03. 専属侍女の素顔
私の名は、ミレア・フォン・フェルガン。
クラリス第二王女殿下の、専属侍女をさせていただいている。
雰囲気の緩さに反して内容の重すぎる王族会議が終わった、次の日の朝のことだった。
いつもより遅めの起床ができるのは、今日は第二・第三王子が朝からご公務のため、王族の方々で朝食を囲むことがなく、さらに教師の都合で午前教育がまるまるフリーとなったからである。
すでに昼に差し掛かりそうな陽光を浴びてなお、ベッドに伸びるクラリス王女殿下に声を掛ける。
「クラリス、おはよ、起きて」
こうして見ると、外でのきりっとしたお姿よりも随分幼く、いや、つまり年相応ぐらいに見える。
クラリスは薄目を開けミレアの存在を確認し、小さく息を吐いてもぞもぞと動き、また少しして意識を覚醒させた。
「んむ…………んんーーーー……ふあぁ、おはよ、ミレア。久しぶりにめっちゃ寝た気がする……ミレアもスッキリした?」
「うん。なんかもう世界が輝いて見える」
ミレアの主である王女殿下は、からからと陽気に笑い、すぐにベッドから降りてきた。
個室に2人きりの時は、こうして素の喋りをする。
万が一にも外で誰かの耳に入れば、ミレアは職を失うだろう。それでも、クラリスがこの関係を望んでくれる限り、侍女としてだけではなく、友人としても支えていきたいのだ。
部屋の端に避けられたワゴンには、すっかり冷めてしまった朝食が2人分。到底食べきれない量が乗せられているのは、残りを使用人たちに下げ渡すためだ。
「朝ごはん、どうする。ここで食べる? どこか外に出る?」
「うーん、ここがいいな」
「わかった……一応聞くけど、侍女たちは呼ぶ?」
ここでいう侍女とはミレアのような専属侍女ではなく、王宮所属の王女付き一般侍女のことだ。身支度や掃除洗濯、お茶淹れなどもすべて彼女らの仕事なのだが、パーティーなどがない日は配膳や着替えくらいなら自分たち2人でやってしまうことが多い。
そう、クラリスは王族にしてはぶっ飛んでいて、侍女にあれこれ世話を焼かれるのを好まないのだ。
「ぜったい嫌ー。ミレアと2人がいいもん。ね、いいでしょ? このままごはん食べよ?」
理由は簡単、ほかの人の目があると、ミレアが『親友』から『専属侍女』になるからだ。
クラリスはふわふわの髪を爆発させて、乱れたパジャマもそのままに、ワゴンを手繰り寄せてベッドまで持っていった。そのまま腰かけ、隣に座ってとベッドをぽんぽん叩く。
……まあ、こうして2人でゆっくりできるのは、普通に嬉しいから、いいけど。
クラリスは甘え上手というか、好きという感情を隠さないので、本当に人誑しだと思う。そして、まんまと誑されているのも、また事実。
食べ終わったら侍女たちを呼ぶとして、それまではこうしていよう。
こんなにゆっくりできる日なんて、そうないのだから。
2人で他愛もない話をしながら、朝食に手を付ける。
柔らかな白パンに、ハードな黒パン、ねじねじくるくるパン……パンだけで5種類。オムレツにハムにソーセージ、野菜に果物、冷めることを見越して用意された紅茶代わりの果実ジュース、それにデザートの焼き菓子まで、贅の限りを尽くされている。
今は友人と食事をしているだけなので、誰の目も気にせず、笑い合いながら食べる。この時間はミレアにとって、何にも代えがたい至福の時なのだ。
ミレアは、北部を治めるフェルガン伯爵家の次女として生まれた。
歳はクラリスの4つ上。初めて出会ったのはもういつだったか、兄が第三王子の学友として選ばれていた繋がりで、ついでに一緒に遊ぶだけの関係性だった。
クラリスは末っ子だからか、年上の子供と遊ぶのに慣れていた。しばらくするとなぜかミレアを大層気に入り、ミレアが貴族教育を受けに行く時すら、くっついて来るようになった。
当時は正直邪魔だと思っていたが、もう分別のつかない年齢ではなかったため、王女殿下を足蹴にするようなことはできなかったのだ。そこから長い時間を過ごすうちに、気の合う友人くらいには思えるようになった。
そんな軽い気持ちでいたのだが、クラリスの存在がミレアを大いに救う事態が起きた。
ミレアは、ほかの伯爵家から嫁いできた由緒正しい母から産まれた。
第一夫人、正妻、言い方は多数あれど、つまりは外面の良い真っ当な存在だ。
しかし、当然それは政略結婚。お互いに親に言われ子を成しただけの存在。愛は残念ながら、芽生えなかったようだ。
長男である兄は当然家を継ぐとして、女子である私は、明確に政略結婚の駒でしかない。
幼い頃からあまり父に見向きされなくて、母には厳しく躾けられた。それが貴族の定めではあるし、何不自由ない生活はさせられたが、心はどこか寂しかった。
それがある日、ついに父の許可が出たらしく、母は自分につけられた騎士と共に他所の土地へ頻繁に出かけるようになったのだ。
所詮お互いに愛はないので、子を為し育てるという義務さえ果たせば、母にはある程度の自由が与えられることも不思議ではなかった。
その頃父は新たに妻を迎え、しかも、そこにはたしかに愛があった。弟妹も産まれ、ミレアが見たのは、夢にまで見た家族団欒の姿だった。
胸が、痛かった。
兄はすでに王都のタウンハウスに住んでいたし、広い屋敷で独りぼっち。言えば何でも与えられるが、ミレアがどれだけ頑張っても認めてくれる者はいなかったのだ。
だんだん心を閉ざしていったミレアが変わったのは、クラリスの侍女長から、王宮直属の女官学校に通わないか打診を受けた時からだった。
これは、貴族の子女にとってはとんでもない名誉である。
王宮の女官……腐っても貴族の生まれ、高級侍女を目指すことができる。王族の方々に直接属する侍女を目指すのが、最も一般的な道だろう。
しかも侍女長は、人事権を持っている。直接お声がけされると、ほぼ確定で王族に従事することができるのだ。
伯爵家にとっては大いに自慢できる事柄だし、何より、父たちはミレアを家から出せるのだ。
それはそれは父に褒められ、自慢の娘だと言われ、乾いた笑いが出た。
しかしミレアにとっても良いことづくしだ。こんな家から出て王都に住めるし、自分の頑張りがきちんと評価される。
さらに王族の専属侍女ならば、結婚すらしないこともある。その方が生涯主人に尽くす心づもりとされ、とても高く評価されるのだ。
家からも、政略結婚からも逃げられて、名誉ある職だ。二つ返事で了承した。
これは随分あとになって知ったのだが。
あの時まだ幼かったクラリスが、ミレアの表情が曇っているのに気づき、助けるにはどうすれば良いか侍女長に聞き、自ら指名してくれたらしい。
ああ、この天使のような少女は、いつだってミレアの道を照らしてくれていたのだ。
「失礼いたします」
侍女たちがクラリスの身支度を整え、部屋から出て行った。
ああ、いけない。ミレアは自分が感傷に浸っていることに気づき、すぐに表情を引き締めた。
拾っていただいたのだ、自分は姫様に誠心誠意お仕えせねば。
聡いクラリスにばれぬよう、いつも通り仕事を始める。
「それでは本日のご予定の確認を。まずは、いくつか殿下宛ての手紙や招待状をいただいておりますので、返書をお願いいたします。昼食は公爵家のフィオナ様とのお約束で、離宮の庭園でのお食事です。その後のご公務は王都視察のみですので、余った時間でダンス練習と礼儀作法の復習をしましょう。晩餐の頃には第二王子殿下、第三王子殿下もお戻りになるそうなので、ご家族でのお食事を予定されております。何か、ご質問はございますか」
「お、今日は少ないね、素晴らしい! ああそれで、ごほん……例の件はどうなったのかね、ミレアくん」
わざとらしく悪そうな顔をして、ミレアに近づき耳打ちしてくる。
周りに人などいないが、一応最重要機密なので、ミレアも負けじと囁き返した。
「はい。夜には第二王子殿下、第三王子殿下の両名がここにいらっしゃる予定です。騎士たちへの口止めも、つつがなく」
ミレアも真似をして精一杯の悪い顔をすると、顔を見合わせた2人はまたくすくすと笑い合うのだった。
その後しばらくして、侍女長がクラリスを訪ねた。
どうも緊急の署名が必要とかで、クラリスのはからいにより、対応している間ミレアはわずかだが休憩時間となった。
そう時間はかからないとのことで、遠くへ行くわけにもいかず、クラリスの居室たちが並ぶさらに奥にある専属侍女室――つまりミレアの居室に来た。
当然王女の部屋ほどの広さはないが、これでも一応伯爵家の出なので、上級貴族の客室くらいには大きさも調度品も揃えられている。
寝室に小さな書斎、ドレス用の大きなクローゼット、そして控えめな応接室兼リビング。さらに奥にも部屋は続くが、今は専属侍女はミレア1人なため、そちらは使っていない。
1番のお気に入りの場所である、自分専用の書斎に入った。
手狭なこの場所は、何かと忙しない王宮の中で、最も静かな場所だ。
四角い部屋に、コの字にカウンターテーブルがつけられ、壁には本棚が並ぶ。
椅子に腰かけふと目をやると、視界に入ってきたのは小さな宝箱。
手を伸ばし、蓋を開けてすぐ目に入るのは、女官学校にいた頃にクラリスがくれた、思い出の短剣。
「ふ、懐かしい。今度は私が……」
ついつい呟きが零れる。ミレアは赤子に触れるように、その柄を優しく撫でた。
通常武器を携帯するのは騎士の役目で、専属侍女は何も持たないか、持って護身用の小さなナイフくらい。
当時の、侍女になる訓練中の身では、王宮に武器など持って入れるはずもなかった。
それなのにクラリスは、ミレアにこの短剣を渡そうと大暴れ、ついには王の耳にまで知れ渡る事態となったのだ。
あの頃のミレアはどこにも居場所がなく、そんな薄暗い噂はどこかから漏れて、ほかの女官候補の令嬢からの小さな意地悪が絶えなかった。
実践訓練といって、上級生が主人役、下級生が侍女役でペアが組まれ実際の世話を練習する制度があった。
ミレアが下級生の時のペアが、あろうことか実家であるフェルガン伯爵家に何かと敵意のある子爵家のご令嬢。
基本的には家の大きさで上下関係が決まるのだが、学校内での立場が逆転していること、ミレアが愛されていない実情を知っている彼女はこの絶好の機会を逃すはずもなく、特に執拗に嫌がらせを受けていた。
ある時は給仕中にこそこそと足元を狙われ、持っていた紅茶を溢す事態になった。
ある時はドレスの着付け中に針を仕込まれ、血で汚してしまった。
『あらぁごめんなさい、あなたって本当、鈍くさいのねぇ。ふふ、かわいそう、向いていないのですからご実家に帰られては? まぁ、帰る場所があれば、の話ですけれど』
どこに行っても一緒だと諦めていたのだが、それを知ったクラリスは、ミレアを呼び出して言ったのだ。
『そんなやつ、これでぶっ飛ばしてしまえばいいの! ミレアは、私と幸せに暮らすんだから! ほらこれ持って、こうよ。こうやって、こう!』
突然の短剣にミレアも騎士たちも大焦りした。侍女長や騎士団長まで飛んできて、大問題になった。
それでも、クラリスは頑としてミレアに短剣を、と譲らなかった。
結局一度は短剣を没収され、しっぽり怒られたそうだ。しかししばらくして、クラリスはミレアの元に同じ短剣を届けに来た。
『ほら見て! 許可を取るのに時間がかかったけど、これでちゃんとミレアのものだよ!』
その髪は乱れ、目の周りは何度も拭った涙の跡があった。
いつも通りの笑顔でいるけど、きっと本来許可なんて取れるようなものじゃないのだろう。本当に、頑張ってくれたのだ。
こんな小さな身体で。怒る大人たちに囲まれて、さぞ怖かったことだろう。
それを受け取る時、なぜかミレアは涙が止まらなくなった。
ああ、そんなことしなくて良かったのに。たくさん怒られて、怖かっただろうに。
それでも自分のためにここまで戦ってくれて。
いつだって見てくれて、味方になってくれて。
初めて王宮で、感情が溢れだした。ミレアの居場所は、ここにあったのだと、心から思うことができたのだ。
絶対に、何があっても守り抜くと、あの時誓った。
たとえクラリスが王女じゃなくなろうが、世界が敵になろうが、ミレアはクラリスの笑顔を守る。
そんな、大切な短剣。
「ミレアーーー! 終わったから、こっち戻ってきてーーー」
「ふふ、クラリスったら、また大声出して」
侍女長との用事が終わったのだろう。クラリスの大声は、大きすぎるほどにしっかりと届いていた。
また「はしたない!」とでも怒られているだろうな。
蓋を閉じ、箱を元の位置に戻す。
クラリスが、ミレアを必要としてくれているのだ。
ミレアはすぐに駆け出し、最愛の友の元へと戻っていくのだった。




