7話 旅立ちの日
「馬車一台に金貨一枚と銀貨五百枚ですか。旅をするには少し心許ない気もしますが」
「安心しろフラリナ、俺がすぐに倍にしてやる」
「賭け事は禁止ですからね」
この世界の通貨は、金貨と銀貨の二つに統一されている。銀貨千で金貨一枚分の価値だ。民間の大抵の売買は銀貨で行われる。金貨は貴族間での政でよく見る通過だ。。
「ほ、本当に今日行くのね。も、もう少しゆっくりしていけばいいのに……」
「俺は思い立ったら立ち止まれない性分なんだ」
「昨日の夜も全然眠れてなかったものね」
「ああ、ワクワクして全然寝れ……ってなんで知ってるんだよ母さんっ!」
見事決闘に勝利し、里を出ることを許された日の翌日、オスクリタ家一同は里の門前で、愛する末弟との別れの挨拶の最中であった。
「せっかくなら父上も来れれば良かったのだが」
「無理でしょ、オルに負けて落ち込んじゃってるんだから」
「それは違うわよ、リスティ」
オルディスの父グレイブは、オルディスの里出を許可してから、一言も交わさずに部屋に籠っている。傍から見ればリスティが感じた風にも取れるのだが、実際はそうではなかった。
「あの人は認めたくないだけよ」
「それってなんか違うの?」
「オルディスに負けたことじゃないわ。オルディスの夢を認めてしまうことがよ」
グレイブは、他の家族達と違ってオルディスの夢を歓迎しているわけではない。あくまでも決闘で負けたからその里出を許可しているだけであって、今でもその決断に納得はいっていない。だがオルディスが積み重ねたものを目の当たりにして、ほんの少しだけ気持ちが揺らいでしまった自分を、グレイブは許せないのだろう。彼は里の誰もが認める堅物なのだ。
「うわ、頑固すぎ……」
「もう少し素直になってくれたらって、僕も思うよ」
「ふふっ、そういうところも可愛いのよ」
ここでユーリスはオルディスが腰に差したとあるものに気付く。それはユーリスがオルディスに向けて数十年間作ってきたものと同じもの。
「オルディス、僕が最後に作った木刀は昨日の決闘でボロボロだったはずだけど」
「ああこれ、朝扉の前に立てかけてあったんだ。兄さんじゃないの?」
「僕はここで渡そうかと……なるほど、そういうことか」
あの城の魔導師の中で、木の魔法に適性のある魔導師は二人だけ。
ユーリスがふふっと笑うと、リスティとレレアーナもやれやれと肩を竦めた。それに気づいていたフラリナも、オルディス以外の誰もが呆れてしまった。いつになっても素直になれない、どこまでも頑固で不器用な父親の愛情に。
「なんだみんな、ニヤニヤして」
「ふふっ、里の誰もがあなたの夢を応援しているということですよ、オルディス様」
父だけではなくあの決闘を見て、魔法を捨てて剣を選んだダークエルフの異端者に心奪われた者は少なくない。皆素直になれずとも、オルディスの名声がこの里に届くその日を心待ちにしているのだ。
馬車に繋がれた馬がくぅんと鳴いた。
「それでは私は馬車を点検してきますので、オルディス様はごゆっくり別れの挨拶を」
オルディスが返事をするより先に、フラリナが気を使ってその場から離れる。
「とうとう行くんだね、オルディス」
いつまでかは分からない。果てしなく長い時間かもしれないし、もしかしたらこれが最後になるかもしれない。
一人いないが、別れを惜しむ家族だけの時間。いつの間にか長女の目はすでにうるうると揺れ、水滴を溜めていた。
「姉さん?」
「な、なによ、別に私は寂しくなんかないし、全然泣いてなんかないから」
「まだ俺何も言ってないよ」
「姉上も、最後くらい素直になればいいのに」
「まったく、素直になれないところはあの人そっくりね」
母曰く、ユーリスはレレアーナに、リスティとオルディスはグレイブによく似ているらしい。
後ろを向いて、涙を誤魔化す姉を母に任せ、ユーリスが先に別れの挨拶を済ませようとする。
「オルディス、もう準備はできているのかい?」
「ああ、ばっちりだぜ」
「そうか……お前が夢へ近づいていくその姿を間近で見ることができないのが残念だが、僕はこの里からずっと応援しているよ」
「ああ、俺が兄さんを英雄を生んだ種族の王にしてやるよ」
「っ! 覚えててくれていたのか……」
それは、あの日交わした約束。
兄を、エルフに負けた二番目の魔法種族なんかじゃない、最強の剣士を生んだ一番の種族の王にするという幼き日の誓い。その誓いがオルディスにとって、夢についてくる付録のようなものだったとしても、ユーリスは少しでも弟の原動力になれている事実が、嬉しくてたまらないのだ。
ユーリスの瞳からも、一粒の涙がこぼれ落ちる。
「やれやれ……僕も姉さんのことを言えないな」
その雫を拭い、オルディスへ拳を突き出す。
兄の助けがなければ、オルディスは修行を始めることさえできなかった。何度木刀を取り上げられても、何度でも作り直してくれた。その度にユーリスが父から叱られていたことも知っている。それでもユーリスは弟の夢を、支え続けてくれたのだ。
「英雄になれよ、オルディス」
あの日と同じ言葉。
オルディスは向けられた拳に、拳を突き合わせる。
「任せろ! 兄さんも、立派な王になれよ!」
二人の兄弟の絆は、たとえ王と英雄に立場を変えていたとしても、決して変わることはないだろう。
ユーリスの優しい顔を映していたオルディスの目が、突然暗闇に染まる。
「いやん、やっぱり寂しいわっ、オルディスっ!」
「か、母さん!」
それは優しくも激しい母の抱擁であった。
「正直に言うと、私はあなたに英雄になんてなって欲しくなかったの」
「え?」
「当たり前じゃない。愛する息子が死んでしまうかもしれないのに、素直に応援なんてできるわけないでしょ?」
レレアーナの気持ちは初めから変わらない。
ダークエルフの誇りがどうとか、王族としての責務がどうとか、最強の剣士になるだとか、はっきり言ってしまえば、レレアーナにとってはどうでもいいことだ。
レレアーナの、誰よりも家族を愛する母の想いは、初めからずっと一つだけ。
「絶対、生きて帰ってくるのよ」
「……約束するよ、母さん」
「絶対絶対よ? 元気な姿で帰ってこなかったら許さないからね?」
「ちょ痛い痛い、わかったからっ、離して母さん」
「いつまでくっついてるの!」
リスティがとてつもない力でオルディスに抱きついていたレレアーナを無理矢理引き剥がす。
リスティの目は未だうるうると潤んでいて、その頬には涙の跡がくっきりと残っていた。
「…………」
「姉さん?」
「…………」
「あれ、おーい、姉さーん?」
リスティは言葉を発することなく下を向き、やがて身体を震わせ、何かが爆発したかのように、レレアーナ以上の力でオルディスに抱きついた。
「ちょしぬっ、息できないっ」
「うるさい黙れあと十秒我慢して」
「む、むりぃしぬぅ」
「いーーーーち、にーーーーー」
「ながいっ、はやくしてぇ」
「頑張れあと三十秒よ」
「ふえてるからぁっ!」
結局そのまま彼女の数え方で三十秒間拘束され、リスティが満足したころにはオルディスの意識は半分飛んでいた。
満足したリスティは、気付けばいつもの高飛車な顔に戻っていた。
「まあこの里まで名前が届くくらいには頑張りなさい。それと手紙は寄越しなさいよ」
「年に一回ぐらいは送るつもりだよ」
「だめよ月に一回にしなさい」
「嫌だよめんどくさい」
「オル?」
「善処します」
「もう一回言って?」
「月一で出します」
「よろしい」
そこにしみったれた雰囲気はなく、いつもの恐ろしい姉と生意気な弟の姉弟の光景。昨夜からずっと泣きっぱなしだった姉を心配していた母と兄は、その光景を微笑ましく見守っていた。
「オルディス、そろそろフラリナが待ってるんじゃないか?」
「あ、たしかに。それじゃ、俺そろそろ行くわ」
ユーリスの言葉を聞いて、オルディスは里の門を出た。
振り向いたオルディスは、寂しそうに微笑む母と、笑顔で見送る兄と、バレバレの作り笑いを浮かべる姉と、城の窓から不服そうにこちらを見下ろしている父と、里のダークエルフ達に向けて、大きな声で宣言した。
「オスクリタ家次男オルディス・デック・オスクリタは、次にこの里に帰ってくる時は、英雄に、天下無双の剣士となって帰ってくることをここに誓おう! 今まで世話になった! それじゃ、またな!!」
里全体にまで聞こえるほどの大声で宣言した彼は、馬車に乗り込み、その夢への道を歩み出した。
「……なんだか里全体が静かになった気分だ」
「実際そうでしょ、この里であんなでかい声で宣言する馬鹿、あいつしかいないわよ」
「ふふっ、確かにその通りだ。僕も負けていられない、父上のところにでも行こうかな」
「あっ、ずるい! お母さん手伝って、私も勉強する!」
「はいはい、今行くからね」
それは神の悪戯か、オルディスの想いの奇跡か、この日は偶然にも、オルディスが憧れた、古の時代の剣聖が亡くなった日と同じ日であった。
古代の英雄が消えた今日この日に、とある辺境の里から、ダークエルフの剣士による、天下無双を目指す旅路が、始まったのだ――。




