73 黒猫、捕食者に囲まれて
腰に回された手を振りほどこうとしたが、強い力でホールドされていて離してくれそうにない。
「離し――」
「駄目だ」
かぶせるように拒否されてしまい言葉を失う。
何なのこれ、さっきからずっと公開処刑が続いているんだけど。
見ないふりをしていたけど、いつまでもこのままというわけにはいかないと、恐る恐る目線を上げて変態を見やる。
今にでも消してやるぞみたいな形相をしていたけど、私と視線がぶつかった瞬間その相好を崩した。
殺気に満ちた気配も居心地悪かったけど、これはこれでものすごく嫌だな。
気分はキツネに囲まれたウサギ、だわ。
食われるか逃げるか。逃げたいに決まってる。
「リヴを倒す方法について、か。何か策はあるのか」
「……手帳は?」
幾分か棘が取れた声音で口火を切る変態に答えず、マレムは私に問うた。
手帳って、あれか。あのお惚気手帳。一応持ち歩くようにはしている。
例の銃とともに今日はショルダーバッグの中に入れてあったので、動きにくい中取り出してマレムに手渡した。
「見ろ」
「……サラから直接受け取りたかった」
マレムから手帳を受け取った変態は文句を言いながらも手帳を開き目を落とす。
……発言がいちいち気に障るな、変態め。
馬の準備が整ったのかようやくゆっくりと馬車が動き出した。
変態は手帳を読み込んでいるみたいだし、特に話す気にもならない。現実逃避を兼ねて窓の外を流れていく風景を眺めることにした。
街道沿いは花壇が整備されていて黄色とオレンジの小花がぽんぽんと咲いていてかわいらしい。
行きは行きで地獄だったから、こうやって自然を眺められる分今の方がマシなのかもしれない。
ぼーっとしていたら、突然マレムが顔を寄せてきた。
「結婚式の時に髪にさしてたのと同じ色合いだな」
「ひっ」
耳元で囁かれた声に驚いて身じろぎしたが抱えられているせいで動くことができない。
な、なんで、耳元! ぞわっとした!
声にならず睨みつけるにも私のこめかみに額が軽く触れるほどの距離では視線が合わない。
近い! こんなに近くに寄ってくることなんて今までないのに! 変態への嫌がらせだとはわかるけどここまでやる!?
「あ、あれとは種類が、ち、違うし」
「ああいう色が好きなのか」
「……ち、違、わないけど……」
侍女さんが用意してくれたお花だったし、特に好きな色を伝えたこともなかった。でも言われてみれば確かに私の好きな色だ。――偶然かもしれないけど、侍女さんにはわかっていたかもってことか。すごいな侍女さん。
「サラの好きな色すら知らないのか」
変態が本に視線を落としたまま涼しい声で言ってくる。が、冷静なのは声音だけで、本を掴む手が手記を二つ折りにしてしまいそうなほど力がこもっているのがみてとれた。
大事なものなのに、何てことしやがるんだ、この変態は。
このままでは破れてしまうと危機感を覚えて変態の手から取り上げようと手を伸ばそうとしたが、マレムに手首をつかまれてしまった。
「触んな」
「って言われても、破壊されちゃう!」
「元大神官殿、妻の大事なものを破壊しないでいただけますか」
「うぐぐぐ……」
逃げちゃだめかな。走ってる馬車の扉を開けて飛び降りるの、無理かな。
「サラの好きなものすら何一つ知らないくせに」
「嫌いなものならわかるけどな」
「嫌いなもの?」
私が嫌いなものをこの人が把握してるっていうのも、不思議な感じがして聞き返してしまった。
なんでだろう、この人絶対私の好悪なんかに興味ないと思ってた。
「まずこの変態」
当たってるけど! 指を突き付けられている変態の表情が消え失せていて怖いからできれば言わないでほしかった。
「それから、肉塊貴族」
確かにそれも嫌い。もう忘却しかけてたけど。このまま忘れていたかった。
「あとは、聖騎士か?」
変態がはっとして顔をあげた。
嫌いというか、怖い、なんだけど。まるで意外といわんばかりの変態の反応を見る限りそうは思われていなかったようだ。
「……なるほど、確かにあの状況ではそうなるか」
「今までわかってなかったの?」
「君しか見えていなかったから」
「やべえぞ、こいつ」
耳打ちされなくたって変態がやばいことぐらいわかってる。
密着するのもそろそろ勘弁願いたい。
「……それで、この手記は? ストラス=ルグランの熱い気持ちには共感はするが」
「そっちじゃねえ! 後半だ後半」
先に言わないとわかんないと思うけど、それより変態はアレに共感しちゃうんだ。ってことはストラス=ルグランって変態と同類なのかな。それ私の先祖になるはずだからそれの血を継いでいる? うげ、かなり嫌だわ。
「後半……? 術式か」
変態も一目見ただけでそれが何かがわかるんだ。
魔法を使える人間からすると普通にわかるものなのかもしれない。
「……妻がどこにいるか一瞬でわかる魔法?」
「そんなのも書いてあるの!?」
「……サラにこの術式を施しているのか」
ちょ! え!? 私そんな変態的な追跡魔法かけられてる!?
驚いてマレムを見ようとしたが、やっぱり近すぎるし動けない。ただ、小さな笑いを漏らしたのはわかった。
「んな大層な魔法行使しなくても、単純な追跡魔法で十分だろ」
「はあ!?」
「確かに。こんなに魔力を使わずともサラがどこで何をしているかなんて――」
「待って! なんか薄気味悪いんだけど、それ!」
もしかしたら魔法でストーキングされているのかもな、と思っていたけど、やってんの、本当に?
「さすがに、見るべきでないと思ったらちゃんと閉じている」
「……」
「結婚式、とても綺麗だった」
かすかに微笑んで言われて、ぶわっと全身に鳥肌が立ったのがわかった。
怖い!何かものすごく怖い!
「すぐにあの猫に隠ぺいしてもらえ」
「そうする」
再度耳元で囁かれた言葉に、素直にうなずいた。これはもうセレに全力で助けを乞うしかない。
「三つ前の奴を見ろ!」
「最初から広げて渡せば良かったんじゃないの」
この気持ち悪いやりとりを削減できたでしょ、と文句を言うががっちりつかまれた手を離してくれないし、顔だって近いまま。不快すぎる。
嫌いなものに「過度なスキンシップ」と加えたい。
「荒野の呪いから身を隠す? 呪い?」
「……本当に、知らされてねーんだな」
例の魔法に思わずといった様子でこぼした変態の言葉に、マレムが呆れたような声音で独り言のように呟いた。そうか、この変態、その辺の事情を全然知らされてないのか。
「リヴが人の体を乗っ取る魔法を使うことは知ってるんだよな」
「……さすがにそれは知らされた。嫌というほど。今のリヴは私の祖母に当たる人物を乗っ取った――ああ、今はネリエルを乗っ取っているんだろう?」
その辺は知っている、と。どうして変態がそれ知っているのかはこの際どうでもいい。触れないでおく。憶測もいらない。
「あれは禁呪――ってそれも見てたんだろどうせ」
「ああ、代償として荒野を作りだした――荒野とは一体何なんだ?」
見てたって! 否定しないって! いや、もうそれはこの際どうだっていい。考えたくない。
「精霊の住まう大地だ」
「――なるほど」
今ので納得できるのは何で? 私は全然わからないままなんだけど。
「リヴが魔力を吸い上げ、呪いの地に変わり、そしてその罪を魔法王国になすりつけた、と」
「そーいうことだ」
「だから、魔法王国の末裔であるサラにその呪いが? この魔法を施したのか」
「ああ」
「サラ手を見せて」
変態が手を差し出してくるが、断固拒否に決まってる。触られたくない。
色々お察ししたくない事柄ばかりで気を抜くと吐きそう。
かたくなに手を見せない私の手を変態が無理やり掴むとそっと引き寄せた。
「ひぃ!」
「おい――」
「なるほど、完璧な術式の行使だな。希代の天才などと言われるだけはある」
「……」
変態が人でなしを褒めてる!?
ありえないやりとりに手を引っ込めることも忘れぽかんとしてしまった。マレムも同じ感情なのか、文句を引っ込めて目を見開いて変態を見ている。
「国王の犬と揶揄したことを詫びるべきか。ね、サラ?」
「うげええええ!」
手にした私の腕をまじまじと見つめていたかと思ったら、変態は素早く手を返して私の手のひらに口づけを落とした。
気色の悪い感触にかわいくない悲鳴をあげながら手を振り回せば、触れていただけの変態の手からは簡単に逃れることができた。が。
「てめえ!」
馬車の中の空気が一気に重くなって息苦しくなる。マレムが怒るとこうなるのはわかってるけど。
もうやだ。本当に嫌だ! この二人と一緒の空間にいるのも、動けないほどホールドされているのも、変態が変態なのも! もう耐えられない!
「いい加減にしろ!」
渾身の力を込めてマレムの手を払いながら立ち上がり、力の限り叫ぶ。
どこかで、破裂音が鳴り響いているように聞こえたのは私の堪忍袋の緒が切れた音だったのかもしれない。
もう無理。
逃げられないなら、この場で二人とも殺る! それでセレとミレイとランドと一緒に逃げる! 絶対に逃げる!
隠してある毒の入ったペンに手を伸ばしかけたその時、突然馬車が減速した。
やばい、転がるじゃなくて吹っ飛ぶ! と思った瞬間再び腰回りに手を回され引き寄せられた。マレムに。
「あっぶねえ!」
「……あ、ありがと……」
私が押し倒したような形になってしまっていることに気づき、慌てて体を離す。今度はすぐに手を離してくれた。
座りなおして変態を見やれば驚いている様子を隠そうともしていない。
「今のは……?」
「魔力の暴発だ。少ない魔力で命拾いしたな、お互い」
魔力の暴発?
「お前だ、お前の魔力。――そういや、制御の仕方をおしえてなかったな」
「私? 制御?」
マレムが何を言っているかわからない。何か感覚がふわふわしていて頭がうまく回らない。
私が、魔力を暴走させた?
魔力なんて――あ、そういえば、マレムがセレに魔力を注いでいる分の余剰分が私の中にあるって言ってたような。私の魔力が? え、何それ?
「感情が高ぶると制御しきれなくなることがある。今ブチ切れてただろ?」
「……あんたやお義母様みたいに?」
怒ると重苦しい空気を発するんだった、この人。お義母様はなんか空気がピリピリしてたっけ。制御しきれなくて起こるのか。
さっきの破裂音は、私のそれってこと?
あ、やばい。だんだん眠くなってきた。気を抜くと寝そう。
でもこの二人がいる空間で寝てしまうのは何だか危ない気がする。貞操的にも精神的にも。
「若奥様! ご無事ですか!」
必死で睡魔に抗っていると、御者さんが勢いよく扉を開けた。
おかげで少し睡魔から抜け出すことができた。
「突然大きな破裂音が聞こえたのですが、何かあったのですか! 急に止まってしまいましたが、お怪我は!?」
私よりは年上だと思うけど御者さんは結構若い。
明らかにやばいと思っているのか蒼ざめた顔をしているのが見ただけでわかる。
「なんでこいつの心配だけなんだよ……」
「人徳じゃないのか」
「奥様と侍女長様から何があっても若奥様だけは無事にお運びするようにと言われておりまして……」
私だけ、か。ちらっとマレムを見る。まだ続いてるのかな、使用人さんたちの反抗。さらっと変態もひどいこと言ってるし……。
てか、お義母様もか。実の子なのに。
それよりまた減給とか言い出す前に止めないと。って思うんだけど、やっぱりなんだか頭がぼんやりして動けそうにない。
「問題ない、さっさと出せ」
「しかし、坊ちゃまのいうことは聞くなと言われておりまして」
ひどい!
「大丈夫なんで、言うこときいてあげてください……」
「かしこまりました!」
仕方なくそう言うと、御者さんは元気にお辞儀をして扉を閉めた。
何だかなあ。
閉じられた扉に、マレムは深いため息をつきながら、私に顔を向けた。
「魔力を使い切ったんだ。だるいんだろ、寝とけ」
「でも」
こっそり変態を見やる。まだ驚きから抜け切れてないみたいだけど。あれがいる空間で眠るって結構怖い。ちょっとしたトラウマだ。
「いいから寝とけ。見張っておくから」
「ああ、うん」
そっか。この人がいる場所が安心できる場所なんだった。
納得して目を閉じれば、そのまま意識が遠のいていった。




