第百二話
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二人の頭を撫で慰めてから、再びエーミルの方へ向く。
まだ話は終わってないからな。
「最後は、サブリナの事だな」
「っ!?」
これまで、俺の後ろにひっそり佇んでいたクロエの体が強張る。掴まれた服から、それが伝わる。
「確かアリシア殿下の治める領地でしたよね?」
「ああ。そのサブリナの事で頼みがある」
「頼み、ですか……」
エーミルの顔が分かり易く強張る。商人として、あの地の情報はそれなりに有しているのだろう。つまり、あの場所が商売に向かない事は百も承知。当然の表情だ。
「そう、嫌そうな顔をすな。それに、お前の思っているような事では無いよ」
「……違うのですか?私はてっきりサブリナに出店しろ、と言われるとばかり」
「くくくっ、そんな酷な事言わねぇよ」
今のサブリナに出店しても、確実に潰れる。物理的にも。本店にも影響は及ぶだろう。領主の館があり、比較的治安も良く活気のあるサブリナの主要都市、ローゼンでも恐らく数年しか持たない。
それだけサブリナという地は特殊で、色々と問題だらけなのだ。
「では、私に何を……?」
「ちょっと調べ物をして欲しいんだよ」
「調べ物ですか」
そこで、俺は指輪から一枚の紙を取り出す。
「なっ!?」
その紙を見て声を上げるのは、今まで静かだったクロエ。
クロエはその紙が何であるかを理解すると、俺の襟首を掴み詰め寄って来た。
「……どうして貴方がそれを持っているのですか?」
その声はとても冷たく、思わずぶるっと震えた。心なしか、部屋の温度も下がった気がする。なんか肌寒い。
「ちょっと拝借しまして。深夜にこっそり、ガサゴソと」
「……」
「ちょっ!?ちょっと待て!冗談!冗談だから!ちゃんと説明する!」
一切の温度が無くなった瞳には、俺に対する殺意が浮かんでいた。それに背筋が冷えた俺は、慌てて釈明する。
それにしても、殺意だけで俺を慌てさせるとは……。クロエめ、やりおる。
「……良く見てくれ」
そう言って紙をその場で綺麗に広げた。
「これは……!?地図ですか!?なんと……!」
エーミルの驚いた声。その声は感嘆に染まっている。
そう、これはサブリナの地図だった。それも、かなり精巧に作られた地図。この世界に於いては、確実に超一級品の地図である。
衛星なんてものが無いこの世界には、地球にあるような地図は存在しない。あるのは、大凡のつくりが描かれただけの稚拙な地図。詳しく描かれた地図と言えば、一つの街や一つの森などが限界であった。大凡のモノでも困らない、というのもあるかもしれない。
対して、俺が取りだしたのはサブリナの広大な土地がまるっと描かれた地図。距離は兎も角、川の場所・森の位置・点在する村々等がしっかりと描かれているのだ。驚かない方がおかしい。
「クロエ、良く見てくれ」
「……!」
しばらく眺め、そして気付く。
「紙が新しい?」
「ああ、これは姫様が持っていた物じゃない。それを書き写したやつだ」
以前、午前中の書類整理を手伝っていた頃、何度か地図を取り出して、ヴィクトリアやクロエ達と話している時に思ったのだ。俺も欲しいかも、と。
ただ普通に頼んでも見せてはくれないだろう。だから、俺は機会を窺い拝借しようと、機を待った。そこで、ヘレン達と出会った。そして、頼んだ。
後は簡単。俺は待つだけ。夜故に、影魔法を使うヘレンの行動範囲は広くなる。ササッと屋敷に潜り込んで貰い、ササッと盗って来て……こほん、取って来て……んんっ、借りて来てもらったのだ。
「……それは許可を得て?」
うっ、鋭い。俺は視線を逸らした。
「……」
「……」
「……」
「はぁ~~~、もういいです。良く考えたらいつもの事ですから」
「そ、そうか?」
なら、さっきも殺気なんて放たないで欲しかった。久々に恐怖したぞ。
「……グレン様の事は信用してますから」
「あら?あらあら?あらあらあら?」
「まぁ!まぁまぁ!まぁまぁまぁ!」
頬を赤くして顔を背けたクロエに、母さんのとジョゼが食い付いた。
「やっぱり、そうなのね!」
「クロエちゃん、だったかしら。あっちで少~し、お話ししましょ?」
「っ!!?」
食い付き、そのまま引っ張っていた。俺の母と姫様の母の腕は手荒く振り解けないのか、そのまま為されるがままだった。最後の助けを求めるかのような視線は、見なかった事にしよう。
「南無。……さて、話を戻そう」
「貴方は女性に優しいのか、それとも意地悪なのか。判断が付き難い人ですね」
どっちもだ。
「話を戻すぞ?……頼みたいのは二つ。まずは、ここと……ここを調べる事」
地図の二ヶ所を指差し示す。一つは真っ赤な土地と書かれ、もう一つは港町モルガン。
「調べる、ですか?調べるも何も、書いてある通りでは?」
「話は最後まで聞け。『真っ赤な土地』の方は、ここに生えている植物などを調べてくれ。新しい発見など無くても良い。出来るだけ多くの植物を調べてくれ」
「植物ですか……。また新しい商売に?」
エーミルの目の奥がキラリと光る。
「まだ分からん。結果次第ではそうなるかもな」
「ほほほほ、それは楽しみですね。では、モルガンの方も?」
「いや、そっちの方は出来たら、で良い」
王国有数の港町だが、大問題がある。
そこを支配しているのが、物凄く荒っぽい漁師なのだ。そこは、王家の意向も意味を成さない。力づくで追い出す事も可能だが、そうすると海の恵みが得られなくなる。王家と姫様の、大きな悩みの種の一つでもある。
「どちらも、調べるのは人を使っていいが、俺の頼みだとは分からないようにな」
「はい、はい、心得ていますよ。期限は如何ほどですか?」
「そうだな……。二ヶ月くらいで頼む」
そのくらいが丁度良いだろう。
「二ヶ月ですか?たったの?」
「ああ。だから、出来る範囲で構わんよ」
エリーとの約束があるしな。
「分かりました。出来る範囲で、やれるだけの事はやりましょう」
「すまんな」
「構いませんよ。私とグレンさんの仲ですから。……それにしても、アリシア殿下に直接聞くと言うのは出来ないのですか?それとも、もう聞いていたり?」
普通そう思うよな。当然疑問だ。
「まあ、色々あってな。ちょっと距離置かれてる」
「……はぁ~~、また何かを企んでるので?やり過ぎると、大変な目に遭いますよ」
エーミルとの付き合いも、もう長くなってきた。俺がどういう人間か、ある程度察してきたらしい。
「あはははは、でも必要な事だからな」
「貴方の為人はそれなりに理解出来てきましたが、頭の中はさっぱりですね。何を考えてるのか、未だに分かりませんよ」
そう簡単に理解されちゃ困る。これでも必死に、今の事、そして未来の事を考えているのだから。
「一の事柄に、最低でも十の事は考えているからな。まあ、その話はまた今度だ。話をもう少し詰めていこう。あっちもまだまだ掛かるようだ」
視線の先では、母さんとジョゼに圧倒されるクロエの姿。再びのアルバム鑑賞。そして母さんとジョゼによる洗脳……コホン、布教だった。
「アレは何を……?何故か、背筋が凍るのですが?」
「……何でもない。何でもないんだ、エーミル。ただ、メイドが三人姦しく話しているだけだ」
「遠目ではっきりとは見えませんが、何やら沢山のグレンさんが……いえ、何でもないです。ただ言いたい事があるとすれば、グレンさんの周りの女性はやや恐ろしくありません?」
「……ノーコメントで」
それにしても、良くここから写真の俺が見えたな。彼女達は隅っこでわちゃわちゃやっているから、同室とは言え距離はあるんだがな。普通の人間には、写真に写っているのが人である事は分かっても、俺である事までは分からないくらいは距離があると思うぞ。
エーミルの謎が一つ見つかったな。
「ほほほほ、そうですか。では、話を戻しましょう」
そして、二時間後。俺は、少しやつれながらも妙に目が爛々としたクロエを連れて、商会を後にした。




