✥11『邂逅。』
中央病院のロータリーに朝倉と下田の2人が乗る覆面パトカーが静かに止まった。
✕✕市内で最も巨大な白い高層棟、
――✕✕中央総合病院。
自動ドアを押し開けてロビーへと足を踏み入れた朝倉と下田は、受付に警察手帳を静かに見せて、一ヶ月前に鹿海美咲が母親によって連れてこられた際のカルテをもとに、
当時の彼女の担当医である主治医の元へと辿り着いていた。
――病院の応接室.
そこに、白衣を纏った至って真面目そうな主治医は重苦しい空気のなかで、二人の刑事の鋭い眼光に気圧されるようにして、何度か躊躇うように視線を泳がせた。
「……本当は、医師の守秘義務や個人情報の保護もありますから、
警察の方であってもお話しするのはダメなのですが……」
主治医はそう前置きし、深く重い溜息を吐き出しながら、持っていたカルテのファイルをゆっくりと開いた。
本来、医師の立場である彼が学校の内部事情にここまで深く介入できるはずもなかった。
……だが、この病院に連れて来られて以来、
美咲の母親は彼を心から信頼していつも相談をし続けていたし、
何より主治医自身、引きこもってしまった美咲の精神ケアのために忙しい身でありながら今でも定期的に彼女の自宅へ訪問カウンセリングに赴き、傷ついた彼女たちの家庭に深く寄り添い続けていたのだ。
だからこそ、彼はあの中学校が隠し持つ底知れない闇の構造を誰よりも正確に把握していた。
「鹿海美咲さんが一ヶ月前にお母さんと一緒に来院した際、その肉体と精神に刻まれていた痕跡は……、
一言で言えば、
言葉を失うほど凄惨なものでした。
大人の私ですら吐き気を催すような、
断じて許すべきではない非道な行為が日常的に行われていたのは、彼女の肉体と心の傷を見れば明白だった」
彼はそう言いながらおもむろに机の上に置いてあったお茶を唇を濡らすようにして一口含む
「……原因は、学校の中にあった。
美咲ちゃんが受けていたそれは、学校の上の学年の『先輩』と呼ばれる生徒や、その取り巻きの男子たちによる、目を覆いたくなるような悍ましい暴力。
そして周囲の女子グループによる底知れない陰湿ないじめ。
……それだけではありません。
傷ついた彼女が縋ろうとした教員たちからも、浴びせられたのは執拗な暴言と完全な無視。
誰一人として彼女の手を握ろうとはしなかった。
……いえ、それどころか、
あの中学校には『深谷』という、とある有力な政治家の強固なツテを持った教員がいたそうです。
他の教員たちも全員がその男の言いなりで、下手に逆らえば社会的にろくでもないことになると怯え、誰も彼もがその悍ましい構造に加担していたのです。
……結局、その深谷という男から学校内での弱みを人質に取られ、
それを盾にされる形で、裏で卑劣な『搾取』を何度も強要されていた。
……そして何より最悪だったのは、その一連の非道の果てに、彼女の小さな身体のなかに、決して祝福されることのない『望まぬ命』が宿ってしまっていたことです」
「……!!」
下田の手帳を握る手が、かすかに震えた。
主治医は両手を顔に覆いながらも話を続ける。
「……お母さんに連れられてこの病院へやってきた時、美咲ちゃんはもう精神の均衡を失いかけていた。
私は……、
医師として、彼女のこれ以上の破滅を防ぐために、その場で緊急の『処置』を行わざるを得なかった……。
……その生まれることのなかった生命を、この手で、闇へと手繰り寄せるしかなかった。
……ですが、その凄惨な現実が彼女の心を完全に破壊してしまった。
……この病院で、そのすべてを経験させられた結果、……彼女は二度と笑わなくなり、
あの家から、あの部屋の奥から一歩も外へ出てこられないほどの深い傷を心に負う事になってしまったのです。」
そして両手を顔から離した時、
その医者の瞳の奥には、警察という組織そのものに対する、とてつもない怒りが黒々と渦巻いていた。
一ヶ月前、ボロボロになった美咲のために、家族は何度も警察の相談窓口へと足を運んだ。
なのに、上層部の都合や権力の壁によって、表の警察はまともに動きすらしてくれなかったのだ。
目の前で無残に踏みにじられていく少女の人生を前に、なす術のない現実を見せつけられ続けたことへの絶望。
それらすべてが、
今、目の前にいる朝倉たちに向けて、激しい義憤となって噴出しようとしているその気迫に朝倉と下田は息を飲む。
「あなた方……、
警察が……、あの時まともに動いてくれさえすれば……!
彼女の心と彼女の家庭が、ここまで崩壊をすることなんてなかったはずだ……っ!」
応接室の中に、
その拳は白くなるほど強く握りしめられ、その腕を怒りで小刻みに震わせながら、
声を低く絞り出し、耳が痛くなるほどの冷たい静寂と、主治医の荒い呼吸音だけが降りていった。
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「……チッ、胸糞悪りぃな」
病院のエントランスの椅子に座る朝倉はポケットの奥で拳を血が滲むほど固く握りしめ、激しい嫌悪とともにそう吐き捨てた。
「……そうっすね」
すぐ横に座る下田は朝倉の言葉に短い返事をしながら、手元のスマートフォンをせわしなくいじっている。
朝倉はそんな後輩の態度に少し眉をしかめながらも、刑事としての話を続けた。
「……と、なると、もしかしたら他にも余罪があるかもしんねえな。
それも含めて、この病院にある一ヶ月前の搬送記録を――」
「あーーっ!!
あった!
あったっすよ!!」
唐突に、下田がエントランスの待合用の椅子の上で静寂を引き裂くような大声を上げた。
びくりと肩を揺らした受付職員をはじめ、廊下の向こうで行き交っていた病院の医者や看護師などの職員たちが、一斉に不快そうに眉をしかめて二人の刑事を睨みつけてくる。
「なんだ!?
下田! 声がでけぇ!!」
慌てて朝倉は、下田の頭をゴツンと痛烈なゲンコツで叩いて黙らせた。
下田はといえば、
「痛ててっ……!」
と、涙目で頭をさすりながらも、
液晶画面を朝倉の悪人面の真ん前へと突き出し、興奮を抑えきれない様子で説明を始めた。
「いや、先輩、
叩くことないじゃないっすか!
これ見てくださいよ、ネットで見つかったんっす。
あの中学校の、生徒たちの裏コミュニティSNSのログっす!」
下田の親指が画面を滑る。
そこに並んでいた隠蔽されたテキストの数々を見た瞬間、朝倉の双眸が険しく細められた。
「教員の深谷が政治家の力で表の不祥事を隠蔽する裏で、別の何人かの教員は深谷の隠蔽を利用して初日に吹き飛んだあの暴力団の連中とべったり繋がってたんっすよ!!
それで、そいつらがいじめを行っていた生徒の一部を実動部隊として囲い込んで、
あの中学校の生徒たちをターゲットに、裏で『闇バイトの斡旋』や『売春行為の斡旋』まで組織的にやらせていた形跡が残ってます!」
下田はこの後も 息継ぎをせず話をまくし立てるように続けた。
「……あの学校は、ただのいじめの現場なんかじゃなかった!!
最初から、あのビルや廃病院の違法都市と全く同じ、未成年を食い物にするための完璧な『反社の集金拠点』だったんっすよ!!」
下田の中ではすべてが繋がった。
――いや、繋がってしまった、と言うべきか。
一日目のビル。
3日目
これらは、社会のゴミを効率よく焼却する「プロの仕事」に見える。
だが、朝倉の中では二日目の中学校だけは、どうにも繋がらず説明がつかない。
「なるほどな、
だが下田、この✕✕✕中学校が拠点だっていうなら、なおさらだ。
……効率が悪い。」
「え……?
いやでも、爆薬の成分も手口も同じなんっすよ?
巨悪を根絶やしにするっていう目的も……」
「ああ、だが『熱量』が違いすぎる。」
朝倉はそう言って、下田の持っている端末の画面を指で叩いた。
「他の場所は、害虫駆除みたいに淡々とターゲットだけを消してる。
だが、あの中学校だけは、校舎ごとガキ共を皆殺しだ。
……拠点を潰すだけなら、深夜にブッ飛ばせば済む話だろうが。
わざわざ昼時を狙ったのは、これが『掃除』じゃねえからだと俺には見える」
下田の顔から血の気が引いていく。
「……効率を無視して、あえて数百人の生徒を巻き込んだ。
……ってことは、この組織の目的は掃除だけじゃない……?」
「ああ、
これは『虐殺』だ。
他のやつと違って、この爆発には学校だけじゃなくて近くの住宅街にまで 瓦礫が飛んでいって被害が出てんだ。
この学校の中に連中の逆鱗に触れるようなのっぴきならねぇ『何か』があった、
あるいは……。」
(――この地獄を見せつけたい『誰か』がいた。
……か、)
朝倉の背中に、拭いきれない悪寒が走った。
犯人は、単なる正義の味方などではない。
目的のためなら、あるいは、何らかの『教育』のためなら、子供数百人の命を生贄に捧げることを厭わない、底知れない狂気を孕んだ組織なのではないか?
朝倉の中でそう感じさせるものがあった。
「下田、行くぞ。……いま、この病院のICU(集中治療室)で生きてるあの二人の生存者。
……そいつらの『名前』を今すぐ確かめる」
そう言いながら立ち上がる朝倉に下田が
「うす!」
と、慌ててついて行く。
この病院の集中治療室で眠っている、あの✕✕✕中学校の二人の『生き残り』。
その二人のカルテを洗えば、この未曾有の連続爆破テロのすべての輪郭がまた一つに暴かれるはずだ。
朝倉は険しい顔つきのまま、硬く冷え切った緑の床に革靴の音を鋭く刻みながら、どこまでも続くような白い廊下を大股で歩き進めようとした。
――その時だった。
夕日が差し掛かった廊下の向こう側から、歩いてくる一人の少女の姿があった。
朝倉と下田は、勢いよく進む自分たちのすぐ真横を通り過ぎていくその少女の異様なシルエットに、無意識のうちに目を奪われていた。
腰のあたりまである長い黒髪をきっちりと二つの三つ編みに結い上げ、顔には分厚い瓶底のような丸いメガネをかけている。
服はあの✕✕✕中学校の制服である黒いセーラー服を、糊が効いた状態で綺麗に身につけていた。
――だが、その上から羽織っているのは、裾や袖がズタズタに引き裂かれた退廃的なダメージコートのようなデザインの漆黒の服だった。
そしてその足元は、無骨なミリタリーの革ブーツを履いている。
顔はどこまでも真面目そうな、大人しい優等生のそれだ。
ただ、その服装があまりにも強烈な調和の失い方をしており、周囲の視線を否応なしに奪う不気味なちぐはぐ感を放っていた。
そんな奇妙な格好の少女の両腕には、今にも零れ落ちそうなほど瑞々しく咲き誇る、大輪の花束が大切そうに抱えられている。
ゴツ、ゴツ、と――。
少女のミリタリー革ブーツが、その分厚い底を硬く冷え切った緑の床に革靴を床に叩きつけるたび、静かな廊下に少々重々しい足音が硬く響き渡る。
背筋をピシッと綺麗に伸ばしたまま、大輪の花を抱えた彼女は、朝倉たちの横をただ無表情で、まっすぐ前を見つめて歩いている。
そして、すれ違う一瞬、
朝倉の鼻腔をくすぐったのは、大輪の花束が放つ鮮烈な甘い香りと、そしてホテルで服の洗濯を頼んだ時のしっかりと洗われ、
丁寧に干された衣類だけがまとう、完璧なまでに清潔な洗剤の香りだった。
そのあまりの白々しいほどの清潔さが、逆に異様な違和感となって、朝倉の脳髄をチリリと刺した。
(妙なガキだな……)
朝倉は歩きながらほんの一瞬だけ、その重い靴音を響かせていく少女の背中を怪訝そうに見つめ、不意にその場にピタリと立ち止まった。
ベテランの刑事としての勘が、この少女をそのまま行かせてはならないと彼の背中を押していた。
「――よお、お嬢ちゃん、
お見舞いか?」
朝倉の悪人面から発せられた、低くぶっきらぼうな、けれど鋭い探りを孕んだ一言。
その声に、まっすぐ背筋を伸ばして歩いていた少女は、ゆっくりとその場で振り返った。
鼻にかかった分厚い丸メガネ。
そのレンズ の奥にある彼女の瞳は、不思議なほど鮮烈な赤色に染まっていた。
……カラーコンタクトレンズだろうか?
だが、その赤い双眸から放たれる冷たい光は、朝倉をじっと射抜いていた。
強面の刑事を前にしても、彼女の顔には驚きも、怯えも、戸惑いすらも一切なかった。
ただ無機質な仮面を被ったかのように、終始、完全に崩れない無表情のままだった。
「はい、お見舞いです。
……実はあの爆破事件に、私の大切な友人が巻き込まれてしまって。
……知ってますよね?
あの大騒ぎになっている爆破事件。」
少女はピクリとも表情を変えない淡々とした声で、目の前にいる強面の朝倉を真っ正面から見つめてそう言いのけた。
大人の、それもヤクザより質の悪い悪人面をした男を前にしても、一ミリも物怖じすることなく、人形のような無表情のまま逆質問を投げかけてくるその異様な佇まい。
朝倉は内心の警戒を一気に高めた。
「……へぇ、
ちなみに、その巻き込まれた友人ってのは誰なんだ?」
朝倉の低く威圧的な問いかけに対しても、少女の顔は静まり返ったままだった。
彼女はただ、すっと視線だけを下に向け、胸元の大輪の花束を見つめながら、起伏のない平坦な声で静かに言葉を落こうした。
「宮本 花という子です。✕✕✕中学校の一年生で……いま、ここの集中治療室(ICU)にいる子ですね。
……お花を彼女の近くに置いてあげようと思ったんですけど、やっぱり関係者以外はダメだったみたいです。
……しかたないですから、
諦めて家に帰ろうと思っていたところです。」
「……そうか。
じゃあ、もう片方のベッドに寝てるやつとは、知り合いか?」
朝倉がさらに踏み込んだ質問を投げかける。その鋭い眼光を正面から浴びながらも、少女は鉄の無表情を貫いたまま、ただ分厚くて丸いメガネを鈍く光らせて、静かに首を横に振った。
――まさにその瞬間だった。
少女の羽織っているボロボロな漆黒のカッパのポケットの奥から、けたたましく黒電話のベルの音が鳴り響いた。
病院の静寂を切り裂くようなその音に対しても、少女は眉ひとつ動かさなかった。
彼女は流れるような動作で細い手をポケットへ突っ込み、そこから一台の銀色の折りたたみ携帯電話を取り出す。
朝倉自身も未だに古いガラケーを愛用している身だったが、彼女の手の中にあるその銀色の端末は、自分が持っているものとも、一般的なガラケーのどれとも全く違う、
異質な形をしていた無骨な金属の質感と外周ひ取り付けられたダイヤルやスイッチ。
(……アウトドア仕様か?
最近のガキが持ってる物にしては珍しいな……)
朝倉の鋭い視線が、少女の手元にある独創的、かつ不気味な造形へと注がれる。
少女は携帯を耳に当て、向こう側の相手と短く一言、二言だけ言葉を交わすと、一切の感情を排したままパタンと携帯を閉じた。
そして、再び二人の刑事へと向き直る。
「すみません。
急用ができたようなので、
私はこれで失礼します」
少女は礼儀正しく 一礼をすると、再び背筋をピシッと綺麗に伸ばし、
丸いメガネの奥の赤い瞳を朝倉たちへと真っ直ぐに向けた。
その氷のように冷たい無表情。
彼女は、淡々と言う。
「――事件解決、
頑張ってくださいね。刑事さん」
人形のように整った無表情のまま、
放たれた言葉。
――それだけを言い残すと、彼女はゴツ、ゴツと重いミリタリー系ブーツの足音を響かせながら、大輪の花束を抱えて迷いのない歩調で白い病院から出て行ってしまった。
「……先輩。
あの子、なんかおかしいっすね」
少女の姿が自動ドアの向こうへと消えた直後、朝倉の後ろから、下田が張り詰めた声を低く漏らした。
「……あぁ、おかしいな」
朝倉はフンと低く鼻を鳴らし、少女が去っていったロータリーの闇を鋭い眼光で見つめ返した。
その表情には、明確な違和感の正体への気付きが刻まれていく。
「俺たちは基本、私服だ。
だが警察手帳のバッジは見せちゃいねえし、自分たちの素性なんて一言も名乗っちゃいねえ。
奴、なんで俺たちの事を知ってんだ?」
ガラス戸の向こうのロータリー。
視線の先で、
彼女がタクシーを呼び止めたのか、まるで亡霊のように一台の黒塗りのタクシーが目の前にピタリと停車した。
少女は流れるような動作でその車内に乗り込み、漆黒の車体は煙る街の向こうへと滑るように走り去っていく。
――そして、少女が乗ったタクシーの姿が、完全に街の喧騒へと見えなくなった、まさにその瞬間のことだった。
それまで静まり返っていた病院内の空気が一変し、廊下の向こうから医療スタッフたちが、血相を変えて慌ただしく走り回り始めた。
「急げ! 第二だ!!
早くしろ!」
「心停止! 蘇生措置を急いで!!」
医療従事者たちの激しい足音が響くなか、刑事二人は思わず顔を見合わせた。
――その日、
✕✕✕中学校爆破事件の生き残りの一人、
『額山隼人』が死亡した。
死因は生命装置の誤作動だったという。




