5.遠くに住む少女
そこは大いなる海だった。空の下を行く潮風があり、生じては遠ざかって行くさざ波があり、波の裾をラインとして始まる温かい砂浜があった。海岸線は長い年月をかけ、月の引力に逆らい、弓なりに張りつめていた。その上を揺れる足取りでなぞる少女がいた。左手をかざし、ひとり、裸足で歩いていた。ワンピースは少女の体から離れるほど自由に上を向いた。少女の回転を追いかけ、白い影と舞った。足を突いて、砂としずくが跳ねる。そこに単純な笑みが浮かぶ。髪が小さく羽を広げる。さらけ出した肌が平らな円を描画する。彼女が歩けば世界に幸福が満ちていくことを、もし彼女が知っていたなら。その幸福を伝えられず去っていく人々がいることを、もし彼女が知っていたなら。こっそりと少女を覗く視線があった。遊歩道に植えられた低木の茂みよりも、ホテルの客室から伸びるバルコニーよりも、丘の上に建つ天文台よりも、銀河の夜明けよりもずっと遠くから、覗く男の目があった。フモフ・ジャケッツは目をつむり、深呼吸によって心を落ち着けた。そうすることで、あの子の美しくも可愛らしい姿を、あの子の想像が決して及ぶことのない宇宙規模の安全圏から覗くことができた。精神統一は古今東西、あらゆる宗教の中で説かれてきた崇高な行為だ。精神統一とは、自身の理想を深く覗き込む行為だ。重度の少女性愛を抱えるフモフにとって、あの少女こそが理想の少女そのものだった。そしてどんな理想についても、そこに手が届く日は永久に訪れない。そんな人生における悲運を悲運として受け止めるフモフは、自分の部屋の中でひとり、虚しさを抱きしめた。何も知らない少女は、濡れたスカートを端に縛り、他に誰もいない海を泳ぎはじめた。二人の息継ぎとため息は宇宙の外へ向かい、想像域の終端付近まで到達し、そこで初めて交わった。一瞬にして破裂し、大きな波を生じた。
泳ぐことに疲れた少女は砂浜に上がり、小さな腰を下ろし、側に寄って来た賢いヤドカリとの会話を楽しんでいる。フモフはそれを思うと心底羨ましかった。
モノ・シズはずっと研究所に籠りきりだった。そしてとうとう、手掛かりを一つの地点に絞り込む段階を迎えていた。手にしたキューブ型の模型を眺める。ゲロ・カルクが研究所を去って以降、あの奇妙な子供の円周上分布は、その半径の長さを変えながらいくつも地図上に現れていた。それをある八点の変数に従って立体配置したものがこの模型だった。その肝心の変数についての内容を列挙すると、調査に伴う危険度、予想される貢献度、研究所からの距離……等々、どれも普遍的な項目ばかりだった。というのもこれらはPCA(主成分分析)によって膨大な数があった変数を少なくまとめ上げた後なのであり、PCAにかける前は三次元のキューブはおろか、四次元キューブにも収まりきらず、作り上げたモノの体ごと世界各地を飛び回ってしまい散々な目にあった。苦労して三次元までに収めたこのキューブ型の模型は、中心に近づくほど各評価軸から見て最も無難、最も過不足がない標本であることを示している。キューブの中央には、半径10kmという最大規模の小児円環を周囲に抱えた、およそ20代の男の標本が惑星系のように位置していた。
キューブ模型を置き、テーブルにある車のキーと取り換え、出かける準備を終えた。モノは一度始めると息つく暇を見失うイノシシや闘牛の類の人間だった。
しかし世界はそんなモノに輪を掛けたイノシシや闘牛の類の力場だった。世界はどんな事情も与り知らない。モノがドアに手を伸ばしたその瞬間、地震が起こったのだ。しかも非常に微小な揺れだった。専用の計器から伸びる針にしか検知されず、同時に研究所のコンピューターがライトを点滅させた。新たな脳波をキャッチしたという報せだった。
モノの体はまだ四次元キューブ発明の後遺症が抜けていない。振り返り、向かおうとすると上と下とで体が二つに分離した。好奇心に身を寄せる上半身はモニターの前へ、予定を優先する下半身は外のオープンカーへとそれぞれの道を行く。下半身は運転席に着き、フロントガラスも見えない、握れもしないハンドルの下でアクセルを押し込み、出発してしまった。
移動するには不向きな上半身で上り詰めたモニターには、モノ・シズがこの研究所に入ってから今までに見たことのない波形が映し出されていた。その脳波は二つの異なった波に分離し、システムウィンドウの背景に打たれた方眼の上、ひとりでに揺れ動いた。突然、そのデジタルデータとして捕らえられていた脳波は暴れ出した。表示に乱れを生じさせ、自身の割り当てられたメモリでビットオーバーフローを引き起こし、エラー処理に追いつかれる間もなく破壊。そのまま飛び出した研究室内に色彩の大渦を巻き起こした。波形の観察に熱を上げていたモノの上半身は、事態を認識するよりも先にその目まぐるしい渦の中へと吸い込まれ、消えてしまった。
モノの上半身は遠く、フモフ・ジャケッツが夢想する大いなる海によって砂浜の上に排出された。そのすぐ近くでヤドカリとの異種間のお喋りに興じていた少女は、地面にお尻をつけたまま、上半身だけのモノのことを見てすぐに微笑み、手を振ってくれた。挨拶をもらったモノは両肘を付きながら、起き上がる過程で手を振り返した。手のひらからサラサラと白い砂をこぼした。
少女の足の指の隣で貝殻を背負うヤドカリは、その小さい体に大した勇気を持っていた。そのたくさんある足を駆使して一フィート前に踏み出し、切れ味に自信のある方のハサミを一本、モノに向かって突き付けた。その動きに言葉は付かなかった。
モノはその脅しに怖気づくはずもなかったが、半端にしかない背骨を曲げて軽く頭を下げた。
「怖がらせてしまったね。ごめんね。それじゃあね」
そう謝るとモノは、何か不自然な、探求しがいのありそうな光の反射を感じ取り、二人の目の前から立ち去った。腕を交互に前後させ、沈み込む砂の上を走る。この事態は光速をも超えた精神の煌めきによって、すぐさまフモフ・ジャケッツも知るところとなった。両腕を立てて浜辺を駆け抜けるモノの姿は、フモフが見る景色のレンズに向かって正面から接近して来ていた。フモフもまたその恐ろしい怪物の幻から必死に逃げようとした。部屋でみっともない悲鳴を上げ、モノの方はその二重の意味で透明なレンズ球に追いついて衝突。消失した。砂浜にはモノ・シズの力強い手跡と、それを後から追いかけてきた愛らしい少女の姿が残された。
モノとフモフはフモフの部屋でハの字に倒れていた。日の明るい窓の外をパトカーのサイレンが通り過ぎる。そんな騒ぎとは一切無関係だと主張するように、赤いオープンカーの轟音も聞こえる。近くに停止する。ドアを足で蹴り倒し、部屋にモノの下半身が現れた。急いで自分の上半身に駆け寄り、蹴り上げ、砂のついた断面を風にさらされた断面の上に乗せた。体を元の場所に取り戻したモノは、跳んだり床を踏みしめたりし、入念にはめ込んだ。自分の体がこんなに簡単に外れてしまう経験は四次元に懸けてもうこりごりだった。
フモフが起き上がった。部屋に正常な体を持ったモノがいることを認め、あの恐ろしい上半身だけの怪物は、自分が妄想に浸り過ぎたせいだったのだと、ごく自然に解決した。次に問題になるなのは、自分の部屋に知らない人がいるということそれ自体だった。
「だ、誰だ!」
モノが行った説明は雑多にしてスムーズだった。
「僕の探している異常な円環の中心にいる人物は君なんだ。そして君の隠し持った思想があの子供の円周上分布に強く影響していることもすぐに事実として表れるだろう。確信を得たのはあの海での出来事だったよ。あの場所のことは来てみるまで何も知らなかった。しかし僕たちは常に先んじてモノを知っている生物だ。海や少女、あの場所は君の妄想、想像そのものだと君は言い張るんだろう。普通、人の想像の中に立ち入ることができるだろうか。遥か昔から想像域という言葉は存在していた。そして今回、想像域は確かな場所としてあることが判明した。僕はモノ・シズ」
「そ、そう……僕の名前はフモフ・ジャケッツ」
「君のおかげで僕は新しく興味深い地点への旅に出ることになりそうだ。ありがとう。それじゃあ」
部屋を去ろうとする。
フモフは初対面の相手に名乗りを済ませただけであり、まだ何も理解できていなかった。フモフにとって、今起きた事態は自分が気を失う時点までに目にした景色の記憶だけが全てだった。フモフは帰っていくモノの背中を呼び留めた。
「あの! 僕も連れて行って欲しいです!」
モノはこれをすんなりと承諾した。
二人で部屋を出る。貸渡約款によってモノ・カルクの偽名と紐づいた赤色オープンカーへは久しぶりに二人で乗り合うことになった。一人は純粋な探求の旅のために。一人は長年思い続けている夢の少女のために。二人は凄まじいスピードで道路を駆け抜けた。町にあるものを全て置き去りにし、些末な問題は全て問題ではなくなってしまう。意識下を風が通り抜けるだけの存在となった二人はモンスターマシンに搭乗するモンスターマシンであり、法律上は車両と同じ扱いを受けた。無人車両が町を暴走して回っている。裁判所はその自動車メーカーに責任があるとし、賠償金の支払いを命じた。肝心の無人車両はあまりの速さに誰も捕らえることができず、未だに野放しだった。
助手席から、フモフが質問を試みていた。
「何から聞いたらいいのか分からないんですけど……」
「何を聞く必要もないね。運命を小児性愛という奈落へと決定づけられた君が所詮幻想でしかないこの世界に張り巡らされたあらゆる線と線を繋ぐ結節点であることに僕は何の疑問も抱くことはないんだから」
「あの、そうじゃなくって」
「だから僕から見れば君は低級情報へのアクセス点が集結した世界有数のハブの一つさ。自分と関わりのある物事は何でも簡単に捉えておくべきだし、己の主観だけで物事を捉えることは根本的に良いことだ」
「どういう意味ですか」
「疑問を持つよりも前に前だけを見ることができるか自分に確かめてみるべきだ」
「そうなんですか」
「そうだ。世界はあまりにも狭いから重要なことといえばその程度だ」
暴走オープンカーは安静な有人車両へと切り替わり、ボイラー・ホットウォーム氏の研究所前に停止した。幸いなことに人身事故は起きなかった。被害は道路の損壊だけに留まり、オープンカーが通過した道の舗装は完全に破壊された。
モノが素早く研究所のドアを開け、フモフがついてきたのを確認してすぐさま閉めた。万が一にもあの渦が研究所の外に逃げてしまわないために払った細心の注意だ。研究室に戻るとまだあの渦が残っていたが、出現時よりも規模が縮んでいた。特徴的だった色彩も光度を落とし、中心へと物体を引き寄せる力もかなり弱まっていた。
モノは立ち止まった。渦の端がシャツの裾を掠める。
「この渦が入り口だよ。コンピューターを破壊して中から発生したんだ」
「これに入ればあの子がいるところに?」
「少なくとも僕が吸い込まれたときにはあの場所が出口だった」
「出口って毎回変わるんですか?」
「解析が終わっていない。だからまだ何も分からないんだ。僕は行くね」
と言ってモノは自ら渦の中に飛び込んだ。一人残されたフモフはしばらく躊躇っていたが、渦がまた一段階縮小したのを目にすると急いで身を投じた。
水平線の上に大きな夕陽が張り付いている。モノは再び大いなる海によって吐き出された。その落下地点から少し離れた砂浜には、先ほどの少女が膝の裏にスカートを押さえて座り込んでいる。モノの存在に気付く様子はなかった。少女の隣には一人の少年も座っていた。バレー・トレイだった。
モノは二人の視界から隠れ、様子を窺う。
少女はバレーよりいくつか幼く見えたが、それはバレーが醸し出す理知的な空気のせいもあった。実際、バレーくらいの年の子供は漫画のセリフを読めるだけでも上等であり、まず文学小説を読むなんてことはあり得ない。しかし彼は実際に退屈な本を好み、そんな退屈な時間を好んだ。文章表現によって混沌を極めようとする、落伍者を自称していそうなロクでもない男が書いた、人生の汚点全てをその一作で揉み消すような力が働いた文学小説を好んだ。バレー・トレイは自分が何も知らない馬鹿になれる状況を好んだ。
その点、隣で笑っている少女は可愛いが空虚に見えた。というのも、あの少女を妄想によって生み出したのは少女性愛者フモフ・ジャケッツだった。フモフは自分のように行き詰った大人が、女性としての芽を出したばかりである少女に魅了されてやまないのは、その小さな体に、どんな大人の女性の魅力をも凌駕する可能性を秘めているからだと結論付けていた。少女が遊ぶこと以外に何も知らないということはとても重要だ。そのことはあらゆる可能性を少女に約束する。知識をつけてしまえばその分、少女は手に負えない大人の女性へと変化する。あるいは知識を持つことで可能性は輝かしい現実へと歩みを進めるかもしれないが、その一歩はいつだってフモフとの距離を離していく。常識が刷り込まれるよりも前に少女に接触してしまいたかった。そうすることで醜悪な自分でも認めてもらえるかもしれなかった。あるいは叱ってもらえるでもよかった。ぎゅっと抱きしめられ、こしょこしょ話で好きと言われてしまった場合はその子にありがとうと言い残してから一度離れた場所で自殺をするつもりだった。自分の手で少女を汚し、必要ない知識を与えることは少女の命を奪うことと同義だった。フモフは自身の叶わない欲望を矜持によって律しようとしたが、気高さの副作用として、生きている人間であればしない訳にはいかない進歩という点において、遥かに遅れを取っていた。
だからこそフモフの少女像はずっと空っぽなままだった。言葉を話さない。しかし愛らしい笑みを浮かべる。彼女の興味の対象は野生動物のようにあちこちに移った。フモフは自分が大好きな少女に振り回される経験にも憧れていた。今その場所に姿を置いているのはバレー・トレイだった。元気よく海へ駆けだした少女に強く手を引かれる。背丈が近い子供同士である少女とバレーは、温暖な砂浜のうえで一斉に転んだ。二人はお互いに笑いながら、白い砂が付いた顔を払い合った。
渦の中を通り抜け、フモフは遅れて現れた。後ろからモノに追いつき、その隠れ場から少女とバレーが遊んでいる様子を目にした。
「ああ、やっぱり素敵な女の子の横には同年代の素敵な男の子が必要なんでしょうね」
「そう思うのか」モノは後ろを見ずに相槌を打った。
「何回も考えたことありますよ。少なくとも本来の相手は僕じゃない。でもおかしいな。今は特にそんなこと考えたつもりないのに。ここは僕の想像の世界なんですよね?」
「ああ、やっぱりそうか」
モノは合点がいった。
「僕くらいでもこんなところまで来れたんだ。他にもここまで来れた人間がいないはずがない。それにあの少年には、なんだか想像のものとは違う妙な現実感がある」
「どういうことですか?」
モノはしばらく黙り、それから答えた。
「あの少年は来訪者とはまだ優しい方ってことだ。ここだけに限らず、想像域は近いうち無法地帯になるだろうね」
モノは町をオープンカーで暴走してきたその口で、
「法整備さえ必要になる」
「そんな。考える内容に制限かけられてたら何もできませんよ」
「それはもはや前時代的な発想だ。想像域は単なる想像ではなく、実際に存在した地続きの点だった。僕らが出入りできてしまっているように、他の誰でも出入りが可能なら、あの女の子や他の想像域の人々はどんな酷い目に遭わされるだろう」
「それは……」
その答えをよく分かっていたためにフモフは口ごもった。
「想像域について僕らの理解は全く足りていないにも関わらず、僕らと密接に関わり合う領域だ。だからこそ大きな問題を起こすべきじゃない。どんな影響を及ぼすか全く予想がつかないからだ」
「じゃあ、なんでモノさんはここに来たんですか」
フモフは攻撃に不慣れなため、必要以上に攻撃的な物言いになった。
「最初から誰もここに来なければよかったって話なら、僕の想像なんですから、放っておいてくださいよ」
対してモノは平然としていた。
「僕はいいんだ。どうせ全てを知ることになる男だから僕はいいんだ」
「理由になってないじゃないですか」
「僕は常にものを知るだけさ。利用する発想がない。君の方はどうしてここに来たんだ」
「それなら、僕だってあの子のことが一目見たかっただけです」
と言って、向こうの少女を指さした。
「そうなんだ」
「はい」
「へえ」
「そうなんです」
「そうか」
「そうですよ」
少女たちに動きがあった。バレー・トレイがもう帰るようだった。
モノはフモフに言った。
「もし君も帰るつもりならあの少年について行った方がいいよ。あの渦は帰り使えるのか分かったものじゃない」
「モノさんはどうするんです」
「僕はそもそも帰るつもりがない」
「ええ、ひどいですよ」
「心配するな。君の想像の画角には映らないよう努力する。それじゃあね」
モノはバレーとは反対側に去って行った。
フモフはどうするべきか悩んだ挙句、少女に見つからないようバレーの足跡を追いかけた。
バレーとフモフは想像域から帰還した。
「あれ? お兄さん誰?」
「ええっと……ごめんね」
「ううん。いいよ」
「あ、ありがとう。ところでここってどこなのかな」
「ぼくの家の近くだよ。この変な隙間は今日見つけたばっかりなんだ」
バレーは、岩と岩陰の隙間を示して言った。一見すると分かりづらいが、確かにその部分には張り付いた陰が岩肌との間に隙間を開け、その向こうに岩とは違った新たな空間をこちらに覗かせている。どうやらこの隙間からフモフの想像域へ繋がっているらしかった。
「ぼくが今読んでる本を参考にして見つけたんだ。これには人魚姫のオナラとドラゴンの乳歯が必要だったんだけど、人魚姫の方はまず人魚姫と結婚して夫婦生活を数年営んでみなきゃいけなかったんだ。ドラゴンの乳歯は簡単。空を飛ぶ練習をしながらよくその辺に落としてくんだもん」
バレーは夢中になって話しながら自分の家へと向かった。現在地が分からないフモフは話の聞き役となり、バレーの後をついて行った。
家の近くまで来ると、ポーチライトの光の中でグレーが待っていた。バレーのことを見つけるなりすぐに駆け寄って来た。
「お兄ちゃんどこ行ってたの? もう遅いよ」
「散歩だよ」
「散歩? もうっ」
グレーは横にいるフモフの顔を見上げた。
「それで、この人は誰?」
「さっき会ったんだ。道に迷っちゃったんだって」
「知らない人について行っちゃダメでしょ」
「違うよ。ぼくが連れてきたの」
「そんな屁理屈知らないよ。とにかくダメなの」
グレーはバレーのことを引き離し、
「そういうことです。ごめんなさい、お兄さん。どうぞお引き取りください」
小さな背丈で丁寧な口調をされると正しさが愛おしかった。フモフは何か言おうとして大した言葉が出てこなかった。
「はは……」
家の前に一台のバンが止まった。しばらくして運転席から一人の男、ウィンプル・コートが出てくると、グレーとバレーの二人はそっちに寄って行った。子供二人の「おかえりなさい」に足を阻まれながら、ウィンプルはフモフに近づき、言った。
「何か用が?」
事情を知るバレーが仲裁に入り、ウィンプルのフモフへの誤解は解けた。もちろんフモフに対して誘拐の話は一切漏らしていない。フモフは町の入り口辺りまでという話をつけ、帰宅したばかりのウィンプルの車に乗せてもらった。ウィンプルは仕事終わりでひどく疲れているようだった。顔に隠そうともしない。それを感じ取ったうえでフモフは黙っていた。ラジオがキャッチした音楽が二人を車内に繋ぎとめていた。道路照明の光が一定の間隔をあけて二人の目を膨らませた。エンジンはそのままで路肩に止まる。
「本当にありがとうございました」
「ああ。気を付けて」
扉をバタンと閉めた。ウィンプルは車を引き返させた。フモフは歩いて帰路につく。少女が想像域の海で遊ぶ反対側で、モノは石を拾うことから始めた。




