66 まるで何かがあったかのような
目を開ければ部屋の中が明るい。
差し込む光の角度から早朝ってことはなさそうだけど、まだ朝といえる時間なんだろう。
気配に視線を向ければ寝入っているマレムの姿が目に映る。
あ、こいつもぐっすり眠ってたのか。せめて着替えさせればよかったかな、なんて思いながらその横顔をぼーっと見ていたら突然その顔が私の方を向いた。
「起きた?」
ゆっくりと目が開く。この間みたいに寝てるふりをしてたってわけじゃなくて、本当に今目覚めたのかな。
マレムはしばらくぼんやりと私を見ていたが、突然はっと、我に返ったように起き上がった。
「……どこだここ?」
「私の部屋」
正確に言えば部屋じゃない。客室だけど。
「の、ベッド上」
「――ベッド?」
マレムは寝転がったままの私をじっと見降ろしてすぐに目をそらして何かを考えているような素振りをみせた。
「??」
「もしかして記憶ないの?」
「……ああ」
どこまで記憶があって、どこから記憶がないのか。気持ち悪いとは言っていたけど、結構深酒だったのかな。記憶を飛ばすほど酔っている風には見えなかったからちょっとだけ意外だ。
記憶がなくなっても困るようなことはなかった、はず?
何だかかなり深刻そうに眉間に皺を寄せているから、何か思い違いをしている気がした。
「えぇっと、間違いは犯してないから」
「間違い?」
「酔った勢いとかそういう間違いはないから安心して」
安心させるつもりで言ったが、余計微妙そうな顔つきになってしまった。
「酔いつぶれるのは、アウトだろ」
「結婚式緊張したし、女神も来てたし、疲れてたんでしょ」
「何で仲良く並んで寝てるんだよ」
「眠かったから」
ソファで寝るよりちゃんとベッドで足を伸ばして寝たかったの。っていうのは言い訳にもならないかな。
「いいじゃない、夫婦なんだし」
「拒否っといてそれを言うか?」
「それは覚えてるの!?」
「やっぱり拒否ったのか」
うわあ、カマをかけたのか。嫌な感じ。
「まずは女神を何とかしてからでしょ、あんたの好きな子作りは」
「その言い方はやや語弊があるからやめろ」
語弊はないと思うけど。
部屋に戻るそぶりも見せないマレムに、とりあえず汗を流してくれば、と勧めれば素直に従ったのでちょっとだけ驚いた。
得意の「うるせえ」も言わずに浴室に消えていく後姿を確認してから、初めて使う呼び出しベルを鳴らしてみた。
しばらく待てば顔見知りの侍女さんがやってきた。
「大丈夫ですか?」
「え? 何が?」
何のことかわからず肩を竦めておく。
マレムの着替えをお願いしたら部屋のクローゼットに案内された。なんで男物の下着まで用意されてるの? と少しだけ疑問に思ったけれど、下着とシャツとスラックスを浴室に投げ込んでおいた。
侍女さんは退室する際に昨夜マレムが持ってきた食事とお酒が入ったバスケットも一緒に下げてくれる。
そういえば今朝はミレイが来ないな。セレも戻ってきていない。
気づかないふりを続けようと思ったけど、これはあれか。
事後の対応だ。
侍女さんたちはともかく、ミレイやセレはぜったいそんなことはありえないってわかっているはずなのに何で?
モヤモヤしながらもクローゼットから適当なシャツとスカートを出して私も着替えを済ませて、気を紛らす意味で髪を編みあげてみた。きっちりとした三つ編みができあがり、すぐにほどいて、緩く編み直す。
これは、もう、ちょっと、なんていうか、否定したい!
恥ずかしさで暴れだしそうになるのを我慢していたらノック音が聞こえた。
「どうぞ」
「朝から悪い、サラ、マレムさんいるだろ?」
心底申し訳なさそうに部屋に入ってきたのはランドだ。
なんで奴がここにいるってわかるの? って答えはわかるけど、否定する機会ほしい!
「浴室」
「そうか。じゃあ、ちょっと待たせてくれ」
「普通に対応しないで! 何にもないから! 酔いつぶれただけ!」
「ああ! そうなんだ、よかったな? でいいのか?」
打って変わっていつもの調子に戻るランドには呆れて何も言えない。
「皆何かあって当然みたいな対応してるけど、何にもなかったの! っていうかあってたまるか!」
「そろそろ覚悟決めろよ。結婚したんだからさ」
「う、まあ、そうだけど」
常識的に言えばそうなんだけど。
その常識、私には当てはまらないと思いたいんだけど、やっぱ駄目?
「女神を何とかしないと安心できないっていうか」
「聞いた。えぐいよなあの女神。やってることが狡い」
私を見逃す代わりに私の将来生まれる子を差し出せってことでしょ、あの女神の言い分は。
思い返せばムカムカする。
まだ影も形もないけど、子供でしょ? 私の子。差し出せるわけがない。
そうやって私を苦しめて苦しめて追い詰めて、女神は私に恨みでもあるのだろうか。
「あ、おはようございます」
浴室から出てきたマレムに気づくと、ランドは突撃する勢いで近寄って行った。
マレムがものすごく嫌そうな顔をしたのですこしだけ愉快だった。
嫌がる顔が見たいって、ちょっと変態チックかもしれない。
「準備できてますよ」
「準備?」
ランドの言葉に思わず口を挟んでしまった。
昨日の今日でまた仕事なんだろうか。国王の番犬を名乗るのも大変よね、ぐらいの気持ちだった。が。
「わかった。おい、行くぞ」
マレムはランドに頷くと、何でか私に向かって呼びかけた。
え? 私? 行く? どこに?
「馬車じゃないの!?」
「この方が速い」
担ぎあげられるように馬に乗せられ王都のメイン通りを駆け抜けてあっという間に王都の外へ出て街道をひた走り。
「ど、どこに行くの?」
かなり速い速度で駆ける馬に乗るなんてはじめてで、振り落とされないように必死だ。
後ろからマレムが抱えるように支えていてくれるけどそんなの心許なくて仕方ない。めっちゃ怖いんだけど!
「精霊の森」
「な、それ、どこにあるのぉ!?」
「王都のすぐ傍」
すぐ傍って、本当に傍だよねえ!?
必死で落ちないように馬のたてがみを掴みそうになって、さすがにそれは馬がかわいそうだと何とかこらえる。
馬なんて乗ったこと――あ、一度はあったか。あの時は追われていて必死だったから落馬の恐怖なんて考えなかったけど。
悲鳴を飲みこみながらも疾走していれば、何やら森の入口のようなところに辿り着いた。
確かに、王都のすぐ傍だった。けど。
マレムに馬から下ろしてもらってその場にへたりこむ。
「情けねえな」
「何の説明もなしに馬に乗せといてそういうこと言う!?」
へたり込んでいる私を置いて、マレムは乗ってきた馬を連れて離れて行ってしまった。置き去りか? と一瞬怒りが込み上げてきたが、単に馬を繋ぐためだったようで、木の幹に馬をつなぐとすぐに戻ってきた。
手を差し伸べられることもなく、無言で横に立つマレムを見やって私も無言で立ち上がる。色々思うことはあるけれど口には出すまい。
前方の道が続き先は木々に覆われていて一見暗い。
これが精霊の森なのか。
よく見ると、魔力なのだろうか、全体的にぼんやりとした光で満たされているのがわかる。
精霊という名前を冠している理由を一瞬で理解した。なるほど、神秘の森だ。
「持っとけ」
そう言って横から渡されたのは昨日結婚式で交換した花冠だった。
長持ちする魔法がかけられているためか、まだ青々としていて、新鮮そのもの。
受け取ったはいいけど、これどうすんの?
「精霊に捧げるって言ってたっけ?」
てっきりセレにお供えして終わりかと思ってたけど、やっぱり違うのか。
ここが『精霊の森』ってことは、森のどこかに捧げる場所がある、とか?
「こっちだ」
マレムは私の問いかけには応えてくれるつもりはないみたい。そう言い放って私に背を向けるように森の中へ続く道を進んで行ってしまった。
もうちょっと気遣いがほしい。なんて、思うのは我儘なのだろうか。
だけど、それを言ったところで改善されるわけもないから、黙って後ろをついていくしかない。
ちょっとむかっとするけどいつものことだ。
森の中は魔力が濃い。
入った途端に息が詰まりそうになった。
でも、その魔力は穏やかで優しい感じ。深呼吸をしてゆっくり息を吸ってみると、却って落ち着く場所のように思えてきた。
ふわふわと地に足がついていないような心地で森の中を歩く。
しばらく進むと、朽ちかけた石碑が置かれた開けた場所に出た。
まるで広場みたいになっている場所の中央に立っているマレムに早足で歩み寄る。石碑は更に奥に祀られている。
「これをあの祭壇に捧げりゃ終わりだ」
「祭壇?」
自分の手に持った花冠で石碑を示しながらマレムは言った。
あれが精霊の祭壇というわけか。
再び私を置いて祭壇へとスタスタ向かっていくマレムの後ろを追い――足を止めた。
――本当に、いいの?
声が聞こえたような気がして辺りを見回したが、ここにいるのは私たちだけだ。
気のせい、だよね?
――本当にあの人でいいの?
……今更でしょ。
もう迷う余地なんてないでしょ。
――だって、全然気遣いないよ。
――平気で置き去りにしていってるし。
――人でなしだよ。
ちょっと、なんなの!?
何だか頭の中で響く声が足を進めようとしているのを妨害してくるんだけど、一体何!?
――ねえ、まだ間に合うよ。
――まだ正式な誓いは終わってない。
――引き返せるよ。
え、ちょっと、本当にうるさい!!
ぐわんぐわんと反響しながら頭の中に響く声がうるさすぎて、両手で耳を塞いでしゃがみこんだ。
うるさい、うるさい、うるさい!
――まだ考え直せるよ?




