27話(ユリウスside)
俺の名前はユリウス・ヴァーガス。
ヴァーガス子爵家の三男として生まれた。
そんな俺の好きなものは、お世話になっている人達と家族、ヴァーガスのワイン、ノースヴェイルのチーズ。
そして何よりも大切なのは婚約者のフィオナ・ノースヴェイル伯爵令嬢だ。
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領地を継ぐ長男と、騎士を目指す次男。
三男である俺は、たまたまフィオナと同じ年に生まれたからという理由でノースヴェイルへの婿入りが決まった。
ヴァーガスとノースヴェイルの領地は隣接しており、曽祖父の代より互いを補うような関係を築いてきた。
これはそんな両家の絆をより強固なものにするため結ばれた婚約だった。
フィオナとの初めての顔合わせ。
ノースヴェイル家に向かう道中では、俺の方が身分が下であることや、婿入りする立場と聞いて不貞腐れていた記憶がある。
お姫様に傅くような生活が待っているのだろうか、とか、意地悪な女だったら嫌だな、なんて悩み一つなさそうな呑気な牛を見ながら鬱々と考えていた気がする。
けれど、初めて彼女を見た瞬間にそんな考えは嘘のように消えて、体に電気のような衝撃が走ったんだ。比喩ではなく本当に。
くるりと巻かれた髪の毛にブルーのリボン。
長いまつ毛とぽってりとした唇。
フィオナは職人の家で見た人形なんかよりもずっと可愛らしい令嬢だった。
俺が普段接する人間はヴァーガスの使用人や家族ばかり。
特に兄二人と遊ぶことの多い俺にとってフィオナは到底同じ人間には見えなかった。
街に遊びに行った時に同年代の女子を見かけることはあったけれど、それとも違う。
フワフワしていて、キラキラしていて、いい匂いもする。
細い腕は触れれば簡単に壊れてしまうんじゃないかって本気で思っていた。
だから俺の知っているような、いつもの遊びもできなくて「お前といてもつまんない。」なんて心にもないことを言った。
ただ、どうしていいのかわからなかっただけなんだけど。
何度か顔を合わせても、お互い無言の気まずい関係が続いていた。
その時に出されていたお茶の味もお菓子の味も何も覚えていない。
どうにかしなければと考えてはいたけれど何も思いつかないまま、ただ時間だけが過ぎていった。
でもある日、フィオナがいつもの綺麗なドレスじゃなくて動きやすい格好をして水遊びをしようと誘ってきたんだ。
手に持った最新の水鉄砲はカッコよくて、その日は難しいことは考えずに夢中になって水遊びができた。
それをきっかけにして少しずつ話すようになって、フィオナが可愛いだけの人形じゃないことを知った。
水遊びをしてから、女の子なら嫌がりそうな騎士ごっこや木登りなんかに誘っても一緒に遊んでくれるようになった。
それなら俺も遊び方がわかるし、自然と会話もできていたから、気づけば会う度に俺の好きな遊びばかりをしていた気がする。
フィオナも嫌な顔をせず楽しんでくれていたからそれでいいと思っていた。
いや、違うか。
少し罪悪感はあったけれど、また話せなくなるのも嫌で見てみぬふりをしていたんだ。
でも、彼女はやっぱり女の子で、男の俺とは身体の作りも何もかも違うんだってある日思い知らされた。
「あれ…?」
「っフィオナ!」
ずっと無理をさせていたんだと思う。
いつものように水遊びをしていたら途中でフィオナが倒れて、熱を出してしまった。
急いで屋敷に背負って連れ帰ったけれどすごく苦しそうで…。
医者にはただの風邪だと言われたし、伯爵夫妻にも気にすることはないと言われたけれど、俺はものすごい反省した。
兄には笑われ、母には叱られ、父には同情される程度には。
フィオナも気にした様子もなかったけど、これからは自己都合ばかりではなく、もう少し周りを見ようと思ったきっかけでもある。
おままごとをするのは恥ずかしかったけど、フィオナが楽しそうならそれでいい。
話せなくなると思ってたけどそんなこともなかった。
むしろまた倒れる姿を見て心臓が凍るような気持ちになるくらいならこっちの方がマシだった。
例え飼い犬の役だったとしても。
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「ユリウスー!早く早く!水が気持ちいいよ!」
「前見ろ!危ないから!」
「平気平気!」
フィオナはいつも危なっかしい。
初めて出会った時はお淑やかで可憐なお姫様みたいだったのに。
木登りをすれば平気で細い枝に足をかけるし、夏祭りでは迷子になるし。
階段上で俺を見つけた時は、五段上から平気で飛び降りてきたこともあった。
ただ、その明るさのおかげで、あまり気を使わずに俺らしくいられることもわかっていた。
天真爛漫で好奇心旺盛。
他の令嬢とは何もかもが違う。
フィオナは俺にとって特別な女の子だった。
夏の暑い年、避暑地として人気の観光地へ両親と共に旅行に行った。
両親達は屋敷で寛いだり、買い物に出かけたりしていたけれど、子供にそれらはつまらない。
暇を持て余した俺達は数人の使用人と共に川遊びに出かけることにした。
「見て!魚がいる!捕まえてみて!」
「うわっ!?早すぎて捕まえらんねぇよ。」
「なら罠を仕掛けるのよ!」
「どうやって?」
「石を積んでそこに追いやってみるとか?」
「やってみるか」
夏なのに木陰は涼しく、水はひんやり冷たい。
せせらぎや鳥の鳴き声が美しい場所だった。
魚を罠の方へ追いやろうとフィオナが水を蹴り上げるたびに水滴が光に反射して彼女のコロコロ変わる明るい表情をキラキラと輝かせていた。
その景色があまりにも綺麗で思わず見惚れてしまう俺を使用人達がニヤニヤと見守っていたっけ。
「やった!捕まえた!これなんの魚かしら?」
「…さぁ?食べてみる?」
「嫌よ!?」
「美味しそうなのに」
「美味しそうだけど、これはユリウスと初めて捕まえたの!可愛いから食べられない。」
その後も川の石をひっくり返してカニを見つけたり、綺麗な小石を拾って並べてみたりとひとしきり楽しんで、そろそろ帰ろうかとなった時だった。
「あっ…」
フィオナの被っていた帽子が風に煽られて飛ばされて川に落ちた。
危ないと咄嗟に引き止めようと伸ばした手をフィオナがすり抜けていく。
そして川の中へ走っていって…
突然水の中に消えた。
「フィオナ!!」
膝下程度の浅かったはずの川は、ある一点から先になると急激に深く流れが速くなっていた。
そこに足を踏み入れてしまったんだ。
フィオナが水中でもがく度バシャバシャと水飛沫が派手に上がる。
助けに行こうとしてもそばにいた使用人に押さえつけられていた。
時間にすれば十分も経ってはいなかったと思う。
でも俺にとっては救出されるまでが永遠とも感じられる時間だった。
なんとかフィオナは水から掬い上げられたけれど、その顔にいつものような笑顔はなくて、ぐったりしていた。
いつもなら「またやっちゃった」と笑うのに。
「医者の手配を!」とか「息してないぞ!」と大人達が騒ぎ立てている間も俺はそこから一歩も動けなかった。
ただ、血の気が引いて座り込んだ。
そばに行きたいのに許してもらえず、一歩引いたところで、大切な女の子が蘇生措置をされているのを見てるだけ。
このままフィオナが死ぬ?
死んだらどうなる?
何も考えられない。
それなのに、息が荒くなって、震えが止まらなくなった。
フィオナが風邪で倒れた時以上に凍りついていくような感覚だった。
「……ゲホッ…」
「よかった!お嬢様!!」
医師も到着してフィオナは病院へと連れて行かれてしまった。
俺は最後まで何もできないままだった。
あの時の出来事は今でも俺のトラウマとして深く刻み込まれている。
フィオナはずっと特別だったけれど、俺は思っている以上にフィオナが大切で、失いたくないんだって自覚した瞬間だったから。
フィオナが俺の隣から消えてしまう未来を想像したくもないくらいに怖かった。
婚約はしている。でもそれだけじゃダメだ。
それから俺は喰らいつくように必死に努力を重ねた。
フィオナが将来継ぐノースヴェイルのことや領主補佐に必要とされる書類や計算の勉強、今度は守れるようにと身体も鍛えた。
全ては大切な女の子を守るために。
大人になるに連れて可愛らしい女の子は少しずつ美しい女性へと変わっていった。
いつだって俺は彼女を追いかけていた。
フィオナは俺にないものをたくさん持っている。
何も考えてないようで頭の回転が早いし、様々なことを思いつく。
卑屈になることもなく、いつだって明るい。
怒ると怖いけど、皆から愛される存在だった。
勿論初めて会った時から好きだったけど、十才を超えたあたりで兄達からお節介なことに、男女の事を色々と教えられた。
子供がどうやったらできるのか、とか。
そのせいで嫌でもフィオナのことを女の子として意識させられてしまったんだ。
「ユリウス!」
「…くっつくな。」
「え!?」
「今日は勉強するから遊ばない。」
以前は当たり前にできていたのに、フィオナと手を繋いだり、抱きついたり、そういうことが急に恥ずかしくなって遠ざけはじめた。
いきなりのことにフィオナはすごく戸惑っていたし、傷つけている自覚もあった。
でもふとした瞬間に甘い匂いがしたり、俺と違って柔らかい腕とか体に触れるたびに心臓が勝手に高鳴るから、出会った頃に戻ったみたいに、どうしていいのかわからなくなった。
「っ…私のこと嫌いになったの?」
「…別になってない。」
今までどんなふうに接していたのか、これからどう接すればいいのかわからないだけで。
「じゃあなんで無視するの?
ギュッてしてくれないの?
もう遊んでくれないの?」
「それは…」
「私はユリウスが好きなの。
ユリウスが、嫌なことはしないし、悪いところは治すから側にいてよ。
前みたいに遊んでよぉ…ひっく…」
うわぁーんと声をあげて泣くフィオナより、フィオナが俺のことを好きだと言ったことが衝撃的だった。
「…俺のこと好きなの?」
「…うん、ユリウスが一番好き。」
「…いつも大事にしてる人形より?」
「好き。」
「両親やリュシー、パドリックさんより?」
「好き。」
「………っ…」
フィオナにはたくさん好きなものがある。
甘いものに可愛いもの、身の回りの人達。
初めて遊んだおもちゃや、初めてもらったプレゼントも思い出だからと大切にとっておくような女の子だ。
俺もその中にあるただの一つだと思ってたのに、俺が一番なんだって。
いつも俺ばかりがフィオナを追いかけていると思っていたのに。
「それなのに、ユリウスが無視するから」
びえーんと鼻水まで垂らしてるフィオナが可愛くて、なんかもうどうでも良くなった。
体が勝手にその涙にキスをしてた。
「っ!?ゆ、ユリウス?」
「…俺の好きはそういうのだから。」
一瞬で涙が止まったと思ったら、真っ赤になって、それが可愛くて。
「わ、私だって!」
「っ!?」
「ユリウスのこと男の子として好きだもん」
お返しだとばかりに頬にキスをされて、やっぱりフィオナには敵わなかった。
ちなみにファーストキスは十三才の秋だった。




