65 宴の後
ずっと部屋で待機をしていた侍女さんたちの手を借りてドレスを脱ぎ、風呂へと放り込まれた。
化粧もオイルも全部洗い流せば、用意されていたいつもの寝巻に着替えて、髪を乾かしてもらえば侍女さんたちは解散。
「何かあったら絶対呼んで」
と言ってミレイも自室へと引き上げていった。
あとは寝るだけ、なんだけど。
ベッドに転がっていることすら居心地が悪く、ベッドのフレームを背に床に座り込んだ。
カーペットが敷き詰められた床はそのまま座っても冷たくない。
疲れたなー、と折り曲げた膝に額をのせ、項垂れる。
長い一日だった。綺麗なドレスを着て、オシャレをしたのはちょっと嬉しかった。私にもちゃんと乙女心は存在しているのである。
お世辞でも「かわいらしいお嫁さん」と言われるのは、嬉しい。ふふっと小さく笑う。みんな騙されてたな。みんな私たちが幸せな新郎新婦だって思ってたみたい。思ってたように見せているのかも。貴族ってのは感情を見せちゃいけないって言ってたし。
じゃあ、今日の結婚式は虚偽なのかな。偽りばかりだから。
小さく扉をノックする音が聞こえたけど無視した。多分ランドかな。今日はもう寝ちゃったから対応できませんよーってことで。
扉があいた気配はあったけど、灯りを消してあるから部屋は暗い。引き返すだろう。
ぱたんと小さく扉が閉まった音がした。行ったかな。
「こんなとこで何やってんだ?」
「……うわぁ……」
あんまり見たくない顔があって、思わず不満の声が漏れた。
偽りだけど、これは夫だ。私の夫。さすがにこの反応はないだろうと、慌てて立ち上がる。
「ね、眠れそうになくって、考えごと」
なんとなく顔を直視できず視線は下を這う。
確かに座るんならベッドの上よね、床の方が落ち着くって言っても理解はされないだろう。
そんな人に見られている状況で再び床に座るの憚れてベッドに腰を下ろす。立ち続ける気力は残っていない。
見れば、さっきまで着ていたフロックコートを脱いだだけで、Yシャツの第2ボタンまで開け着崩している。
上げていた髪も適当に下ろしたようでボサボサだ。
何というかくたびれたおっさんみたいな有様になってしまっている。
「何か用?」
問いかけて、はっとした。
結婚式が終わった後の夫婦って、儀礼的には、あれ、なわけか。
体力・気力、そして感情的にも絶対に拒否なんだけど。拒否していいよね?
絶対断る、と心を決めた私の足元の床に、マレムはどかりと座り込むと手にもっていたバスケットを開けて中身を床に並べた。
ワインの瓶とワイングラス、あと一口で食べられるようなおつまみが数種類。
食べ物、と認識したら急に空腹を覚えた。そういえば朝食すらまともに食べられなかったんだった。
「床の方が落ち着くんだろ、座れよ」
「え、あ、はい」
ありがたく従わせていただく。
床に腰を下ろし、差し出されたワイングラスを受け取る。
「空腹にお酒は酔いが回るって――て、ああ、そっか私酔わないのか」
お酒と毒と結びつかなくて全然意識していなかったけど、私にはお酒も効かない。いくら飲んでも酔っぱらえない。
それはどんな飲み方をしても、なのだろう。
何の反応も見せずマレムは私の持っているグラスに瓶の中身をそそいだ。白ワインっぽいけどしゅわっとしているお酒だった。
良い匂い。
自分のグラスには手酌で酒を注ぎ、瓶を床に戻すと、グラスを持っている手を上に掲げた。
乾杯、か。
何に乾杯すればいいんだろうな、と思いながらも私もそれに倣った。
「……結婚祝いだそうだ。父上から」
「お酒が?」
発泡酒はすっきりしていて美味しい。
けどあっさりしすぎているような気がする?
「ああ、10年後が一番旨いらしい」
一口で飲み切って、マレムはそう言った。
そして、もう一杯グラスに注ぐ。
「なんで、開けちゃうの?」
あっさりしているのはそのせいか。
美味しいのに、熟成を待たないで開けてしまうのは勿体ない。
「もう一本ある。そっちは10年後に開ける。この家の伝統なんだそうだ」
「10年後……」
そんな先のこと、想像すらできない。熟成していない状態が今現在。10年後はお酒とともに熟成した夫婦であるようにという願いがこめられている、みたいな話なんだと思う。そういう話はどこかで聞いたことがある。
単なる契約結婚なのに、熟成なんてありえるのか。
けど、食べ物や飲み物があるのってこういう時気まずくなりすぎないから助かる。私もグラスの中身をちびちびと飲む。
「何にも食ってなかっただろ、食っとけ」
「ありがとう。もう、お腹すいた」
パイのようなものだと思う。暗くてよくわからないが、三角に折りたたまれた形状のそれをつかんで口へと運ぶ。
サクッとしたパイの中にトマトとチーズが入っていた。美味しい。夢中で咀嚼する。
「お前、逃げるつもりだっただろ?」
唐突にそう切り出され、どきっとした。
世間話をするようにさりげなく、そんなことを言うマレムの表情を伺えばぼんやりとした様子だった。こっちも暗くてよく見えない。もしかして酔っているんだろうか。
「うん」
素直に頷いた。
正確には逃げようとしてセレに相談した、だ。
そのセレはソファの上で寝ていたが、私の視線に気づいたのか起き上がって、床に降りるとそのまま猫専用の出入り口から廊下へ出て行ってしまった。
気遣い、なのか? どっちかっていうと二人っきりにしないでほしい。気まずくて仕方ない。
「誰が逃がすか」
「……うん」
なんかもう、予想通りの答えで頷くしかできない。
「わかってるから、すごく嫌」
「お前なあ」
少しだけ怒りの籠った口調で私に言って、一度息をついて、再びグラスを飲み干してからマレムはもう一度口を開く。
「だいたいわかる、何を考えたのか」
「そう? あんまりハイペースだとつぶれるわよ」
こいつがお酒を飲むところを見るのは今日が初めてだ。
飲み方に初々しさみたいなのはないからそこそこ飲めるんだろうけど、こんなにがぶがぶ飲んでいたら強い弱い関係なく危なくないだろうか。
「ねえ、あの禁呪の話、本当なの?」
「ああ? 国立図書館の封印の間か? 知識欲は満たすためにあるんだよ」
本当の話だとは思ってたけど、本当にこいつ禁呪の知識に触れてるのか。
「それってバレたらヤバくない?」
「ヤバい。兄に聞かれてたから明日は説教かもな。めんどい」
「説教で済めばいいけど」
閣下の血管が切れないことを願うわ。
「……お前のその奇妙な体質、それは王族の末裔代々の願いが込められてるんじゃないのか?」
「はぁ?」
突然何を言いだすって感じだ。
願いって何? 毒が効かないことが?
「手記読んだか? ストラス=ルグランの」
「そんな時間あったと思う?」
今日の準備で必死になっていて、生家で見つけたあの手記、読む時間なんてとれなかった。
かなり前に返してもらっていたのに。
「ストラス=ルグランは自分の子どもや孫たちが、女神に無残に潰されたすべての生命の無念を晴らすことができるようにと希望を込めてあの手記を書いてた」
「……子孫に希望を託した……という、こと?」
その希望の行きつく先が、私?
つまり毒の類が効かない体質はその希望を叶える一つの形だと?
「ああ。恐らく、お前が女神に報復するに適している代ってことだ」
「私が?」
ちょっと待って、なんでそんなことをよりにもよって私がしなきゃならないの?
だって、女神と対峙しなきゃならないと思うだけでも震えがくるのに、そんなことできるわけがない。
絶望的な気持ちでマレムを見やればアルコールのせいかどこかぼんやりとした視線を真っ直ぐに私に向けた。
「だから、お前、色んな奴に好かれてるんじゃないのか。変なのもひっくるめて」
「はぁ?」
変なのにやたらと好かれているのは自覚がないわけじゃなかったけど、改めて言われると否定したくなる。
え、でも、それも女神と戦うためだと?
「魔人しかり、あの変態元大神官しかり。父も母も兄も、まるでお前を助けるように動く」
「……言われてみれば、そう、かも」
やたらと甘やかしてもらってるな、とは思ってたけど。
それもこれも私が女神を倒すために、みんな私に好意的にさせられているのかもしれない。私が無意識にそう仕向けている? そんなのってあり?
「あんたが私の夫になったのも、あんたが禁呪に触れてたからってこと? そんな風に操ってんの、私が?」
「お前が、どうこうしてるとは思えないけどな。そういう人間が集まっているだけだろ」
「そ、そうなの?」
操っているわけじゃないなら、大丈夫かな。ほっとしたら空腹を思い出した。手を伸ばし、ウズラの卵とエビが刺さった串を手に取った。
「女神は俺が倒す」
「え」
マレムの宣言に、むせかえった。
さっきから唐突が過ぎるんだけどなんなの。
「自分の家族ぐらいは自分の手で守る」
「ちょっと大丈夫? 酔っぱらってるでしょ?」
らしくない台詞に心配になってしまった。
家族って、閣下たちだけじゃなくて、――私、も?
「お前やランドや狂犬、あと屑猫、全部家族なんだろ?」
「……うん?」
え、この人酔っぱらうとこんな風になっちゃうの? 普通の男の人っぽい思考に戸惑うしかないんだけど。
「あと、将来生まれてくる子」
「……できないかも、しれないわよ」
子どもができるかどうかなんて、現時点じゃわかるわけもない。
確かに、子供は作るってのはずっと言われてたし、覚悟は、できて、ないけど!
「だいたい女神も私の娘って言ってたけど、男の子しか生まれないかもしれないじゃない? だとしたら間抜けなんだけど」
「未来視だ。女神はごく微弱だが未来を見る力があるらしい。だからお前から生まれるのは父親がだれであれ娘、だ」
「父親が、誰で、あれ?」
少しだけぞっとした。
ここを逃げて一生独身で過ごせばいいのかもって思ってた。セレに隠してもらえれば逃げ切れるかもって。
でももし見つかってしまったら、女神に乗っ取られなくても無理やり子供を作らされてしまうことだってできなくないんだから、そういうことをされるかも……。
それは想像だけで怖かった。
「逃げるなよ。約束通り守ってやるから」
「……逃げないわよ。言ったでしょ、私にはもう、逃げる場所、ないもの」
そうだった。さっきは動転していて忘れていたけど、もうこれ以上逃げる場所はない。
私はここにいていい。
「ねえ、私は、家族に、なってもいいの?」
「はあ?」
「閣下と奥様とリハト様とあんたの、家族になっても、いいの?」
「好きにしろよ」
そっけない返事に少しだけ安心している自分がいた。
好きにしていいんだ。
「もう一杯飲みたい」
「はいはい」
面倒くさそうに、マレムは私の差し出したグラスにワインを注いでくれる。
グラスを満たして、瓶は空になったようだった。
「ちょっと一人で何杯飲んでるの! か――お義父様は私たちにってくれたんでしょ!」
「10年後はたくさん飲ましてやる」
「そんなの忘れちゃうでしょ!」
10年よ、10年! この先何があるかもわかんないのに、こんな細かいこと覚えていられるの?
「書面にでも残しとくか? この酒は俺が2でサラが8で分けることとする、とか」
「美味しいんでしょ、だったら半分でいい」
「は?」
「5と5よ。せっかくだったら分け合いたいじゃない」
見せびらかすように飲むのは、あんまり好きじゃない。
一緒に楽しく飲んだほうがいい。
こう言ってくれるってことは、おそらく10年後も一緒に飲んでくれるってことに違いない。
多分高いお酒だ。なんていう銘柄なんだろう。
ラベルを確認してみようとワインの瓶に手を伸ばせば、その手が瓶に届く前に阻まれるようにつかまれてしまった。
「接触禁止」
「うるせえ」
いつもみたいに引っ張られなかった。マレムの方から身を寄せてきた。
これはこれでちょっと、どうしたらいいのかわからない。
「こっち向け」
「や、だ」
せめてもの抵抗だ。嫌だって、伝わってくれればそれでいい。
抵抗はあっけなくも意味のないものと化す。
伸びてきた手に顎を捕まれ強引に顔の向きを変えさせられてしまった。この掴み方はない! 本当にない!
「もうちょっと雰囲気とか!」
「黙れ。雰囲気ぶち壊してるのはどっちだ」
「少なくとも私じゃ」
ない、という前に唇をふさがれてしまった。
いきなりではなかったけど、もう、またか、みたいな。
顎をつかんでいた手が背中に回される。両手で包み込まれるように抱きしめられてしまえば目を閉じるしかない。
「どうする?」
唇から耳元に移動してきたその口から掠れたような声で尋ねられた。
けど、聞かれている意味はわからない。
「初夜」
「いや、無理でしょ。どうするもなにもないでしょ!」
「――つーか、飲みすぎた。気持ち悪い」
「……言わんこっちゃない」
私から手を離し、顔を聞き手で覆って気分が悪そうなマレムをベッドに横になるように促した。
こういう時酔えないって、酔っぱらいの面倒を見なきゃいけないから損かもしれない。
ちょっとだけ、ほっとした。一番気が重かった事項はこれでうやむやになったはず!
大人しく横になるマレムを見やって、私は残ったワインをゆっくりと飲み干して、フィンガーフードも同じくゆっくり堪能した。チョコレートのプチタルトがビターでおいしかった。
ゆっくり食べることができたから、むしろ得だったかもしれない。
「人が気分悪いっつってんのに、よく食えるな……」
「うわ、起きてたの? 寝ればアルコール抜けるわよ。あ、水飲む?」
尋ねれば首を横に振ってマレムは魔法で水を生成した。作り出した水を私が持っていたグラスに注ぎこむと起き上がり、奪い取るようにグラスを手にして一気に飲み干した。
それ、ワイン飲んでたグラスだからアルコールが入っていると思うんだけど。と、口を挟む余地すら与えず、もう一度水を作って同じように一気に口への流しこんでいる。
伸ばしてきた手にグラスを握らせると起き上がり一気に飲み干し、もう一度魔法の水をグラスに注ぎこんで飲み干す。
こいつ、一気飲みしかできないのか。
「もっとゆっくり飲めば?」
「少し寝る。疲れた」
「はいはい、おやすみなさい」
目をとじればすぐに規則正しい寝息があがった。
疲れていて当然だ。私も少し眠くなってきた。酔わないけど、お酒を飲むとちょっとだけ眠くなってしまうのはなんでなんだろう。
空の瓶やグラスや皿をマレムが持参したバスケットに戻し、テーブルの上にのせておく。起きたらこのまま持って行ってもらおう。
さて、眠いんだけどな、ベッドはマレムが占領しているし、ソファかな。
ソファに転がる前にベッドを確認しに行く。私一人ぐらいだったら横になれそうなスペースはある。
いいや、一緒に寝てしまおう。初めてじゃない――っていうと語弊がありそうだけど。
判断能力が低下しているのは自分でもわかる。でも、もう無理。眠い。
何にしろ、この人の横が一番安心して眠れる場所だと思うから。守ってくれるってずっと言ってくれてるしね。
いつ目を閉じたのかもわからないぐらいすぐに眠りに引き込まれてしまった。




