09. 現実は深刻で
なにこの状況!
突然ミレアが、お、お、お姫様抱っこってやつをされて!!
現場は当然大混乱。
ひとまずミレアを引きはがし、少し離れた場所まで退避した。
突然のことにミレアは大きく取り乱していて、今はクラリスの後ろに匿っている。
その顔は動揺したのか赤くなっていた。両手で顔を覆い隠して、その表情はよく見えない。
素、出ちゃってたもん。あのミレアが。外であんな大きな声を出したところ、初めて見た。
その張本人、ダグと呼ばれたリゼルの騎士は、クラリスの騎士に捕らえられ床に正座、その眼前には剣を向けられ動きを牽制されている。
応接間には、クラリス、ミレア、リゼル、そして騒ぎを聞きつけ大慌てで入ってきたエレノア姉さまと侍女や騎士たちでごった返していた。
「ごきげんよう、リゼル第一王女殿下。それで?? 一体全体なにがあったと言うのでしょうか???」
大変だ、エレノア姉さまが信じられないほどお怒りでいらっしゃる!
にっこにこの笑顔には、鈍いクラリスでも分かるほどの殺意が。
どうしよう。ここであの騎士の首を落とす事態にでもなったら、いよいよノースラとの戦争が始まるきっかけに……
いやいやいやそこまでするつもりはさすがにないだろうけど、でも、私の大事なミレアに危害を加えたやつなんて! それだけは絶対に許すまじ。
クラリスはミレアの身体をぎゅっと抱き寄せて、事態の行く先を必死で考える。
全員の視線がリゼルに集まる。
こうなっては、当然ダグと呼ばれたあの騎士に発言権はない。
青ざめるのを通り越してもはや血の気のないリゼルは、こぶしを握りわなわなと震えながら、言葉を紡いでいく。
「たいっへん申し訳ございませんでした。この大馬鹿男が、クラリス殿下の大事な侍女であるミレア様に、非常に失礼な行動をいたしました。まずはこの者の命でもって償わせていただきたく――」
「おい待て待て待て、オレこんなところで死ぬんですか――うぐっ」
「黙れ、王女殿下の御前だ」
この状況においても随分胆の据わっている人だ。クラリスの騎士がぐっと頭を押さえつけ、黙らせている。
騎士にしては長く艶のある髪をたらしたダグは、あろうことかクラリスに助けを求めてきた。
「なあ王女様! そこの美人さん、体調悪いんだろう? 確かに驚かせたのは悪かったけどさ――ぐ、わかったわかったもう喋らない!」
美人さん――ミレアのことだ。
まさかと思い急いで振り返ると、なんとそこには呼吸を荒げて震えるミレアがいた。
いつもの澄ました顔ではない。頬は紅潮して額に汗をかき、みるからに普通じゃなかった。
心臓が跳ねた。
あの男のせいじゃない、本当に具合が悪いんだ!
「ミレア!!!! 大丈夫!? ごめんなさい、医務室に連れて行きます! 姉さま、あとは――」
「クラリス、任せて。そこの方も悪いようにはしないわ」
言いたいことはすべて伝わったようだ。エレノア姉さまに心から感謝を述べる。
クラリスの小さな身体ではミレアを担げないので、クラリスの騎士に頼んだ。大急ぎで応接間を出る。一般侍女も2人ついてきた。
医務室は、ここのすぐ上、2階の階段横。
「ミレア、ミレアごめん。我慢してくれてたの、私、気づかなくて……」
こんなミレアは見たことがない。いつだって飄々と、クラリスのそばにいてくれる存在。そんなミレアが弱っていると、もうどうしようもない不安が押し寄せる。
なんだか今日は不機嫌? なんて思っていたけど、あれ、体調が悪かったんだ。
不甲斐ない。あとでミレアに、ちゃんと謝ろう。あ、あとダグさんにも。あれは助けてくれただけ……だったのか? ちょっとよくわかんないけど、とにかく大変な目に遭わせちゃったし。
そこらへんは今、エレノア姉さまが何とかしてくれているだろう。そちらもあとでたくさんお礼を言おう。リゼル殿下も、大丈夫かな、怒ってないかな。
やがて医務室に着いた。
何度も顔を合わせたことのあるおじいちゃん医師が、クラリスの顔を見てぎょっとして、1番奥の部屋に案内してくれた。すぐにベッドに寝かせ、騎士は部屋の入り口付近まで離れる。ついてきた侍女がミレアの体勢を整え、状況を説明してくれた。
クラリスはミレアの手を握り、そばについていることしかできなかった。
ミレアは終始「自分は大丈夫、もう治った、すぐに戻ろう」と繰り返す。
だから「じゃあミレアの主である私も、同じことになっても頑張らないとね!」と言ってやった。
効果は覿面、観念したようで大人しくクラリスに頭ぽんぽんされてた。
なんだか脅すみたいで申し訳ないが、今はしっかり休んでもらわないと。
そうしてしばらくして、診察が終わった。
おじいちゃん医師が言うには、
高熱が出ているから、数日は休ませること。
流行っている危険な病気は特にないし、外傷や目立った症状もないため、今のところは大丈夫。
病が移るといけないので、クラリスは離れておくように。ここは任せて。
だそうだ。
「ありがとうございました……」
物凄く離れたくないが、クラリスがしてやれることは何もないし、侍女も1人残ってくれた。今はここにいる人たちに任せるしかないだろう。頭を下げてよくよく頼むくらいしかできることはなかった。
エレノア姉さまとリゼル殿下に報告しなければ。後ろ髪を引かれる思いだが、すぐに応接間に戻ることにする。
すっかりしょぼくれたクラリスに、普段物静かな堅物騎士ですら励ましの声をかけてきた。
うん、分かっている。
クラリスがこんなんじゃ、戻ってきたミレアの立場が悪くなるかもしれない。
ほっぺをぱしんと叩いて気持ちを切り替える。1階へ続く階段を、駆け足で降りて行った。
「リゼル殿下、エレノア姉さま、先ほどは失礼いたしました。クラリス、ただいま戻りました」
応接間にはリゼルと、先ほどクラリスが座っていた場所にエレノア姉さま。
そしてダグはというと、リゼルのななめ後ろに立って一緒に談笑していたみたい。
……ほっとした。
少なくとも一触即発! みたいな空気ではないし、ダグも柔らかな表情で笑っている。
「クラリス殿下! ミレア様のご容態はいかがでしたか……?」
リゼルが声をかけてくる。
エレノア姉さまはクラリスに手招きをし、自身の横に座らせてくれた。そのまま頭をぽふんと優しく撫でられる。
「はい、高熱が出ているので数日は安静に、とのことです。ほかに目立った症状もないため、風邪か疲れじゃないかと……心配をおかけして申し訳ございません。あとそこの、ダグさん……」
「はいよ王女様」
これだけ王女が揃っている場で王女様はないだろう、とかクラリスが思う間にも、リゼルは立ち上がりダグに殴り掛かるしエレノア姉さまは表情を一切変えずに殺気をダダ漏れにするし、なんとも可笑しな光景が広がる。
な、なんだ、何があったんだ。よく分からないけど、みんな本気ではなさそうだ。
……じゃれあいってやつかな。ダグさん、なんだかんだ愛されてるんだな。
「……クラリス第二王女殿下、ええと、先ほどは侍女の方に大変な失礼をしてしまい、申し訳ございませんでした…………えっと……?」
「そこは殿下のお返事を待つのですよ……申し訳ございません、この者ダグは、見ての通り特別な出自でして、こういった場での礼儀作法に疎いのです。決してミレア様に危害を加えようとしたのではない、クラリス殿下を下に見ている訳ではないということだけは、お伝えさせてください」
特別な出自、つまりはゼルス出身ということかな。瞳赤いし。
なんにせよ謝らないといけないのはクラリスの方なので、すぐに返事をする。
「もちろんです、むしろこちらの騎士がダグさんに失礼を……申し訳ありませんでした」
騎士と一緒に頭を下げる。
騎士はただ仕事をしてくれただけなので、さすがにお咎めとかはないだろう。あとで労っておかなきゃ。
ダグはクラリスの言葉にまたどうしたらいいのか分からないようで、ぺこぺこしながらリゼルに助けを求める視線をやっている。
本当に変な人。でも悪い人ではないんだろうな。
あとしれっとミレアがいたポジション――クラリスの斜め後ろに、エレノア姉さまの専属侍女の1人が着いてくれた。
今は代わりになってくれるということだろう。ここで言葉や表情に出すことはできないけど、ありがとうね! と念を送っておく。
謝罪合戦が始まりそうだったところで、エレノア姉さまがぱん、と両手を合わせ、空気を変えた。
「さて、ひとまず仕切り直しといきましょう。せっかくの機会ですもの、皆さま暗い顔をしていてはもったいないです。ああクラリス、私もね、先ほどリゼル殿下にクラリスと話されていた内容を教えていただきました」
そこまで言うと、エレノアはにこにこ最上級の可憐な笑顔のまま、言い放つ。
「クラリスがそこに行く可能性がわずかにでもあるのです。リゼル殿下、ダグ様、ゼルスの地について教えてください。メモをとってもよろしいかしら。どんな不確かな情報でも噂話程度でもいいの、どのような危険が待っていて、何を準備すれば良いのかを聞きたいわ。そうだ、遠路はるばるお疲れでしょうし、何日か王城に泊まっていってもよろしいのではないかしら? どうでしょう、リゼル殿下」
エレノアはふふ、と微笑みながら、壁際に待機していたベテランの侍女に視線をやる。
すぐに侍女は頷き部屋の外に出て行った。
おそらく姉さまは泊まることができるかの確認をし、侍女はそのまま報告と部屋の準備をしに行ったのだろう。さすがはエレノア姉さまとその従者、迷いがない。
「そうさせていただけると嬉しいです。寛大なおもてなしをありがとうございます、エレノア殿下、クラリス殿下。それでは時間も限られているのでさっそく……そうですね、ダグの紹介からさせてください」
呼ばれたダグはぎこちなく礼をし、リゼルの言葉に耳を傾ける。
「ダグはお察しの通り、ゼルスの出身です。ノースラ傘下の時代にわたくしもよく助けてもらいましたので、信頼できる人物です。あの地の領主館はそのまま残してあるので、最低でもそこにたどり着くまでは案内を頼んだ方がいいと思います。その後は気に入らなければノースラに返却しても良いですし、そのまま従者にされてもよろしいかと。それから――――」
長い長いゼルスの話が始まった。
ゼルスは山と森に隔てられた場所で、入るにはどちらかを抜けるしかない。
魔力は場所によって濃淡があり、領主館はそれが最も薄い場所にある。人員の選定が終わるまでは、少しなら耐性のない人間でもついて行けるかも。
領主館はノースラとの行き来がしやすい場所にある。一時的な拠点としては使えるが、アルディア側で新しく建て直した方がいいかも。
といった話や、
現地には人々が住んでいるが、普通の人間じゃない者も多くいる。
領主館の維持に置いているのもその1人なので、びっくりしないように。
なんて驚きの話まで。
なかなか面白そうというか、まだ現実味を帯びていなくて物語を聞いているような感覚になってしまう。
途中クラリスもエレノアも質問を挟みながら、お茶休憩もしっかりとりながら、順調に進んでいった。
その中でも特に大問題というか、エレノア姉さまが食いついた話があった。
「ゼルスに行くと身体がわずかに魔力を帯びてしまいます。長い期間いればなぜか適応して体外に放出されなくなるのですが、短い期間で行き来すると、ええと、無視できない強さになります」
「魔力を帯びる……というのは具体的に何が起こるのですか?」
圧倒的な情報量ですでに降参しそうなクラリスとは違い、エレノア姉さまはどこまでも熱心に話を聞いてメモに書き記している。
エレノア姉さまの従者の方も、わざわざ机と椅子を用意してもらって横でがりがりと音を立てていた。
これが第一王女だ。本当にすごい。国を背負う気概というか、上にふさわしいお姿。
かっこよくて、大好き。一目見て見惚れてしまう人間が続出するのも、当たり前だ。
クラリスの集中力はとっくに切れ、このように余計なことを考えるのが止まらないというのに。
「はい。ゼルスの地では魔力酔いを起こす、と言いましたよね。それが、かの地から離れていても起こるようになるのです――その人の身体から放たれる魔力によって。わたくしがまだ何も知らない頃、3日ほどゼルスに滞在してノースラに戻った時がありました。そうしたら周りの人がばたばたと倒れていくものですから、姫が呪われたか大変な伝染病だと監禁されかけたこともあったのですよ…………ああ大丈夫です、先ほども申し上げた通り、長い期間いれば魔力が落ち着いて? ……ちょっとよく理屈は分かっていないのですが、体外に魔力を出す現象は綺麗さっぱりなくなります」
…………なるほど……?
ちょっとあんまりよく分かっていないけれど、結構大変なことを言ってらっしゃる。
固まったエレノアとクラリスに配慮してか、途中で言葉を選んだような気がした。
「……その長くいれば、の部分は確実なものなのでしょうか。魔力が落ち着くのは、大体どのくらいの期間かかるのですか?」
「ほぼ確実と言っていいでしょう。私だけでなく共に行動した耐性あり・なし両方の従者も、学者たちに調べさせた実験でも、同じような結果になったので。3日間ゼルスに滞在し、その後王都で過ごした者をゼルスで過ごした者の経過を観察しました。結果、圧倒的にゼルスで過ごした者の方がこの現象が治まるのが早く、その期間は――1年です」
エレノア姉さまと顔を見合わせる。
リゼルはより詳しく説明してくれた。
ゼルスに行くと即魔力を帯びてしまい、それを放つ体質になってしまう。
本人には魔力耐性があっても、ゼルスの外に耐性を持つ人間はほぼおらず、関わる人間すべてを魔力酔いにさせてしまうようになる。
ゼルスの中に留まれば1年ほどでその体質が消えるが、外に出たままでいれば5年は体調不良作成マシーンから戻れない。
ちなみに一度でもゼルスでその期間を乗り越えれば、もう魔力を帯びることはないそう。リゼル殿下はゼルスとノースラを行き来しても何の支障もないらしい。
……まるで、ゼルスからは自由に出ていいけど、外からゼルスに入ってくるのを拒むような仕組みに見える。
つまりクラリスの場合、ゼルスに行くと、1年間アルディアに戻ってこられない。お父様お母様、兄さま姉さま方にお会いできなくなるということ。
いやそれどころじゃない。病気や怪我をしても王都の病院に行けなくなるし、医師に来てもらうなら1年間滞在を強制させることになる。
従者たちも、1年ずっと帰れない。
これはかなり――とんでもない。
話を聞けば聞くほど、まさに呪われた地だった。
返事をできないまま、エレノア姉さまも黙り込んで、リゼルだけがこうなることを分かっていたように話をつづけた。
「あともう1つ、あの地は名目上は国の一部ですが、その実態はもはや別の国です。王女を名乗っても危険が増すだけなので、身分を隠し、ええ例えば『ゼルスの外に生まれ自分の母親を探しに来た平民の娘』あたりがいいかな、と思います。そう、まさに生まれ変わってセカンドライフ! みたいな……はは、えっと……無理がありますよね…………」




