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二人目の半蔵、お佐那と琴と時々龍馬  作者:  小林功二


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千葉道場

いよいよ千葉佐那登場ですが、剣道の道具の話になってしまいました。

道場破りが竹刀の長さ統一に一役かっていいたとは。

うちの拝領屋敷のすぐそばに、北辰一刀流の千葉定吉先生が開いた剣術道場がありました。


門の中からはいつも、若い男衆の声が聞こえています。地鳴りの様なドタンドタントントンと、何かをたたく音や足音も。


ある日、犬の散歩に道場前を歩いていました。

(弟が近所で生まれた子犬を貰ってきました。名前は早太郎と和香ねえがつけました。昔善光寺にいた、魔物を退治した強い犬の名前だそうです)


開いた門から何か大きなものを抱えて飛びだしてきた少女がいます。早太郎がびっくりして吠えました。


「ごめんなさい、急いでるの。防具の面金が壊れちゃって、修理に持っていくところ。

かわいい犬ね。芝?あなたは舘さんちの子でしょう。私はこの家の娘で佐那。急ぐからまたね」


早口で一人でしゃべって行ってしまいました。これが私とお佐那との出会いです。


後で聞いたら同じ年だったので、私はお佐那と呼び、向こうは私を半蔵と、呼び捨てです。


お城の火事で仕事場がなくなり、門の開け閉めや西の丸の立ち番などの仕事を、組ごとのローテーションでこなす事になり、父は暇で毎日ごろごろしています。


武芸上覧(将軍や老中の御前で、剣術、槍術、弓術、馬術などの腕前を直接披露する大規模な実技試験です)が近く行われると聞いたのに、大丈夫でしょうか。


「父上、毎日休日ですね」

「お城の書院詰所が無くなってしまって、行くところがないからね」


西の丸にはお小姓組が詰めてるし、火事の直後の登城では、西の詰所に千人入ろうとして廊下や玄関まで人が溢れて、座るところも無いんだ。


「それで交代勤番になったって訳さ」


「武芸上覧が近いのは大丈夫ですか」


「父は馬術が得意なんだぞ。それに剣の腕はお爺様譲りだ。そろそろお前も剣術道場に行ってみるか」


「私、北辰一刀流千葉道場に行きたいです」

「目の前なんだから、桶町千葉でいいか」


北辰一刀流は千葉周作が開祖です。道場は神田お玉が池にありました。


その頃は、鏡新明智流・志学館桃井道場、神道無念流・練兵館斉藤弥九朗道場と、北辰一刀流・玄武舘千葉道場が江戸三大道場と呼ばれていました。


その中でもめきめきと門弟数を増やしていたのが千葉道場です。


千葉周作の弟が定吉で、腕が立ち道場経営にも明るいという事で、分家独立して桶町に道場を開きました。


神田の千葉を大千葉、桶町を小千葉と呼んだのですが、道場の規模は桶町の方が大きいほどです。


はい、という事で、その日のうちに裃(かみしも)をつけた父に連れられて(武士の正式装束です)、門前で案内を請い、稽古中でうるさい道場の中、鹿島神宮の神棚を背にした千葉定吉先生の前へ。


定吉先生は三十代半ばの若さと、優しい目を持っていました。


「父上はご書院番士ですか。ご世襲で」


「いえ、私の祖父の代にご上覧での活躍と、たまたま学問吟味の成績が良かったもので、書院番士に取り立てられました。私で三代目です」


「それは宜しいことで。では半蔵君の素振りを見せてもらえるかな」


はい、と私は二尺八寸(85センチ)の木刀を取り出して、一礼。正眼から振り上げて、えいと振り下ろします。それを繰り返し。


「これは中々しっかりしている。体がブレずに振れてますな。その木刀を見せて。二八ですか、少々軽い。誰か佐那の三尺の木刀を持ってきて」


はい、と佐那さん本人が自分の木刀を持ってきます。


これを振ってというので、持ってみる。重い。これを女の子が振っているのか。


振り下ろすと、型が極まらないで少し流れてしまう。その時、クスっと佐那が笑ったのを見ました。


「宜しい。それでは、正式に入門を認めましょう。こちらも丁度、佐那の稽古相手が欲しかったところです。

帰りに、ここから少し北に歩いた伊勢屋で稽古着と三尺の木刀、竹刀、防具を買ってください。竹刀は袋竹刀で」


半蔵君の父上、かかりはこうなっていますと、紙を一枚渡されて、それには入門料から月謝、年間スケジュールなどが書いてありました。


その晩、佐那に笑われたことが悔しくて眠れず、買ってもらったばかりの木刀を持って庭に出て、素振りをしたのを覚えています。犬の早太郎に吠えられて、すぐにやめたけど。



桶町千葉道場は定吉先生のお人柄か、本当に門人が多くて、しかも町人の門人も多くて、とっても活気があります。


どんどん人が増えるので、すぐ隣の土地も借りて、大きな道場を建設中です。これがうるさかった理由でした。


人が増える理由は他にもありました。千葉道場では三年で目録がもらえる、という噂です。


他の道場では技を見て覚える必要のある六十八手の基本技を、千葉では言葉で教えていました。


先手技には返し技など、練習の目標がハッキリ見えるのです。


この合理的な指導方法で、玄武舘と桶町千葉は門人を増やしているのでした。



稽古は早朝の掃除から始まります。


これは併設している寄宿舎に住み込んでいる門人が行うのですが、私は家が近いので掃除から参加することにしました。


箒で掃いた後、床板の雑巾がけです。家ではやったことがないので新鮮でした。


そして、通いの門人が集まるまで、広い庭に出て木刀で素振り。道場内はケガの予防で木刀禁止です。


道場で稽古するときは防具をつけて三尺六寸の四つ割り竹刀を使います。私はそれより柔らかいと云われている袋竹刀。


袋竹刀の歴史は古くて、徳川幕府ができる前からあったそうです。


一本の竹の先、刀の刃にあたる部分をササラにして皮の袋に納めます。


ササラの本数で硬さが選べるようですが、道具屋で子供用は十六本と言われて買いました。


大人用はササラ八本で、少し硬くなります。耐久性に難がありました。


四つ割り竹刀は四本の割った竹を、ささくれが出ないように面取りして纏めて剣先と柄(つか)だけ皮袋に納め、中ほどを皮紐で縛ったものです。


木刀より安全で、袋竹刀より真剣の感覚に近い手ごたえがあるそうです。


木製や金属製の鍔(つば)をつけて打ち合います。耐久性はかなり上がりました。


昔は木刀で打ち合い稽古をした為、防具をつけてても骨折や死亡事故が多かったそうです。


宮本武蔵は木刀で、真剣の佐々木小次郎を倒しましたよね。


防具の進化は最近で、漆塗りで固めた丸胴や、頭とノドを守るお鉢被りに面金がついたのは、ほんの十五年前だそうです。


面金のおかげで、突き技の練習ができるようになりました。


ノドを狙う突き技ですが、狙いがずれて素顔を突かれるのは恐ろしいし、失明もあったそうです。


お鉢被りはチョン髷の上から被るので、髷が潰れてしまいます。


普通は髷をほどいて後ろに垂らし、手拭いを頭に巻いてからお鉢面を被ります。


稽古後に面を脱いでから髷を結いなおすのが面倒なので、住み込みの門人は総髪にしている人が多いです。


剣豪の写真などに総髪が多いのも、のちの新撰組隊士に総髪が多いのも、普段道場で防具をつけて竹刀稽古をしていたためです。



ここで四つ割り竹刀の歴史を、銀次さんに紹介してもらいましょう。


「天保三年(1832年)の秋の事。筑後梁川藩から、めっぽう強い剣豪が江戸に現れた。


大石進というこの御仁、背は七尺(2メートル越え)というデカさ。自前の竹刀は四つ割りで、長さが五尺三寸(160センチ)もある。


この人が江戸三大道場で道場破りだ。一手御指南と言いながら道場に上がると、見せたのは槍術の附(つけ)という構え。左利きで腕も長い。その先の長い竹刀がノドを狙う。


迎え撃つのは鏡新明智流・士学館の館主桃井春蔵。得物はその頃江戸でも普及しだした四つ割り竹刀三尺八寸。


双方防具に身を固めた試合だったが、蹲踞(そんきょ)をしてみると、桃井、正眼に構えるも間合いが取れない。相手が遠すぎるのだ。


すると電光石火、大音声でエイと叫んだ大石の左一本突きが、すっと伸びて、桃井のノドを捉えた。


次の瞬間吹っ飛んだ桃井の体は道場の羽目板でドスン。白目を剥いた。


大石は玄武舘千葉道場では弟の定吉を破り、練兵館では館主斎藤弥九郎をも破ってしまい、連戦連勝。


江戸剣術界をパニックに陥れ、庶民は大喝采。これを書いた読売も完売だ。


三大道場弱いじゃん、と門人流出止まらず。


何とか名誉挽回を図った玄武舘。大石に再戦を申し入れると、工夫を重ねた館主千葉周作は、酒樽(四斗樽)の蓋をそのままくっつけた、バカでかい鍔(つば)の竹刀を用意。


大石の必殺片手突きを物理的に防ぎ、ようやく引き分けに持ち込んだが、みっともない、実戦向きでないと世間の失笑を買ってしまう。


そこに現れたのは直新陰流・剣聖と呼ばれた男谷精一郎だ。


男谷は大石の突きを、首を素早く振ることで躱(かわ)し、とうとう大石から面一本を取ったのだ。


なんと予想外、次の日も現れた大石は再び男谷と対戦。首を振る先を読んで竹刀を突き刺した。


男谷は無念にも敗れ、これで一勝一敗の引き分けとなった。


これが歴史に残る名勝負と言われる、大石が江戸で初めて負けた試合だ。


剣術界の面目を保ったのが、孤高の剣士・天真一刀流中西道場の白井亨だ。


五十一歳という高齢にも関わらず、無敵大石に挑戦する。


白井は大石の長竹刀に対し、なんと真逆の短い竹刀(三六とも三二とも言われた)を用意する。


大石の弱点は、皆の恐れるあの長い竹刀だ、懐に入ってしまえば勝てる、と見切った白井は、変幻の間合い術「八寸の延金」を身につけていたのだ。


勝負当日の中西道場は、この世紀の一戦を見ようとする参観者で超満員だ。


試合が始まる。白井は長竹刀意に介せずと、するすると間合いをつめる。


大石が必殺の片手突きを繰り出す。


その剣先を鮮やかに躱した白井が、大石が長竹刀を引き戻すよりも早く一気に懐へ入る。


この動きが白井得意の「八寸の延金」だ。勝負あり。


身動きの取れない大石が、簡単に二本取られてしまった。参りました、頭を下げる大石。


観客の大喝采。白井亨の大金星だ。


その後、大石進は男谷精一朗に推薦されて幕府の剣術指南になったため、民衆が大石の剣術を見ることは無くなったのさ。


さて、直後に江戸で流行ったのが、やたらに長い竹刀、大石のマネ。五尺も六尺もある竹刀で、槍術でもないのに突きばかり練習する門人が増えた。


困った道場主が相談して、竹刀の長さを現状の三八に規制する。


四つ割り竹刀の歴史はこんなもんです」


のちに勝海舟(男谷精一朗門下)は大石の江戸三大道場破りを、ペリー来航より江戸庶民を騒がせたと言っています。



次回は何故か手裏剣の話。

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