第四十六話 冒険者の宿
突然扉が数回叩かれ、苦悩していた俺の意識はそちらに引きつけられた。
俺の視線が向くと同時に、扉が勢いよく開けられ誰かが入ってきた。
「ちょっとスレイ、いつまで寝てるの? 早く起きないと、式に間に合わないわよ」
入ってきたのは金髪の女――確かホーリーとかいうスレイと同じ群れにいた女の神官だ。今はあの時の神官着ではなく、町娘のような恰好をしている。
ホーリーは何やら文句を言いながらつかつかと歩いて来たが、俺の姿を見た途端「ひ……」と引きつった声を上げて硬直した。
そして一瞬顔が青ざめたかと思うと、みるみるうちに紅潮し、ついには火山が噴火するかの如き勢いで怒鳴り始めた。
「ちょ、ちょっとお、何で服着てないのよ!?
信じらんない! もう馬鹿ぁっ!!」
ホーリーは片手で顔を隠したまま、もう片方の手で床に散らばっていた服を俺に投げつけると、駆け足で部屋から出て行った。
いったい今のは何だったんだろう……。急いで脳内からスレイの記憶を抽出するが、まだ馴染んでないのかどうも該当するものが見当たらない。
取り急ぎ日常生活に必要な情報を吸い出し、とりあえず服を着る。ホーリーが言っていた「式」とやらが何の事かわからないが、あの様子を見ると急いで顔を出したほうが良さそうだ。
ひと通り身なりを整えて部屋から出ると、長い廊下に出た。
廊下の左右には三つずつ扉があり、部屋数は全部で六つ。スレイの部屋は一番奥の向かって左側だ。脳内の記憶によると、ここは冒険者がよく利用する酒場兼宿屋で、群れ――ここではパーティと言うようだ――の他の連中もここで寝泊まりしている。
廊下の先にある階段から一階へと降りると、踊り場の辺りで階下から声をかけられた。
「よう、スレイ」
声の主は、コングだった。こいつはスレイやホーリーよりは歳上の男。人間にしてはかなり大柄で筋肉ダルマの戦士だ。
見れば、コングは酒場の椅子にその巨体を窮屈に押し込めてはいるが、鎧も着けずにまるで自分の家の食卓みたいにくつろいでいる。昨夜はどんちゃん騒ぎでもしたのか、一階はまだ開店準備どころか後片付けも終わっていないというのに、随分とまあ馴染んでいるものだ。
その隣では、ルーンが不機嫌そうな顔をして、テーブルの上の朝食とにらめっこをしている。こいつはハーフエルフの魔法使いで、歳は見た目以上なはずだが詳しくは知らない。ただこの群れの中では最年長だという。今はひと目で魔法使いとわかるような真っ黒なローブではなく、ただの長衣を着ていた。
ルーンは食欲がないのか、具の無い薄そうなスープを匙ですくっては口に運ばず、ただかき混ぜているだけだ。
「やっと起きたか。あんまり遅いから中って死んだかと思ったぞ」
「いくらしこたま飲んだからって、ドラゴンの脳味噌を生で食べるんだもん。ビックリしたよ」
そう言うとルーンは昨夜の事を思い出したのか、それともまだ酒が残っているのか、「うぷ、」気分が悪そうに喉を震わせた。
なるほど、それで俺がスレイに寄生したのか……。しかし、いくらスレイ自らがドラゴンの脳味噌を喰らってくれたとはいえ、俺はほとんど諦めの境地だった。なのにちゃっかり寄生していたとは、本能とは恐ろしい。
だがこうしてまだ生き永らえているという事は、まだ何かができる可能性があるという事だ。無碍に命を捨てるよりは、遥かにマシだと今なら思える。
ようやく少し事情が飲み込めてほっとしていると、厨房のほうからホーリーが食事の乗った盆を持ってやってきた。心なしか、俺を見る目がきついような気がする。
「ほら、ぼさっとしてないで、スレイも早く食べちゃって。急がないと式に遅れるって何度も言ってるでしょ」
『式って何だ?』
「え? なんて言ったの?」
「スレイ、ゴブリン語なんて知ってたの?」
ホーリーは聞き返し、ルーンは不思議がる。いかん、言葉を喋るなんてゴブリン以来だったからついやってしまったが、今の俺は人間、スレイだった。俺は慌てて言語野から情報を取り込む。あった、人間の言語で公用語。これだ。
咳払いを一つ。
「式って何だ?」
するとホーリーはやっぱり、という顔で呆れる。
「んもー。あれだけ呑んでたから、憶えていないだろうとは思ったけど……。
いい? もっかいだけ言うね。ドラゴンを討伐したご褒美を王様がくれるから、今日お城に来いって言われたでしょ」
脳内を検索したが、そんな情報はどこにもない。恐らくスレイが聞き流したか、昨夜の酒で洗い流されたかのどちらかだろう。
だがホーリーの表情を見ると、とても「知らん」などと言えない。かと言って下手な事を言って誤魔化すと、俺がスレイではないとバレてしまうかもしれない。ここは慎重に言葉を選ばなくては。
「…………うん」
「思い出した? だったら早く食べて。遅れたらお城に入れなくなるでしょ」
そう言うとホーリーは俺に、持っていた盆を乱暴に渡した。




