58 棲みつく弱音
難航すると予想されていた式の内容は私があっさりと決めてしまったので、ほとんどの時間がマナーの勉強に充てられて、目まぐるしく毎日が過ぎていく。
多分対女神対策とかもうちょっと真剣に考えなきゃならないんだろうけどそんな時間もない。
披露宴の締めの挨拶原稿案を眺めながらの夕食。
ナッツの入ったサラダは美味しい。それはわかるけど食事に集中できない。
ちなみに挨拶を述べるのは私じゃない、マレムだ。
なのに原稿は私が考えないといけないらしい。貴族どうなってんだ! 挨拶ぐらい自分の言葉で言えって感じ。
「やることいっぱいで大変ね」
「引っ越し準備も全然やれてないのよね。って言っても荷物なんて全然ないんだけどさ」
連日準備に駆り出されているミレイに完全に他人事のように言われて、ため息交じりに返す。
ここのところ頭を悩ませていた招待状を書き終えて発送完了したかと思えば今度は挨拶文だ。
婚姻の書類が受理されたらすぐに引っ越すとか言ってたけど、そっちの準備は全然手が回ってない。
そろそろどこに引っ越すのかぐらいは把握しとかなきゃ。領地経営の勉強も手つかずだ。
「あ、そうだサラ、私王都に残るつもりだから」
チキンのマスタードソースあえをぱくっと口に入れて何でもないことのように言ってくるミレイの言葉を理解するのに少し時間を要した。
王都に、残る……?
「え」
「言い忘れてた」
「あ、ううん、大丈夫……」
首を横に振って、一度考えて、もう一度首を横に振る。
ミレイが、いなくなる?
胸がずーんと重くなった。そっか、ミレイは一緒には来てくれない、のか。
「サラ? どしたの?」
「いや、何か、ショック……寂しくて」
「ええっ!?」
そうだ、寂しい、だ。この感覚は寂しいで間違いない。ずっとこうやってミレイと暮らしていくんだろうなってどっかで考えていたから、いなくなるんだと思い知って、ショックで、寂しい。
それに、現状ミレイは私に付き合ってこの家に居るけれど、永遠じゃないなんて当たり前なのに、忘れていた。
「えー、サラ、寂しいんだ? ちょっと嬉しいかも? 何か結婚するから私はもう不要かなって」
「んなわけないでしょ! こうやって愚痴言っても笑い飛ばしてくれるのってミレイだけなんだからね!」
愚痴を言っても重くならずに笑い飛ばしてくれるのはミレイだけだし、くだらない話でもミレイと話のは楽しい。
「遊びには行くわよ」
「当たり前でしょ。私も、ミレイに会いに行きたい! ……んだけど……無理かな……」
「その気持ちだけで十分よ」
私は、私の意思で会いたい人にも会いに行けない。
自分勝手に動くってことは女神に捕まるってことにつながるから。やっぱ情けないかも。
「この間、サラが聞いたじゃない、将来の夢について」
「あ、あれね、うん」
あれは何の時だったっけ? この先どうなるんだろうって不安を抱えて悩んでミレイにも聞いてみたんだった。
結局私は自己保身でこの獣道に足を踏み入れて突っ走っている。
「あれから考えて、決めたの。私、世界最強になってやるって!」
はあ?
またミレイが何を言っているのか理解できなかった。
世界、最強? 既にそうなんじゃないの?
「先日教授って人に診てもらったじゃない、あの時聞いてみたのよ、魔法に強くなる方法はあるかって」
「う、ん…… 」
「強化の余地はあるから研究に協力してくれないかって話になって」
強化の余地……、それは改造の域じゃないの……?
え、それ、やばくない? 止めた方がいい?
「強化って、英雄物語に出てくる英雄みたいで胸が躍ったわ。子どもの頃、好きだったなあって思い出したら何だかやらなくちゃって気持ちが湧いてきて」
英雄物語で英雄は改造してなかったと思うんだけどなー……。
でもキラキラとした目で語るミレイに意見することもできなくて項垂れた。どうしよう、親友が怪しい教授に怪しい改造されそうだなんて。
ミレイって、英雄伝説が好きなのか。意外だな。
英雄とその仲間たちが魔物を倒して建国する子供向けの物語だ。お姫様とかも出て来るんだけど、ミレイの憧れはお姫様じゃなくて英雄その人なのか。
伝説は英雄が世界最強を目指して親友と故郷を旅立つところから物語が始まる。親友大魔法使いブラッド=イーガーと。マレムが偽名に使っていた人。
ミレイのはじまりはここからなのかもしれない。
「……応援する」
躊躇う気持ちはあるけれど、でもミレイの願いは叶ってほしい。
小さく告げれば子どもみたいに無邪気に笑うからもうこれ以上は何も言えない。
実験が改造につながりませんように、とこっそり祈っておく。
「うん、絶対今より強くなるわ」
「ミレイなら、なれると思う」
割ともう頂点に近いところにいると思うし。
「サラ」
やっぱりノックと同時にドアを開けてずかずかと入りこんでいたのは我が婚約者様だった。
挨拶文の原稿が思った以上に進んでいなかったところへの登場だ。ムカつく以外の感情は生まれない。
私が集中しやすいようにとミレイは自室に戻っていて、セレは魔力を温存するためだと眠っている。
久しぶりの一対一。
「……何?」
かなり低い声になってしまったなと思ったけれどこればっかりは仕方ない、私は今機嫌が悪い。
作業机に向かって椅子に腰を下ろしている私の横に立ち、マレムは私を見下ろしている。気配は感じるけど、意地でも目線は向けてやらない。
「サイン」
そう言って机の上に一枚書類を差し出してくる。
サイン? ざっと文章を読めば婚姻の書類のようだった。
「イーガー?」
婚姻の申請と同時に、家名の変更も盛り込まれている。
クラウディル、じゃなくなるのはわかるけど、そこでなんでその偽名なの?
「ブラッド=イーガーは先祖。十数代前に息子が婿入りした。家名だけは公爵家がずっと持ってたから、この機につかってやろうかと」
「へー……え! ご先祖様だったの!?」
あの伝説の魔法使いの血を継いでるの!?
驚いてその顔を見ればいつもの不機嫌そうな顔で私を見下ろしているのがわかった。
あ、これは早く署名しろって顔だ。
整った几帳面そうなマレムの自署の下に私も名前を書いた。サラ=ルグラン。ルグラン家もこれで終わりなのか。とちょっとだけ感傷めいた想いが胸を去来したが気づかない振りをして書類をマレムに突っ返した。
「二人以上産めばルグラン家も復興すんぞ?」
「はあ?」
「クラウディル家とルグラン家、それぞれ遺してやれんだろ?」
「はぁ?」
過程を飛ばしすぎな話を即座に理解しろって方が無理。
無視して再び原稿に意識を戻すことにした。今はそんなことを考えるこころの余裕はない。
「何怒ってんだ?」
「わからないの?」
「わかってる」
ため息交じりに言われても、ため息をつきたいのはこっちなんだけど!
反射的に睨みつけるが、無駄だと思って再度原稿に目を落とす。
ええと、来てもらったことのお礼と、抱負? あとは? 明日マナーの先生にも聞いてみようかな。
「何をしてほしいんだよ、ちゃんと言え」
「……やめたい。結婚式」
「招待状出したんだろ」
「返事も戻って来てる」
今のところ出席率100%なのは何で?
「じゃあ今更中止はできねえよ」
「知ってる。でも、怖い」
「怖い?」
私の言葉が意外と言わんばかりにマレムは問い返してきた。
私はそんなに神経が図太くない。
未知の世界は怖い。
貴族は、昔の私にねこいらずを食べさせたサディストお嬢様のトラウマもあるし、あの変態肉塊貴族のこともあって、怖い。
そんな怖い物だらけの中で、戦わなくちゃならないの、嫌に決まってる。なんでわかんないの。
「逃げたい」
「いつも言ってんだろ、逃げるぐらいなら、やれよ」
いつも、言ってたっけ?
やれって、何をどうしろと。
「馬鹿な貴族どもなんて騙せんだろ? それでも気に食わないなら引き金を引け。もみ消してやるから」
「もみ消すって。もうできなくなるでしょ」
閣下の権力の威光を借りられるのは今だけ。
結婚したらもう公爵家から出されるんじゃなかった?
「何で?」
「下級貴族になるんでしょ」
「だから何だよ? 関係ないだろ、ムカついたらやる。証拠は隠滅する、で大半なんとかなる」
なってたまるか!
世の中そんなに都合よく渡っていけるわけもない。偉い人に踏みつぶされないように生きるだけ、それだけだ。
「そんなに簡単に言わないでよ」
「だから言えって言ってんだろ。お前、自分で言ってただろ、言わなきゃわからないって」
「言ってるでしょ! 怖いの! 間違いも失敗もそうだけど、また怖い目に合わされるのかもしれないって。 大聖堂でそうだったみたいに! 組織の人間に殺し屋になるか娼婦になるのか突きつけられた時みたいに!」
ずっと、怖かった。怯えていた。
ミレイに出会うまでずっと組織に利用されて、言われるままにヤバいことやって、ただ怯えていた。
あの変態貴族に好き勝手されそうなときだって怖かった。死の口づけだってやるのは怖かった。
全部怖くて仕方なかった。
怖いって認めたらもう何にもできなくなりそうで、それすらも怖かった。
「……でも、……、もう、いい」
そういう時はシーツをかぶっていればそのうち寝てしまって朝がくるから。朝が来たら嫌でも働かなくちゃいけなくて、働いている間は余計なことを考えなくて済む。
そうやって耐えていれば、怖いことは通り過ぎていくことを今は知っている。だから今の怖さも結婚式が終わればきっと全部消える。
領主代行だって、私のやりたいようにやらせてもらうつもりだから、きっと大丈夫だから。
もう、いい。
「そうか」
「……うん」
納得されてしまった。か。まあいいか。
普通の夫婦になれるなんて思ってない、前に言われた言葉。同感だ。普通の夫婦みたいに感情の共有なんてできっこない。私の感情だ。この男と分かち合うなんてきっと無理。一生無理。
再びお礼の言葉の推敲に戻る。会話する必要がなくなった。そんな感じだった。
それよりこれを早く終わらせて寝たい。明日もまた決めなきゃいけないこともあるし、勉強の進捗も遅い。
「なんでそんなに強がるんだよ?」
「……そうしなきゃ、生きてけない」
恐怖に潰される。
十分な回答が得られないせいか、マレムは一回深いため息を漏らした。さっきから何なの、こいつは。
だんだん怒りが募っていくのが自分でもわかる。
「今はイライラが勝ってるけど?」
「何にそんなにカリカリして――」
「結婚式の締めの挨拶、あんたがしゃべる内容を私が考えてるの! 集中させて」
「はあ?」
ああ、感じ悪い。今のこのつっけんどんな態度。わかっているけど。やめられない。
それもこれも、こいつが私の心に触れようとしてきたから、怖がっている私を掘り起こそうとしてきたから。だから。早くいなくなってほしい。
「そんなの適当でいい」
「駄目に決まってるでしょ」
「原稿があっても、適当にしゃべるぞ俺は」
絶句。
え、待って? 私、何時間これと格闘したと思ってんの? こんなに頭を悩ませていたのに、読まれないって、マジか!
「……泣く」
「待て、何で泣く?」
「早く言ってよ、奥様にもちゃんと説明しといて。もう、やだ!」
もうやだ、それが本音だ。
忙しいのも、覚えなきゃいけないことがたくさんあるのも、準備をしなきゃならないのも結構限界。
やらなきゃならないことにも手が回っていない。こんなの、そろそろ無理。
「あのな、ちゃんと助けを求めろよ」
「言ってる、つもり」
ミレイにも、ランドにも思いきり甘えている、し、多分奥様にも頼りまくっている。っていうか奥様に頼るのは当たり前だ、こうなってるのはあの方の我儘だから。
「俺に言え」
「……何も言わなくても、わかってよ」
「わかってる。でも具体的に口に出さなければどこに手出ししていいかわかんねーんだよ」
こんな子どもに諭すような口調で言われるのは屈辱だけど。マレムの言っていることは正論なんだろう。
手出ししてほしいところ?
「領主断って」
「無理」
言っても解決しないじゃん!
文句を言おうとしたら、マレムが作業机を回りこむように私の横にまで移動してくると、座ったままの私頭を抱え込むように抱きしめられていた。抱きしめ? ううん、ちょっと違うなこれ。
「領地経営の勉強まで手が回らないの」
「だろうな、そもそも一ヶ月で結婚式なんて無理に決まってんだろ」
やっぱり無理、なんだ。何かちょっと気が抜けた。
絶対間に合わせなきゃ! って使命感みたいなもの抱いてしまっていたんだろう。そもそも無理なら、間に合わなくても仕方ないなら、それでいいのかも。
手を伸ばして、私に覆いかぶさっている体勢のマレムの胴に手を回し、お腹の部分に顔を押し付ける。
「ちょっ、涙をそこで拭くな」
バレたか。何か意味のない嫌がらせをしてやりたくなったのだ。
すぐに離れようとしたが、頭を抱え込んでいる腕に力が込められてしまった。
まあ、いっか、文句を言うほどじゃないし。
「サーラちゃん♪」
ノックと同時に開け放たれたドアから誰かが入ってきた。
この家の人間はみんなノックと扉を開けるのが同時なのか……。絶望的な気持ちでマレムの腹部から顔を離してドアの方を見やればご機嫌な顔をしたリハト様がこっちを見て顔色を変えた。
「あ、邪魔しちゃったね、また今度。マレムくん、ごゆっくり」
「あ!」
まずった! みたいな顔をした後、すぐに満面の笑みを浮かべそんなことをまくしたてるとすぐにリハト様は廊下へと消えていく。
この、体勢! 抱きしめられている、抱き着いている、それ以外のなんでもない。言い訳もできない。
「ちょっと、離して! リハト様、絶対誤解した!」
「誤解じゃないだろ?」
そう言いながらも私の頭からは手を離したけれど、その手を肩の上に置いて――。
だから、やめろって言ってんの!
ねじりを加えたコークスクリューパンチがマレムの左肩にクリティカルヒットした。
「駄目! 触るな」
「いってぇえ! 殴るな! 殴る前に口で言え!」
言ったって止めてくれなさそうなんだもん。実力行使一択だ。
練習した甲斐があった。多分これでびくともしなかった大神官だって撃退できるはず。




