63 教皇の思惑
「サラ、下がっていましょう」
マレムのコートを握りしめている私の手をはずし、自らの手に繋ぐと、奥様がこの場を離れるように促してくれた。
「猫ちゃんも」
「セレ……」
「おい、小娘、ネリエルに一体何をした?」
勢いよく腕の中に飛び込んできたセレを抱き上げていると、教皇が詰め寄ってきた。
今は、こいつと話なんかしている場合じゃない。
「何かやったのは私じゃない! 女神!」
「リヴ様が? リヴ様ならば聖域の中だ。それに、今は――」
そこまで言って教皇は言い淀むように咳ばらいをした。
言いづらい何かがある?
「その女神は生きているの?」
「な、何を!?」
女神が皇妃に乗り移ったのならば外側だったあの老婆はどうなったのだろう。生きているのか、そんな疑問もあって口にしたのだが、この教皇の反応はなんだというのだろう。
こいつは女神に何かをした?
でも今女神はマレムと対峙している皇妃の中にいる。多分、教皇は皇妃が女神に乗っ取られたとこを知らなかったようだ。
自分の妻の様子がいつもと違うって気づかないのかな。関心がないのか。
「小娘、言っていいことと悪いことがあるだろう!」
「嫁に触らないでくださいませ!」
私に詰め寄ろうとした教皇を奥様が思いきり振り払った。
すごい気迫だ。守られているのに震えがくるほど怖い。
「ネリエル!」
奥様には敵わないと判断したのか、皇妃の元へと駆け寄っていった。
同時に、奥様が深くため息を漏らす。
「何もされていないわね?」
「はい」
「嫁だけではなくて、孫まで! 好き勝手言ってくれて。だからリヴ神教は生理的に好きになれないの!」
嫌悪感を滲ませ、奥様はそう吐き捨てた。
閣下も友好的ではないなと感じたけど、このご夫婦そろって神教に対してあまりよい感情をお持ちじゃないみたい。
リハト様――のことは触れない方が良さそう。
「お義母様こそお怪我はありませんか」
「何もされてはいません。けれど、早急に追い払った方が良さそうね」
追い払う……って、せめて穏便にお願いします。
この家の爆弾奥様だ。多分想像の斜め上をいくに違いない。想像するだけで恐ろしい。
奥様は近くにいた使用人に声をかけ指示を出した。使用人はすぐに走り去って行き、すぐに見知った壮年の男性を連れて戻ってくる。閣下の秘書さんだ。
「お客様をホールへと移動させて。あの招待していないお客様を追い払ったらすぐにそちらに向かうわ」
「かしこまりました」
恭しく頭を下げると秘書さんはすぐに動き始める。
遠巻きに騒動を眺めている貴族たちに一声かけて、館への出入り口へと移動を促し、近くにいる使用人の皆様にも指示をとばして少しずつ少しずつ、お客様たちを誘導させていく。
手際が良い。
確かに途中で雨が降り出してしまった場合は、ホールで披露パーティーを行うつもりだったから、お客様を向かい入れる準備もしてある。
しかし、招待していないお客様って。辛辣。まあ、正論だけど。
「あなた、お客様を退避させました。目撃者はおりません。思いきりどうぞ」
「待て。教皇相手に何を期待している?」
「当然、我が一族に害をなす敵の根絶です」
……やっぱり奥様は、奥様だ。
閣下は大きくため息をついてから奥様へ歩み寄ってくると、再度大きくため息をもらした。
「教皇たちは息子たちに任せ、我々は客どもの対応をすべきだ」
「まあ! あなたの口からそんな生温い言葉が出るなんて。随分と保守的になられたこと」
閣下は保守的ではない。絶対に。口に出してツッコむような迂闊な真似はしないけど。絶対に。
「サラ、愚息どもを見張っておけ。馬鹿な真似をしたら殴ってでも止めろ!」
「無理です!」
思わず叫んでいた。何を無茶なことを言ってんだ、この人!
私の抗議は耳に入っていたのだろうが、抱えているのは爆弾奥様だ。任せた、と言って奥様を引きずるように建物の中へと突き進んで行ってしまった。
えええ!
少し離れたところにいる彼らの姿にちらっと視線を送って、やっぱり無理だと直感的に思った。
「あのさ、セレ」
『どうした、サラ?』
「こ、このまま、この場をダッシュで逃げたら、セレは私を隠してくれる?」
あの兄弟を止めなきゃいけないという重圧から逃げたいというのも勿論ある。
けど、それだけじゃない。
私の子が女神の器になるんだったら、このまま一生子どもを持たないって選択をすればいいんじゃないの?
勿論女神はそれを見越しているように思う。私が子どもを作らなければ、女神は私の身体を乗っ取るぐらいの気持ちはあるのだろう。
だから、今ここから逃げて、私が誰にも見つからないようセレに魔法をかけてもらえば、誰も女神にならないで済むのかも?
私の子だからこの家の子が女神の器になってしまう。
でも、私の子じゃなければ、普通に貴族の子として、何の憂いもなしに生きられる。
私がいなければ、この家の人たちはリヴ神教と関わることなく生きていける。
『望むならいくらでも隠してやる。だが、きちんと話合え。夫婦になったのだろう? あれと』
「……でも、私は」
『支えると決めたんだろう。自分の誓いを破ってどうする?』
セレが厳しい。
でもセレの言うとおりだ。
今私が逃げたら、多分ずっと後悔するんだと思う。ちゃんと話しあって、お互いに納得しないと。
「そうね、怖がっている場合じゃない」
話し合いの結果がどうなろうとも、私はこの家の人たちを不幸にはしたくない。
守れるなら守りたい。
だから、女神と対決しなくちゃ。
「本当に、リヴ様、なのですか?」
睨み合いの険悪な空気を打ち破るように口を開いたのは教皇だった。呆然とした様子で皇妃の姿をしてそれを見据えて問いかける。
公爵家兄弟は皇妃を睨みつけながらもそれを止めようとはしない。
「ネリエルは! ネリエルはどこにいるのです!?」
悲痛な叫びをあげて女神に詰め寄ろうとした教皇は、女神が見せた微笑みにその足を止めた。
「皇妃ネリエルは、わたくしに忠誠を誓い、喜んでその体を捧げたのよ。そうして女神となった」
「そんなっ!」
「その容姿とわずかな魔力だけでのし上がってきた女の終わり方としては最上ではないの、教皇バルドゥラ」
微妙に引っかかる言い回しだ。
忠実な部下という感じに見えたあの皇妃に対してそんな言い方する?
「忠誠など! ネリエルがそんな殊勝な女ではないこと、あなたはご存知なはず!」
「あなたが選んだ女をそんな風に言うの?」
「ネリエルの狡猾さも、強欲さも全てを愛していたのです! なぜ、私からそれを取り上げようとする!?」
……変な趣味……。リヴ神教の上層部って揃いも揃って悪趣味なのか。
そもそも。他の女を侍らせていたのに、愛してたって正気か!
「だって、サラが私にその体を譲らないのだもの。前の体はもうもたなかった。ネリエルしかいなかったのよ」
「小娘!」
うわ、教皇の矛先がこっちに向いた!?
セレをぎゅっと抱きしめて次に紡がれるだろう暴言に備える。セレがいるから、ちょっとぐらい怒鳴られても平気。
「なぜリヴ様にすべてを捧げなかった! お前のせいでネリエルが――」
「こいつを責めるのはお門違いだろ、教皇」
息が詰まりそうなほどの濃い魔力を放出しながらマレムが詰め寄ってきた教皇を無造作に突き飛ばす。
突き飛ばされた教皇はたたらを踏みつつもそれでもその目は私を睨みつけたままだ。
私も負けじと教皇をにらみ返した。
だってこんなの八つ当たりでしょ。
おとなしく女神に乗っ取られろって、理不尽すぎるわ、そんなの。
さりげなくリハト様が移動して、教皇の視線から私を隠してくれた。優しい。
この守ってもらえている感じが、嬉しいけど、申し訳なくもある。
「ふふ、美しい夫婦愛ね。どちらも」
「うるせえ! 女神、お前もそろそろ終焉を突き付けてやろうか」
「まあ、なんて恐ろしいのでしょう。貴族として最低限の礼儀は尽くしなさい。もういい年よね?」
いきり立つマレムに女神は揶揄するような口調で、いや多分これは煽っているのか。
……痛いところを突いてる気がする。いい年してって、この兄弟に対しては禁句だろうな、多分。
「この幼稚な令息たちはさておいて、ねえバルドゥラ、あなた、ネリエルが何をしようとしたか、当然知っているわよね?」
柔らかな口調であった女神の口調が急に鋭いものに変わったのが分かった。
「前の体は負傷していたけれど瀕死というわけではなかったわ。まだサラを手に入れるまではもつだろうと思っていた。でも、ネリエルがそんなわたくしを葬り去ろうとしたの。それはお前の意思でしょう、教皇バルドゥラ!」
「なっ!」
「ユーシュレイがいなくなった今ならば中枢を手に入れるのはたやすいわよね? だが、お前に権力を与えたのはだれだと思っている? 本調子でない相手なら女神すらも御すことができると思ったか!」
「そ、それは、そんな、ことは」
声だけ聴いても教皇が狼狽えているのがわかる。
ってことはつまり、皇妃を使って女神にとどめを刺そうとしたのか。内部で何やってんの。
「答えよ! バルドゥラ!」
「そ、それは、……女神の力が衰え、人々の求心力が下がったら、信教は、我々は今までのように……」
「ネリエルを新しき女神として象徴とするつもりだったのでしょう? ならばこれはお前の思惑どおりではないの?」
また柔らかい口調に戻って、女神は教皇に問いを重ねるが、教皇は答えようとはしない。答えられないのだろう。
その野心で皇妃を失う羽目になったんだから、そりゃ言葉もなくす。
愛していた、か。その皇妃ご本人は、女神に乗っ取られて、どこに行ったんだろう。
「皇妃は、どうなった、の?」
恐る恐る尋ねてみる。
生きているのかもしれない。そうしたら教皇も少しは、って教皇を喜ばせる必要はないか。
「わたくしが入った体の持ち主の魂はね、壊れてしまうのよ」
柔らかい口調で女神は私に説明する。
壊れてしまうって……何だかものすごく嫌な感じだ。
「壊れて自壊していくの。かわいそうなことに」
かわいそう、って、こいつが言っていいセリフじゃないでしょ!
自壊って何! 普通に消えるとかじゃなくて、壊れるって!
怖い。そんなの怖い。自分も、自分だけじゃなくて誰にも、そんな目に合ってほしくない!
「ネリエルは壊れてしまった。もう戻らない」
「リヴ!!」
「……そしてね、わたくしにはこんなこともできるのよ?」
女神に向かって詰め寄る教皇に、女神は小さく息を吐くと魔力を放った。
精巧で、だけどどこか禍々しい魔力だ。今までに見たことのない性質。禍々しすぎて背筋がぶるっと震えた。
何、これ。
「な、にを!?」
「教皇バルドゥラよ! お前もその身を捧げなさい」
「禁呪!?」
「こんな簡単に発動できんのか!?」
リハト様とマレムがそれぞれ驚きの声をあげた。
あれが、禁呪!
女神の人差し指が教皇の額を突くと、教皇は動きをぴたりと止めた。
そして、白目を見開いてだらしなく口を開き、空を仰ぎ見る。
一瞬の間を置いて、教皇は咆哮をあげた。人ではなく、獣でもない、おぞましい音、だ。声じゃない。
「コレが、肉体!?」
ひとしきり咆え、教皇はお辞儀をするように今度は頭を下げて、すぐに顔を起こすと自分の両手を見下ろした。
セレが私から飛び降りて、『それ』に向かって威嚇をする。
そうせずにはいられないのだろう。教皇の形を保っているけれど、教皇ではない。多分人ですらない。
「リヴよ! コレをワタシニあたエルのか!」
「ええ、あなたの身体。わたくしの盾として働きなさい、天使よ」
天使? 神の御使いといわれる、聖なる存在? ってあれが?んなわけないでしょ!
どちらかといえば伝承で聞く魔族っていうのに近い。英雄伝説で英雄が最後に倒すアレ。
世紀の魔物ってのはこんな感じなのかも。
「……あれは魔族か?」
「禁呪で魔族を作り上げたって? 冗談じゃねえ」
「やっぱりあれは魔族ってやつなの? 英雄伝説で出てきた」
「あの伝説は何だかんだ言って史実だからな、大昔には存在したんだろう」
兄弟二人の会話に割り込むような形で尋ねてみれば、そういう回答だった。
史実なの? と聞きたいけれど今はそれどころじゃない。
仮にも神を名乗るものが魔族を使役するって、絶対おかしい。
完全に怯え切った私を、その『天使』の目が捕らえた。
あ、何か、まずい、かも。




