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08. ゼルスの呪いと大事件

「ふうーーー非常に美味しかったですリゼル殿下! このような素晴らしいものを生み出せるノースラは、とても素晴らしい国ですね!」


 すぐにモモンチャを平らげておかわりまでしたクラリスは、リゼルに笑顔で礼を言う。

 最初の頃の緊張感はなく、ただただ幸せな笑顔だ。

 リゼル殿下もたっぷりクラリスの可愛さを堪能できたのだから幸せだろう。

 ミレアは誇らしげにリゼルを見下ろした。


「うふふそうでしょう。そうだクラリス殿下、今度はノースラに遊びに来てくださいませ。殿下の舌を唸らせる美味しいものを、たっくさん用意してお待ちしておりますわ!」

「本当ですか! ぜひぜひ、行きたいです! 次はえっと、誰にどう言えばノースラまで……あれ、そもそも今日の目的ってなんでしたか? 急に来られたということは、私に何かご用があったのではないですか?」


 クラリスはふわふわの髪をなびかせて、首をかしげる。


 そうだその通り、その調子で相手の目的を聞き出したいところ。

 さて、クラリスのこの至極真っ当な疑問に、どう返してくるか。


「はい、クラリス殿下にどうしてもお話しておきたいことがあって。あの、うすうすお気づきかと思いますが――ゼルスの地のことです。ああ、そのようなお顔をされないでくださいまし。すべて順を追ってお話しますので……」


 なぜ他国の王女が、こちらの国の最新事情を知っているのか、それでなぜクラリスが選ばれたのか。

 さすがのミレアも、怪訝な顔をしてしまう。


 かなり態度に出してしまっていた気もするが、そんな状況にも動じず、リゼルはにこやかに話を始めた。


「まずノースラを含む北部一帯が3年前にあの大災害に見舞われ、なかなか苦しい状況になったのはおそらくご存じでしょう。今年に入ってわが国はゼルスの地をアルディアに差し出すことで様々な庇護を受けました。あそこは何もないけれども土地だけは広大ですから、両国にとって都合がよかったのでしょう。しかし、なぜあれだけの土地が、それもノースラから見て南側の土地が『何もない』状態だったのか。おかしいと思いませんか?」


 3年前の災害。

 大陸北部の国を跨いだ大災害で、大地が揺れ大規模の地割れが起き、大陸の地図すら変わったと言われている。

 アルディアには何の影響もなかったため、知らない人も多くいるだろう。


 ミレアの出身地であるフェルガンはアルディアの北部、ノースラの近くに位置するので、それほど多くはないが人々が助けを求めてなだれ込んできたのだ。

 その頃ミレアはすでに女官学校に入っていたので直接目にしたわけではない。だが、決して他人事とは思えない出来事だったのでよく覚えている。


「ええと……たしかにアルディアに割譲されてからも不自然なほどに何も情報がまわってこなかったように思えます。よっぽど不毛の地か、何かしらの問題があるのかと思っていましたが」


「はい、クラリス殿下のおっしゃる通り、あの地は大きな問題を抱えています。そしてそれを正しく知る者は、ノースラ王家にはもうわたくししかいないのです。あそこは一般的な土地とは明確に違います。危険なのです」


 クラリスがわずかに怯えた表情でリゼルを見つめ、大きく頷いて続きを促している。


 リゼル殿下といい学者のアーネストといい、どうしてそんな土地をクラリスに押し付けようとするのだ。

 厄介払いなのか? 王家の中で犠牲にするなら年少者ということか?

 腹立たしい。クラリスの優しさにつけこもうというのならば、ミレアは絶対にそれを阻止しなければならない。


「あの、いったんよろしいでしょうか。まずどうして、私なのですか? 先ほど王宮家庭教師からも私がゼルスの地に行くのが良いと話があったところなのです。そして今またリゼル殿下からも。何か理由があるのでしょう」


 よく聞いてくれた。さすがはクラリスである。

 穏やかでない心を押さえつけて、ミレアはリゼルを見た。


「はい。その答えは、クラリス殿下の瞳にあります」


 アルディアでは大変珍しい、真紅色の瞳。

 王城という大きい括りですらクラリスしかいなかったと思う。王妃殿下の母君――クラリスからすればお祖母様からの隔世遺伝で受け継がれた色。

 どんな宝石よりも輝いていて大好きだけど、それがどうしたというのだ。


「ええと……瞳、ですか?」

「そう、わたくしと同じ赤の眼。これは、ゼルスの血が混ざっている証拠なのです」

「あ、え? そうなのですか?」


 ミレアはクラリスと同時に、クラリスに似た少し暗い赤色の瞳を見つめる。


 ……初めて聞いたが。

 いや、たとえこれが本当にゼルスから来たものだとして、なんだ。だからゼルスに行けと言われても、全く納得できない。


 落ち着け自分。自分が冷静でいなければ、クラリスを守ることができない。

 クラリスを危険な場所に行かせようとしているこの状況からか、あの王女様のことを敵認定してしまっている自覚はある。

 先入観というのはなかなか厄介で、その言葉のすべてが嘘に聞こえてしょうがない。

 だが、1つでも真実があるなら。それでクラリスを助けられるのなら、聞く価値はある。


 ふうと静かに深呼吸をし、愛くるしいクラリスの姿を見ることで心を静めることにした。うん、ふわふわのもちもちなところも精いっぱい大人ぶって背伸びしているところも、最高に可愛い。


「この瞳は現地では花眼(はなめ)や魔眼(まがん)と呼ばれています。あの地には、魔力が充満していて……多くの人間は耐えられないのですが、この瞳を持つ者はなんの影響もないのです」

「ま、魔力? 耐えられないとは、どう……なってしまうのですか?」


 魔力。

 話には聞いたことがあるが、アルディアに暮らしていて実際に遭遇したことは一切ない。

 せいぜい教科書の中の真偽不明の伝承、くらいの認識だったのだが、実在するというのか。

 ……いや、遠い北国では魔法使いと呼ばれる者たちが存在するという話は学校で習うほど有名だし、案外近くにあっても不思議ではないかもしれない。


「殿下はゼルスの呪いをご存じでしょうか。かの地には恐ろしい魔王が住み、土地を呪い続けていると。足を踏み入れたが最後、徐々に身体を蝕み、やがて内側から化け物になり果てると。ほかにも毒吐き精霊や妖怪王の伝説など、様々な言い伝えがあります」

「呪い……魔王……」


 ……なんと恐ろしい。

 噂や言い伝えというのは、案外バカにできないものだとミレアは思う。その地の祖先たちが残した、生き残るための情報だったりするからだ。

 だからこそ強く強く思う。

 そんな場所に、クラリスを行かせるわけにいかない。

 さあどうしようか。いざという時は城からクラリスを逃がし……国内は無理だな。西の隣国か、そうだな、東のエルヴァルド大森林なんかは案外いいかもしれない。


 ミレアが頭で逃走劇を描いている間にも、リゼルの説明は止まらない。


「ですがそれらはかなり誇張されています。現実は、耐性がない人だと魔力酔いの状態になるだけです。名前の通り、船酔いなんかを想像していただけたら良いと思います。人によって出たり出なかったり、その強さも違う。多くの人がなるので、これは呪いなんだと、近寄らない方が良いと伝えられたのでしょう」


 誇張、ねえ。

 そう言い切れるだけの根拠を持っているのかは疑問だな。

 魔力酔い……本当にそれだけか? 先ほどの言い伝えとは関係していないように思える。

 ちょっと体調が悪くなるだけで、魔王どうこうは意味が分からない。

 もし万が一本当に全てがただの噂止まりだったとして、そんな忌み嫌われた土地にクラリスが行くなんて、クラリスにまで悪い噂が立ちそうだから絶対に嫌。


 ミレアは表情には一切出さず、心の底で悪態を続ける。


「そしてもう1つ、この地には大きなものが眠っています。実はゼルスから、地脈を通じて大陸北部に広く魔力が放出されています。これ、どこか別の話に繋がりませんか?」


 地脈、大陸北部。地面が割れて……

 ついぽろっと、思いついた単語を溢してしまった。


「大災害……」


 あっと思った時にはもう遅い。一介の侍女ごときが王女の話に割り込もうなど、普通ならとんでもない失態だ。

 ただ幸いなことに、この場にミレアの発言を咎める者はいなかった。

 クラリスに至っては『ミレアすごい!喋った!嬉しい!』みたいな顔をしているし。

 じゃあいいか。クラリスが少しでも明るい表情になって良かった。


「ミレア様、ご明察です。魔力がなんらかの原因で噴き出してしまい、大陸北部は大断崖と呼ばれる巨大な地の割れ目が数多くできました。特にゼルスは地割れが大きかったのですが、その奥深くに、謎の遺跡群が出てきまして。そこには大変不思議な、まるで神のような力を持つお宝……遺物がたくさん出てきました。これを隠したかった勢力が、魔力酔いという現象をうまく使っていたのではないかという推察です」


 遺跡、魔法、お宝。

 リゼルの表情は真剣で、ふざけているようには見えないが……

 本当に本当にそんなものがあるとして、それを隠したい勢力がいるとして、いざ狙われるのはクラリスではないか。


 いや待てよ、魔法の遺物……たしか前回王都に北から商隊が来た時、世にも珍しい伝説の鏡、とか言って変な光る板を目玉商品として売っていた。クラリスがはしゃいでいたから覚えている。

 そこにはたしか遺物って書いてあった。あれのことだとしたら、少なくとも実在はしているということ。


「わたくしもこの瞳ですし、ゼルスがノースラの傘下にあった時によく調査・交流に行っていたのです。ほかの王族や貴族では、ひどく魔力酔いが出てしまって……それで呪いの話も合わさって、ノースラはゼルスを捨てたがっていたのですね。あんな場所は気味が悪いと……わたくしも呪われた子だと、随分ひどい言われようでした」


 リゼルはわずかに眉を寄せ、口元をきゅっと結んだ。

 すぐに気持ちを切り替えたようで、顔をぐっとあげクラリスを真っ直ぐ見つめて言う。


「アルディアに割譲されてからも、ゼルスは同じ扱いを受けていると聞きました。調査に行く者がことごとく体調不良、近くに住む者が皆不吉な言い伝えを信じている。ある意味当然ですね。そしてこんな話は聞いていないと、アルディア王国議会からノースラに強い抗議の声明が出されました……このままでは恩を仇で返した国として、戦争の口火が切られることに…………現実は違うのです、ゼルスは呪われてなんかいない。たしかにちょっと変だけど、そう、むしろ宝の眠る希望に満ちた地です。そして、それを本当に確かめられるのは、クラリス王女殿下、おそらくあなただけでしょう」


 なるほど。

 クラリス付きの侍女という身分のミレアの耳に届くほど、北の隣国との関係は悪化していた。

 まさにその原因が、ゼルスの地だったのか。

 しかしリゼルの話が事実だとすると、いかにそのゼルスの地が素晴らしい土地だったとしても、ノースラ側はアルディアを貶めようとしたこともまた事実ではないか。


 ああ、だからこっそり来たのか。

 今ノースラは国家ぐるみで言い訳を考えているのだろう。

 まさか事実を伝えてきます! だなんて言って、許可が下りようはずもない。


 ……くやしい。

 聞けば聞くほど、リゼル殿下の話は整合性があるように思えてくる。

 いっそ全部嘘だったら良かったのに。そうしたら、クラリスにそんな辺境の地はやっぱり辞めておきましょうって言えたのに。


 ミレアの葛藤を他所に、リゼルは凛とした声で話を続ける。


「ノースラ王家はあの地をアルディアに押し付けました。一切の情報を隠したまま。そこは釈明の余地もありません。だけど、違うのです。暮らす人々はちょっと普通とは違いますが、決して悪い土地ではありません。どうか、クラリス殿下があの地を導き、真実をその目でご覧になってください。そして……最悪の事態を、防いでほしいのです。わたくしの言葉は誰にも聞き入れられませんでした。王宮での立場もなくしておりまして……わたくしの持つ情報はすべて渡します。現地に詳しい信頼のおける配下を、1人お貸しします。どうか、わたくしの手を取っていただけませんでしょうか!」


 少し語気を荒げて言い終わると、リゼルはすっと立ち上がり、クラリスに向かって深く深く頭を下げた。


 王族が頭を下げる意味を、ミレアもクラリスも知らない訳がない。

 クラリスは「わ!」と声をあげるし、後ろの方で見ていた護衛騎士たちも急な出来事にぎょっとしたようで、腰の剣に手をかけた。一気に応接間の空気がぴりっと張り詰める。


 クラリスは焦りながらもすぐに立ち、リゼルの元へ駆け寄り、手を握った。


「えと、リゼル殿下、顔をお上げください! …………この場ではい、わかりましたとは言えませんが、殿下のお話はきちんと聞きました。そのうえでどうするか、考えてみます。正直すべてを飲み込めたかと言われれば……分かりませんが、もともとうちの家庭教師からもゼルスの地を、と言われていたのです。考える余地はあると思います。えっと、うんと……ああ、あとは、兄さま姉さま方にもこのお話をしてもよろしいですか?」


「ええ、もちろんです。クラリス王女殿下、お話を聞いてくださってありがとうございます……あと、手土産としてもう1つ、先ほど話したお宝――遺物を持ってきています。どうぞ、殿下がお持ちになってください――――ダグ! こちらに例のものを」

「はっ、すぐに」


 クラリスが返事をする間もなく、リゼルは後ろに控えていた騎士の名を呼んだ。

 ダグと呼ばれたその騎士は、きりっとした涼し気な顔立ちに、クラリスやリゼルと似た赤の瞳。

 つまりこの人も、ゼルスの血とやらを継いでいるのだろうか。

 あとこの男、目を見張るほどの美形だ。普段他人の顔立ちなど興味のないミレアでも、このレベルだとさすがに気が付く。


 そう思って見ていると、ふとミレアの心に重大な疑問が浮かんできた。

 あれ、もしこのままクラリスがゼルスの地の領主になったとして、私はついて行けるのだろうか。

 ミレアの瞳は髪と同じ青色。当然ゼルスの血など流れていないし、もし魔力酔いが起きてしまう体質なら……ついていったとして、クラリスの足手まといになってしまう。


 なんということだ。

 心臓がどっどっとうるさい。背中に嫌な汗が流れる。

 そんなの嫌だ。クラリスの専属侍女として共にいられないなら、私に生きる意味はない。


 表情にこそ出さなかったはずだが、ミレアは気が動転していた。

 普段ならありえない失態だが、今日この時、こうして気を抜いていたことを後悔することになるとは。


 気が付くとなぜか目の前にはダグと呼ばれた騎士がいて、ミレアに言った。


「麗しいお嬢さん? ちょいと失礼」


 地面から足が離れ、身体がふわっと持ち上げられる。


「なっ―――――――」


 リゼルが止める間もなく、ミレアが返事する間もなく、そうこれは――お姫様抱っこ。

 固い腕にしっかりと抱き寄せられ、まったく身動きが取れない。


 部屋に一瞬完全な静寂が訪れ、そしてパニックに陥ったミレアは、己の声を抑えられなかった。



「離せバカ!!!!」

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