64 禁呪を操る魔女
『天使』と呼ばれた元教皇は音にならない雄たけびをあげて空気を震わせると、一直線に私に向かってきた。
もしや、と思ったけど嫌な予感って絶対的中する。
逃げなくちゃ、と思うのに足が凍り付いたように動かない。足! 動け! 止まっていたらやられる!
焦っている間にも、元教皇と私の間に立ちはだかっていたマレムとリハト様を無造作に突き飛ばしながら距離を縮めてくる。
突き飛ばされた二人はいともたやすく吹き飛ばされてしまっている。転倒はしていないようだが、今はこの兄弟を気にしている余裕なんてない。
「やめなさい! その子は殺しては駄目!」
「許さナイと、言ってイる。この身体が!」
元教皇の動きは、女神の想定外だったのか、焦ったような声をあげるが、元教皇は止まらない。
私を許さないって? 教皇の身体が? だからそれって八つ当たりだってば。それで殺されるなんて冗談じゃない。
迫る『天使』が振り上げた手を私に振り下ろし――やっぱり体は動かない!
死ぬ!
「――って、させるわけないでしょ」
その元教皇の手を振り払ってそのまま『天使』を突き倒したのは、メイドさんに扮したミレイだった。
床に転がった『天使』の手を踏みつけてミレイは口元を緩ませている。
……助かった……の……?
「私のサラに手を上げようとしたわね?」
「うぐ、は、ナセ」
「たかが人外無勢が、生意気なのよ」
『天使』から何かが伸びてきて叩きつけるようにミレイを襲ったが、ミレイは何事もないかのようにそれをつかんで引きちぎった。
元教皇の体から複数の尻尾が生えていた。
触手のようにうごめいてすべてがミレイに襲いかかるがミレイの敵ではない。すべてを躱していつの間にか手にしていたナイフですべてを両断した。
やっぱりミレイは強い。……改造は、不要じゃないかな……?
「おい、狂犬女! 油断すんな!」
「うっさいわねえ、サラを守りきれなかったくせに」
「うるさいのはどっちだ。女神だ。女神をやれ!」
「むっかつく」
こちらに駆け寄りながらも忠告をしてくるマレムの言葉に、鼻に皺をよせ不快そうにつぶやきながらも、ミレイは前傾姿勢をとった。
瞬きする間も与えず女神との間合いを一気に詰めるミレイ。
女神は焦る様子もなくミレイに向かって、あの不可思議な線の魔法を放つが、ミレイはわずかに上半身を捩るような動きでこれを躱した。
捩った上半身を元に戻す勢いを使いながら女神に向かって跳躍し、体当たりで女神を突き倒す。同時に飛びかかってきた元教皇の腕を掴んで捻り上げ、蹴とばし女神の横に転がした。
見事な戦いぶりに思わずため息が漏れる。ミレイは、本当にすごい。
「魔人!」
「何が女神よ、ただの性根の腐った魔女じゃないの」
「口が過ぎるわよ……! 魔人ごときが……!」
「私を見下すんだったら、せめて魔法一発でも当ててからしたらどう?」
女神の襟首をつかみ、無理やり起き上がらせるとミレイは薄笑いを浮かべてそう女神に告げる。
ひやっとした冷たい口調に女神の表情にも怯えが混ざったのがわかった。
「……ネリエルの体では到底魔人には敵わないわね。これ以上いたぶられたらたまらないから、サラの体を先に乗っ取ってしまおうかしら」
「!! ちょっと!」
「お友達を失いたくはないのでしょ?」
そんな脅し、ありなの!?
私の目の前まで駆け寄ってきたマレムに肩を掴まれ後方に下げられた状態で、叫び出しそうになったのを何とかこらえた。
「狂犬女! こっちは大丈夫だ。構わずやれ!」
「うるさい! わかってる!」
「人の体に入り込む術がどんなものが知らないのに、本当にわかっていると言えるの?」
完全にミレイの動きが止まった。その隙を逃さず女神はミレイの手から逃れて、すばやく後退しミレイとの間合いを大きく開けた。
「新しい門出のお祝いだもの、サラを見逃してあげたいという気持ちは本当よ。魔力が全然ないサラよりはネリエルの体の方がずっと動かしやすいし。でも、これ以上やるというのならば、仕方ないわ。わたくしがサラとなって、新たな肉体を自ら作り出そうかしら。それはそれでなかなか興味深いと思わない?」
悪趣味すぎる!
想像しなくても気持ち悪くて吐きそう。自分の産んだ子どもに乗り移るって、こいつ正気なの?
「長く生きすぎて倫理観念も忘れ去ったのか? それが、『女神』だと? 狂犬が言ってたが、女神じゃなくて魔女の間違いだろ、ババア!」
うわ、この場で煽るの?
横でいきなり悪態を吐いたマレムを信じられない思いでみやる。ちょっとやめて、女神がその気になったら乗っ取られちゃうんじゃないの。
「……繰り返しになるけれど、口の利き方には気を付けた方がいいわよ、クラウディル令息」
「あいにく、俺はもうクラウディル家の人間じゃないんだけどな。おい、魔女、お前の使う禁呪、制限があるだろ。例えば対象に触れないと使えない、とか、一日に一回しか使えない、とか?」
「どうかしら? 試してみる?」
曖昧な笑みで女神は笑って一同を見回した。
ミレイはどうしようか迷っているようだったが、万が一を考えているのか動けない様子だ。
「禁呪に関する文献は国立図書館に封印されていて簡単には手を出すことができないってことになってる。が、長い歴史だ。どこかの家柄だけは立派な行儀の悪いガキが興味本位でその封印を力づくで解いて中の知識に触れたなんてこと、あるかもしれないだろ?」
こ、こいつ、まさか……?
涼しい顔でとんでもないことを言っているけれど、それってバレたらかなりマズイんじゃないの?
「家格が高い家のガキの口をふさぐのは容易じゃねえぞ?」
「禁呪の知識を得て、使わないでいられるなんて普通じゃ考えられないわ。お話作りの才能はないようね」
「興味本位っつってんだろ。知識を満たせればそれでよかった。――今試してもいいんだけどな? 壊れたとか言ってた皇妃の魂を呼び戻して今のお前の体に戻してやろうか?」
「……代償は? 理を捻じ曲げたら、ただでは済まないわよ!」
「お前が大地を犠牲にして荒野を作りだしたようにか?」
女神の言葉に焦りが混ざったのがわかった。
荒野の呪いの話、何となく激しい戦いの末に荒野になってしまった、みたいに思っていたけど、禁呪を使うためだったって意味?
「禁呪を得るためには、あの地に生きるものの生命を注ぐ必要があった。お前はそうやって広大な大地を荒野に変えて、その罪を古の魔法王国の連中になすりつけた。そうだろ?」
「どうでしょうね?」
「魔法王国の王の末裔、最後の生き残りの女は、自分の体内に取り込んだ毒や状態変化魔法を即座に浄化する体質を持ってる。お前の禁呪、この女に通用すんのか?」
「え? 効かないかもしれないの?」
便利でも厄介でもあるこの不思議な体質が、女神の禁呪にも有効かもしれない?
それが本当だったら、もう女神に怯えなくてもいいんだけど。
「さあな、誰も試したことないからわかんねえよ。やってみるか?」
私と女神と両方に問いかけるようにマレムは言う。が、無効化できない可能性もあるってことでしょ。首を横に振って拒否する。
うっかり効いちゃったら意識が崩壊する。そんなリスクの高い賭けはしたくない。
「いずれにしても、その『天使』とやらを作るために禁呪を使ったから今日はもう禁呪は使えないだろ」
「ふふ、長く生きてきて制限を取り払う方法を見つけた可能性は?」
「もしその制約を捻じ曲げてるんだったら、聖域は焦土と化してるはずだ。お前は一日一回しか禁呪は使えない」
「……」
女神の負けだ。
目線を下に落として、すぐに女神の周りに魔力が集まっていくのがわかった。
この魔法って!
「転移する!?」
「狂犬、早くやれ! 逃げられるぞ」
「言われなくても!」
「ヤラせるカ!」
飛びかかるミレイの前に元教皇が立ちはだかる。
躊躇わず元教皇の鳩尾めがけて肘を打ち出し、足元のふらついた元教皇を後方へ突き飛ばす。そのまま足を進めようとするミレイは何かに阻まれたように反動でたたらを踏んだ。
すぐに何もないその空間にミレイは必死にこぶしを叩きつけ始める。前に見た、障壁か。
「魔人とはいえ、簡単には破れないでしょう。それでは、サラ、また会いましょう。あなたの『女神の器』が成長したその時に」
「ふざけんな!」
「いかせ……るかっ!」
できればもう二度と会いたくなんてない。
慈悲に満ちた笑みを浮かべる女神を私は真っ直ぐに睨みつける。
「そして、これ以上わたくしに抗うのであれば、あなた方を異端者として殲滅することも辞しません」
それって、リヴ神教の敵になって戦争をするっていうこと?
ミレイが障壁を叩き壊した、と同時に転移魔法が発動した。女神が煙のように消えた後をミレイの拳が空振りをする。しかし、気にした様子も見せず、勢いを殺さずミレイは反転して私の方へと駆け寄り――。
「サラ! ってうぶわあ!」
何かに衝突したように途中で足を止めた。
「痛い、さっきから何なのよ……」
「あ、ごめんね、ミレイさん。サラちゃんを守るために結界を張っていたんだ。すぐに解くよ」
口を出さずに成り行きを見守っていたリハト様が魔力を解除すると、私の周囲を取り囲んでいた見えない魔力の壁が消え失せた。ミレイは少しだけ警戒するように様子を窺っていたがすぐに転がるように駆けてくると私に飛びついてきた。
「サラ! 大丈夫? 女神は本当に何にもしてない?」
「ありがとう、ミレイのおかげで助かった」
ミレイとリハト様と、あとはマレム。この人も何か魔力を纏わせていたから女神が怪しい動きをしたらすぐに攻撃に転じるつもりだったんだろう。
ミレイと抱き合っているのを横目で確認したかと思えばその魔力を消し去ったのがわかった。
守っていてくれる人がいたから、女神を真っ直ぐに見ることができたのだ。怖かったけど、逃げ出したいほどじゃなかった。
ミレイから手を離して、しゃがんで足元にいたセレを抱きしめる。勿論、セレも私を守っていてくれた。
「――許さん」
地の底から響くような声音が辺りを震わせ、はっと我に返った。
何、今の? また魔物?
「公爵家の中でこのような狼藉! 女神め許さんぞ!!」
だん、と地団駄を踏むように大きく地面を踏みつけて閣下が怒鳴った。
魔物じゃなくて、閣下だった。
迫力が違う。いつもの閣下なんて比じゃない。
ミレイすらちょっと慄いたような表情を見せている。
いつの間に戻ってきたんだろう。
「あなた」
付き合いが長いせいか、やはりこちらに戻ってきていた奥様はそんな閣下の様子におびえることなくそっとその手を取った。
宥め役は奥様にまかせておけばいいのだろうか。息子二人は遠巻きに見守っているし。
「おっしゃるとおりです! 我が家を愚弄する女神の振る舞い! 決して許されるものではありません!!」
え。
「思い上がり甚だしい女神を叩き潰してやりましょう!」
「そのとおりだ! 我が妻!」
「家だけならまだしも、わたくしたちの可愛い孫娘にまで魔の手を伸ばそうとは!」
いや、まだ、その孫娘、存在してないんですけど……。娘ができるかどうかもわかんないし……。
「聖戦を起こすつもりというのなら望むところ! 迎え撃ってやる! 我が家を敵に回したこと、死してなお後悔させてやる!」
ええっと? なんでこんなにやる気なんでしょうか。
そもそもこの家って将軍職じゃなかったよね? 閣下は王様の相談役? 宰相? だったはずだよね?
なんでこんなに好戦的なんだろうなあ……。
「サラ、遠い目してちゃダメよ。現実を受け入れて」
「無理。ミレイ、私この人たちについていけそうにない……」
「離婚しとく?」
離婚、か。離婚、ねえ。
「駄目! 離婚は駄目だ! 絶対に!」
「認めませんよ!」
「一度覚悟を決めたなら添い遂げよ!」
リハト様、奥様、閣下の三人に順番にまくしたてられ、その選択肢はないものだと知る。
結婚してみたけど無理でしたーが一番穏便な逃げ方だってミレイは言ってたけど、逃がしてくれないんじゃないの、これ。
どうするの、これ? とマレムに視線で問いかければ、やはり面倒臭そうにかぶりを振って、心底嫌そうな声音で言った。
「とりあえず挨拶して終わらせないとな。話は客を全部無事に帰してからだ」
「うん」
そうだ、まだ結婚披露宴、終わってなかったんだ。
終わらせて、それから、どうするんだろう。どうしたらいいんだろう。




