第20話
──ドッ、ガンッ!
鉄が鉄を砕くような破砕音が、工房の空気を破裂させた。
作業台の端が大きく陥没し、飛び散った鉄粉が光を反射して宙に舞う。ガルドが振り下ろした大型ハンマーの柄は、ガルドの太い指にめり込むほど強く握りしめられていた。
仕分け員の男は足をもつれさせ、尻餅をついて石畳の上を這い下がった。開いた口から声が出ず、喉が引きつった音だけが漏れる。
ガルドはハンマーを握ったまま、一歩踏み出した。靴底が石畳を擦る音が、異様に大きく響く。ガルドの額には太い血管が浮き上がり、握りしめた拳の節々が白く強張っていた。
ガルドは作業台から歪んだ歯車を拾い上げると、男の眼前へ突きつけた。削れた刃先から、固まった鉄の臭いが漂う。
「……これだ」
声は低く、掠れていた。
「……一ミリ削るのに、何回ハンマー振るか知ってるか」
「あ……が……規約の……補償金で……」
ガルドの腕が動き、男の襟ぐりが固く絞り上げられた。麻の生地が悲鳴を上げる。男の顔を見下ろしたまま言葉を足さず、ただ奥歯を噛み締める顎の肉を細かく震わせていた。
ドサッ、と重い音がして、男の身体が暖簾を割って外の泥道へ投げ出された。
追って投げつけられた割れた木箱が、男の足元で砕け散る。泥の上に転がった歪んだ歯車に、薄い雨粒が落ち、鈍い金属光沢を静かに曇らせていった。
白亜の壁に囲まれた調合室内を、湿り気を帯びた熱気が満たしていた。普段なら澄んだミントの香りが漂う作業台の上に、生温かい酸っぱい臭いが低く淀んでいる。
──ドサッ
重い音が連なり、十数箱の密閉木箱が石畳の上に残された。
運び込んだ御者たちの足音が急ぎ足で遠ざかり、南大通りの方角へ消えていく。呼び止める若い錬金術師の声は、車輪の重い音にかき消された。
ヴァルターが奥の部屋から足音を殺して現れた。いつになく深く刻まれた眉間の皺に、ランタンの光が影を落としている。ヴァルターの視線は、木箱の継ぎ目から漏れ出るかすかな薄黄色の蒸気に落ちていた。
「……開けなさい」
指先で鼻腔を軽く押し、低く命じる。
弟子がナイフの刃を木枠へねじ込んだ。バチッと釘の抜ける音が響き、蓋が外れた瞬間──生温かい嫌な湿気が一気に噴き出した。
作業台の周りにいた若い調合師たちが、思わず袖口で口元を覆う。
箱の内部に敷き詰められていたのは、緑の光沢を失い、茶黄色く濁った葉の塊だった。隙間なくぎゅうぎゅうに押し込まれた葉同士は擦れ合い、自らの熱で蒸れてぬめりを帯びている。トビーが濡らした麻布も、通気の隙間もそこにはない。密閉された暗闇の中で、草は運ばれる途中に内側から腐敗を起こしていた。
ヴァルターは無言で手を伸ばし、潰れた葉を二、三枚つまみ上げた。指先に力を込める。弾けるはずのエキスは出ず、ぬめりを帯びた濁った汁が指の節を汚しただけだった。
「……捨てなさい」
ヴァルターは葉をそのまま床へ落とした。汚れた指先を、腰の白い布で何度も固く擦る。皮膚が白く変色するほど強い力だった。
「ヴァルター様、本日の特級ポーションの抽出手順が……」
第一弟子の声が途中で途切れ、喉が小さく鳴る。棚に並んだ空の薬瓶が、朝の光を拾って無機質に澄んでいた。
「全工程を止めなさい」
ヴァルターは振り返り、棚の上のガラスフラスコを指先で軽く弾いた。チィン、と澄んだ金属音が静まり返った室内を叩く。
「この状態の草に魔力を通せば、薬液は濁る。……使いものになりません」
ヴァルターの言葉は低く、平坦だったが、汚れた布を握りしめる拳の節々には白い線が浮き出ていた。
調合師たちの手元が止まり、小窓から差し込む朝光の中に細かな灰色の埃が静かに漂う。
「……ルーカスと、トビーは」
ヴァルターが白布を卓上に置き、静かに尋ねた。
「探してきなさい。……今すぐに」
誰もセリフを返さなかった。ただ、数人の弟子たちが即座に暖簾を押しめくり、石畳の路地裏へ駆け出していく足音だけが、静かな調合室の廊下に遠く響き渡っていった。
琥珀色の薄光が、石畳の窪みに落ちた泥水を淡く染めていた。
──ガラ、ガラ……。
小さな手押し車の車輪が、路地の継ぎ目を規則正しく越えていく。濡れた厚手の麻布で覆われた小箱の上に、手縄がしっかりと掛けられていた。取っ手を握るトビーの指先には、麻縄の擦れ跡が小さな赤い筋となって残っている。
「……トビーちゃん」
路地の影から、ハンスの妻が足早に歩み寄ってきた。息を乱し、胸元で固く握りしめた手ぬぐいは指先でクシャクシャに丸められている。視線はトビーの顔を掠め、手押し車の荷台へ落ちた。
「あのね……うちのハンスの、裁断した革が……」
言葉の語尾が途切れ、彼女は唇を噛んだ。
「角が潰れて……床に油がついて帰ってきたの。……明日からの分、馬車に乗せてもらえるかしら。運賃、前に聞いた通りで……」
トビーは手押し車を止め、腰の羊皮紙を引き抜いた。指先に力を込め、炭筆で『ハンス・革裁断小箱』の記号を素早く書き加える。
「……ガルドさんのところに、革の端を潰さずに押さえる木枠があります。それ、借りて持っていきます」
トビーの声には引っかかりがなく、ただ淡々と作業の順序だけを告げた。ハンスの妻は短く息を吐き、丸めていた手ぬぐいの端を緩めた。
路地のあちこちから、木箱を叩く音や呼びかける声が交錯する。トビーは羊皮紙をポケットへ収め、手押し車の柄に再び両手を添えた。踏み込んだ靴底が、固い石畳を力強く捉える。
──同時刻。南大通りの二階、重厚な木枠の窓を閉め切った部屋に、冷えたワインの酸っぱい匂いが満ちていた。
ガストンの手元にあったガラス杯が、壁の漆喰へ向けて一直線に飛んだ。
──ガシャンッ。
乾いた破砕音とともに、赤黒い液体が白い壁を伝い、じわりと絨毯へ染み込んでいく。
「……キャンセルが、三件」
暗がりの中、怒気を殺したガストンの前で、手下の男が震える指先で羊皮紙をつまんでいた。ガストンの顔には一切の表情がなく、ただ右手の親指が、指輪の宝石をガリガリと強い力で擦り続けている。爪の端が赤く鬱血していた。
「補償金の請求書が……ギルドと、鍛冶組合から届いています」
ガストンは答えなかった。指輪を擦る音だけが、沈黙の中で規則正しく響く。
ガストンはデスクの引き出しをゆっくりと引き、革袋を卓上に置いた。じゃらりと重い金属音が静かに落ちる。
部屋の壁際に身を潜めていた二人組の男が、泥のついた靴底を鳴らして前へ出た。薄汚れた外套の隙間から、鉄の匂いと煤けた革の臭いが漂う。
「……コモレビへの道か」
男の一人が、低く掠れた声で卓上の革袋を顎でしゃくった。
ガストンは手帳を閉じ、万年筆のキャップをカチリと閉めた。
「まずは小僧だ、メモとやらを手に入れろ」
「……へい」
男の固い指先が革袋を掴み、外套の懐へ滑り込ませた。
部屋の小窓から差し込む夕光がすっかり途切れ、影が室内の調度品をゆっくりと呑み込んでいく。路地裏を走る小さな手押し車の車輪の音は、深まる夜の静寂の中に遠く消えていった。




