裁縫の腕・・・暦あれこれ
今回はお城の大火で儲ける庶民の話と、和暦の話です。和暦は覚えてしまえば簡単。江戸庶民になったつもりでお気軽に。
三井越後屋(現在の三越です)で、お針子の臨時雇いをする。
その給金が日当銀五匁(1万5千円)という、ビックリするような話を和香ねえが聞いてきました。
焼け出された大奥の人たちが、着替えもなくて困っている。古着ってわけにもいかない。
今月二十日までに千着の新品の着物を納められるお店を探したら、三井越後屋が手を挙げたのです。
もちろん、呉服店は生地は大量に在庫していますが、この時代、着物は主婦が縫うものでした。
打掛は縫ったことありませんが、御用装束や小袖なら、うちでもしょっちゅう縫ってます。
運針の試験があるそうです。うちからも十一歳になる志乃と、二十歳になる女中のお文が応募することになりました。
母上も行く気満々でしたが、昨年生まれたばかりの、まだ一歳の末っ子を置いて出るわけにもいきません。
越後屋の店舗家屋は広大なものです。そこに身分を問わず二千人近くのお針子を集めました。
越後屋は知恵者です。能力別に「裁断担当」「縫製担当(直線縫い・仕上げ)」などと完全に分業化させ、二十四時間交代のフル回転で縫い上げさせました。
我が家の稼ぎ手も無事この中に入り、志乃は直線縫い担当、お文は仕上げ担当だったそうです。
今まで経験したことのないスピードで仕事するという体験です。
一日おき、朝六つ(6時)から出仕して、途中食事や休憩はあるけれど、翌朝まで仕事です。実働三日で帰ってきて、姉はそのあと二日寝込みました。お金を稼ぐのは大変です。
越後屋は、このライン生産方式で、期日までに江戸城仮御所に衣服を納品することが出来、幕府から大変感謝され、面目躍如したのでした。
後日談ですが、銀次さん情報では、越後屋は、さすがに人件費がかさみ、利益はあまり出なかったそうです。真の狙いは、幕府との取引額を大きく上げて為替御用達(両替商)になることだったそうです。
暦あれこれ
和香ねえが、明日はどうしても外せない用事で寺子屋が出来ないという。
それじゃあってことで、私が一日教鞭を取ることになりました。一日教師の半蔵です。
皆に、何を教えられるか考えました。暦の話でもしよう。
「和香先生が休みなら、休講でいいじゃん」
外で遊ぼう、毬投げしよう、チャンバラがいい、皆勝手なことを言います。
「この中で、時刻を知ってる人」
「時刻なんて、お寺が鐘の数で教えてくれるでしょ」
「じゃあ、時が進むのに、なんで鐘の数は減るのかな」
この時代の時刻の数え方。日の出が明け六つ(午前6時ころ)、日の入りが暮れ六つ(午後6時ころ)で、午前8時が朝五つ、午前10時が昼四つ。
ところが12時になると昼九つになり、午後2時は昼八つ(おやつはここから)午後4時が夕七つ。そして午後6時が暮れ六つ。
九から四まで減っていって、また九に戻る。とても覚えにくい数え方です。
『お江戸日本橋七つ立ち』は午前四時ころの早朝の旅立ちを示します。
「誰か偉い人が考えたんでしょ。それでいいじゃん」
「分かると面白いぞ。これは昔から伝わる陰陽道っていう学問で、一番おめでたい数字が9だったことから始まるんだ。
9かける1は9、9かける2は18、9かける3は27、順に言って」
「9かける4は36、9かける5は45、9かける6は54」
「そこまで、それで一の位を見てみると」
「九、八、七、六、五、四」
「これを時を数える基にしたんだ。だから本当は増えてるけど、お寺の鐘を五十四回も鳴らしたら、数えられないだろ。だから一の位だけで済ましてる」
「へえ、そういうことか。おめでたさの重ねだ」
「面白いでしょう。これは人に言えば関心される程の知識。これから役立つことを言うよ。夜になるとお月様見えるでしょ(昼も見えるけどね)」
「この、月の満ち欠けで日にちが分かるんだ」
「ちょっと聞いたことある。満月は十五夜だって」
「そう。満月は十五日。真っ暗な新月は一日。(この時代は太陰暦)
ひと月は三十日だから、お月様が段々太ってきたら一日から二日、三日と進んでいき、満月になれば十五日、それから痩せていくと十六日、十七日、十八日。暗くなるほどに月末に近づく。
だから、お月様を見れば日付が大体わかる。八五郎さんなんか、頻繁に質屋を使ってるだろ。
月末には質草が流れてしまうから、満月を過ぎると急に働き者になる。知ってしまえば、便利だろ」
「だから新月から満月の間は仕事もしないで酒飲んでる(笑)」
昔は天を見上げれば今日は何日か知ることが出来たんです。便利な時代。
でも、毎月を三十日にすると、一年は三百六十日。五日ずつ暦がズレてしまうから、大体六年ごとに閏月を作るわけです。
これは幕府天文方の仕事です。
次回はいよいよ千葉佐那が登場します。北辰一刀流桶町千葉道場の一人娘、鬼小町と呼ばれた美人です。




