テルミンほわほわ
和香ねえ大活躍の回です。
「半蔵、私思いついたんだけど」
和香ねえが寄ってきます。あんたは何も思いつくな、イヤな予感。
「今度は何ですか」
「上野に『エレキテル治療院』ていうのが出来て、連日並ばないと入れないほどの大盛況だっていうのよ。私ならエレキテルくらい作れる気がする」
気がするくらいで始めるな、でも今回は家族を巻き込みそうもない話。
「いいんじゃない。」
「賛成してくれるのね。早速父上にねだって、エレキテル関係の本捜してもらうわ。最初に作ったの、平賀源内って言ったっけ」
エレキテルは日本では平賀源内が発明したことになってるけど、源内さんがやったのは、長崎の道具屋で故障した状態で売られていた静電気発生機を購入し、一年かけて修理した事。
蘭語の専門書を捜して、独学で読みこなし、壊れた部品を自作した苦労は認めるけど、発明したわけじゃない。
『エレキテル』という言葉は平賀源内発明、土用のうなぎとか、コピーライターの才能は素晴らしかったみたい。この時点で七十年前のこと。
どういうルートか、日本語の専門書を手に入れた和香ねえは、しばらく自分の寺子屋に籠っていました。一か月位経って、今度は古道具屋めぐりと舶来小間物屋めぐり。
江戸市内には舶来品を扱うお店がけっこうありました。鎖国なんて言葉は後の人がつけた事。当時は長崎や函館から外国製品が入って来たし、島津薩摩藩では琉球(沖縄)経由で藩公認の密輸品がじゃんじゃん入っていました。これらは高値で取引されたから、藩と商人はウハウハ。
長崎出島のカピタン(オランダ人商館長)が、四年に一度公方様を訪問して挨拶する決まりがあり、江戸っ子なら子供のころから、オランダ人の行列を二度三度は必ず見ていたので、日本が鎖国してるなんて誰も思っていなかったのです。だから、舶来品が店頭に並んでいても不思議に思わない。
エレキテルは、最初は見世物として扱われたのですが、嘉永三年当時、医療器具として扱われていました。
ピッ〇エレキ〇〇みたいな。体内の気の滞りを電気の刺激でほぐすとの能書きで、頭痛、肩こり、神経痛などの治療として、銅線や鎖を患部に当ててピリピリさせ、筋肉を刺激するわけです。今まで味わったことのない感覚に加えて、効果があると信じる力で、大反響だったそうです。
エレキテルの原理は、ハンドルをぐるぐる高速回転させることで、内部にある筒状ガラスを金箔を張った皮にこすり合わせて静電気を発生させます。これを集電器(ライデン瓶)に集めます。金属の線や棒、鎖をライデン瓶に近づけると、パチッと火花が散るというもの。
和香ねえは自分の寺子屋にこもり、授業時間の他はずっとそこで実験していました。半年も経ったころです。
「半蔵、ちょっと来て、なんか変なものが出来たのだけど」
行ってみると、そこにはハンドル付きの大きな箱。周りにガラス瓶や針金が散乱しています。
そばに一本のガラス瓶が台で固定されていて、瓶の口から針金が垂直に伸びています。
和香ねえがその針金に手を近づけると、木製の台が共鳴して変な音が響きます。ホワンホワン。
手を近づける距離や針金の元、中、先端で、音の高さや大きさが変化します。(一九二〇年頃に発明されたテルミンの様)
「面白いでしょう。これを『ほわほわ』と名付けるわ」
「いろんな意味ですごいです」
目標とはナナメの方向に着地したみたいだけど、完成形にたどり着いたのはすごい。姉上にしてはよく途中で飽きなかったものだ。
「これで演奏会を開きたいの。浅草あたりの演芸場と交渉してくれない」
「いきなり演奏会ですか。まず練習とか、その前に、機械の耐久性とか、演芸場に響かせるほどの音量が出せるのかとか、検討項目が沢山ある気がします。演奏するのは姉上ですか」
「もちろんそうだけど、志乃姉にも手伝ってもらうわ。ほわほわの音って胡弓みたいでしょ、お琴との共演が似合いそうな気がするの。
それから、自分でハンドル回すわけにいかないから、体力がありそうな三郎さん(父上の若党)にもお願いしなけりゃ。音の大きさは瓶の置台に共鳴板を取り付ければいいわね。
いっそ共鳴板で置台を作るほうがいいかしら。あと、音が続くのがライデン瓶一本で5分位だから、途中で瓶の交換が必要ね。瓶の交換は半蔵にやらせるとして、充電と演奏を途切れなくこなすには、予備の瓶は二本あればいいかしら。
全部でライデン瓶四本、いえ五本用意するとして、追加で購入する材料の費用が・・・」
自分の世界に入ってしまったようです。
「大事なのは宣伝でしょ。半蔵、かわら版屋の銀次さん所行って、読売の紙面の隅に載せる広告費ってどのくらいか聞いてきて」
当時のかわら版は、無許可営業です。
企画執筆するのが一人(これが銀次さん)、挿絵師一人、木版に文字や絵を彫る彫師一人、紙に印刷する摺師一人、銀次グループは四人で動いています。
読み売り(売り子)は歩合制で、売れる記事なら何人でも集まりました。売り子は100枚250文で仕入れて4文から6文(120円から180円)で売っていました。
公儀に摘発されることもあるので、固定した場所では売らず、売り子が人込みを見つけては声を張り上げ、内容をちらっと紹介して興味を引いて売るわけです。
四百枚から五百枚売れれば採算が取れたといいますが、江戸の人口百万人、記事が当たれば何千枚と売れたといいますから、非合法ビジネスとしてはいい儲けになったようです。これを完全買い切り記事で作ると、最低千文(3万円)はかかりました。
銀次さんにこの話を持っていくと、意外に乗り気。
「最近おもしれえ企画が無くてな。演芸場には俺が話つけて値切ってやるよ。でも一日一両(30万円)かかるかな。
読み売りはタダで作って差し上げるぜ。記事のネタ料だ。客集めも売り子を使えば楽に五百人は集まると見た。その倍の、千人の集客と、二千枚は売れそうな煽り文句が、頭ん中めぐってやがる。
具体的に予定が決まったら、半月前には伝えてくれ。お姉ちゃんによろしくな」
世の中は経済で回っているのが分かりました。姉のやっていることはお金を生みそうです。
流れるように企画は進み、演奏会の日時や場所も決まりました。読み売りの記事のチェックも終わり、明日から印刷、明後日から売り出すそうです。
和香ねえが考えた番組は三部構成。一部は志乃ねえの山田流お琴の演奏。観客を優雅な気分にさせておいて、二部は和香ねえ登場。
まずは機械の説明から、観客を十人位舞台に上げて、手をつながせて電気ショック。これは受けそうです。
それからいよいよ共鳴台を舞台に上げて、ほわほわの実演。適当に音を聞かせて観客を不安な気持ちにさせます。
いよいよ第三部、お琴とほわほわの共演。演奏するのは丁度世間で流行っている、吉沢検校作「千鳥の曲」。原曲はお琴と胡弓の協奏曲で、歌入り。志乃ねえ美声、張り切って歌うつもり。
「お立ち会い、お立ち会い! 世にも奇妙な『エレキテル鳴物』が現れた一大事!」
町中で売り子の人たちが騒いでる。
後から聞いたら、読売の売れ行きがすごいので、売り子を十人に増やし、印刷所は摺師を増やして増刷増刷。
記事はさすが銀次さん。煽り文句には演奏会の事は触れないで、新規の機械に興味を抱かせる作戦。読売りをよく見ると、『美人姉妹による世界初の電気楽器とお琴の共演』とあり、九月二十日、浅草丸山亭にて本邦初公開。
当日昼四つ(午前十時)開演で、朝から人が並び、入り口で切符のもぎりは我が家の美人女中のお文。
木戸銭三十文と少々高めの設定をしたが、客席は大入り満員。
千葉道場組も定吉師匠、奥様、重太郎、佐那、むさくるしい門人どもが二十人ほど。長屋の連中もほとんど顔を見せ、差配の甚兵衛さんまで来てる。
よく見ると母上のはるが、学芸会の我が子を見るように、柱の陰にスタンバイ。あれ、今日は出仕したはずの父上までコソコソ現れて逆に目立ってる。
緞帳のこちら側は女中のお富と髪結いのおせんさん、志乃をつかまえて最後の仕上げ。この日のために借りてきた、豪華な振り袖に似合いの帯。
しっかり白塗りの化粧をしているが、素顔の方がきれいじゃね。なんてったって花の十七歳だ。
演奏会に志乃ねえが出るのを父が反対しなかったのは、玉の輿の婿さん候補探しを江戸中に宣伝するため。江戸は女性の数が圧倒的に少ないので、どこそこに適齢期の美人がいるというのを、上様はじめ武官の皆さん、大店の若旦那も常に探しているのです。
和香ねえはピシッと折り目に熨斗した紺袴と赤の矢絣小袖、髪を一つにまとめて真っ赤な髪飾り。こちら花の十五歳、黙っていれば美人というやつ。
電気を扱うので、大き目な皮手袋がブカブカで逆に可愛いかも。
若党の三郎も、今日は何かすっきりしてる。ひげ剃ったな。表に出る役じゃないのに。第三部で姉にライデン瓶を届けるのが私の役目。
演奏会はさしたるトラブルもなく、二部の電気ショックで長屋の甚兵衛さんが腰が立たなくなって運ばれたくらいで、あと、三部の演奏会の最後、拍手が鳴り止まず出て行った挨拶の時、志乃さんコールばかりだったので、和香がつい、いつもの調子で、うるせえな、と叫んでしまい、客席が白けたとか、私が一回だけつまずいて転んだとかあったけど、ライデン瓶も割れずに済み、おおむね好評でした。
前評判がとても良かったので、予定通り午後の部は昼八つ(午後二時)から開演しました。
こちらも満席で、最後の舞台挨拶で、仕込んだサクラが、和香さんきれい、と叫んでくれたおかげで和香ねえもご機嫌だったし、おっかなびっくり劇場を貸してくれた席亭から、感謝の大入り袋が出たりして、皆疲労と満足を土産に家に帰りました。
志乃ねえは、おひねりだけで二百文の収入。ファンレターは三十を超えました。和香ねえは引き立て役に徹したのよ、と言っていました。全体収支は一両ほどのプラスでした。
後日談です。銀次さんのお仲間の絵師、山東海伝さんが、美人姉妹共演の図という一枚絵を二十四文という最高ランクの値付けで売り出しました。
海伝さんは、午前の部を見たそうです。錦絵は役者を描いたもの、一枚絵は素人の美人を描いたものをいいます。その一枚絵がとても評判がよく、地方から江戸に来た人たちがお土産に買っていくそうです。
通称「電気姉妹」の絵。銀次さんが、モデル料だと言って三両も置いていったそうです。どれだけ売れたんだ。それより電気姉妹、全国区になってしまいました。
演奏会が好評だったので、浅草の丸山亭さんが半月ぐらい通しでやってみないか、と問い合わせてきました。
志乃ねえはやってもいいような素振りでしたが、和香ねえはもう飽きてしまったようで、お断りです。それなら使わなくなった「ほわほわ」を売ってくれというので、姉がふっかけたつもりで十両(三百万円)、と言ったら、それで売れてしまいました。
しばらくすると、浅草で電気姉妹の公演として、姉たちと似ても似つかない人たちが演奏会をやっていたそうです。
若党の三郎さんと女中のお文さんが夫婦になったのはそれから二か月後でした。今は近所の長屋に住んで、通ってきてくれてます。赤子が生まれるまでは、とお文さんも今まで通り舘家でお仕事です。
次回は江戸の職人話




