✥6『地獄の道。』
――そこは、底の抜けたような暗闇だった。
歩いても、歩いても、
どれだけ進んでもその先はただただ真っ暗で、世界のすべてが漆黒に塗り潰されている。
ふと足元に視線を落とすと、
色素のすべてを失った灰色の瓦礫が、どこまでも果てしなく広がっていた。
あの全滅した学校の残骸だ。
引き返そうと、私が一歩を踏み出そうとした、まさにその時だった。
生温かい、骨張った手が、唐突に私の足首を強く掴んだ。
「許さねぇ……、許さねえぞ……ミミズ……っ、」
恐怖に引き攣りながら足元を見下ろすと、そこには額山隼人がいた。
「……ひっ」
私は小さな悲鳴をあげた
額山の身体は、皮膚や肉がボロボロと不気味に崩れ落ち、肉を失っていくその身体は生々しい白骨へと変わりつつあった。
それなのに、その顎だけを不自然にカタカタと動かしながら、私への呪詛を吐き散らし続けている。
「よくも……よくも俺を、
殺してくれたな……っ!」
悲鳴を上げようとした私の喉が、恐怖で凍りつく。さらに、その背後の瓦礫の隙間から、濁流のように次々と新しい手が伸びてきて、私のふくらはぎをがっちりとホールドした。
「見込ぃ! なんでこんな事をしたぁ!
こんなことをして、恥ずかしくないのかあ!!」
次に私の足を掴んだのは、あの伊達村だった。
彼もまた、鍛え上げられていたはずの肉体がドロドロと崩れ落ちて骨になりながらも、あの無理解な大声のまま、狂ったように私を仕打ちのように叱責し続けている。
そして――私の太ももに、じっとりとした嫌な感触でしがみついてくる影があった。
……深谷だ。
いつも通りの朗らかな、しかし瞳の奥だけが完全に腐り果てた笑顔のまま、深谷は私の身体にしがみついている。
「見込水琴。
あんなに可愛がってあげたのに、
ひどいじゃないかぁ、」
そう言いながら深谷はその両手で 私の太ももから腰へと登るようにして どんどん這い上がる。
「ずっと見ているぞ。」
深谷の腰から下が溶けて地面に落ちる
そして とうとうその手が肩に触れ私の耳元で囁く。
「君が死ぬまでずっと、ずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっと――」
壊れた機械のように、深谷の音声だけが狂ったリフレインとなって私の脳髄をダイレクトに侵食していく。
彼の背後からは、灰色の粉塵を突き破るようにして、何十、何百という無数の生徒や教員たちの手が、次から次へと瓦礫の中から這い出てきた。
それらは私の黒いセーラー服を私の身体のすべてを、引きずり込もうとするように一斉に掴み取った。
――その数はおびただしいものだった。
学校にいた全員。私が、この指先ひとつで消し去った数百人の死者たち。
『痛い』
『苦しい』
『どうして?』
『なんで私たちが』
怨嗟に満ちた無数の泣き声と掠れた絶叫が、深谷の壊れたようなリフレインと一緒に、私の耳の奥を、鼓膜を、脳の全てを犯していった。
「嫌、いやあああああああああッ!!」
✥
✥
✥
――はっと息を呑んで、
私は跳ね起きるようにして上体を起こした。
喉が張り裂けるほどの悲鳴を上げたはずなのに、自分の口から漏れたのは、
ひゅうひゅうという情けない掠れた呼吸だけだった。
パニックを起こした心臓が、肋骨の裏側を壊すような早鐘を打ち鳴らし、
全身から滝のような嫌な汗が吹き出している。
目覚めた瞬間の私の世界は、
酷くぼやけていた。
生まれつき視力の低い私の目は、メガネがなければ周囲の光の輪郭すら捉えられない。
私は狂ったように荒い呼吸を繰り返しながら、震える手でベッドの横にあるテーブルの上へと必死に手を伸ばす。
指先が、冷たい金属の塊と使い古されたアルミニウム合金製である眼鏡の鈍く冷硬な質感に触れる。
私はベッドの横に静かに置かれていたそれを掴むと、慌てて自分の顔へと深くかけ直した。
ブリッジを指で押し上げた瞬間、
分厚い瓶底レンズを通して、世界に一気にピントが合った。
視界に入るのは、
見慣れたゴミ溜めの路地裏でも、
崩壊した学校の焦土でも、
見慣れた我が家の天井ではない、
間接照明の柔らかな光に照らされた、見事な木目調の天井だった。
恐怖の残響に震えながら身体を動かそうとすると、肌に触れるシーツの感触に驚く。
自宅のそれとは明らかに違う、糊がぴしりと効いた、極上のシルクのように滑らかな純白のシーツ。
身体が深く沈み込むような、圧倒的な包容力を持つキングサイズのベッドの上に、自分は横たわっていた。
まだ重い頭を巡らせ、部屋を見渡す。
外の光を完全に遮断する深いグリーンのベルベットカーテン。
その隙間から、わずかに白く霞む早朝のまだ静まり返っている都会の風景が覗いている。
すぐ傍らには、大理石の床が鈍く光るバスルームへと続くガラスの扉が見え、微かに白檀の贅沢なアロマの香りが鼻腔をくすぐった。
おそるおそる上体を起こせば、ベッドの向こうには重厚なマホガニーの壁に囲まれた、
広大なリビングルームが広がっている。
最高級のペルシャ絨毯が敷かれたその空間は、外界の物音を一切通さず、耳が痛くなるほどの静寂に満ちていた。
「……そういえば、車から降りてからここに来たんだっけ……」
呟いた私の声は、静かな室内に虚しく吸い込まれていった。
じわじわと、ブラックアウトする直前の、昨夜の現実の記憶が脳裏に鮮明に蘇ってくる。
学校を無残な瓦礫の山へと変えた後、
黒い雨の中を無人で疾走したあの大型車。
それが停車したのは、街頭の灯りも届かない、監視カメラすら存在しない薄暗い路地裏だった。
車はそこで静かにドアを開け、私を夜の闇の中へ降ろすと、
用は済んだと言わんばかりに亡霊のように音もなく走り去っていったのだ。
すべてを失い、黒い雨の中にぽつんと取り残された私に、手の中の携帯電話を通じてトロイの冷静な指示が飛んだ。
『その路地を抜けた先にホテルがある。
そこで一晩泊まったらいいよ。
大丈夫、チェックインの手続きはすべて終わらせてある、端末にそのデータを送ったからそれをホテルのスタッフに見せると良い』
彼はまるで、学校の近くにある寂れたビジネスホテルにでも入れと言うかのように、
ただの日常の選択肢としてそう告げたのだ。
私はボロボロになったあのダメージコートのようなカッパを深く羽織り、ごつい革ブーツの足音を響かせながら路地を抜けた。
――しかし、
私の目の前に現れたのは、誰もが一度はテレビや本で目にしたことのある、この国でも指折りの、目も眩むような超高級ホテルだった。
フロントの人間は、夜の街を彷徨う不審な中学生の私を見て一瞬だけ顔をこわばらせたけれど、トロイの携帯に送られてきた予約画面を確認した瞬間、最敬礼で私をこの最上階のスイートルームへと案内したのだった。
あの人物にとっては、ここもただのホテルに過ぎないのだ。
その後、自分の身体や髪が、コンクリートの粉塵とあの生き物が焦げたような最悪の臭いでひどく汚れていたこともあって、私は吸い寄せられるように大理石のバスルームへと向かった。
シャワーを浴び、浴槽で泥を落とし、
ホテルのふかふかなバスローブに袖を通したところで張り詰めていた緊張の糸が完全に切れ、このキングサイズのベッドに倒れ込むようにして眠ってしまっていたのだった。
夢であってほしかった。
だけど、ベッドの横の先ほどメガネを置いてあったナイトテーブルの上に、静かに残された、あの赤と緑のラインが入ったトロイの銀色の折りたたみ携帯電話を見た瞬間、
私はこれが冷酷な現実であることを、再び突きつけられるのだった。
✥
✥
✥
「……私は、これからどうしたらいいの……?」
受話器を耳に押し当て、私は掠れた声で問いかけた。
学校を破壊し、
何百人もの命を奪って日常を失った中学生の、それが精いっぱいの悲鳴だった。
しかし、緑の回線の向こうにいるトロイの返答は、どこまでも淡々と、冷徹だった。
『それは君の選択次第だよ、水琴。
僕は君に力を与え、そのサポートをする。
……それとも、君にはそれ以上の意志はないということかな?』
突き放すような、けれど私の覚悟を試すような言葉。
正直、もう私の頭の中はぐちゃぐちゃだった。
答えなど出るはずもなく、私はベッドに再び力なく寝そべりながら、携帯を持っていない方の手で顔を覆って視界を塞いだ。
カーテンを閉め部屋の柔らかな照明の中、薄暗くなった部屋の中で、解き放たれた涙がこぼれそうになるのを必死に堪える。
そんな私のすぐ横、キングサイズベッドのふかふかとした贅沢なシーツの縁には、見知らぬ大人の女性が静かに腰掛けていた。
昨夜、あの車高の高い大型無人車の中で錯乱し、過呼吸を起こしながら学校で赤のボタンを押し込み、
あの爆破に至るいじめの経緯を泣きじゃくっていた私の言葉から、トロイはすべてを察知していたのだ。
『君の精神と肉体は一度検査する必要があるね』
そう、判断した彼は、
私がこの部屋へ入る前にあらかじめ懇意にしている佐久間という医師に私の状況を詳細に説明し、必要な手回しを完璧に済ませていた。
綺麗な金髪を後ろでまとめ、フレームのメガネをかけ、その奥には聡明そうな碧の瞳を静かに光らせているモデルのように美しいその女性医師は私の身体に静かに聴診器を当て脈を測る。
私とトロイが緑の通話で交わしている『力を与えた』という異常極まりないテロリストのような会話を、彼女は気にする風も、
咎める風も一切なく、完全に無視していた。
余計な同情も、憐れみの視線も、中学生の私が一番触れられたくない核心への詮索も一切させない。
ただ、大人たちの悪意から14歳の私を守るための最低限の医療だけを淡々とこなすように、トロイが裏でそう指示していたのだ。
――いや、
仮にトロイの指示がなかったとしても、
この佐久間という女性は最初から同じ態度を貫いていたに違いない。
彼女の本質は、驚くほど冷徹でドライな現実主義者だった。
普段は表の医学界の第一線で活躍し、大病院の重要ポストや公の場でもその名を広く知られる、業界の誰もが認める凄腕の天才外科医。
水琴のような健康的な一般の学生が医療ニュースを熱心に調べることなどないから私が知らないだけで、
本来ならテレビの向こう側にいるような有名な大人物なのだった。
そして、その刃のように研ぎ澄まされた技術の裏には、もう一つの顔がある。
彼女の執刀は、積まれる『報酬の額』によってのみ公平に動かされる。
大金さえ支払われれば、相手がどれほど汚れた裏社会の人間だろうが、
内心を一切見せることなく、完璧な仕事だけを機械のように淡々と提供する。
それが彼女にとっての絶対的なルールであり、誇りだった。
目の前の患者がどのような大罪を犯していようが、受話器の向こうでどれほど恐ろしい国家転覆の計画が語られていようが、
彼女にとってはただのビジネスであり、背景ノイズでしかない。
だからこそ、彼女は私の置かれた異常な状況に対しても、哀れむような目すら向けなかった。
そんな彼女の徹底的なプロフェッショナルな冷たさが、いまの私にとっては、
どんな優しい大人の言葉よりも、かえって心地よくすら感じられた。
――やがて一通りの診察が終わると、
佐久間さんは聴診器を外して、手際よく医療器具などを私物の医療鞄へとしまい荷物をまとめ始めた。
「診察は終わりました。
外傷も特に問題はありませんね。
一応、血液検査もしましたが結果は陰性です。
ただ……万が一のこともありますので、
もし貴女が望んでいないのなら、処方する薬をしっかり毎日飲んでくださいね」
佐久間さんは細いフレームのメガネを押し上げ、私と視線を合わせることなく淡々と告げた。
そうして私の手元に差し出されたのは、曜日の数字や追うべき順番の矢印が整然と印刷されている、小さな錠剤の並んだPTPシートだった。
「……ありがとうございます」
私がPTPシートをと、佐久間さんは満足したように頷き、
今度は私の手元の携帯電話へと視線を落とした。
「トロイ、請求はあなたの方にします。
今回は他の重要なスケジュールもあったので、その分の上乗せの特急料金も引かせてもらいますから、準備しておいてくださいね」
『あぁ、分かったよ、佐久間。
無理を言っていつもすまないね』
受話器の向こうから、トロイの苦笑混じりの歪んだ電子音声が響く。
佐久間さんは碧の瞳にビジネスライクな冷徹さを浮かべたまま、軽く肩をすくめた。
「いえ、今後もよろしくお願いします。
では、一週間後の定期検診で、今度はまた『あなた』のところに行きますので」
彼女は私ではなく、電話の向こうのトロイに向かってそう告げた。
佐久間さんはスマートに医療鞄を持ち上げると、さっさとスイートルームの重厚な扉を開けて出て行ってしまった。
静かにドアが閉まり、再び部屋に耳が痛くなるほどの静寂が戻ってくる。
『さて、水琴。ドクターも帰ったことだ。
少しは落ち着いたかい?』
トロイの質問を聞きながら、私は先ほどもらったPTPシートから取り出した白い錠剤を口に含み、ナイトテーブルの上に置かれていたコップに入った冷たい水で、その錠剤を一気に喉の奥へ飲み込んだ。
嚥下の際に喉が鳴る音が静寂に吸い込まれていく。
「……トロイ。
私は、人を殺してしまった」
水で潤ったはずの喉から出たのは、信じられないほど掠れた、自分でも嫌になるくらい怯えた声だった。
『うん』
受話器の向こうのトロイは、否定も肯定もせず、ただ短くそう応じた。
「一人、二人じゃない……、
私は、学校にいた人たちを、
みんな殺してしまったのよ……」
『うん』
私が言うことを、
彼はただ、淡々と頷くように同じ返事を繰り返す。
確かに、あの学校は地獄だった。
どうしようもない、逃げ場のない、
底の抜けたような地獄だった。
誰にも助けを求められず、
ただひたすら、私はそこで苦しみ続けていた。
……だけど、その中には普通の人もいたはずだ。
私を「ミミズ」とも「吸血鬼」とも呼ばず、
ただ関係のない場所で生きていた、私と何の関係もないような人たちだって、
あそこには大勢いたはずなのだ。
――そんな人たちを、私は、
あの真ん中にあるボタン一つで、すべて殺してしまった。
「きっと……もっと、
いい方法があったはず、
それなのに、私は……」
顔を覆う私の手から、せき止められなくなった涙が、シルクのシーツへとポタポタと染みを作っていった。
世界を破壊する全能の携帯電話。
それを手にした代償は、14歳の少女の背中にはあまりにも重すぎた。私の嗚咽だけが、スイートルームに虚しく響く。
『君は、僕に拒絶されたいのかな?』
受話器の向こうから、トロイが唐突にそんな質問を投げかけてきた。
私はそれに答えることができず、ただ涙を流したまま、ベッドの上で膝を立て、その膝に自分の顔を埋めて小さく丸くなって座る。
『きっと君は、僕に激しく罵倒されたいのだろう。
……そうして僕から責め立てられれば、君はそれを正当化して、警察に自首するのかもしくはそのボタンで自分を爆発させるのか、
どちらにせよ君は自らの身を捨てることを選ぶつもりなのだろうね。
……しかし、水琴。
よく聞いてほしい』
ボイスチェンジャーによって低く重く歪められたはずのトロイの声は、いまはどこか、驚くほど穏やかで、迷える子供を諭すように優しく私の鼓膜に語りかけてきた。
『確かに、あの赤いボタンを押し、
引き金を引いたのは君だ。
だけどね、
その力を君に与えたのはこの僕なんだよ。
これは君だけの罪じゃない。
君と、僕の二人の選択なんだ。
……だから、君が一人でそこまで思い詰める必要はない。
どうしても君自身のことが許せないというのなら、その前に、まずは僕を責めるべきだろうね』
トロイは静かにそう言った。
責めるべきは、『僕だ、』と、
私を孤独な人殺しの怪物にさせないために、彼は自分の意志で、私の大罪を半分背負うと言ったのだ。だけど。
確かにすべての原因を作ったのは、あのヘドロの路地裏でこの異形な端末を私に拾わせたトロイだ。
彼がいなければ、私は今も惨めなミミズのまま、あの学校で踏みにじられて泣いていただろう。
だけど、私は知っている。
あの最初の廃墟ビルが目の前で木端微塵に爆発した後だって、
恐怖にガタガタと震えながら、私はこの端末をどうしても手放せなかったのだ。
結局のところ、あの時から、
私は本当の覚悟なんて持っていなかったくせに、世界のすべてを壊してやりたくて、あの真ん中にある赤いボタンを、押したくて押したくて仕方がなかったのだ。
誰のせいでもない、
引き金を引いたのは、私の意志だ。
私は、膝に埋めていた顔をゆっくりと上げた。
バスローブの袖で、濡れた両目を乱暴に拭う。冷たいシルクのシーツの上に立ち上がり、手の中の、妖しいグリーンに光る画面を真っ直ぐに見つめた。
私は、顔を拭った。
泣くのは、もうやめる。
「……責めないよ、トロイ」
私の喉から出た声は、もうさっきまでの震える中学生のものではなかった。
どこか低く、自分の犯した罪のすべてを飲み込んだ、冷徹な響きを帯びていた。
「この携帯を捨てなかったのは私、
あいつらに向けてボタンを押し込んだのも私、
だから、
……これは、私の選択よ」
受話器の向こうで、トロイがフッと満足そうに息を漏らした気配がした。
『そうか、……やはり君は僕が思った通りの素晴らしい少女だ、水琴』
トロイはそう言うと、静かに、けれど私の魂を試すように次の質問をしてくる。
『それで水琴、
君はこれからどうするんだい?』
「……世界を正す。
……この世界は、歪みすぎているから。
もちろん、力を貸してくれるんでしょ?」
歪んだ世界のバグを、この手で審判する。何百人の死者を背負った私が、今さら綺麗に生きる道なんてありはしない。私の静かな、しかし確固たる宣戦布告を聞いたトロイは、歓喜を堪えきれないといった様子で得意げに音声を歪ませる。
『もちろんさ。
君が望むなら、僕は喜んで全ての力を貸そう。
さあ、無垢な正義よ、
次は何を望む?』
私は手元の折りたたみ携帯を握り直すと、まとっていた純白のバスローブを、躊躇なく肩から脱ぎ捨てた。向かったのは、客室の入り口横の壁に設置された、廊下側と室内側の両方から開閉できる二重扉のロッカーだった。
扉を開くと、そこには、昨夜ここに辿り着いたときに私が着ていた、あの黒いセーラー服と、激しく破けた黒い雨具のカッパが丁寧に収まっていた。昨夜、ホテルに入る際、私は衣服の洗濯を頼んでいたのだ。そして雨具に関しては、
『これはこういうデザインだから、破けた部分は直さずそのままにしてほしい』
と、あらかじめ頼んでおいてあった。
トロイとしては、私のためにクローゼットへ全く別の高価でスタイリッシュな私服を用意してくれていたらしいけれど、私はこの服を着ることにした。
何百人もの命とともに一瞬で消し去った、あの忌まわしい地獄の象徴であるセーラー服。
自らの怒りの引き金によって、爆風でズタズタに引き裂かれ、ダメージコートのようになってしまった黒いカッパ。
私は、この汚れにまみれた衣服こそを、これからの自分のあるべき形でこの姿で生きると決めた。
それが、私の、
――『引金』を引いた者の、覚悟だった。
洗いたてのセーラー服に再び袖を通し、その上からボロボロに破けた黒いカッパを羽織る。
丸い瓶底のようなメガネを押し上げ、手元の携帯を握り直した。




