07. 北の王女
「それは……なぜ、とお聞きしてもよろしいでしょうか」
ああ、聞きたいけど聞きたくないかも。
ほらだって、結構嫌だなーというか。誰に聞いても返ってくるのは『よくわからない土地』だし!
色々加味した結果、クラリスの中にもうっすらとその選択肢はあった。
だって兄さま姉さま方にはすでにそれぞれの地域で地盤のようなものができていて、押しのけてそこにします! となるとどうしても邪魔になってしまうし。
だけど、やはり自分だけ茨の道を突き進むようなものに思えてしまって、現実的ではないなと思っていたところだ。
こう……無難な場所はもっとある。南部の大領地は2つリストに載っていたし、王族同士が近くに住んではいけないというルールはない。
それなのにわざわざ勧めてくるということは、アーネストにはよっぽど確かな理由があるに違いない。
内心焦りながらアーネストの血の気のない顔をじっと見つめる。
アーネストはクラリスを見て頷き、大貴族らしく心の内の分からない柔らかな笑みで言葉を続けた。
「はい。まずこのゼルスの地だけは、殿下方の中で誰かおひとりは必ず就くようにと決まっているそうです。原住民を導き、国民に受け入れられるようにするには王族の威光を使うのが最も手早いから、みたいな尤もらしいことが書かれていましたね。そもそもこのような提案がなされた発端というか、この地をなんとかするのが1番の目的なのでしょう。ええつまり、ご兄弟の中でどの地方にもゆかりのないクラリス様がこのゼルスの地を選ばれるのが、最もまるく事が進みます。ああでもこれはそこまで大事なことではありませんよ。公務など引き継げばよいのですから」
「え……そうなのですか、その地は確定で誰かが行くと」
「ええ。ボクは王国議会にも顔が利きますので、確かに言質をとってきました。そしてもう1つ、こちらが決定的な理由です――――おそらく、ゼルスの地で無事に生きていけるのは、クラリス王女殿下しかいません」
うん?
生きていけるって、なに。
他の人ならどうなるっていうのだ。一体全体どんな恐ろしい土地が広がっているというの。
え、毒ガスでも噴き出してる? じゃあ私だって普通に無理だが。
クラリスは表情を取り繕うのも忘れて、思いっきり首を傾げた。
「それはどういう――」
続きを聞こうとしたその時、突然外が騒がしくなり、ばたばたと伝令が応接間に入ってきた。
「失礼いたします! 緊急の報せにつき、ご無礼をお許しください! クラリス王女殿下にお取次ぎをと、ノースラ国から第一王女リゼル・ノルティア殿下が急訪されました。事前の書状なしですが、ひとまず王宮応接間でお待ちになっております。いかが取り計らいましょうか!」
「な……な……」
こんな大事な話をしている時に。
というかなに、まさに謎の地ゼルスの元の持ち主、北の隣国ノースラの……王女殿下?
え、他国の、王族が?
年齢的にまだ外交パーティなどに参加したことのないクラリスとは、面識はまったくないはず。
それがなぜ急に、なにかあったのか。
まさか件のゼルスを返還しろとか? いやだとしたらなんで私に。お父様に言えよお父様に。
どうしたらいいんだ。
宰相……の名前が出てこないということは今は城にいないのだろう。
誰か、指示を出す責任者は。あれ、私がそれをやるの?
頭の中がわーっとなりそうだったクラリスに、アーネストが優しく静かに話しかけてきた。
「殿下、授業の続きはまた後日にでも。必ず時間を作ります。今は王族として、失礼な訪問者におもてなしをしてさしあげてください」
いつも通りの、先生の喋り声。ニッといたずらめいた笑い方で、こちらを見ている。
その声は耳にすっと響き、落ち着くことができた。
そうだ。今は、私のやるべきことをしなければ。
「……うん、分かりました。先生、今日はありがとうございました――ミレア! すぐにドレスの用意を!」
「はい、すぐに殿下の私室まで戻りましょう。侍女長の元へも報告がいっているそうです。着替えながら、侍女長とこれからどう振る舞うか相談されるのがいいと思います」
「わかった……行こ!」
他国の王族に、失礼があってはいけない。
でもこんな急な訪問は向こうの落ち度だ。とんでもない一大事でない限り、許されることではない。
にこにこ許して、舐められてはいけない。
初めての、型にはまらない外交。
クラリスが、このアルディア国を背負って戦うのだ。
侍女や騎士たちを引き連れて、クラリスは私室へと駆け出した。
城の最も大きな応接間。クラリスはその扉の目の前まで来た。
ドレスを着替える際に侍女長と話をし『無難なご挨拶で時間稼ぎを、何か要求されたら無知な子供を演じて先送りを、準備ができ次第エレノア第一王女殿下が加勢に来る』とのことだ。
本来急な訪問はここまで急ぐ必要はない。というより、待たせることで立場を明確にするのが良いくらいなのだが。
あまりにも突拍子のない事態、何か緊急の、それこそ戦争に繋がるような重大な情報を持ってきていたりする事情も考えられるため、まずは先方の要求であるクラリスを出すことが決まったそうだ。
数年前から北側の諸国は何やら不景気気味らしく、両国でもぴりっとした緊張感が流れている状況なのだ。
これはお父様と王国議会の人たち数人で大至急決めたらしい。
ついにクラリスも外交の力になると認められた嬉しさと、いくらなんでもイレギュラーすぎる焦りと、不安と好奇心とその他諸々で心はぐっちゃぐちゃだが。
「ふう……ミレア、私の恰好変じゃない?」
「はい殿下、どこをとっても申し分ない、この場にふさわしい恰好です」
「髪型も大丈夫?」
「はい。装飾品の数や種類も最適です――どうか胸を張って、新しいご友人を作るような感覚でいくのが良いと思います」
「あは、それいいね。新しい友達か。たしかに、隣の国の王女様なら私にぴったりかも。よし、ありがとうミレア、元気出た」
「ええ、私はいつでも殿下のそばにおりますから……さあ、参りましょう」
嘘。本当は口からゲロが出そうだし、今すぐ逃げ出して部屋に引きこもりたい。
だけど、兄さま姉さま、お父様にお母様も、みんないつもこのような重圧の中頑張っているんだ。
クラリスも、できるはず。
ミレアが扉を警備していた騎士に目線をやると、頷いて準備が始まる。
扉の両側に1名ずつ手袋をはめたドアマンが待機し、そのまま何かを待つ。
すぐに近くにいた護衛騎士の中から最も年齢の高い者が出てきて、室内にも聞こえるよう大きく声を出した。
「失礼いたします。アルディア国第二王女、クラリス・アウレシア・アルディア殿下をお連れいたしました」
重々しく扉が開き、中から眩しい光が漏れてきた。
ドアマンたちが一歩脇にずれ、深く礼をとる。
ああ、ああ。公式の場でしか聞かない、クラリスのフルネーム。待機している騎士や給仕の多さが、ここは普段とは違うんだぞと脅してくるようだ。
思わず足が止まりかけたが、なに、大丈夫。
無理やりほほ笑んで、ゆっくりと大きく一歩を踏み出した。
「あら!」
そこに座っていたのは、クラリスと同じ深紅の瞳を持つ美しい女性だった。クラリスを見て嬉しそうに立ち上がり、右の手でおいでと言わんばかりの手招きを小さくしている。
リゼル・ノルティア。
北の隣国ノースラの第一王女で、年齢は兄さま姉さま達に近かったと思う。
まだ外交パーティに出る年齢でないクラリスが知っている情報は、それぐらいだった。
リゼルの後ろには、侍女と騎士が1名ずつ。一国の王族にしてはあまりにも手薄な警備だな、というのが一番最初に浮かんだ感想だった。
ふわふわほわほわした、優しそうな王女様。
美しい淡い桃色の髪は、アルディアではあまり見かけない色だ。
こっちの王族が銀髪が多いみたいに、ノースラ国には桃色が多いのかな。ちょっとモモンチョスの色に似て……失礼か、あと想像するとお腹が鳴りそうだからやめておこう。
すぐにホストとしてのご挨拶をせねば。
エレノア姉さまのお姿を思い出すんだ。
散々学んできた淑女教育、今ここで見せる時。
微笑みのまま、瞬きを気持ちゆっくりにし、優雅にカーテシーをする。
「お待たせして申し訳ございません。お初にお目にかかります、クラリス・アウレシア・アルディアと申します。ようこそアルディアにおいでくださりました、リゼル殿下…………それで、ええと……」
ああどうしよう!
挨拶はいいとして、そのあとのことは何にも考えてなかった。
内心大焦りのクラリスに、リゼルが続けてくれた。
さっきまでのほわほわした空気を一変させ、王族としての気品溢れる雰囲気。
「クラリス第二王女殿下、突然の訪問をどうかお許しください。どうしても殿下とお話しておきたいことがありまして、こうして参上した次第でございます…………まずは我が国ノースラからお詫びと友好の印に手土産を持参いたしました。殿下、もしよろしければ今お出ししてもよろしいでしょうか? 公式の場ではございませんし、見ての通り人員も最低限です。できれば肩肘張らずに楽しくお喋りしたいのですが……」
そう言いながら、リゼルはクラリスの後ろのミレアを一瞬見た。
王族の手土産。なんだどんな金銀財宝がくるんだ。素直に受け取ってもいいのかな?
幼いクラリスに許可を出すのはミレアだと判断されたのだろうか。手土産とやらが食べ物だった場合、クラリスが許可を出したらミレアが準備して毒見まですることになるから、その確認かもしれない。
うーん、どうしたらいいんだろう。
当たり前だけど、人間相手だと習ってきた定型パターンなんか使えない場面の方が多い。
非公式の場であることをわざわざ強調していたし、ここはクラリスも少し態度を崩してもいいのだろうか。
手土産断るのもなんか違うよなあ。
んーーーいやなんかもういいや! こっちはまだ子供だし。何もわかりません! なんかあったら開き直ろう。
「お心遣いありがとうございます! 手土産というのは、どういったお品物ですか?」
「はい、まずはモモンチャを――」
「モモンチョス!! あれモモン……ちゃ……? あっっごめんなさい、つづけてください」
最悪だ!
リゼルの髪の色がモモンチョスだなーとか北といえば最近兄さまにモモンチョスいただいたなーとか考えてたら声に出しちゃったしもしかしなくてもモモンチョスじゃなかったよね?
大慌てでリゼルの方を窺い見ると、呆気にとられたような顔をして固まり、そしてすぐに笑いが込み上げてきたようで肩を揺らし始めた。
「ふ、んふふ、クラリス殿下はお噂の通りのお可愛らしい方ですね。ノースラで作られているモモンチャという伝統の菓子があるのですが、それがアルディアに伝わってモモンチョスが作られ始めたそうですよ。わたくしもよくいただきますので、その辺には詳しいのです」
「なんと……ではあれには元となったものがあると。そ、それはぜひ、食べてみたいです。えっと、ミレア、いい、かな……? あれ、なんか怒ってる!?」
振り向いた先には、ほんのわずかに渋い顔をしたミレアがこっちを見ていた。
少しの逡巡があったのちに、ミレアも挨拶をはじめる。
「ご挨拶が遅れて申し訳ございません。わたくしミレア・フォン・フェルガン、アルディア国北部のフェルガン領を治める家の生まれです。殿下はまだお若く、こういった場では私めが食事などの管理をすることになっております……さっそくお二人分準備させていただこうと思いますが、よろしいでしょうか」
こういった場で、主人とその従者がいた場合、お互いの従者はいないものとして扱うのがマナーと習ったのだが。
ミレアは名乗ったので、もうこちら側の扱いなのか?
……いや違う、クラリスがいつもの癖でがっつり話しかけちゃったから名乗らざるを得なくなったのか!
うわーーーミレア、ごめん!
でも申し訳なくはあるんだけど、なんかちょっと肩の荷が下りたというか、強力な味方が増えたみたいで心強く感じる。
そう、そうだよね。相手は王族だけど、別に国同士仲が悪い訳でもないし、そもそも向こうが突然押しかけてきたんだからそこまでびくびくする必要はない。
「まあ嬉しいですわミレア様、ご挨拶をありがとうございます。ええとじゃあ、お願いしてもよろしいかしら? 本当にこちらが急に押しかけてきただけなので何も気になさらず、ただ仲良くおしゃべりができればよいのです」
「リゼル殿下……ありがとうございます。早速準備してまいります」
ミレアがリゼルの後ろにいた給仕の方を連れて、部屋の外に出て行った。
さあいよいよクラリスも気合いを入れて話を聞いていくとしよう。
数分後、ワゴンを引いて戻ってきたミレアが見たのは、異様な光景だった。
「えー! わかります、あの鬼人と姫がついにくっついたトコとか特に!」
「そうなの!! 姫が力を得て! すべてを失って! でもずっとそばにいたのは誰ですかって話!」
「姫の手を取って甲に紋を入れちゃうとかもう!!」
「きゃー! 思い返すだけで照れますわ!」
さっきまでガチガチに緊張していたクラリスが、リゼル殿下と大変親し気に盛り上がっている。
……なんだろう、困惑。
ええとあれはたしか、最近王都で見た歌劇の話か。
リゼル殿下も同じ話を知ってたんだ。不思議ではない、歌劇団というのは国の垣根を越えて活動するものも多いし、特に王族向けには特別公演が組まれたりもする。
ミレアもクラリスのお付きとして観ていたけれど、結構登場人物の癖が強めというか一般向けする物語ではなかったんだよな。
まあ……クラリスが楽しそうでよかった。なんだかちょっと複雑な気もするけど。
話の腰を折るか一瞬迷ったが、待っていてモモンチョs――いやモモンチャが温まってしまってはリゼル殿下の顔に泥を塗ることになる。ミレアはすぐに机の上に皿を並べ始めた。
「お話中失礼いたします、リゼル殿下からいただいたモモンチャの用意ができました」
「わ……わわ……なんて綺麗なの! ミレア見て、これが本場のモモンチョス……!」
「はい、クラリス殿下。色艶も輝きも、ひときわ強く見えます」
ミレアに話を振るんじゃなくてリゼルに感謝を伝えるのが外交の基本だろうと思ったが、喜ぶクラリスを見てリゼルがにこにこ喜んでいる。これもまた正解なのだろう。
「ふふ、喜んでいただけて良かったです。苦労して持ってきた甲斐がありましたわ。アルディア王家の方々は水菓子がお好きと聞いていたので……あらクラリス殿下、せっかくのモモンチャです、まずはひとくち食べてみてくださいな」
「はい! いただきます!」
クラリスはすっとナイフを入れ、断面をじっと見ている。リゼルも続いてモモンチャを食べ始めた。
そうしてクラリスはぱくっと可愛らしい口に運び、目を閉じて咀嚼をする。
眉尻を下げ鼻息を強くし、あ、後ろにのけ反った。
あれは本気で美味しい時のやつ。ミレアには分かる。
そのまましばらく無言でひたすら味わい、ふと我に返ってリゼルに必死に感謝と感想を述べていた。
ここまで味わっていただけるなら、あげた側はさぞ嬉しいだろう。当然リゼルもにっこにこだ。
どうだうちの姫様、可愛いだろう。なぜか見ているだけのミレアも満足した。
さて、ここで専属侍女のやることは、クラリスの可憐な姿の観察ではない。
そう、情報収集と整理だ。
専属侍女であるミレアは圧倒的に誰よりも、護衛騎士たちよりもクラリスの近くにいることができ、唯一話がしっかりと聞こえる。
ただぼーっとしている時間ではない。考えるのだ。
なぜノースラが王女を差し向けてきたのか。なぜその相手が最年少のクラリスなのか。
そこに敵意や害意は。
書状もなく訪れるほど急ぎもしくは王女の独断での行動のはずなのに、運搬が大変でその準備に時間がかかるであろう手土産を持ってこれたというのは可笑しな話ではないか。
ただなんとなくクラリスと会ってみたかったから、なんて理由では通るまい。アルディアは国力が大きい。無理を言って怒らせることになっても、こうしたかった理由があるはずだ。
今のところ、本当に楽しくお喋りしているだけ。
モモンチャを食し終わったら、本題に入るだろうか。
ミレアが、クラリスを守らねば。
そのために自分の存在も強く示しておいた。
あのお方はまだ、他人を疑うことを知らない。人間とは醜いものだ。でも、それを知らないままでいてほしいとも願う。
専属侍女は、澄ました顔で客人を見つめ続けた。




