24話
西の医療現場の確認をした私達は東へと歩き出した。
向かうのは遺体が安置されている東の広場。
離れた場所に遺体を置くのは感染症を防ぐため。
先程テントで亡くなった人は小さな台車に乗せられて私達の横を静かに運ばれていった。
「…はぁ」
深呼吸をして呼吸を整えたところで、何も意味なんてないのかもしれない。
だってこの先には亡くなった人達がたくさんいて、中には知った顔だってあるかもしれない。
きっとそれを見たらこんなちっぽけな平常心なんてあっという間に崩れてしまうのだろう。
東の広場の前に着くと必要以上の人を受け入れないようにと仮の柵が設けられていた。
警備に当たっている兵士に会釈をして、身分を提示しその柵を越える。
一歩踏み出した瞬間から空気が違った。
亡くなった方の側で親族が座り込んでいる。
静かに涙を流しながら。
「…何人亡くなったの?」
「現時点では31人だそうだ。」
「…まだ、いるよねきっと。」
陛下に会った時には27人だった死者が少しずつ増え始めていた。
雪崩に巻き込まれてから人間が生きていられるのは十五分ほどしかないという。
そこから先は生存確率が目減りしていく。
稀に奇跡的に助かることもあるらしいが、奇跡というのは滅多に起こらないから奇跡なのだ。
今もなお、見つかっていない、雪崩に巻き込まれた行方不明者達の生存は絶望的だろう。
きっと、これからもっと増えていく。
「…ここの担当の兵士の方は?」
詳しく話を聞ける人間を探そうと辺りを見渡したら一人の遺体と視線がぶつかって、一瞬呼吸の仕方を忘れてしまった。
それだけショックだった。
その遺体は幼い頃から知った顔。
どこにもいないからもうとっくにヴァーガスに避難したんだと思っていたのに。
「……ここに、いたんだね」
薬屋のミトさん。
幼い頃から、貴族なんて身分を無視して、危ない時は私を叱り、怪我をしたら心配して薬を塗ってくれる優しい人、だったのに。
いつも暖かく見守ってくれた目に、光はない。
人間も魚と一緒だ。
人も死んだら、市場で売られている魚と同じ白濁とした目になるんだって初めて知った。
「…っ」
それ以上その無機物のような目を見ているのが怖くて、瞼に手を乗せてそっと閉じた。
ここまで避難している人達や怪我をしてる人達の現実を突きつけられてきた。
でもここだけはどこか変に非現実的で、実感が湧かない。まるで夢の中みたいに。
悲しいとか寂しいとかも不思議とない。
もしかしたら、私の脳が、心が、理解することを拒んでるのかもしれないな、なんて他人事のように思った。
「フィオナ、あそこにいるぞ」
ユリウスの指を指した方へ視線を向ける。
やっとの思いで見つけた兵士の一人は、傷ましそうな表情で、先ほど私の目の前で亡くなった人を横たわらせて静かに手を合わせていた。
彼は王家の兵士で、ノースヴェイルとは直接関係もないはずなのに、見ず知らずの他人のために手を合わせてくれていた。
その姿を強く目に焼きつけた。
「…すみません、職務の合間に。
でも手を合わせずには居られなくて…。」
「…いいえ」
「指示の通り、亡くなった方々の身につけていたものなどは別に分けてあります。」
「…ありがとうございます。」
このまま亡くなった方々をこの場に寝かしては置けない。
現在は雪が腐敗を遅らせているとは言え、放置するのは衛生的にも良くないだろう。
疫病などの二次被害に繋がらないためにも、ここでその危険性を断ち切らないといけない。
そう思うのに喉の奥がひりついて次の言葉がなかなか出てこなかった。
「……焼いてください。」
「!」
私の一言が現場にやけに大きく響いた。
悲しみに崩れていた親族達の視線が一斉にこちらに向けられるのがわかる。
その目は恐怖に染まっていた。
まるで化け物でも見ているみたいな表情だ。
「ま、待ってください、フィオナ様…」
震える手を伸ばしてきたのは八百屋のサラさんだった。
その側には娘さんが目を閉じてぬいぐるみと共に横になっていた。
元気な声は聞こえない。
あぁ、彼女もまた亡くなったんだな。って。
あの子は夏祭りでお土産を喜んでくれたっけ。
八百屋さんの看板娘として売り子を頑張っていたのも覚えている。
サラさんといつも一緒で…
そんなことを淡々と思い出していた。
「お願いします。
もう少し娘と一緒に居させてください。
まだ主人も見つかってないの。
どうか一緒に…」
お願いします、お願いしますと膝をついて頭を下げているのを他人事のように見ていた。
身体は不思議と反応している。
握る手に力がこもって、ギリギリと奥歯が音を立てて、胃の奥がズンと重かった。
サラさんに続くように他の親族達も頭を下げ始めた。
どうかもう少し側に居させてほしいと。
そんなことをしても、より苦しくなるだけだ。
亡くなった人達が戻ってくることは決してないのだから。
「…どうしますか、フィオナ様?」
兵士達も空気に飲まれはじめている。
今生きている人達
思い出はあれど亡くなった人達。
重すぎる天秤は生きている人達の方へ傾いた。
「…焼いてください。」
「…承知しました。」
私は同じ言葉を繰り返し、兵士も複雑な表情を浮かべながらも指示に従った。
遺体は次々と台車に乗せられていく。
一人一人に時間をかける余裕も人手も足りていないからまとめて火葬となる。
山のように積み上がる亡くなった人たち。
誰かの父親で、誰かの母親で、誰かの子供だった人達。
雪崩に巻き込まれるまで幸せに笑い合っていただろう人達だ。
その山に酒や燃料をかけて、小さな火種を投げ入れると、やがてそれは轟々と音を立てて燃え始めた。
熱で遺体の形がぐにゃりと歪んでいって、肉を焼く匂いが鼻の奥をついていく。
「いやっ…つれていかないで!!
フィオナ様!フィオナ様!どうか!!」
泣きながら膝に縋り付かれても私は意志を曲げるつもりはなかった。
「あ…あぁ…いや…なんで、どうして
なぜこんな酷いことができるの!?」
「優しい顔をした悪魔だ。」
「まとめて遺体を焼くなんて」
焼かれている人達の親族からそんな言葉が投げられる。
供物だろう花やおもちゃも投げつけられた。
ユリウスが私を護るように前に立って壁になってくれようとしたけれど私はそれを拒否した。
これは私に向けられるべき憎悪なのだから。
「見損なったわ。貴女は最低の女。
いい子だと思っていたのに。」
サラさんは憎しみのこもった目で私を見た。
私はそれに何も言い返さず、兵士に後のことを任せるとその場を後にした。
いずれは絶対に遺体を焼くことになる。
正しいことをしたはずだ。
私は間違えてないはずだ。
けど、どうしてかな。
本当はこんなことしたくなかったのにって後悔ばかりが押し寄せるのは。
やっとの思いで屋敷へ帰ってきた。
ヴァーガスへの避難は順調に進められているようで、屋敷にいる人数は最初に来た時よりだいぶ減ったように思う。
「フィオナ…」
「…ごめんユリウス、少しだけ一人にして。」
心配してくれるユリウスの手を振り払ってしまった。
でも、それを訂正する余裕も、取り繕う余裕も、今の私にはなかった。
なんとかたどり着いた自室のベッドへ倒れ込む。
医療現場で付いた誰かの血も、火葬場で付いた煤も、土もどうでもよかった。
泥のように身体が重くてもう動けない。
動きたくない。
でも目を閉じるとミトさんのあの白濁とした目がフラッシュバックする。
現場の匂いがいつまでも鼻の奥に残っていた。
「…っおぇ…」
咄嗟にゴミ箱を引き寄せてえづいたけれど何も出ない。
思い出すたび胃が競り上がるような感覚があるのに出てくるのは唾液だけだった。
食欲もない。気力もない。
今なら簡単に死ぬことができる気がする。
死ぬわけにはいかないけど。
明日もまたやることはたくさんあるのだから。
明日もまたあの現場を見ることになるけど。
こんな状況で眠れるわけもなく、私はぼーっと天井を眺めていた。
外ではまた雪が降っている。
避難所や現場の人達は凍えていないだろうか。
何かまだできることがあるんじゃないか。
そんなことを考えていたらノックの音が聞こえてユリウスが暖かいお茶を持って入ってきた。
「フィオナ」
「…放っておいてって言ったのに」
「俺がそんな状態のお前を放っておけると思うのか?」
「…心配性。」
「…心配くらいはさせろ。
フィオナはずっと周りの事ばかりだ。
周りも自分の事で精一杯。
ボロボロになっても、周りに非難されても戦い続けるお前を、今、誰が守ってくれる?
フィオナの事を心配できるのも、フィオナの事をわかっているのも、甘えさせられるのも、俺だけに許された婚約者の特権だろ。」
「なにそれ」
ユリウスは持ってきた紅茶にたっぷりの蜂蜜とミルクをいれて私に渡してきた。
蜂蜜も、ミルクもこの現場ではかなりの貴重品なのにと思いながらも一口それを口に含んだ。
私の頬を何かが伝ってポトリと落ちた。
暖かくて優しい味のそれで氷が溶かされたみたいにどんどん溢れていく。
「あれ…」
「今は俺しか見てないし、聞いてない。
当主代理じゃなくていいよ」
「………私、間違っていたのかな」
「…何も間違ってない。
もちろんフィオナの判断で、傷つく人はいる。
でもそれ以上に現場にいる人間達を守ったんだから誇れ。
酷い言葉を気にするな、とは言えない。
あの人達の気持ちもわかるから。
でも頑張ってるフィオナがフィオナ自身を否定するのだけは俺は許さない。」
その瞳に飲み込まれてしまいそうだった。
ユリウスはどうしてこんなにも強く居られるんだろう。
そう思ったのは一瞬だった。
私の涙を攫うユリウスの手も雪みたいに冷たくて震えていたから。
私と一緒にいた彼だって昔から知ってる人が怪我をしたり亡くなったりしてるんだから怖くないわけがない。
「…今日は一緒に寝よ?」
「え!?いや、それは…」
「一緒に寝て。お願い。」
「いや、あの、当主様に怒られる。俺が。」
「そんないくらでも一緒に怒られるし、こんな状況で手を出せるわけないじゃん。」
「ぐぅ…」
「流石にこの状況で何かしたら私許さない。」
「するわけない。」
「……私に魅力がないってこと?」
「どうすればいいんだよ…」
「冗談。」
ただ今日はやけに冷えるから。
凍えてしまわないように。
「…そばにいてほしい。」
「…はぁ、わかったよ。」
その日は幼い頃のように、同じベッドの上で寄り添い合うようにして眠った。




