第27話
──ゴゴゴ……、パカッ、パカッ……。
都市の明かりが完全に途絶え、漆黒の静寂が支配する郊外の街道。両脇から覆いかぶさるような大樹の枝葉が月光を遮り、馬車のカンテラが照らす僅かな足元以外は、底知れぬ暗闇に包まれていた。この先は、片側が切り立った岩壁、もう片側が目もくらむような谷底へと続く、街道屈指の難所「断崖の曲がり角」だった。
──ヒヒィンッ……!
突然、先頭を歩いていた馬が前脚を高く上げ、鋭いいななきを上げて立ち止まった。
「どうどう……!どうした!?」
ルーカスは手綱を強く引き、馬車を停止させる。カンテラの明かりを前方に掲げ、目を凝らした。そこには、街道を覆い尽くすように横たわる、太い大木の幹があった。風で倒れたにしては、根元が鋭利な刃物で叩き切られたような不自然な痕跡が残っている。
(倒木……?いや、これは──)
ルーカスの背筋に、冷たい悪寒が奔る。長年の行商人としての直感が、即座に最大級の警戒信号を鳴らした。ルーカスが素早く御者台の脇に隠してある護身用の太い木棒へ手を伸ばそうとした──その時だった。
──ザザッ……、ザッ……!
前後の暗闇から、湿った泥を踏みつける無数の足音が湧き上がった。
「へへっ……おとなしく止まってくれて助かったぜ、大層ご立派な巡回商人様よぉ」
前方の大木の陰から、棍棒や凶悪なナイフを手にしたならず者たちが、歪んだ笑みを浮かべながら姿を現す。背後からも、逃げ道を塞ぐように長剣を構えた男たちがじわじわと間合いを詰めてきた。完全に前後を挟み撃ちにされている。
「なんだ……お前たちは。俺の荷物を奪うつもりか?」
ルーカスは木棒を固く握りしめ、低く重い声で問いただす。しかし、集団の先頭から歩み出てきた男──顔に生々しい火傷痕を持つゴドウィンが、冷酷な鼻笑いを漏らした。
「荷物だと?勘違いするなよ。俺たちが用があるのは、荷物じゃなく『お前の命』だ」
ゴドウィンは毒の塗られた短剣を引き抜き、カンテラの光にその湿った刃先をギラリと反射させる。
「買収にも屈せず、圧力も効かねえ頑固な商人がいるってんでな。……ガストンの旦那から、たっぷり金をもらってんだよ。『事故に見せかけて、馬車ごと谷底へ突き落としてこい』ってなぁ!」
「ガストン……!どこまで卑劣なマネを……ッ!」
ルーカスの胸に、激しい怒りが燃え上がる。自分の命を狙われていることへの恐怖ではない。誠実に生きようとする人々や職人たちの想いを踏みにじり、力づくですべてを奪い取ろうとするバロン商会の醜悪さへの怒りだった。
「安心しな、お前を谷底へ叩き落とした後は、あのうっとうしい小僧も探し出して同じ目にあわせてやる。……死に土産に教えてやったんだ、感謝して死なな!」
「トビーには……指一本触れさせんッ!」
ルーカスは木棒を構え、御者台から飛び降りようとした。だが──
「させるかよッ!」
背後から忍び寄っていた男が、容赦なくルーカスの背後から襲いかかる。死角からの鋭い棍棒の一撃が、ルーカスの肩口を強く打ち据えた。
「ぐはッ……!」
激痛に視界が歪み、ルーカスは膝を折り、冷たい石畳へ突伏した。握りしめていた木棒が手から離れ、暗闇の奥へと転がっていく。
「ハハハッ!惨めだな!街道の英雄気取りも、ここで終わりだ!」
ゴドウィンが残忍な嘲笑を浮かべて近づき、ルーカスの首元へ向けて、毒塗りの短剣を高く振り上げた。
(ここまでなのか……!トビー……!)
絶体絶命の危機。死の刃が振り下ろされるその瞬間──
──シュッ……ッ!
漆黒の闇を切り裂き、一閃の刃が夜の街道を駆け抜けた。
──キンッ……!!ガキンッ……ッ!!
鋭く澄んだ金属音が夜の静寂を豪快に切り裂き、暗闇に眩しい火花が散った。
「なっ……なにっ!?」
ゴドウィンが振り上げた毒塗りの短剣が、暗闇から飛来した圧倒的な質量を持つ一撃によって弾き飛ばされる。短剣は回転しながら夜空を舞い、はるか先の暗い谷底へと消えていった。痺れた手に顔を歪めるゴドウィン。
「誰だッ!?」
「誰、とは失礼だな!恩義のある大事な仲間を襲われて、黙って指をくわえて見ていられるかよ!」
鬱蒼とした木々の隙間から、月光を浴びて躍り出たのは──背丈ほどの大きな長剣を軽々と肩に担いだ青年剣士・セシルだった。
「セシル……!?なぜ、お前たちがここに……!」
石畳に倒れ込んでいたルーカスが、驚愕で目を丸くする。セシルの背後からは、弓手、槍使い、魔導師の仲間たちが手際よく展開し、ゴロツキたちの逃げ道を塞ぐように武器を構えた。駆け出しとはいえ、日々ダンジョンの死線を潜り抜けてきた冒険者たちの醸し出す威圧感は、ただの街道荒らしであるゴロツキどもを完全に圧倒している。朝のように清々しく、だが力強い熱を帯びたセシルの瞳が、暗闇の中でギラリと光った。
そして──その冒険者たちの後ろから、肩を激しく上下させ、膝を折りそうになりながら必死についてきた小さな人影が飛び出してくる。
「ルーカスさん……っ!」
「トビー!?」
全身泥と汗にまみれ、膝から血を流したトビーが、破れかぶれになりながらルーカスの元へ駆け寄る。
「トビー……お前、その足は一体……」
「よかった……っ!間に合った……っ!ルーカスさん、無事で……本当によかった……!」
ルーカスの無事な姿を目にした瞬間、トビーの瞳から堰を切ったように大粒の涙が溢れ出した。崩れ落ちるようにルーカスの身体にしがみつくトビー。ルーカスはその小さな肩を力強く抱きしめ、すべてを理解した。トビーがガルドの工房に手押し車を預け、命を削るようにして街を駆け抜け、自分を救うために仲間を呼んできてくれたのだと。
「トビー……お前が、俺を助けてくれたのか……」
「ハッ、なーにが冒険者だ!金にもならねえ巡回商人の味方をして、バロン商会を敵に回す度胸があるのかよ!」
刃物を奪われたゴドウィンが、顔の火傷痕をひきつらせながら叫ぶ。手下のゴロツキたちも武器を構え直し、牙を剥いた。セシルは大剣を両手で深く構え直し、不敵で豪快な笑みを浮かべる。
「金?報酬?ハッ、笑わせるな!俺たちの『命』を格安で、いや『信頼』で繋いでくれたのは、このルーカスさんとトビーなんだよ!あんたらみたいな金でしか動けないドブネズミに、俺たちの義理が買えてたまるか!」
「チッ、殺れ!まとめて谷底へ放り込め!」
ゴドウィンの怒号とともに、ゴロツキたちが一斉に襲いかかる。
「全員、気合入れろ!ルーカスさんとトビーの道を切り開くぞ!」
セシルの地鳴りのような号令とともに、暗闇の中で剣光と魔力が鮮やかに弾け飛んだ。冷たい殺意に包まれていた暗闇の街道は今、互いを信じ抜いた者たちの熱い絆と、未来を切り開く刃の閃光で満たされていく。
「トビー……よく走ったな」
「うん……!僕たちの道を、絶対渡さない!」
絶望の淵から立ち上がったルーカスと、命懸けで信頼のバトンを繋ぎきったトビー。二人は強く頷き合うと、自分たちの『道』を取り戻すため、立ち込める暗闇の中へと力強く踏み出した。




