品川大火事、手裏剣目録
今回の火事の話はソフトです。話が短かったので、手裏剣も目録があったという話を追加しました。
嘉永五年七月二十八日の夜中、品川の旅籠から出火した火は、折からの強風で燃え広がり、近年では最大の被害、675軒が灰になりました。
夜中の火事にも関わらず、死者は何とかゼロで済んだそうです。
翌日には長屋の建築関係者、大工、左官、屋根屋、表具屋が早朝から道具だけ持って飛び出していきました。
旅籠なんて、再建が早ければ早いほど宿泊客を独占出来ます。臨時雇いでもなんでも、職人を高給で雇うわけです。おいしい仕事です。
材木はすぐには揃わないだろうって、あんた素人だね。余裕のある旅籠や大店、料理屋、札差などは、いつ火事になってもいいように、木材を確保して材木屋に預けて置くのが商売人の常識でした。
江戸の町は本当に火事が多かったって事です。長屋暮らしの庶民は、いつ焼け出されてもいいように、寝るときは風呂敷に最低限必要な荷物とご先祖様のお位牌を入れて寝たもんです。
焼け出された人たちは、空いている長屋を見つけて入れば事は済みますが、家主は大変。長屋の建物を再建しなきゃ収入がなくなる。でも、そこは皆火事に慣れてる。最低限の材料で、二か月かからず再建築出来たそうです。
長屋一軒の建築費用は二両(60万円)でした。それが相場です。一般的な庶民の住宅(長屋)は、九尺二間(2.7メートル×3.6メートル、三坪)が基本です。引き戸を空けたすぐに三尺の土間。ここに玄関、かまど、水瓶、調理場があり、奥が一段高くなって畳の四畳半。平家です。
ここに夫婦子供たち一緒に生活しました。風呂トイレ別。いつ又火事で炭になるとも限らないので、だれが作っても同じ品質のプレハブのような住宅が生まれたのです。
面白いことに、大家が中古住宅を売る時も一軒二両でした。新しくても古くても住めれば一軒二両。財産価値ではなく、機能にお金を払っていたんですね。
江戸では毎日どこかで火災が発生していました。それで幕府は、庶民のために、いろは四七組の町火消し組を作り、二百か所近くの火の見やぐらを作り、火よけ地を設け、辻の角々に防火用水と水桶を用意し、武家のためには、大名火消し、定火消、所々火消などを整備しました。
また、火元を増やさないように、徹底的な規制がありました。代表挌がお風呂。風呂は火の元です。湯を沸かすために長時間火を使います。
庶民の家は風呂なし。剣術道場も風呂なし。三百石の勤番も風呂なし。千石のご家人屋敷も風呂なし。商人も大から小まで風呂なし。風呂があったのは大名屋敷と大奥くらいのものです。
ではどうやって身体を清潔に保ったか。井戸(江戸の井戸は玉川上水です)で水浴び、または行水。
湯屋(蒸し風呂)は沢山ありました。大人八文(二百円)子供六文(百五十円)ほどで、混浴でした。脱衣所と入り口は別ですが、中は一つの空間。
入り口は狭くて中には照明が無かったので、暗い場所で身体を温めるだけで、垢すりは外に出てから。
特筆すべきは、湯屋では上下の身分が無かったこと。武士は刀を湯屋入り口で預け、脱衣所で裸になったら身分なんてありません。
二階の休憩所で囲碁や将棋を楽しんだ相手が、武士か商家の手代か、なんて分からないことにしたのです。実は町で顔を合わせていて、相手の身分が分かっている関係でも、湯屋の二階では皆平等に付き合えました。
話がそれましたが、火事があることで、江戸の職人は仕事に困らなかった側面があります。江戸の人口百万人のうち、大工など職人の比率が半分です。どれだけ仕事が潤沢だったか。
そして自分の家もいつ火事で燃えるかもわからないので、宵越しの金は持たない(貯蓄をしない)という文化が生まれ、職人の給金は高かったので、独身男性を相手にした商売、吉原や深川の悪所(表向きは悪所と言うのです。江戸は女性が強かったから)が発展したのです。
独身男性は料理なんか作らなかったので、蕎麦屋、寿司屋、天ぷら屋などの外食産業の数が世界一だったといいます。
お金を使ってくれる庶民が居るので、天保の大飢饉などに耐えられる、強く安定した経済力があったのでしょう。
手裏剣目録
桶町千葉道場にて表彰式があり、お佐那が『小太刀目録』を授与されました。目録とは、中級者としての技の数々を会得したという証明です。
門人たちから拍手されて、本当にうれしそうです。表彰者は五人いて、皆うれしそうです。
最後に手裏剣部門として、私が目録を頂きました。『直打法目録』です。門人さんたちは、聞いたことのない名前に戸惑っています。道場としても初めて授与する目録だそうです。
定吉師匠は挨拶で、千葉道場の教授目録の中に、小太刀術、長刀術、剣術、槍術、弓術、体術、手裏剣術があり、半蔵は当道場で手裏剣術を学んだ初めての門人である、と紹介してくれました。
嬉しかったけれど、私は師匠や重太郎先生から指導を受けていません。ほとんど自己流です。これで北辰一刀流手裏剣術目録と言えるんだろうか。重太郎先生に聞いてみました。
「私たちが監督して、半蔵君の肉体を鍛え、見守っていたからこそ成しえた技術をもって目録とするのだから、誇りたまえ」
と言われた。何言ってるか分からない。とりあえずニッコリしてお礼を言っておきました。
家に帰って母に目録を見せると、とても喜んで、神棚に上げて拝みました。
「十四歳で目録頂くのは、早い方じゃないの」
「同じ年の佐那さんも今日、目録をもらったよ。あっちは小太刀だけど」
「目録は目録よ。それだけ習得した技が多くなった証拠でしょ」
末弟の寛3歳が足にまとわりつくのはほっといて、一応神棚を拝んでおく。
まあ、お佐那との勝負は一勝一敗だから、実戦での実力は同じとしよう。さらに精進せねば。
帰ってきた父上に報告がてら、指導を受けていないのに目録をもらったと言うと、
「貰えるもんは貰っとけ、欲しくても貰えない人は沢山いるんだから」
そういうものかと思いました。千葉道場だって門人すべてに目録与えているわけじゃないし。少しは私の精進が評価されたと考えよう。
和香ねえに手裏剣で目録貰ったことを伝えると、
「バカじゃないの、剣術道場で手裏剣の目録貰ってどうすんのよ。池坊に茶道の免状貰うようなものじゃない。そんなの価値自体が怪しいわ」
私の心の大事な部分にヒビが入ったような気がしました。少し涙目。
「そんな頭ごなしに言うもんじゃないわよ、半蔵だって一生懸命努力した成果なんだから、誰かに褒めて貰いたいよね」志乃ねえ優しい。
「でも、その技術をちゃんと評価できない人に花丸貰ってうれしい?」
傷口に塩を塗らないでください。
「あんたと話すと身もふたもないわ。お琴の試験上手くいかなかったんじゃないの。(和香は最近花嫁修業に目覚めて、山田流に入門したのです)まあ、寛ちゃん居たの、お姉ちゃんと一緒にお風呂行こうね」
志乃ねえは寛を抱っこして行ってしまいました。子供は小さいというだけで可愛がられるんですね。
あれ、私も背が伸びてきたら、誰からも可愛がられなくなった気がする。強くならなければ、と心に誓う半蔵でした。
次回は剣術稽古の年間最大イベント、寒稽古です。




