04. 公爵家の赤獅子
昼前になり、クラリスは自分専用の離宮まで移動してきた。
ここは「白百合離宮」と呼ばれる場所で、王宮の王族居住区の少し離れた場所に立つ、いわば家のようなものだ。応接室や寝室、衣装部屋等の居室に加えて、調理室、使用人たちの待機部屋、騎士の詰所、さらには小さな庭園まで揃っている。
なんだか広すぎて眠るのには寂しいため、普段の寝泊まりはもっぱら王宮の私室でしているのだ。
もちろん、自分好みに整えられたこの場所は大好きである。
真っ白な城にはところどころアクセントに桃色が使われているが、これは幼き日にお母様がクラリスの好きな色に、と言ってわざわざ塗り替えてくれたもの。最近は少し子供っぽいかななんて思う時もあるが、見る度に母の愛を思い出し心が温かくなるので、これがいいのだ。
今日も公爵令嬢であるフィオナと、ここの庭園で昼食の約束がある。
主であるクラリスがいないとゲストも入ることができないため、こうして予定時刻よりも早めに来たのだが。
すでに白百合離宮の前には、燃えるような赤髪の彼女の姿があった。
向こうもこちらに気付いたようで、ぱあっと花開くような顔になり近づいてきた。
「ごきげんよう、クラリス王女殿下。ああ本日も美しさに磨きがかけられて、天の大精霊が舞い降りたか、地に可憐な花でも咲き乱れたかと思いましたわ!」
そう言い放ち、フィオナはぴしりと、そしてふわりと礼を執る。
大胆かつ丁寧な挨拶を、大貴族らしい優雅さを残しつつ行う、器用な人だ。
見渡すと離宮の前にはにっこにこのフィオナ、表情を固めた騎士たち、侍女たち、慌てて身を隠そうとする使用人たちで溢れかえっていた。
予定されていた時間より大幅に早く着いていたのだろう。
おおかた、公爵令嬢を適当に待たせる訳にもいかないので応接室を勧めたがフィオナのワガママで家の前を陣取られてしまい、目の前を下級の使用人が通ることができなくなり準備に非常に手間取った挙句、主人であるクラリスまで早く来てしまったので大焦り、というところだろう。
……いつものことだ。貴族と使用人というのはそういう関係で、どんなイレギュラーも対応するまでが仕事なのは分かっているのだが。
ウチの可愛い使用人に余計な負担をかけるんじゃない!
「フィオナ、いつももっと遅くていいって言ってるでしょ……ああもう、とりあえず中に入って。こんなところにいたら日焼けしちゃう」
クラリスはフィオナを連れて早足で離宮へ入る。ミレアたち侍女と、近衛騎士も続いた。
中を進むと、両側に使用人たちが並び、合図もないのにぴっちり揃ってお辞儀をする。
もうこっちがお辞儀したいくらいだ。いつも予定が変わって申し訳ないです。
そのままぞろぞろと庭園に進み、1分も経たず中央に位置する東屋に到着した。
クラリスと、向かいにフィオナが座る。2人の横にはそれぞれミレアと、フィオナの専属侍女が立ち、それぞれ一般侍女が運んできたお茶を淹れはじめた。
騎士たちはすぐに散らばり、庭園入り口や生垣の間で警備を始める。近衛騎士は、東屋のすぐ外に立った。
「……それでフィオナ、本日もご足労いただきありがとうだけれど! まったく、いつもこの調子じゃない」
「まあ、クラリス殿下とお会いできることが、わたくしにとって待ち遠しすぎて……申し訳ありません」
まあこの茶番もいつものことなので、皆慣れっこではある。
大袈裟にしゅんとした表情をされると、何か小動物でも痛めつけている気分になって、すぐに許してしまうのだ。
自分で言うのはあれだが、フィオナもクラリスと同じく人に甘えるのが上手なタイプである。何人の人間が、この愛嬌に落ちたことか。恐ろしや。
フィオナは何かを思い出したようで急にぱっと明るい表情に戻り、手を胸の前でぱんと鳴らし、侍女に何かを合図した。
「わたくしクラリス殿下に、プレゼントをお持ちいたしましたの。王都で流行りの、ぷ……なんでしたっけ、ええと、ぷりゅんぷりん、ですわ。叶うならば、ここで一緒に食べませんか?」
「待ってました、新規スイーツ開拓! さすがはフィオナ様、ぜひぜひぜひ、いただきますとも! あ、いつもありがとうございます」
「もう、殿下ったら。わたくしだって、公爵家のむさ苦しい男たちと食べるより、可愛らしい女の子といただきたいのです…………あら、なんだか、想像より白いですわね! 味が想像できませんわ」
目の前に出されたのは、なめらかでツヤツヤした、白いぷるぷる。
本来ならこうしたものは食後にデザートとしていただくのがマナーだが、2人だけの時はいつも先に食べるのが、私たちの昔からの習慣だ。
スプーンで掬おうとしても、なかなかの弾力で弾き返そうとしてくる。苦戦しつつ適量を取り、少し揺らして楽しんでから口まで運ぶ。
位の高いクラリスが食べたのを見て、すぐにフィオナも口に入れた。
さっきまでの弾力が嘘みたいに、口に入れた瞬間に溶けて広がる。味は甘ったるすぎず、だんだんと濃厚なミルクの風味が広がり、最後にとびきりのさわやかで豊かな香りが脳まで突き抜けてきた。
思わずため息が出る美味しさ。さすが、フィオナの情報網は噂通りの腕前だ。
「はあぁぁーーこれ本当に美味しいね、フィオナ」
「ほぉ、素晴らしいですわね、殿下。今度また、このぷり……ぷりゅんぷりん、を差し入れさせていただきますわ。今回はなかなか当たりでしたわね」
味わいながら、大きくぶんぶんと頷き、肯定の意を表する。
ぷりゅんぷりん、名前は覚えにくいが、その味はしっかりと脳裏に刻んだ。
さすが、フィオナはその情報網と影響力の大きさで一目置かれる存在だ。その情報の腕は、国を超えたまだ知られぬスイーツにまで及ぶらしい。
そして、その柔らかな笑顔と裏での強かさのギャップから、社交界では「眠れる子獅子」と呼ばれているそうだ。なんともぴったり、もの凄く強そうなあだ名である。
さて、今回クラリスは、そんなフィオナの腕を借りるつもりでここへ来たのだ。
新作スイーツを綺麗にたいらげ、机に昼食にふさわしい皿が揃ったのを見て、クラリスはフィオナの名を呼んだ。
柔らかな返事を聞き、少しだけ顔を近づけて、口元に左手を添え小声で伝える。
「あの、2人で内密にしたいお話があります」
「まあ! 内緒話なんて素敵ですわ……ルナ、少し下がっていて」
「はっ」
ルナと呼ばれたフィオナの専属侍女は、東屋から出て、近衛騎士の近くまで下がった。
ミレアは……まあいいか。あんまり従者を離れさせすぎると、後で侍女長に怒られそうだし。
ミレアはクラリスの表情から下がらなくてよいのだと判断したのだろう、さりげなくクラリスとフィオナの両方をカバーできるように立ち位置を変えた。
「これは内々の話なんだけど、昨日お父様と話して、私たち兄弟にそれぞれ領地が与えられることになったの」
「あら! おめでとうございます。それで、クラリス殿下はどちらをお治めになるの?」
「それがね……ああ、やっぱりここだとあれだから、食べ終わったら応接室に移動しましょう。そこで見せようと思うんだけど、私だけ先に領地候補のリストをいただいて、まだ幼いから決めて良いって。それで政治力とか色々な適正をみるってお話で」
ふむふむと頷くフィオナは、数秒考えたのち、その笑顔のままさらりと返してきた。
「なるほど、次の王位がかかってるかもしれないと。どなたにも平等に接せられていたので、国王陛下自らが選ぶお心とは思っていたのですが、ついに動き出すのですわね――ああ、それで、王家の皆様が絡むことだから、王家の諜報員は上の方に使ってほしくて、クラリス殿下が領地の実情を知るには、わたくしの力が役に立つ、といったところでしょうか」
「おお、さすがフィオナ、完璧です」
理解力の高さに驚くばかりだ。
クラリスよりよっぽど、王女向きな能力をしているといつも思う。
まあとにかく、話が早くて助かる。ここでなんとかフィオナを説得できないと、今後クラリスは非常に厳しい戦いを強いられることになるのだ。
ここは誠心誠意、心を込めて。
「それでどうかな、1つ大きな借りということで……頼らせてください」
周りが驚かない程度に、顔の前に手を合わせ、微かに頭を下げてお願いする。
「ま!」という声のあと、フィオナはすぐにクラリスの手を握って少し引っ張り、自然と目が合うようにずらした。見上げるとそこには、いつも通りの朗らかな表情があった。
「もう、殿下ったら水くさいですわ! 安心なさって、当然わたくしはクラリス殿下の友として、いくらでも協力いたしますわよ。それで、具体的な場所はあとで伺うとして、期間はどのくらいですの?」
ああ、よかった。そんなもの困る、と一蹴されてもおかしくなかったが、当の本人はむしろ楽しそうだ。
フィオナは簡単に頷いたが、家の諜報機関を動かすというのはそれなりに大変なのだ。お金も手間もかかる上に、様々なリスクまで負うことになる。
それでも、味方になってくれた。これで少しは心に余裕ができるというもの。
色々事が済んだ暁には、ありったけのお返しを用意しよう。スイーツだと負けてしまいそうだから、領地となった場所の特産品をたっぷりと贈るのがいいかな。ドレスや宝飾品はすでにたくさん持っているだろうしなあ。
さて……期間については言ったら驚くというか、怒られそう。
しかし頼んでいる手前、きちんと伝えねば。
「本当にありがとうフィオナ。期間はね……あと6日、です」
ここで初めてフィオナは動きを止め、文字通り固まってしまった。
まあ普通に考えれば、領地決めなんて一大事、年単位、どれだけ短くても数か月単位で行うものだもの。
「まっ…………殿下の将来を大きく左右する領地決めを、たった1週間で、ですの? それはなぜ、いや、ううん……。陛下からすればクラリス殿下は1番いいところを取るだけだからそんなものだと、お思いなのかしら。でも実際は、殿下はほかのご兄弟方にお譲りもしたいし、もちろんご自身も立てなければならないと」
フィオナは一を言えば十が返ってくる、聡明なご令嬢だ。
その通りだと頷くと、フィオナは難しい顔をして考え込み、すぐにぱん、と手を叩き明るく話し出した。
「わかりましたわ。ほら殿下、早くお食べになって、急ぎ応接室へ参りましょう。わたくし、早く来て大正解でしたわ! もうすぐにでも手の者を使って、きっと殿下に納得のいくだけの情報をご提供いたしましょう!」
切り替えの早さも一級品である。
うら若き貴族令嬢が大急ぎでご飯をかきこむなど言語道断だが、そんなことを気にする暇もないのだと、フィオナは一気に口に運び始めた。
負けじとクラリスも食べ、突然のことにぎょっとする侍女たちを尻目に、数分後にはすでに離宮の中の応接室に2人の姿があった。
「なるほど……これはなかなか……小さめの領地でお力を試すなどではなく、王にならなかった方は爵地として一生涯治めることになりそうな、規模の大きさですわね」
「やっぱりそう思うよね。南部のこことか、王族が下るにはめちゃくちゃちょうどいいもん」
領地リストでひときわ目を引くのは、南部の穀倉地帯を含む広大な土地だ。
ここは海に接しているので資源が豊富で人口も多く、さらに各地と水運で繋がっているため移動も容易く、関税をかけるだけで簡単に莫大な税収が見込めるだろう。
王以外の成長した王族はどうなるかというと、このような土地の領主となり、新たに公爵、侯爵あたりの爵位が与えられ、そこで生涯を過ごすことが多い。
もちろん政治的手腕などが評価され王宮で王に助言をするような立場に就くこともあるが、我が国アルディアでは、各地で王族が献身的な姿を見せることが王家への求心に繋がるという理由から、それぞれが土地を持つことが非常に多い。
今回の件、最初はただのお父様の気まぐれだと思っていたのだが、考えれば考えるほど、クラリスの一生、そしてこの国の未来がかかった一大事だった。
「ここで王都近くの小領地を選ぶと、その時点で王族としての能力なしと評されても文句は言えませんわ」
「王になれないどころか、王宮での立場もなくしそうだよね……」
兄さま姉さま方にお譲りするつもりとはいえ、クラリスもまた、評価される側なのだ。
ここで適当に逃げるのは、ありえない。期待されていないとはいえ、散々政治経済その他もろもろの教育も受けさせてもらったのだ。お父様お母様を、関わってきたみんなを、失望させるようなことはしたくない。
それに、王にはならずとも、新たな王をお支えする立場になった時にも、力がある方がいい。大好きな兄弟の誰かが継ぐことになるのだ、その折には、当然クラリスも王族の一員として支えることになる。
2人は机に広げた地図を見ながら、しばらく静かに読み込んでいた。
そういえばと、クラリスは沈黙を破る。
「ざっと見ると、確実な大領地は4つ。南部のローゼル、ベルシア、西部ガルドフォートと、北部のノレランあたりなら、誰が治めてもちゃんと能力が示せそうじゃない。でもさ、ここ。この前北のノースラ国から貰った土地だっけ、ここ大きさだけなら圧倒的だから、どうなのかな。ノースラの国としての特徴とかは習ったけど、実際の地方の実態まではやらないからさ、実は結構すごい土地だったりする可能性、なくはないのかなって」
クラリスが指さしたのは、アルディア国の北西に飛び出た、名も無い巨大な土地だ。
昨夜エリアス兄さまが言っていたように、ここは最近アルディア国領となった、謎の地。
なんの噂も情報も無く、そもそもノースラが簡単に手放したことから窺えるのは、ここがあまり旨みのない地である、ということくらい。
それでも、たとえどんな瑕疵があろうと、土地の広さと人口の多さはとてつもない武器になる。
特にここ、広さだけでいうとアルディアのどんな大領地よりも広い。というより、もはや小さな国に匹敵するほどの広大さだ。
「まあ……わたくしも、存在しか知りませんわね。ここまで情報が回ってこないのは少し不気味ですが、わかりました、この地について、特に詳しく調べておきますわ。明日以降、少しずつでもお手紙で報告を届けるようにしたいのですが、よろしいです?」
「お願いします、もう本当に頼りになりますフィオナ様。ああフィオナがいなかったら私、ろくに調べられもせずに知らない土地で過ごすことになってたかもしれないと思うと……うう、ありがとね」
クラリスは大袈裟に表情を崩しながら、フィオナの両手を握り感謝を述べる。
そんなクラリスに、フィオナはいつになく真剣な顔で言った。
「殿下、殿下に先に助けていただいたのはわたくしなのですから。叶うなら、私は殿下のお傍にずっといたいのですよ? どうかぜひ、今後もいつでも頼ってくださいな」
「フィオナぁ」
なんて優しい人なのだ。
クラリスは本当に恵まれた環境にいるんだと、最近しみじみと思うようになった。これが年ってやつですかな。
そこからは、今知っている知識であれやこれやと語り合う時間となった。
傍から見れば、少女たちが楽しそうに地図を広げ喋りに花を咲かせているだけに見えるが、その中身は学者を唸らせるほどの地政学だ。
公爵家唯一の令嬢であるフィオナは、自国他国を問わず王太子等に嫁いで国母になりうる人間であり、立場としては王女であるクラリスとほぼ遜色ない。
ゆえに、領地経営などの政治的教育も当然のようになされ、クラリスより年上で知識や経験が深いのも相まって、議論はどんどん白熱していった。
途中からは、そばで聞いていたミレアまで参戦させた。
彼女もまた、王女の側近として、貴族令嬢として、しっかりと学んできたものがある。
昔からフィオナとも何度も会っていて、公の場では侍女として振る舞うため話すことはないが、その実3人は仲睦まじい友人なのだ。こうして話に参加しても、誰も咎める者はいない。
うら若き乙女たちの熱い話し合いは、クラリスの公務ぎりぎり、夕方に差し掛かるまで続いたのだった。




