6話 証明の日
「こんなものか、お前の剣とやらは」
グレイブは仰向けで倒れるオルディスに、つまらなそうに吐き捨てる。
オルディスに動く気配はなく、その手からは既に木刀すらも離れてしまっていた。
「……ダメだったか」
「だから言ったのよ。父さんには勝てないって」
「オルディス……」
兄も、姉も、母も、もはや絶対となったオルディスの敗北に肩を落とした。
父はその木刀を拾い上げ、地に伏したオルディスへと投げ捨てる。
「ダークエルフが剣を極めたところで、魔を極めたダークエルフには勝てん。これが絶対の事実だ」
ダークエルフが身体強化を極めたところで、その力がドワーフや獣人などの戦闘種族に並ぶことはない。歴戦の魔導師にとっては、魔法を斬るという絶技すら大した痛手にもならない。傍から見れば、最早オルディスに打てる手はなく、勝機もなく、立ち上がる意味もない。
「……信じています、オルディス様」
それでも、誰よりもオルディスの努力を見てきたフラリナは知っている。オルディスはこれしきのことで諦める男ではないということを。自分の信ずる主には、不可能を可能にする、燃えるような執念が宿っていることを。
「……ああ、任せろフラリナ」
フラリナの声はオルディスには届いていない。それでもオルディスはそれに応えるように立ち上がった。
「まだ立つか」
「ったりめぇだ。俺がどれだけフラリナの炎に焼かれてきたと思ってる」
オルディスとフラリナ、二人だけが知っている三十年もの鍛錬の日々。森の魔物に、フラリナの魔法に、死にかけた回数など覚えていない。
その地獄に比べれば、オルディスにとって、こんなものはぬるま湯ですらない。
「まだまだいくぜ親父! 俺の剣で、あんたの魔法を超えてやる!」
木刀を再び強く握り込み、オルディスは不敵に笑う。
誇り高きダークエルフの王は、その様子を無言で見つめていた。やがて杖を一度振るい、雷の矢をいくつも生成する。そして戦いを楽しむかのように、ほんの少し、口角を上げた。
「なら全てを出せ、お前の三十年とやらを見せてみろ!」
「ああ!!」
無数の雷矢が、オルディスに向けて一斉に放たれた。
回避は間に合わない、オルディスにできることは一つだけ。
「ど根性っ!!!」
両手で握った一本の木刀で、そのことごとくを斬り伏せていく。弛まぬ鍛錬による磨き上げた我流の技に、身体強化が加わったそれはまさに神業。観客のダークエルフ達に、その太刀筋を視認できるものはほとんどいなかった。
身体はもちろんのこと、躱せるものと斬り落とせるものの咄嗟の判別、オルディスの脳みそはかつてないほど的確に迅速に回転している。
だが魔導師の本領は手数。
グレイブの作り上げる雷矢は、オルディスの前方だけでなく、右方左方にまで範囲を広げていく。
「クソっ、腕が足りねぇっ!」
その無限にも等しい雷矢の弾幕に、段々とオルディスの被弾が増えていく。褐色の肌が、美しい銀髪が、赤に染まっていく。衣服が破れ、鍛え抜かれた上半身が露わになる。
「このまま削り倒して終わりだ」
「くっ、そがあっ!!」
このままではジリ貧、グレイブの魔力が尽きるのを待とうとしても、先にオルディスが限界を迎えてしまう。
グレイブに一太刀届かせることは愚か、近づくことすらできずに果てること、それはオルディスにとってフラリナやリスティとの訓練形式の決闘とは違う、初めての真剣勝負での敗北を意味するものであった。
「……おもしれぇ!!!」
真剣な決闘、圧倒的な格上、眼前に迫る敗北、夢が潰える恐怖、初めて遭遇するそれらの存在を糧とし、その剣は進化する。
「オルディスの木刀が光っている……?」
「何あれ、魔法!?」
兄姉がその光景に目を見開いた。
雷矢を斬り続けボロボロとなった木刀が、突然紫光を放って光り輝いていた。
「……あれが、剣術」
オルディスの力となるため、少しでも多く剣に関する資料を集めていたフラリナは、その現象について少しだけ知っていた。
遥か昔、極東の大陸に存在する『侍』と呼ばれる剣豪達が、長年の歳月をかけて作り出したその技を、彼らは『剣術』と呼んだ。身体強化のような付与魔法とは違い、魔力そのものを剣に流し込むことで、剣の性能を引き上げると同時に、身体と剣を一体化したかの如くその剣を自在に扱う、魔法ですらない単なる技術。だがその剣術を極めたものならば、紙きれ一枚で鉄をも斬ることができると言う。
「なんだ、これ……」
かつては剣を選んだ者ならば誰もが志す至高の領域であったのだが、現在はとある事情から使用されることはなくなり、『剣術』は表舞台で陽の目を浴びることのない失われた技となった。
だがその失われた技に、古の達人達が長い年月をかけて生み出した修練の結晶に、オルディスはたった一人、たった三十年で辿り着いた。
それはダークエルフとしての本能、オルディス自身の剣の才能、そして執念と呼ぶべき熱い想いの為せる奇跡であった。
自力での習得かつ習得直後のその剣術は、未だ開花したばかりの未熟なものであったが、この瞬間を持って初めて、本当の意味でオルディスだけの剣術『黒妖流』は始まったのである。
「教えてやるぜ、俺の黒妖流は天下無双だってなあ!!!」
「……この動きは」
剣を知らないグレイブにも、オルディスの動きのキレが明らかに変わったことが理解できた。
身体強化そのものの性能は変わってないため、その動きや剣速に大きな差はないが、その太刀筋は明らかに別物と呼べるほどのものであった。
「美しい……」
惨敗する異端者を笑おうとこの決闘を観戦しにきていたはずのと外野のダークエルフ達が、気づけばそう溢していた。
その剣に先ほどまでの荒々しさはなく、精密かつ正確な一振りが、一瞬にしていくつもの雷矢を斬り落とす。その妖しい紫光の太刀筋が作る軌跡は、まさに宙を舞う黒い妖精のようであった。
(剣が、身体が軽い。頭で思い描いた太刀筋を剣がそのままなぞっていく。これがフラリナに聞いていた剣術……)
己を取り囲む無数の雷矢に、ギリギリで反射することしかできなかった身体が、今は反応できている。
自分と剣が一つになっていくその感覚を実感し、オルディスは人生一の、喜びに満ちた表情で言った。
「楽しすぎんだろっ!!!」
斬って、斬って、斬る。
ただそれだけの単調な行為が、こんなにも美しく見えるものなのかと、誰もがその光景に目を輝かせていた。
もはやその雷矢は弾幕の意味を成しておらず、無駄な魔力の消耗と理解したグレイブは、雷矢を撃ち止める。
「オルディス、貴様……」
己の魔法を打ち破ったオルディスの剣に、初めてその厳格な表情を崩した父は、たった一言、家族にしか聞こえないような声で小さく溢した。
「やるではないか」
その言葉を聞き取った母が、兄が、姉が、大きくガッツポーズを取った。フラリナの表情にも、ようやく笑みが浮かぶ。
そして初めての父からの称賛を聞いて、オルディス自身も、思わず目頭が熱くなる。
「だが、俺の気持ちは変わらない。ダークエルフの王として、お前のその夢を認めるわけにはいかない」
決して意見を変えない王の姿に兄と姉からは、頑固、堅物、不器用、と批判と呆れの嵐。
だが母と、正面に立つオルディスだけは気付いていた。目の前に立つグレイブのその表情は、厳格なダークエルフの王などではなく、ただの頑固で不器用な父親でしかないということに。
オルディスはいつものごとく木刀を中段で構え、深呼吸をして気合いをいれる。
「わかってるよ親父。決闘で勝った方が言うことを聞かせられる、だろ?」
「ああ、お前がその夢を叶えたいというのなら、俺という壁を超えてみろ!」
決着は近い。会場中の誰もが理解していた。
最初は野次を飛ばしていた観客たちも、歴戦の魔導師と覚醒を果たした剣士の作り出す緊張感に、瞬きを忘れて見入っていた。
先に動いたのはグレイブであった。
その杖から放たれたのは、雷矢ではなく、オルディスを容易に飲み込めるほどの特大の雷の光線。
「ちょっと父さん、殺す気!?」
その魔法の殺傷性を理解しているリスティが声を上げる。
「見せてみろ、オルディス!!」
父の咆哮。
俄然、オルディスが取る行動は変わらない。
「斬るッッ!!!」
その光線に向かって木刀を突き立てると同時に、思いっきり大地を蹴って向かっていく。
その姿はあっという間に光線に飲まれて消えていった。
そして数瞬遅れて雷光も消えていく。
消えていく雷光の中から現れる、変わらぬ姿勢で紫光輝く木刀を突き立て駆けるオルディス。
「お前ならやると思っていたぞ、オルディス!!」
だがそれを予期していたかのように、グレイブが頭上に仕掛けていた雷がオルディスへ降り注いだ。
「そいつはもう、何回も見てる!!」
突進の勢いを殺さず、身体を一回転するだけでその落雷を斬る。
そしてグレイブの眼前へと辿り着き、最後の一撃の構え。
――決まった。誰もがそう思った。
「甘いわっ!!!」
グレイブは先ほどオルディスを焼いた雷の柱を、もう一度地面の中へと仕掛けていた。
雷の柱が、再びオルディスを焼こうと大地を割って現れる。それはオルディスの完全な死角からの攻撃であった。
ユーリスも、リスティも、レレアーナも、会場の誰もがオルディスの敗北を確信する。
だが――
「まだです!!」
「甘えのは、あんただっ!!」
あの日々を乗り越えた二人だけは違う。
ダークエルフは、一度見た魔法の構造を完璧に理解できる。それはたとえ大地の中に隠れていた小さな魔法陣であったとしても、見えているものに変わりはない。
左方から斬りあげる形で放たれたオルディスの木刀は、地面を抉り、仕掛けられていたその魔法ごとグレイブを斬り上げた。
「がはっ!!」
グレイブは凄まじい速度の木刀の斬撃によって、宙へと叩き上げられ、そのまま仰向けで地面へと落下。
オルディスの木刀が、倒れたグレイブの眼前へと突き立てられた。
会場から音が消える。
「……さっきとは逆だな」
「余裕ぶって、トドメ刺さねぇからこうなるんだぜ。それで、まだやるか? 親父」
倒れたグレイブを憎たらしい顔で見下ろすオルディスに、ふんっと鼻を鳴らし、父は清々しい表情で言った。
「とっとと出ていけ、馬鹿息子」
会場中が沸いた。
もう誰も、彼を異端者などと言って嗤うものはいなかった。
ユーリスは興奮からか誰よりも大きな拍手を奏で、対照にリスティは安堵からかがくりと椅子にもたれかかり涙を流していた。二人の治療のためにレレアーナがすぐさまステージへと駆け寄ろうとするより先に、一つの影がオルディスへと飛びついた。
「いっつっ……って、なんで泣いてんだよ、フラリナ」
「信じていました……、信じていましたよ、オルディス様……!!」
ボロボロのオルディスへと飛びつき、初めて見る表情で、従者らしからぬ仕草で、子どものように泣きじゃくるフラリナを優しく撫でながら、オルディスもゆっくりと尻をついた。
「終わりじゃねぇぞ、フラリナ。ここが始まりだ」
「ええ、できます! あなたなら、オルディス様ならきっと!!」
オルディスを縛るものはもう何もない。
フラリナの憂うものもない。
三十年もの鍛錬の日々を経て、今日この瞬間から、英雄誕生の冒険譚は始まるのだ。




