の泥のついた手をじっと見つめていた。



 東の空がゆっくりと白み始め、夜の静寂が朝靄あさもやへと溶けていく。


 迷宮都市ヴァルハイトの巨大な南門。かつて多くの冒険者や大商会が出入りし、幾多の欲望と希望を見送ってきた巨大な石造りのアーチの下に、一両の小ぶりな木製荷馬車が佇んでいた。


 中古で買い叩いた質素な馬車だが、車体は隅々まで磨き上げられ、車輪の軸受けにはガルドの工房で分けてもらった極上の油脂がしっかりと塗られている。


 荷台の上には、昨夜トビーが完璧な配置で組み上げた荷物の山。職人たちの汗と期待、そして村人たちの暮らしを支える日用品や雑貨が、頑丈な麻縄と毛布で一切の無駄なく固定されている。


「よし、ハーネスの締め具合も問題ないな」


 ルーカスは馬の首筋を優しく撫で、その状態を確かめた。そして、高鳴る胸の鼓動を落ち着かせるように一度深呼吸をすると、アシスト席──御者台の隣の助手席を見上げた。


 そこには、新品の作業着に身を包んだトビーが座っていた。


 トビーは御者台の手すりを少し強めに握りしめ、これから向かう果てしない街道の先をじっと見つめている。その小さな身体からは、どこか緊張と、それを上回るほどの大きな高鳴りが伝わってきた。


「トビー、準備はいいか?」


 ルーカスが下から声をかけると、トビーはハッと正気に戻り、ルーカスを見下ろした。昨日の朝までは、他人の目を見ることすら怖がり、肩を小さくすぼめていた少年だ。だが今のトビーの瞳には、朝日を反射したまっすぐで力強い光が宿っていた。


 トビーは大きく息を吸い込み、胸を張って答えた。


「はいっ!ルーカスさん!荷積みも、仕入れの記憶も、全部完璧です!」

「よし!」


 ルーカスは満足そうに口元を緩めると、軽やかな身ごなしで御者台へと飛び乗った。手綱を握り直し、腰を落ち着ける。


 目の前に広がるのは、朝露に濡れて鈍く光る石畳の街道。この道を半日進めば、薬草とキノコの村コモレビ村がある。そこからさらにレム村、そして大洋を望む港湾都市シーガルへ──。


 大商会から見捨てられた小さな困りごとを拾い集め、街と村、人と人を繋ぐ、誰もやったことのない循環型ルート配送。その第一歩が、いま始まろうとしていた。


「よし……行くぞ、トビー!」

「はいっ、ルーカスさん!!」


 ルーカスが手綱をパチンと振ると、馬が力強く前脚を踏み出した。


 ──ガラガラガラ……ッ!──


 研ぎ澄まされた車輪が心地よい音を立てて回転を始め、馬車が滑らかに動き出す。


 朝日が巨大な防壁の隙間から差し込み、動き出した馬車と二人のシルエットを眩しく黄金色に染め上げた。


「行ってくるよ、ヴァルハイトの街……!」


 トビーが振り返り、遠ざかっていく迷宮都市の巨大な門に向かって、小さな、けれど誇らしい手を振った。


 ガルドの怒号と期待、イザックの半信半疑な注文、そしてまだ見ぬ村々で待つ人々への想い。たくさんの希望を乗せた小さな馬車は、朝露の残る街道をどこまでも、どこまでも真っ直ぐに突き進んでいくのだった。

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