3話 家族の日
「だめよ、私が怒られちゃうもの!」
「そこをなんとかお願い母さん!」
「いち従者風情が失礼で在ることを承知ですが、どうか私からもお願いします、レレアーナ様」
「ちょっと、私が押しに弱いの知ってるでしょ!」
銀髪のダークエルフと黒髪のダークエルフに迫られてたじろぐ、美しい金髪のダークエルフ。
彼女の名は『レレアーナ・フィア・オスクリタ』。オルディスやユーリスの母親である。
その美しいダークエルフとオルディス達が向かい合っているには、四方八方全てが、無数の本で埋め尽くされた途方もない空間であった。
ここは『識の箱庭』。この里の開闢以後数万年間のありとあらゆる知識が眠る、この里唯一の大図書館だ。
滅多にこの場所へ来ることのないオルディスがここにいるのには理由があった。
「お願いですレレアーナ様、どうかオルディス様に『身体強化』の魔法書を」
探し物は一冊の魔法書。
フラリナが辿り着いたアイデアというのは、一つの魔法、『身体強化魔法』であった。
肉体への魔法の付与によって通常の身体能力以上の膂力の発揮を可能にする、主に前衛の戦士などが多用する補助魔法の一種だ。この魔法を魔力を豊富に持つ妖精族が扱えれば、多種族に対して肉体的にそこまで大きな遅れを取ることはない。
初めは魔法を使うことを渋っていたオルディスだったが、剣を選ぶことと生まれ持った才を捨てることはイコールではなく、その才能全てを剣に捧げるべきというフラリナの言葉に納得し、一目散に大図書館へと駆けていった。
というかそもそも獣人やドワーフを含むこの世のほとんどの戦士がこの身体強化を使うのだが、周りに魔導師しか存在しないオルディスは知る由もなかった。
身体強化はそこまで珍しい魔法でもなく、本来なら困難なく手に入る類の魔法なのだが、世界のどこへ行っても後衛職である魔導師にしかならない妖精族には、どうしても必要がないもののため、この大図書館に置いてあるかどうかは賭けであった。
「母さん、お願いだよ!」
「お願いしますレレアーナ様!」
そして実際にそれはあった。
正確にはないと言われたのだが、明らかに様子がおかしかったので、少し問い詰めてみればすぐに吐いた。一冊だけ置いてあるらしい。母は嘘が下手なのだ。
「母さんならどこにあるかわかるんだろ!」
「忘れたわ! どこにあったか忘れた!」
「嘘つき!」「嘘ですね」
「どうしてわかるの!?」
オスクリタ家の女性は代々この大図書館に従事することがしきたりとなっている。
この大図書館の長となってから数百年が経つこの母親には、ほぼ全ての本の在りかが記憶されているのだ。
「母さん、俺どうしてもその本が必要なんだ! お願いします!」
「オ、オルディス……」
オルディスの真剣な強い瞳が、動揺するレレアーナを捉える。
しばしの沈黙。
母として、レレアーナは愛する息子のその表情にんーんーと何度か喉を鳴らし、やがて観念したかのように口を開いた。
「……わかったわ」
「母さんっ!」
「でも教えない」
「母さんッ!」
落ち着いて、と優しく宥めて心優しい母は続けた。
「違うのよ。私はあなたが頑張っていることを知っているし、無理に止める気もない。母さんはあなたのことが大好きだもの」
「だ、だったら!」
「でも、私は家族のみんなが大好きなの。あなたも、あの人も、ユーリスもリスティも。だからどっちかを選ぶことなんて私にはできないわ」
「……どういう意味?」
「こういうことよ、馬鹿弟」
意味深な言葉を述べるレレアーナへのオルディスの追及に、レレアーナではない別の声が答えた。オルディスはその声をよく知っている。
「姉さん……」
「相変わらずまだそんなくだらないことをしてるのね、オル」
そう吐き捨てた美しい銀髪のダークエルフの女性の手元には、一冊の本が抱えられていた。
「リスティ様……その本は」
「これでしょ? あんた達が探してるのって」
オルディス達が探し求めた魔法書を持って現れたこの眼鏡をかけた黒き妖精は『リスティ・デック・オスクリタ』。オルディスやユーリスの姉にあたるオスクリタ家の長女だ。
ユーリスが母親の優しさを引き継いだと言うのならば、リスティは父親の厳格さを引き継いだとも言える。
ダークエルフであることに誇りを持ち、王族であるための努力を欠かさない。まだこの大図書館で仕事を始めて数十年だが、既にレレアーナの半分程の知識が頭に入っているという母以上の才能を持った傑物でもある。
「これがあればダークエルフのあんたでも一人前の剣士に、みたいな感じなんでしょ?」
「そ、そうだけど……」
だからと言うわけでもないが、リスティはオルディスによく突っかかる。オルディスは心当たりはないが、ダークエルフの誇りを放棄したオルディスに腹が立つというのもあるのだろう。まあそれは理由としては一割にも満たない。
「……なんで姉さんがそれを?」
「な、なんでとかない。た、たまたま聞こえてきただけよ」
「でもあれって森の中でした話だよ」
「よ、妖精族は耳が良いから! お子ちゃまなあんたにはまだわかんないわよ!」
「もう俺身体の成長は終わったぞ?」
オルディスの年齢は現在25歳。一般的な妖精族の寿命は1000を優に超えるが、身体の成長は人間と同じく20ほどで止まる。
「と、とにかく、オスクリタ家の長女として、私はあんたの夢を認めるわけにはいかないの! この本も私が先に借りたの、あんたには絶対渡さないわ!」
「ええ、なんでだよ姉さん!」
「な、なんでもよ! さ、里を出ていくなんて、お姉ちゃん絶対許さないんだから!」
「くそぉ、クソ親父みたいな頑固さしやがって。おい、フラリナもなんか言ってやってくれ……フラリナ?」
リスティの絶対的な拒絶に動揺したオルディスはフラリナに救いの手を伸ばしたのだが、フラリナは何故か微笑んでいた。
「ああ、ごめんなさい微笑ましくてつい。どうぞ続けてください」
気づけばレレアーナの隣に座り、同じく微笑むレレアーナと楽しそうにお茶をしている。
「本当に仲の良いご家族でございますね」
「ええ、可愛いでしょう? 私の自慢の家族なのよ」
「森にまでついてきていた人影は、やはりリスティ様でございましたか。心配性というか過保護というか」
「昔のオルディスは本当にリスティにべったりだったんだもの。当時は冷たくあしらってたけど、いざ離れると寂しくてしょうがないのよ、あの子」
微笑ましいその光景を菓子に談笑していた。
オルディスはフラリナの援軍を諦め、リスティへ詰め寄る。
「な、なによオル。これは渡さないわよ」
「どうしても?」
「ど、どうしてもよ」
「絶対?」
「絶対!」
「そうか……なるほどなるほど」
オルディスは肩を落とした、。
唐突に醸し出される諦めたかのような暗い雰囲気に、リスティは勝利を確信する。
「ふんっ、分かったらもう剣なんてやめて大人しく城で王族として暮らすことね! そ、そしたら私も、た、たまになら、遊んであげなくもないから……」
後半はごにょごにょとして何を言っているのか聞こえなかったが、どちらにしろ今のオルディスの頭には入ってこなかっただろう。
今オルディスの頭の中にあるのは、一冊の本のみ。
「隙あり!」
ベラベラごにょごにょと饒舌なのかそうじゃないのかよくわからない様子の姉の手元から、オルディスは鮮やかな手つきでその本を強奪した。
「本、見つけてくれてありがとう姉さん! ちょっと借りてくわ!」
爽やかな笑顔でそう言い残し、あっという間にオルディスは大図書館から消え去った。
残されたリスティはその場に立ちすくみ、やがてぷるぷると震え出す。
「やるわねオルディス。あのリスティから一本取るだなんて」
他人事のように感心しているレレアーナを他所に、ついにリスティが爆発した。
「そうッ、そんなにお姉ちゃんと遊びたかったのねオルッ! 良いわ、久々に思い出させてあげる。あなたのお姉ちゃんを怒らせるとどうなるのかをッ!!」
額にいくつもの青筋を走らせ、リスティはオルディスを追って大図書館から消え去った。
「本当に弟思いなお姉様ですね、リスティ様は」
それを見ていたフラリナは、リスティの重すぎる弟への愛情に思わず苦笑いが浮かべた。
「ふふっ、久々の姉弟喧嘩だわ。オルディスがリスティにかけっこで勝てたことはないけれど……大丈夫かしら」
「今のオルディス様なら大丈夫、と言い切りたいのですが、リスティ様の魔法の才はユーリス様以上」
オルディスは剣を鍛えてはいても身体は変わらず生身のまま。多彩な魔法を扱うリスティからオルディスが逃げ切ることなど恐らく不可能だろう。
ならば自ずと取れる選択肢は一つに絞られる。
「弟離れのできない可愛いお姉さんに、成長の成果を見せてあげる時ですよ、オルディス様」




