06. 特別授業と先生の提案
第二王子アルドリック、第三王子レオノルドと秘密の会議をしてから3日が経過した。
その間に、公爵家の諜報員を使ってくれていたフィオナから連絡があり、そして各地の協力者からも返答があり、クラリスの元へ着実に情報が集まっている。
おおよそ順当に選べば兄さま姉さま方はそれぞれどの領地が適格か、などは見えた。
あとは特に実績のないクラリスがどう振る舞うのが正解かを考えていく段階だ。
今日は、去年から地政学を教えてくださっている学者先生との面会が実現し、王城にあるクラリス専用の書斎にて待っているところなのだが。
遠くからバタバタと音が聞こえてきたかと思うと、突然ばたんと大きな音をたてドアが開き、近くで待機していた近衛騎士たちから叱りの言葉が飛んだ。
普段の落ち着いた先生ではありえない状況に、何かあったのかと急いで顔をあげる。
「はぁ、はぁ……ああ大変申し訳ございませんクラリス第二王女殿下、ボクとしたことが資料を途中で落としてしまいましてね、時間ぎりぎり……セーフかな、お待たせいたしました」
「あ、えぇ……お、おはようございます先生。……大丈夫ですか?」
そこにはいつものぴしっとした姿ではなく、息を切らして青白い肌を見たことないほど紅潮させている先生がいらっしゃった。
「ええ、ええ……ふぅ――ごほん、殿下からのお手紙を拝領いたしましてから、不肖アーネスト、必ずやお力添えができるだけの資料を集めて参りましたとも。すぐに準備いたしますので、今しばらくお待ちください」
そう言って先生――アーネストは書斎の大きな机にテキパキと資料を並べはじめる。
普段はがちっと固めている髪の毛が、見たことない様相でふわんふわんと揺れているのがなんとも驚きだ。
それほどまでに、この数日クラリスのために頑張って情報をまとめてくれていたというのか。
ああ、ありがとうアーネスト先生。
このご恩、一生忘れませんとも。
そうして始まった緊急特別授業は、王城の喧噪も忘れて、静かに深く進んでいった。
学者であるアーネストは、アルディア国3大公爵の1つ、セルヴァン公爵家の生まれ。
家柄も人格も良好、国家の頭脳が集まる王立学士院では最優秀の成績をおさめたとかで、歴代最年少で王室の家庭教師となったすごいお方だ。
普段はその肩書きも相まってほんの少し近づきがたい空気があったのだが、なんというか今のアーネストは寝起きの犬って感じ。
このくらいフランクに接してもらった方が好きかも。いやでも、いつものお堅い真面目な先生も好き。
「それでですね……殿下? お疲れでしょうか、少し休憩をはさみましょうか」
「あっいえ! すみません、お構いなく続けてください」
クラリスの集中力が切れたのも目ざとく分かるようだ。いかんいかん、集中。
というかお疲れなのはどう見ても頑張ってくれた先生でしょう。この資料の量、情報の密度、とても数日で急遽用意したとは思えないクオリティ。
あとで疲労に効くというちょっと良いハーブティーを届けさせよう。
アーネストは心配そうな様子でこちらをわずかに覗き、すぐに資料に目を落とし「かしこまりました」と柔らかな声を響かせ、授業が再開した。
今日はほかの科目はなくし、全てアーネストとの時間に充ててある。
侍女長も事情を察したのか、そもそも地政学や経済学自体が立派な王女教育の1つなので、このようなイレギュラーもすんなり通ったのだ。
机の上の紅茶は、もう何杯目だろうか。すっかり冷めきって、また侍女が淹れなおしてくれる。
今までも国内の地形や気候、産業などはもちろん習ってきたが、今回見ているのは一段踏み込んだ領主としての目線での詳しい実態だった。
現在の産業に至るまでの簡単な歴史から、天災の危険度、犯罪発生率や有効であろう施策まで、一通り叩き込まれた。
頭が熱い。知恵熱ってやつだろうか。このままじゃ発火しちゃいそう、ぷしゅー。
そうそう、アーネストの専門は地政学だが、政治経済全般が遜色ないほど詳しい。
こうしてクラリスの家庭教師をしてくれているのが奇跡なほど、各機関から引っ張りだこな人材らしく、今でも定期的にクラリスを巻き込んで誘いを断るほどだ。
今回のこの事態を打開するのに、これほど最適な協力者はどこを探してもいないだろう。
「北西のあの土地は除いて、候補地それぞれのざっくりとした気候・人口・産業・税収などはお分かりいただけましたね。次は……クラリス殿下は、他の王子・王女殿下方の、それぞれの地方でのご公務はどこまでご理解されておりますか?」
アーネストはふっと顔を上げ、クラリスの瞳を見た。
あ、この顔。クラリスがどの程度まで現状を把握しているかのテストのようなものだろう。
アーネストは気弱そうに見えて、その実自分の認めた人間にしか手を貸さないフシがある。
落ち着いて、頭の中の情報を口にする。
「そうですね…………ざっくりと、エリアス兄さまが北部、エレノア姉さまが南部、アルドリック兄さまが東部で、レオノルド兄さまは最近は西部に通うことが多いように感じています。綺麗に散らばっているのにもきっと何か意図があるん……ですよね?」
クラリスが前から薄々感じていた傾向だ。
私たち王族には公務があり、その内容は多岐に渡る。
地方の貴族のパーティにお呼ばれするだけの簡単なものから、伝統的な儀式、外交、時には新規産業の旗頭として置かれたり、規模の大きな公共事業なども担当することがある。
その担当となる地域が、なぜか兄弟で綺麗に偏っていたのだ。
もちろん全員がすべての地域に行きはするのだが、兄さま姉さま方からいただくお土産が人によって傾向が違っていたので確実だ。美味しい食べ物のことは決して忘れない。
あ、ちなみにクラリスはまだ自分の名前での事業はない。この前肥料を改良し生産性を大きく上げた大農場に賞をあげたくらい。
もう数年すれば実務として取り組み始めるだろう。そう、まだ、始まってもいないのだ。
「さすが殿下、ご明察です。こういった公務の割り振りをするのは国王陛下の御旗の元、王国議会の王室部と国家戦略部で決められます。ここはかなり厄介な面々……いえ失礼、国の重鎮が多くいる部署ですね。今回のこの突然の提案も、クラリス王女殿下にのみ情報が伝えられたこの状況も、すべてその王国議会で決められたことでしょう」
アーネストはティーカップに手を伸ばし、すっと口に運んだ。
こういった動作1つとっても、さすが公爵家、洗練された美しさが溢れている。
「あまりボクの口から大それたことは言えませんが…………適正を見る、というのは、何も王になるだけではありません。今後の扱い方までまとめて決める、というのがボクの見立てです。自由に選べるように見えて、クラリス殿下が『正解』を叩き出せるか見られているといっても過言ではないでしょう」
アーネストは真剣な表情をして、指で机をとんとんと軽く叩いている。
非常に含みのある言い方。
なるほど。そう……そうだよね。
分かってはいたけれど、これは能力をジャッジされる場なのだ。
クラリスは王にはならずとも、いや、ならないからこそ、王の邪魔をしない『正しい立ち回り』が求められるのだろう。
「あれ、でもそれって……私結構みんなに言いふらしちゃってますけど、大丈夫ですかね?? 自分だけ情報を持っているというアドバンテージを活かして、うまく動かなければいけなかった……?」
以前呼んだ小説では、主人公が影から上手く事態を転がしていく様を楽しむ痛快な物語だった。
あれが正解なのか? あんなことができるのは小説の中だからではなく?
立ち回りを間違えてしまった。
なんだか嫌な想像が駆け巡り、心臓がばくばくと早く動く。
あからさまにショックを受けるクラリスを見て、アーネストは可笑しそうに笑った。
「ふふ……失礼、大丈夫ですよ。殿下はお気づきでないかもしれませんが、貴女様の動きもまた正解の1つでしょう」
「へ……というのは?」
アーネストはなぜかこちらを見てさらに目を細め、不思議な顔をするクラリスに向けて一段と優しい笑顔で続けた。
「なぜなら、そうして他人を頼るのもまた大事な力だからです。殿下はご兄弟方全員を仲間につけ、城の人間も巻き込むことができる、たくさんの人間から助けたいと思われる人望のあるお方です。ええ、これはなかなか、ボクなんかには絶対にできない確かなお力です」
お、おお……なんだかあんまり何を言われてるのか分からないけど、褒めてもらえて嬉しいです。
困惑しつつ、とりあえずぺこりと軽くお辞儀をしてみた。
「殿下のお手紙をいただいてから、ボクなりに色々調べ、考えました。ここで1つ、殿下に提案をさせていただきたいのです」
アーネストは身体ごとクラリスに向け、一度深く呼吸をした。
なんだろう。すごく重大なことを言いそうな雰囲気。
「殿下。北西の未開拓の新天地――ゼルスの地を、選んでみませんか」




