お城の大火事
本当にあった江戸城大火の話です。
天保十五年五月十日の夕方、外がとてもきな臭いので姉の寺小屋から庭に飛び出しました。
千代田のお城の方から、すごい煙が出ています。でも、半鐘は聞こえません。不気味なくらい静かです。
母上も出てきました。お城が火事なのでしょうか。今日は父上の登城日です。
「母上、なぜ半鐘が鳴らないのですか」
「町場の火事ではないということでしょう。ああ、火が出てきた。」
見ると、いつもは堂々と天にそびえる富士見櫓から、火の手が上がっています。こんな大きな火事なのに、町はとても静かです。もう違和感ありまくり。
「お城の火事は所々火消しの担当だから、半鐘も鳴らさないのね」
和香ねえが物知り顔で言います。母はもう涙目になって志乃ねえと抱き合っています。
「お父様は大丈夫でしょうか」
「お城は広いから、避難の仕様があるでしょうけど、心配よね」
お城は家から半里(2キロメートル、歩いて30分)ほどの距離で、お堀もあるし、こちらまで火がまわる心配はないでしょう。
とうとう兼吉お爺様まで庭に出てきました。
「昔、振り袖火事で千代田のお城が燃えてから(明暦三年、江戸の町の六割が灰になって十万人の死者が出た大火事)、屋根を銅瓦にし、火よけの仕切り壁を銅板にして、渡り廊下まで漆喰の厚塗りで火事に備えてきたのにのう。
これだけの大火は二百年ぶりじゃな。外からの防火対策はしっかりしていたから、大奥からの出火かもしれん。書院は大奥や天守台から離れているし、南風だから春蔵は何とか非難出来るじゃろう」
それにしても上様(将軍の親しい呼び名)ご家族が心配ですね、と皆が話し合っている時、お城では大変なことが起きていました。
お爺様はするどいです。この火事は大奥の衣裳部屋から出火したものでした。奥まった暗い部屋で、行灯でも倒したのでしょうか。
父上は白書院控えの間で、きな臭さを感じました。同僚たちも同じですが、お役目中ですから騒ぐわけにはいきません。
「お火を大事に(城中の火災の隠語)」誰かが叫んで、皆我に返りました。
代表が組長の辺見様までお伺いに行くことになり、そのうち廊下で走る音、気温が上がってきた気がします。白書院室内の話し声も大きくなってきました。
「大奥に火がまわってる。ご老中たちが、本丸を捨てる決定をしたぞ。上様や奥方様も西の丸に避難なされる。」
「我々は何をすれば」
「いずれここも火がまわるが、その前に、すべての書院の畳を吹上御庭に持っていくことになったぞ。2人組になり畳を上げて、抱えて走るのだ」
吹上御庭は、現在の陛下の御所も建っていなかった、本丸からほど近い、最も広いお庭でした。
江戸城の畳は本床の京間仕様(ひと回り大きい)、一枚四十キロもあります。これを抱えて素早く運ぶのは大抵でありません。
しかも火消しが龍吐水(消火ポンプ)で水をかけるものだから、重いったら。
これを何百枚も運んだのです。指先はしびれ腕はパンパン。手桶の水で冷やしながら命令遂行です。
本丸は大奥とつながっていて、火の回りが早いです。畳を運んでいる最中に、大屋根の崩れる音と地響きを聞きました。
土埃で先が見えない。この世の地獄。徳川様の世が崩れていくような気分です。
上様ご家族や大奥のお小姓以上は西の丸に入り、下位の女官や役人は、露天の吹上御庭に避難させることになりました。
我々は書院の畳を吹上御庭に持っていき、敷き詰めて一時避難所を作るのだそうです。
皆、着の身着のままで避難されるので、お庭を即席の座敷にしないと、おみ足が汚れる。座ることもできない。誰が気をまわすのでしょう、そんな事。
父上も袴の股立ちひもで着物の袖をたすき掛けにして、汗みどろで一生懸命畳を運んだそうです。
そのうち火の粉やススが降ってきて、真っ黒になった顔・顔・顔。友にあっても誰だか分からない。
熱さの限界まで畳運び。夜中までかかりました。西の丸から炊き出しの握り飯。やっと一息。
その後白書院も黒書院も、延焼を防ぐために所々火消しが打ちこわしました。
あの書院の美しい格天井。忠臣蔵のきっかけになった松の廊下も失われてしまいました。
お金蔵は地下の石垣に囲まれていて絶対火がまわらない構造。
武器や火薬は御殿から離れていて、漆喰で固められた土蔵の中、屋根は銅葺きの完全耐火構造なので、火を逃れられました。
吹上御庭に避難してきた女官達は数十人。ボロボロの着物そして、皆泣いています。
「お目見え以下の女たちは決まった出入り口があるのです」
上お鈴廊下は西の丸につながっているけど、そこは私たち下賤の者は通れないんです。
下お鈴廊下は広敷に出るところで、私たちはそこ以外通っちゃいけないんです。
「その勝手口に何百人も押しかけて、将棋倒しが起こって」
「助けて、って叫べないほど人が折り重なって、這い出る力も弱くて。痛い、苦しい、息ができないって声が、だんだん弱くなって」
「定火消には力の強い若いもんが沢山いるだろう」
「大奥に男の人は入っちゃいけないんです!」
なんという悲劇でしょう。この火災で、大奥だけで千人もの犠牲者を出しました。
翌日火災が鎮火したあと、父上たちは吹上御庭の畳の上に、ご遺体を並べたそうです。
皆若くて、服も燃えていなくて、ただ死んでる。
ご遺体を運ぶ者、顔に布をかける者、名前を確認する者。皆無言です。
奥方様や大奥の御年寄も一度顔を見せましたが、膨大な死者を前にただ手を合わせるだけでした。
「どうにかできなかったかねぇ」
「指示を出す上の人間が先に避難してたそうです」
「ちっ、やり切れねえな」
「畳は役に立ちましたよ。ご遺体を直に地面に置かなくて済みました」
「もっと他にやり様があったろうに、つまらねえ仕事したな」
翌日には手配したのでしょう、ご遺体に白い布を被せて、臭わないように大量の梻の枝葉で覆われました。
武家の女中になるというのは、立派な花嫁修業です。大奥に入るというのは、とてつもないブランドだったのです。
連絡を受けた両親がご遺体を引き取りに来る、大八車に棺桶を乗せた行列が六日も続いたそうです。
その為夜明けから日没まで、江戸城の乾門を開きました。
行列に並んでいたのは関東近隣の豪農ばかりでした。
自分の娘を確認すると、ひとしきり泣いた後、棺桶に入れます。
丸い樽状の座棺に入るように、硬直した娘の体を無理やり曲げます。
この時骨が折れる音が周囲に響くのです。それで母親などは、もう一度泣き崩れてしまいます。
父上は火事の二日後に、ボロボロの服で帰ってきました。
しばらく、家族の誰とも話をしませんでした。
次回はこの火事で儲けた庶民の話。




