6.休日はこうも短い
ゲロ・カルクはココア色のタンクトップを着て、穏やかな休日を過ごしていた。グラスで冷たい牛乳を飲み、デスクトップPCで昔ながらの単純なFPSをプレイする。それはゲロ・カルクが考える原始的な人間の生活スタイルで、時間はそれだけあれば十分機能する設計がされているはずだった。しかし時は進み、時間はそんな原始の状態から形態変化を余儀なくされた。まず天空の神々によって時間は間隔を無から有へと引き延ばされた。それを買収した資本家たちはまず自分の分を確保し、それから何十億人といる従業員に階級を設け、その階級に応じて余りを分配した。一見すれば自由にも見える詐欺まがいの消去法により、彼らに義務を負わせた。このだだっ広い自由市場から逃れられないよう彼らの時間を彼らの手によって消費させた。見渡せる限りの陸海空から目には見えないエーテルまで、資本家たちは自分が頂上のベッドで眠りながら稼げるサーカスへと造り変えてしまった。おお、神よ。諸悪の根源はアンタでもあることをゲロ・カルクはひと時も忘れたりしない。しかし今の彼は自他ともに認める無力な人間だ。自分が知っている範囲限定の古典を身の回りに再現し、現代を生きている退屈な気分を紛らわせることしかできない。それは先進国ではよくある青年の悲惨さだった。
ゲロ・カルクはモニターを注視する。疑似3D空間を移動した。
ビデオゲームは、何十年とあるその歴史のなかで一体何を得て、何を失ったのか。真っ先に挙げられる話題はグラフィックの進化だろう。この分野はまさかオシロスコープの光線から始まったとは考えられないほど遠い地点にまで到達している。リアリスティックな映像なくしてシリアスな物語は民衆に受け入れられなかった。豊かな色彩と理想的な体を持つキャラクター3Dは、人生に絶望しやすい種類の人々の心を掴んで離さない。新世代のグラフィック装置は、ゲームがなぜ面白いのか、その暗黙の中枢へと手をかけ、改定に成功した。ゲロ・カルクがショットガン一丁で相手にしているこの赤い悪魔は見るからに粗いピクセルの集合体であり、ひどく醜い。その醜さは液晶の向こう側からあらゆるビデオゲームを侮辱しているかのようだ。だがビデオゲームというものは、こんな風に既存のビデオゲームに対し侮辱的でなくてはならない。なぜならビデオゲームによって得られる快楽は最上級の種類であり、最上級の快楽はビデオゲームの枠を超えて、大抵のものに対し侮辱的であるからだ。ゲロ・カルクに言わせれば、現代のビデオゲームにこの手の侮辱的快楽は存在しない。そこには提示されたタスクをこなしていく従業員的快楽がだけがある。規律を守るべき理由はどこにもないが、この最上級の快楽にだけは誰もが従わざるを得ない。人間の皮膚細胞から培養した脳細胞が搭載された生物知能オペレーティングシステムも、最初はひとりでPONGを延々とプレイするところから始まる。跳ね返って来たボールを見逃すたびに電流を流され、その不快感を避けようと動くうちに処理装置としての成長を遂げる。ゲロは走って撃つことの快感に従って上達する。そのピクセルの粗い地獄は、現代のローエンドゲーミングPC上でエミュレートしたディスクオペレーティングシステム上で動作した。
グレー・トレイの周囲にはコンピューターがなかった。ノート型もフォン型もない。情報を手に入れるには紙媒体に頼るしか方法がなかったが、そのことにグレーが不満を覚えたことはなかった。彼は三歳のころ、簡単な発話とともに読書に重要な何文字かを覚え、それからというもの延々と読書に熱中してきた。勉強熱心な性格も相まって、今では読む本のジャンルさえ制限しない立派な活字中毒者になっている。
グレーはサイズがぴったりのソファの中に自分の体をうずめている。PCゲーム黄金期に誕生したFPSの始祖について歴史書を頭から読み始めた。
ウィンプルは一日仕事が休みだった。昼の遅くに目をさまし、気だるげに冷蔵庫へと足を向かわせる。その通りがかりにグレーが読んでいる本をソファの後ろから覗き込んだ。本は英語で書かれていた。
「読めるのか」
そう質問したウィンプルが持っている英単語の知識といえばワン、ツー、スリーとサンキューくらいのものだった。
「うん」
「そうか」
ウィンプルは冷蔵庫から水が入ったピッチャーを取り出した。コップに注ぎ入れながら、
「どこで習ったんだ」
「自分で調べながらだよ」
「すごいな」
「読みたい分くらいは読めた方がいいもん」
「そうか」
ウィンプルはコップの水を飲み干すと、片付けるべき物を片付けてからゆっくりと気配を消した。グレーの読書時間にこれ以上水を差さないよう、冷蔵庫の前から家の外まで移動する。玄関のドアに手をかけ、グレーが手にしていた本について不思議に感じた。以前町の本屋でグレーに買い与えた本は、さっきの本とは書かれている内容も言語も全く違う、ハードボイルド探偵物の小説だったはずだ。だがウィンプルには、グレーが勝手に町へ出かけ、勝手に本を買って来たなどとは思えなかった。冒険を好むのはむしろ兄のバレーの方だという理解からだ。それにウィンプルは全てが何でもよかった。空に浮かぶ重鈍な太陽に向けて手でひさしをつくり、もう片方の手でくわえたタバコに火を点ける。こうしてたった二つの簡単な動作が重なるだけで、これからの心配事や新たな興味関心はフラッシュして頭の中に見失ってしまう。それは幽霊のような記憶タイプだ。石板の記憶タイプばかりが残留する世界からウィンプルは常に忘れられかけている。
家の中、ソファーの上のグレーは、各年に発売されたFPSゲームで使用されたジャンル名の推移について表したグラフを見た。すぐ次の文章に移った。
"There is also tremendous sentimental value."
「……とてつもない思い入れもあります」
グレーは明らかにその思い入れについて知っている世代の人間ではなかったし、そういった世代との関係もなかった。さらにはゲームだってほとんど遊んだことが無い。本来、彼はこの本が想定している読者ではなかったが、それでも情報を伝達できてしまうのが文章というものの面白さだと、グレーは読みながら思った。ときには書き手の熱量がはっきりと伝わってくることだってある。それは一体どういう理屈で、どういう出来事なのだろう? グレーは非言語野で言語学者になりたいと思った。
兄のバレー・トレイは買ってもらった本を途中で放ったらかして、今日も秘密の岩陰からあの海へとでかけていた。弟のグレーにもウィンプルにも出かけることは伝えてはいない。もし聞かれても散歩だと答えるつもりだった。今回のことは、周囲にどういう影響を及ぼすのかまだ検証が済んでいなかった。気の済むまで検証が終わったら二人にもいい場所があるのだと教えてあげるつもりだったし、自分はまたあの分厚い純文学に記述された劣悪な文章のフラクタル構造のなかに帰るつもりだった。
「おーい!」
バレーは出てきた砂浜で少女を見つけ、手を振って走りだした。
気が付いた少女も手を振り返し、応えた。
フモフ・ジャケッツはひとり場所の違う狭い部屋から、少女とバレーの様子を覗きながら、落ち着くことができずウロウロと歩き回っていた。自分ももう一度向こうへ行ってしまおうか決めかね、迷っているうちに時間は次々と過ぎて行った。こうして彼の休日は終わりを向かえる。休日はこうも短い。
モノ・シズは想像域の海で、約束の通り少女がいる地点とは反対側の砂浜で、研究者としての活動を謳歌していた。彼が現在進めている試みのひとつに、海洋コンピューターというものがある。一般に流通しているような電気のコンピューターとは違う、海洋の寄る波、返る波によって動作する独自のコンピューターを作ろうというのだ。考えられる上で一番の障害は処理速度だった。ためしに石と木片と砂でつくった、緩やかな傾斜によって動く一ビット半加算器を使ってみると、入力から出力までにおよそ七秒の時間を要した。半加算器自体を出力側に傾けて動かすと、データの水漏れや別領域への浸水といった損失もありながらタイムは三秒にまで縮まった。少なくとも単純なデータの受け渡しには垂直落下が使えそうなことが分かった。また水が移動しなくてはいけない距離を縮めるためにも、設計は小さく行われる必要がある。モノは自分の手の器用さが敵う範囲で小型化に努めた。
小型化作業は他の彼らが休日を終えて以降も続けられた。バレーはとっくに少女とお別れをし、家に帰っていた。ウィンプルは久しぶりにビール缶を一本開けた。それに羨ましそうな目を向けるグレーとバレーはあとで隠れて飲み明かす計画をきちんと立ててあるのだ。ウィンプルもそんな気がしながらそのことは気にせず続けてビールを飲んだ。海の少女はスヤスヤと寝息を立てていた。その表情は眠りながら起きてから何をしようか夢見ているみたいに穏やかだった。フモフ・ジャケッツはそんな少女のことを四六時中思い描き、日付は前の休日から何度超えたことか。目の前いっぱいに広がる愛らしい姿にため息をもらした。すると彼の想像の視界の端に一瞬、モノの姿が映り込んだ。フモフに向けて手を振っている。それからモノは一度外にはけた。しばらくするとまたしてもモノが映り込み、これを見ているフモフに手を振った。
フモフは妄想を打ち切って外に出かけた。
海はフモフを想像域に運び入れた。
フモフは寝ている少女を起こしてしまわないよう慎重に、反対側へと回り込んだ。そこではモノが海洋コンピューターのパーツ制作に取り組んでいた。
「ちょっとモノさん、約束したじゃないですか。ジャマになってましたよ」
「来てくれた。君に頼みがあるんだ」
モノは工作途中のパーツから顔を上げる。
「ここの時間を早めて欲しいんだ」
「一体何するんですか」
「試運転だよ」
モノの背後には出来上がったパーツが点々と置かれ、比較的大きなパーツは小さなパーツを置いておくテーブルにされている。どれもオモチャのような機能の予測がつかない見た目をしていた。
一通り見まわしたフモフは、
「でも、時間を早めるって実際どうすればいいんでしょう」
「君が想像すればできるんじゃないかな」
自分の機能についてのことだがフモフは半信半疑という顔をした。
「じゃあ今からやってみればいいですか」
「いや、箱の中の箱だ。危険な可能性がある。一度ここからいなくなってくれ。合図はこっちから送る」
モノはさっさと手元の作業に意識を戻した。
フモフはあっさりと想像域の海を去った。彼は部屋の外でいかがわしい妄想に耽ることには不慣れだったが、なんとかいつものあの場所を覗くことのできるポイントを探り当てることができた。少女の幼い寝姿が想像の視界一杯にスケールアップした。こんなにも間近にいるのだ。全身の力を抜いて、肘の裏だけを使ってその小さな体を抱きしめたくなる。フモフは普段とは場所や体勢が変わったことで、少女の底知れない魅力を再確認するに至った。表情はニヤけてきた。
しばらくして映像の端に豆粒のようなモノが映った。小さく潰れた手を振っている。外部からの介入があって初めて気づくが、想像におけるレンズは人間のように平面ではなく、魚眼のように湾曲したボウル型なのかもしれない。
フモフは高速な海を想像した。
それは実際に効果を発揮しはじめる。淡々とさざ波を動かすだけだった海は目に分かりやすく三拍子のリズムを刻みだし、緩やかに吹いていた風は物体に突き当たる頻度と威力を増した。浜辺で眠っている少女の上半身は軽快に浮き沈みを繰り返し、周囲全てのものに血液を送り込む心臓のようだった。その反対側、海洋コンピューターの観察に余念がないモノ自身も早送りされ、ダイジェスト映像のようにテキパキと研究を進めた。コンピューターはみるみる海の水を飲み込み、次々と二進数表記で吐き出していった。試運転における全てのテストケースは、協力者フモフのいる方の世界を基準としてたったの五秒という時間で終了した。モノがいる世界では太陽が回転せず、水平線の上に張り付いているため、時間を定義することが困難だった。そのため観測者モノの時間間隔を頼りに計測すると、今回の試運転には丸三日を要した。
「失敗だったかな……」
モノの視点からは実験の成功を知りようがなかった。
フモフは岩に寄りかかりながら目をつむり、高速で眠る少女を眺めていた。
そこに二つの足音が近づく。楽し気な話し声、軽いアルミ缶のぶつかり合う音も聞こえた。
「お兄ちゃん! 誰か人がいるよ!」
「こんな時間にそんな訳ないだろ」
バレーはグレーに引っ付き、二人で恐る恐る足を進めた。
フモフは岩によりかかったまま応えた。
「こ、こんばんは」
「あれ、この前会った人だ」
「つっかまーえた!」
フモフはトレイ兄弟に捕らえられ、二人の話に付き合わされることになった。グレーとバレーは二人に共通の趣味である読書についての話をはじめた。それは初めから言い合いになることを目的とした明らかな話題選びだった。兄弟という組み合わせは、人前で賢い言い合いを披露したくなる星の元に生まれている。
バレー・トレイは片手にビール携え、語った。
「英語が読めるようになるためにはまずどんな言語にしろそんなもの読む必要がないことに気づくことからだよ」
グレー・トレイにはそれとは全く異なった意見があった。
「ちがうよ。なんでそうやってイジワルにしか物を言えないの? 読めるようになる楽しみを味わうことが大切でしょ」
「そうかな。ぼくは何も読む必要はないんだなって分かってから読めるようになったけど。何事も気を楽にして臨むことが大事なんだよ」
「読む必要がないんだったら、なんでわざわざ読もうとするの」
「ええ? 読まなくていいものだから読みたくなるんじゃないの」
「読みたいってことは自分にとって読む必要があるってことでしょ」
「そんなことないよ。読みたいってだけで、必要かどうかは別の話だよ」
「必要だもん!」
最初に年相応の感情を表に出したのは弟のグレーだった。右手に持ったビール缶を口につけ、一気に流し込む。
岩場に開いた陰の向こう、モノ・シズはまた視界の端から顔を出し、フモフに向けて手を振っていた。
「おーい」
だが誰も見ていなかった。
十分に睡眠がとれた少女は目を覚ました。それから夢で見たまだ誰も知らない遊びをはじめた。その姿を見守っているのは今はモノだけだった。モノは手を振るのを諦め、地道な作業をしに戻った。
「だいたいお前の本の読み方、なんか嫌なんだよ」
グレーはアルコールの影響で口が軽くなっていた。
「本を読むくらいでなんで勉強みたいなことするなよ」
「学んで何がいけないのさ!」
「かっこ悪いじゃん」
「かっこ良いもん」
「つまんないだろ?」
「楽しいよ! 勉強大好き!」
「うげえ」
「むぐわー!」
「まあまあ。落ち着いて、落ち着いて」
三人が集まっている岩場から少し離れた家の中でウィンプルはひとり、缶ビールを七本空け、八本目の半分あたりでソファを占領し眠ってしまった。ダムに残された飛行機の片づけが終わり、少しの達成感とともに疲れていた。来週からはまた別の場所で瓦礫を運ばされる。明日からまた休日がはじまる。ウィンプルは夢を見ていた。ソファの上でうなされ、それから記憶にない幼少期が始めるのだ。自分と同じ体格のグレーとバレーをトラックの荷台に積み込むよう指示され、職場から世間へと徐々に自分の罪が明るみに出はじめる。そして収監された頃には汚い髭も生えて大人の体を取り戻していた。いつの間に時間が経ったのだろう。夢にしても不思議な気分だ。ウィンプルは寝返りを打ち、ソファの背もたれに顔を付けて眠りつづけた。
ゲロ・カルクのゲーミングPCは持ち主の趣味のせいでそのマシンパワーを持て余し、退屈していた。退屈ついでに受信した信号はここからずっと遠くの地点から偶然にも発信された、たったの八バイトだった。
"MONOXYZ!"
このPCのお茶目な異変に、エミュレーターに夢中なゲロが気づくはずもない。
モノ・シズは自分が無線通信を発明していることに気づいていなかった。というのも彼はまだASCII文字の扱いを整えている段階であり、おまけに海をぐるりと周遊していた少女にも見つかってしまった直後だった。海洋コンピューターはモノ・シズだけの遊び道具から、少女との共用のオモチャになった。その違いは、本来提供されるはずの機能を遊んでもらえるかどうかにかかっている。少女は海洋コンピューターの側面を叩いて楽器にしたり、愛玩の対象として頭を撫でたり抱きしめたりした。モノは特に気に留めることなくコンピューターの運用を続ける。
それらのことが向こうで起こる間、フモフがトレイ兄弟の遊びに付き合わされてからまだ五分と経っていなかった。そして幼い子供が五分くらいの付き合いで遊びに満足するはずがない。フモフはもうしばらく夜中に隠れるにはぴったりな岩場にて、まだ遊んでいたいトレイ兄弟に拘束されることになった。トレイ兄弟の言い合いは読書論の域を超え、空いたビール缶の投げ合いへと発展した。フモフは止めに入ることができなかったが、子供たちは誰しもが賢く、なかでもトレイ兄弟はさらに賢い。兄弟喧嘩を遊びの範疇として冷静に楽しむくらい何でもなく、本気に見せかけることで見守る大人をからかってしまうほどだ。兄弟喧嘩を披露する観客としてはウィンプルよりもフモフの方が何百倍も楽しませがいがあった。フモフはその渦中に割って入るタイミングをつかめないまま、体を前後に揺らして四つ打ちを刻むビートメーカーになった。
こうして誰かが遊んでいる間にも目覚ましい進歩を遂げている人間は世界に山ほど存在する。それはたとえばモノ・シズのことだ。人々は始まる前から休日は短いと考えるものだが、実際に住む世界の違うモノ・シズは、時間を誰からも横取りされなくなったことで休日やそれ以外の日とは無縁の男だった。トレイ兄弟の片方が小さな言葉をひとつ口にするたび、海洋コンピューターは小さな機能をひとつ増やした。




