後日談
ユリウスと結婚してから半年が経ち、いつもなら来ているはずの月の物が来なくなった。
もちろん心当たりもあるし、嬉しいと思う。
両親は孫の誕生を今か今かと楽しみにしてくれているし、ユリウスも絶対に喜んでくれる。
サンドラ達だってお祝いしてくれるだろう。
お腹の子は皆に祝福されて生まれてくると自信を持って言えるのに、まだ私はこのことを誰にも報告できずにいた。
不安だった。私が母になれるのかって。なってもいいのかなって。
「フィオナ?もう食べないのか?」
「………。」
「フィオナ?」
「え?あ、ごめん。なに?」
「…なんか最近よくボーッとしてるみたいだけど大丈夫なのか?何かあった?」
「…何もないよ。
さっきおやつにケーキを食べすぎたせいかも。」
結婚してからユリウスはノースヴェイルの屋敷に一緒に住むようになった。
よほど忙しくない限りは夕食を共に摂るようにしているし、自室も以前とは違って夫婦の寝室になって一緒に寝起きもしている。
この生活はずっと昔からの夢だったし、一緒にいられる時間が増えて、結婚生活は幸せだと思う。
それは間違いない、けど…。
幼い頃から一緒にいたユリウスに笑顔なんて作っても意味がないことくらいわかっている。
でも私は表情を取り繕った。
おやつなんて実は食べていないこともきっと彼にはバレバレなんだと思う。
でも、どうか、今は聞かないで。
そんなつもりで。
食事が終わると心配するユリウスに、残っていた仕事を全て取り上げられ「さっさと寝ろ」と寝室に押し込められてしまった。
額に手を当てたり、暖かくしろだとか生姜湯を侍女に頼んでいたりもしたから、私のことは風邪かなにかだと思っているのかもしれない。
子供ができたなんて想像もしてない気がする。
少し気だるかったのは確かなので、気持ちはありがたく受け取ることにして、今日は早めに休もうと思った。
起きていても余計なことばかりを考えてしまいそうだったし。
寝る支度を済ませ、いつものように自室の窓からはノースヴェイルの街を見下ろす。
街並みは新しくなっていて、すっかり景色は変わってしまったけれど、ランタンの明かりが暖かく、そこには確かに人々の営みがあった。
でもそれは領民達の努力あってこそ。
失ったものを受け入れ、新しい一歩を踏み出した人もいれば耐えられず引っ越して行った人もいる。
『あ…あぁ…いや…なんで、どうして
なぜこんな酷いことができるの!?』
『優しい顔をした悪魔だ。』
『まとめて遺体を焼くなんて』
『見損なったわ。貴女は最低の女。
いい子だと思っていたのに。』
そう言って憎悪の目を向けてきた人達の顔を未だに忘れることができない。
私は雪崩で亡くなったサラさんの娘さんの遺体を焼いた。
もう少し側にいたいという小さな願いも振り払って。
仕方のないことだとわかっていても、誰かの大切な人を切り捨てるような決断をした。
まだ膨らみのないお腹に手を当ててみたけど、私の手は雪に触ったあとみたいに冷たくて、情けないくらい震えていた。
まだ医師に聞いたわけでもないけど、わかる。
ここに命があるんだって。
誰よりも大切な人。ユリウスとの子供。
そんなの、可愛くないわけがない。
愛しいに決まっている。
まだ生まれる前なのに、こんなにも失うことが怖いだなんて知らなかった。
サラさんはあの時どれだけ辛くて怖かったんだろう。
こんなに大切な、誰かの宝物を簡単に切り捨てた私が母親になんてなっていいの?
「………ごめんね。」
その言葉が誰に向けられたものなのか私にもわからなかった。
_________
「…まだ体調悪いんじゃないのか?」
「平気平気。リドリーさんのところに試作品の確認しに行くだけだよ?」
「気をつけて。いや、やっぱり俺が…」
「ユリウス、文化祭でのこと忘れた?」
「忘れてない。でも…」
「もう!心配性!!」
玄関先まで心配して着いてきたユリウスをなんとか振り払って街へと向かった。
変わらない坂道を下っていくと中央広場に着く。
広場周りには新しい建物とお店ができていて、まだ少し慣れない景色だった。
目印になる建物も変わっちゃったから、また迷子になるかもしれない。なんて。
でもすっかり復興して、活気もある。
広場には以前のように子供達の元気な声が響いていた。
「あ!フィオナ様だ!こんにちはー!」
「こんにちはー!!」
「こんにちは、皆、気をつけて遊ぶんだよー!」
「「はーい!!」」
子供達に手を振って、新しく作られたリドリーさんの工房の方へと足を進めようとしたら、ふわっと炭火の煙が鼻をついた。
「らっしゃい!らっしゃい!串焼きだよー!」
元気な声で呼びかけをしていたのは新しく建て直した肉屋で働くジャスさんだった。
以前のお店は大木に潰されてしまったけれど、いつもこうして外で串焼きを焼いていたおかげで雪崩の存在にもいち早く気づいて逃げることができたんだって。
またこの声が聞けて嬉しいと思う。
でも、いつもなら美味しそうな匂いの串焼きがなぜか今は気持ちが悪くて堪らなかった。
「フィオナ様!焼きたて食べていくかい?」
「……っご、ごめん今日はお腹いっぱいで!」
「そうか?ならユリウス様にお土産でも…」
紙袋に詰められる串焼きに、えずきそうになって咄嗟にしゃがみ込んだ。
サンドラから聞いていたけど、これがつわりってやつなのかな。
「だ、大丈夫かい!?」
「……っ…」
どうしよう…どうしたら、いいんだろう。
心配してくれているのに、その匂いで近づかれると余計に気持ち悪くて、泣きそうだった。
「…ジャスさん、離れな。」
「え?けど…」
「…フィオナ様は私が見るよ。」
そっと肩に置かれた手は優しくて、ふわっと甘いフルーツの匂いがした。
臭くない、気持ち悪くない匂いだった。
顔を上げなくても私を支えてくれているのが八百屋のサラさんだってわかる。
気まずいと思うのに、でも口を開いたら嘔吐してしまいそうで、遠慮する余裕もその時はなかった。
「ほら、水飲んで」
「…ごめんなさい」
新しくなった八百屋へ連れていかれ、入り口すぐ横の木陰へ座るように促された。
ひんやりした空気に身を任せるように目を閉じた。
反論する元気もない。
言われるがまま、水と口の中がサッパリするからと柑橘系の果物まで貰ってしまった。
爽やかな果物の香りに鼻の中に残った煙の匂いがかき消されて、胃の中のムカムカした感覚が少しずつ落ち着いてきた。
「……妊娠、してんのかい」
「…うん。たぶん。」
「その様子だとまだ初期だろう?
屋敷で休むべきだろうに。
お医者様にだって…」
「…まだ誰にも、言えてないんだ。」
「ユリウス様にも?」
「ユリウスにも。」
私の様子にサラさんは大きくため息をついた。
子供の頃、迷子になった時に見た横顔だ。
この土地の領主の娘なのに護衛もつけず泥だらけになって遊んで、あげく迷子になって泣く。
ただの子供と変わらないそれに「迎えがくるまでここで待ってなさい」と、まだ当時赤ちゃんだった娘さんを抱きながら言われたっけ。
困ったような、呆れたような表情で。
昔と違って髪には白が混ざっているけれど。
新しくなった八百屋は以前と違い、とても静かだった。
本当なら看板娘の元気な声があったはず。
旦那さんが野菜を品出ししていたはず。
私が焼いてしまった、サラさんの家族。
今一人でお店を切り盛りしないといけないからか品数も減ってずっと小さくなってしまっていた。
「…私が妊娠初期の頃は柑橘系ばかり食べていたよ。
人によって食べられるものは様々だけど、トマトなんかも食べやすいかもしれないね。
ほら、持っていきな」
「え………?」
ポンポンと渡される野菜や果物。
その様子があまりにも雪崩の前と同じで困惑の声が漏れた。
私は許されないことをしたし、嫌われて仕方ないと思っている。
私が会いにいけば、悲しいことを思い出させてしまうんじゃないかって街へ降りる機会があっても以前と違って挨拶することもなかった。
でも、サラさんは昔と変わらず私へ手を差し伸べてくれた。
一人の生活だって楽じゃないはずなのに。
「勘違いするんじゃないよ。
私はあの時娘や旦那を焼いたフィオナ様を許したわけじゃない。」
「…あ……ごめ…」
「謝らないでおくれ。」
「…え?」
「あの時、フィオナ様が多くの人間を助けたんだって頭ではわかってるんだ。
…というより、時間が経って少しずつね。」
許してくれたかも、なんて一瞬でも期待した私はなんて烏滸がましいのだろう。
サラさんの心の傷は決して消えたわけじゃない。きっと一生残り続ける。
寂しげな横顔に鼻の奥がツンと痛くなった。
「あーあー泣くんじゃないよ。」
「うええええん…」
「…まったく、お母さんになるんだろ」
そう言って涙を拭ってくれる温かい手が私のお母様と一緒で、なんとなく、母親、という存在に触れた気がした。
どうしてこの人はこんなに強いんだろう。
私も同じようになれるのかな。
娘さんを、旦那さんを引き離したくせに彼女のその優しさが痛くて辛くて、それでも嬉しくて。
許してほしいなんて自分の都合ばかりを思ってしまうのに。
「……母親っていうのはね、一人でなるもんじゃないんだよ。」
「え?」
「子供が、親を強くしてくれるの。
私だって逃げ出したかったよ、最初は。
八百屋を畳んで別の街に引っ越してしまおうとも考えた。
ここは思い出が多すぎるから。
でも、娘のことを考えてたらね、違うんじゃないかって。
塞ぎ込んでいるよりも、逃げ出すよりも、あの子が好きだった八百屋を、家族の思い出が詰まったこの場所を守るほうがあの子は喜んでくれる気がして。
それが親としてもう居なくなってしまったあの子へできる事なのかなって。」
私は声を出せなかった。
なんて言えばいいのかわからなくて。
そんな私を見て、サラさんは困ったように笑うと頭を撫でてくれた。
「フィオナ様もいつかわかる時が来る。
お腹の子を今、守れるのは誰よりも近くにいる貴女なのよ。」
「うん」
「まずはお腹の子の様子をちゃんと把握して、必要なもの、必要なことを少しずつやるの。
完璧じゃなくてもいい、フィオナ様にはユリウス様もお屋敷のみんなもついてるだろ。
それで少しずつ母親になっていけばいい。」
「……ありがとう、ございます」
静かなサラさんの声は私の心にじんわりと響いた。
きっとこの日言われた言葉を私は一生涯忘れないんだろうなって。
「で?今日はまたなんで街に?」
「リドリーさんのところで新しくノースヴェイルを売り出すための試作品を作ってもらってて、その確認に行く予定だったの。」
「つまり、仕事かい?」
「うん。」
「はぁ…妊娠初期ってのは何が起こるかわからないんだ。
何かあってからじゃ遅いんだよ。
実際気分悪そうにしてたじゃないか。
リドリーさんには私から伝えとくから今日は屋敷に戻りな。」
大丈夫、なんて言える空気じゃなくて、私はサラさんの言葉に素直に頷いた。
まだどうなるかはわからない。
一度お医者様に見せて、場合によってはリドリーさんへの確認は誰かにお使いを頼むなり、ユリウスに引き継ぐかをした方がいいかもしれない。
また街中で気分が悪くなったらと思うと少し怖いし。
「食べられるものがあったらリュシーに言いなよ。持たせてやるから」
「うん」
「……元気な子が生まれたら遊びに来ておくれ」
「っうん!!!」
サラさんに見送られながら予定よりずっと早い時間に帰路についた。
蟠りが完全になくなったわけじゃない。
でもずっと不安だった気持ちが不思議と和らいでいた。
お腹の子をちゃんと産みたい。と思えた。
そのために、まずは、屋敷の皆に伝えないと。
なんでもっと早く言わなかったんだって怒られちゃうけど、きっとそれ以上に喜んでくれるはずだから。
「一緒に怒られてね。」
返事が返ってくるはずもないのに私はお腹に話しかけていた。
__________
「フィオナ!?やっぱり体調悪いのか!?」
早く帰った私を心配してユリウスが大袈裟に頭を撫でたり背中を摩ったりと忙しない。
伝える前でこの調子では伝えたらもっと過保護になってしまうかもしれない。
下手したら部屋から一歩も出してもらえなくなったりして。
階段なんかきっと常に抱えて降りようとする。
…ユリウスならやる。間違いない。
「ねぇ、ユリウス」
「どうした?」
「まず約束して欲しいんだけど」
「ん?」
「その過保護をやめて。」
「え……いや…」
「返事は」
「…………はい」
とりあえず返事はさせたけれど不服そうな顔を隠しもしない。
むしろ、体調が悪いくせに心配もさせてくれないのかと不貞腐れてる気配がする。
「…お医者様を、呼んでくれる?」
「っやっぱりどこか体調が悪いのか!?」
「妊娠したの。」
「へ」
「月のものが来ないし、サンドラに聞いてた初期の兆候もあるよ。
詳しくはお医者様に聞いてみないとわからないけど、多分間違いない」
「…は?え?
………ちょ、ちょ、ちょっと待て。
…………本当に?」
「もう、こんな嘘なんてつかないよ。」
私の言葉を聞くとユリウスは頭を抱えてしゃがみ込んでしまった。
赤くなった耳が指の隙間から見える。
これは喜びを噛み締めてる時だ。
「……俺たちの子、なんだよな?」
「当たり前でしょ」
「抱きしめていい?壊れない?」
「ふふっ…壊れないよ」
私の言葉に頷くと、指先で恐る恐る壊れ物を触るみたいにお腹にちょんって触れてくるものだから、焦ったいのなんの。
いつもは男らしいくせに、こういう時だけ情けないんだから。
たまらなくなった私は勢いよく彼に抱きついた。
「危ね!ちょ、危ないから!
そんなに勢いをつけるな!ばか!」
「過保護はやめるって約束したよね?」
「いや、それは、…いや!
いやいや、話が違うだろうこれは!?」
「へへっ嬉しい?」
「………嬉しいよ。
幸せすぎて俺死ぬかも。」
「死なないでよ、パパ」
「うぐぅ…」
それからお医者様を呼んでちゃんと検査をして妊娠が確定すると、屋敷はお祝いムード一色に染まった。
お父様達は気が早く部屋を埋め尽くすほどベビー用品を買い尽くすし、リュシーは健康管理で妥協をしてくれなくなった。
屋敷だけじゃなく、サラさんから伝わったのか領民達もお祝いだ!祭りだ!なんて大騒ぎ。
サンドラへも報告の手紙を出したら「お返しよ!」なんて馬車いっぱいにおもちゃを積んで様子を見に来てくれた。
でもただ幸せってだけじゃなくて…
「妊娠したら味覚が変わるって医者が言ってたけどまさかフィオナが甘いものを食べられなくなる日が来るなんてな…」
「あんなに美味しかったのに!?
なんで!?食べれる!食べられるはず!!」
「いや、昨日はチーズケーキ見ただけで無理だっただろ。無理するなって。」
つわりのせいで、大好きなケーキやクッキーを食べようとしても、胃が受け付けなくなっちゃったし…
「…お腹大きくなってきたな」
「……腰が痛い…あ。」
「え、なに」
「蹴ってる」
「!?」
お腹が大きくなると足元は見えなくなるし、トイレも近くなる。
腰だって痛いけど、ポコポコお腹の中で動くたびに愛おしさが増えていった。
「フィオナ様!運動不足ですよ!」
「ほら!少しの移動くらい大丈夫って言ってるのにユリウスが運んでばかりだからよ!!」
「え!?いやでも転んだりしたら危な…」
「体力不足でお産の最中に危険が…」
「よしフィオナ、歩け。今すぐに。たくさん。」
「たくさんはダメです。」
お医者様に教えられた体操やウォーキングはキツくて何度もねを上げそうになったっけ。
不安になることもあったけれど、でもその度にユリウスが、皆が支えてくれたんだ。
そして月日は流れーーーー
「痛い痛い!無理!無理無理!本当に痛い!!」
貴族の方は静かに耐えるお産をされる場合が多いですよ。
なんてお医者様からは話を聞いていた。
なんだ、耐えられるのね。
そうやって甘くみていた私も悪いと思う。
でもね、こんな痛いならちゃんと伝えておいて欲しかった。
こんな時まで貴族のなんたるかを気にしていらっしゃるご婦人が多いってどういうことなの。
あまりの痛みに怒りすら湧いてきそうだった。
「頑張れフィオナ!!」
「はぁ!?もうすでに頑張ってるから!!
ユリウスうるさい!!ううぅ…」
「…うん。もうすぐ生まれそうですね
一度ユリウス様はご退室をお願いします。」
「え!?この状況で!?」
「いいから早く!!ぅ…いたいいっ!!」
追い出されるユリウス、慌ただしくなる周り。
どんどん痛みが増して、関節が全て外れるような、身を裂かれるような痛みが定期的に訪れる。
こんなの経験したことない。
でも、もうすぐ会える。だから頑張る。
お母さんになるって苦しい。
まだ耐えろ。息をしろ。と言われても意味がわからなかった。
ただ必死に痛い痛いと叫びながらそんなことを心のどこかで考えていたら、ある瞬間にフッと痛みがなくなって、お産を手伝ってくれている皆の喜ぶ声が響いた。
「頑張りましたね、元気な女の子です」
それは小さな命だった。
隣に寝かされた温かさが尊くて。
涙が頬を伝っていくのがわかる。
「…やっとあえた
これからよろしくね」
医師の許可が出るとユリウスとお父様が部屋になだれ込んできて、私と子供の姿を見てポロリと涙を流した。
何度も何度もありがとうを重ねて。
誇らしくて、嬉しくて、幸せだった。
_________
私、フィオナ・ノースヴェイルには好きなものがある。
甘いお菓子…じゃなくて今はサラさんのところのトマト。
可愛い服を着たお人形、
両親、侍女のリュシー、領地の皆…
それから、親友のアレクサンドラ・レイラー
他にもたくさんあるけれど、その中で一番好きなものは、夫になったユリウス・ノースヴェイル。
…だったんだけど、一番が今日、もう一つ増えました。
きっとこれからも大好きは増え続けるはずだ。




