56 ラスボス再登場
王都に戻ったのはもう深夜になってからだった。
公爵家のお屋敷に到着とともに解散。
なぜかセレに先導されていつもの客室に戻る。結婚してもこのまま客室に住み続けたいと思える程度には愛着はある。
夕食は馬車の中で軽食を摂っていたからあとは寝るだけ。
寝る仕度を済ませたらそのままベッドに倒れ込む。疲れた。
翌朝、ノックと共に開いた扉に思わず顔が引きつった。
「何の用?」
一緒に朝食を食べていたミレイが憎々し気に問いかければ、部屋に入り込んできたマレムの顔も引きつる。
「うるせえ、狂犬」
「番犬に犬呼ばわりはされたくないわね」
二人の言い争いを止めようか一瞬だけ悩んでやめた。
粒状をしたパスタ入りのコンソメスープを口に運び、ミレイとマレムが睨みあっている様を眺める。食事がまずくなりそう。
「ミレイ、ご飯冷めるわよ」
「……そうね。食事中なんだから出直しなさいよ、番犬」
「父が呼んでる。早くしねーとキレるぞ、あの人は」
閣下が?
あの怒鳴り声が脳裏によみがえり、気が付けば反射的に立ち上がっていた。
閣下に怒られると考えるだけで身が竦む。早く行かなきゃ。怒られる。
「ミレイ、ごめん、行ってくる」
「顔色悪いけど大丈夫?」
「大丈夫じゃないけど、行かないって選択肢がないの」
閣下に逆らえるほど私のメンタルは強くない。
マレムと二人閣下の執務室を訪ねれば、いつブチ切れてもおかしくない閣下の姿があった。現在進行形でブチ切れていないのは機嫌が良いと受け取っていいのかもしれない。
作業机の前に並んで立たされ、閣下も私たちの目の前に立つ。
マレムの方を睨みながら、いつになく怒っていない口調で閣下は言葉を紡いだ。
「お詫びという名目で、陛下から国の直轄地を賜った」
直轄地をくれた?
お詫び? 名目?
閣下の言っている内容は私の理解を遥かに超えている。
貴族間ではよくある話だったりするのかな。マレムをこっそり窺ってみたが真っすぐに閣下を見ている表情は無表情だ。何を考えているのかわからない。
「結婚祝いに、お前たちにはその土地と我が家の爵位を一つくれてやる!」
「えー」
別にいらない。
マレムも同意見のようだ。不満の気持ちが現れた感嘆詞に全てが込められていたと思う。
「不服を表に出すな! 狭い土地だが収入は見込める! うまく治めろ!!」
あ、やっぱり怒った。閣下の声音に少しずつ怒気が混じっていくのがわかる。
閣下の怒りまでの導火線は短い。多分もうすぐ怒鳴り出すだろう。覚悟を決めて身構えておくことにした。
息子のやる気のない態度を見ればイライラするよね、確かに。
出ていく息子に土地と爵位を授けるって、凄い世界だわ、貴族って。手厚い。庶民からすると子どもに甘いって言われそう。
「どうする?」
「私に聞く!?」
マレムに突然振られ、驚きの声をあげることしかできない。
声が大きすぎたのか、閣下の鋭い視線に貫かれ息が詰まる心地がした。これ、対応間違えたらどうなるんだろう?
間違えたら殺されそうな閣下の視線から目をそらしてマレムを見上げる。
「なんだかんだ俺は王都でやらなきゃならない仕事が多いからほとんど家をあけるぞ」
「あ、うん」
夫は仕事ばかりで家庭を顧みず、という一文が頭に浮かんだが、それは大丈夫。問題なし。こいつとずっと一緒に過ごすなんて頭が狂いそうだから、むしろ大歓迎。むしろ魅力的。――ってちょっと待て。
「その場合、領地はどうするの?」
「領主夫人が代行」
やっぱりそうなる!?
「え、でも、そんなのやったことない」
「できるできないではなく! やる! だ!」
ひい! 閣下に怒られてしまった。
領地経営をやれって!? 本気で言ってんの!?――って本気だ、これ。
「無理ですよ! 絶対に無理!」
「妻もこう言っているので、辞退します」
必死で不可能を訴える私に続いて、マレムが辞意を申し上げたが、閣下の表情は厳しいままだ。
「何を甘えたことを言っている! いい大人が!! これは決定事項だ! わかったな!!」
偉い人に怒鳴りつけられて反論などできるのだろうか。いやできない。
『一般市民』『普通』『平凡』。憧れの言葉たちがガラガラと崩れ去っていくのがわかる。でも逆らえない。悲しい。
「サラ=ルグラン!」
「はいぃ!」
「領地経営に詳しい人間を手配してやる! 学べ!」
「しょ、承知いたしました! 閣下!」
「言っただろう、閣下ではない!」
「は、はい! お、お義父様! 頑張ります!」
うむ、とうなずく閣下は、少しばかり機嫌が良くなったようで内心ほっとする。とてもほっとできるような状況じゃないけどね。もうどうにでもなれ。
「……いいのか?」
「良くない! でも、断れないでしょ」
こっそりと耳打ちしてくるマレムに、私も奴の耳元に口を寄せてそう返す。
断れないのはあんたもでしょ!
「話は終わりだ。下がれ!」
「まだよ!」
閣下が解散を宣言したと同時に、ばん、と勢いよく執務室の扉を開け放って入り込んできたのは、知っている顔だった。
奥様だ。
クラウディル公爵夫人。
「……また立ち聞きかよ……」
呆れたような声音でそうぼやいて、マレムは額に手をあてている。見れば閣下も同じように頭を押さえているのがわかる。
親子って似るんだな、同じ仕草をしているとよくわかる。
そして、母親の方は、と奥様を窺い見る。だってこの方、直視するの怖いんだもん。
この方こそがこの家の裏ボスだと思う。
「な、んの、用が……?」
あの閣下ですらおっかなびっくりといった様子で声をかけているのが何とも。触ったら爆発するのか、奥様は。
「息子の結婚はとてもめでたきこと、ですよね、あなた?」
「ああ……、そう、だな、めでたき、こと、だ……」
少女みたいに目を輝かせている奥様は、本当に怖い。
あの閣下を慄かせる人って、この世にこの方だけじゃないだろうか。
「おめでたい出来事はお披露目をすべきです!」
「おひろめ」
閣下はなんか魂が抜けちゃったみたいに奥様の言葉を倣うのみである。なんだろうな、この破壊力……。
うん、私も考えたくないな、お披露目? 聞こえない。全然聞こえない。
「我が家で結婚式を執り行いましょう!」
「……けっこん……?」
「……しき……?」
「……とりおこなう……?」
閣下、次男、次男嫁(予定)の順番で、奥様の言葉をぼんやりと繰り返し、はっと我に返った。
え、奥様! 何言っちゃってるんですかー、貴族ジョークはちょっと私には難易度高いなーあはは~。
は!?
結婚式て何?
「準備期間が足りません。開催は不可能かと」
「準備期間?」
「なるべく早く家を出ようと思っています。婚姻の書類が受理され次第早急に」
頑張れ! 本当に頑張れマレム! 却下だ。結婚式なんてやりたくない!
奥様に反論するマレムに心の中だけで本気のエールを送る。裏ボス攻略だ。
「書類を作成するにも時間はかかるでしょう? 今から結婚式の準備をすれば受理される頃には開催できます」
「そもそも式自体やるつもりはないので!」
「まあ! マレムさん、よくもまあそんな残酷なことを言えるものね! この私がどれだけ息子の結婚を楽しみに生きてきたと思っているの!」
「知るか! ――知りませんよ、兄が結婚すればいいだけですよ」
あ、口の悪い本性が出た! 面倒くさくなってきているとみた。
「リハトさんが結婚できるとは思わないもの!」
いや、リハト様、ああ見えて弟大好き属性以外は、割とまとも……じゃないか。でも、能力とか地位とか顔とかそこそこ好かれる要素は多いから何とか粗は隠せると思うんだけど。
だから頑張ればまともな奥様とご結婚できるでしょ、せめてお母さまだけでも諦めないで! だ。
「だから! マレムさん、結婚式を挙げて頂戴!」
「諦めてください」
「今までよそ様のご子息ご息女の結婚式にこの母がどんな気持ちで参加してきたかわかる?」
「純粋にお祝いの気持ちで参加してください」
うん、普通にお祝いする気持ちで参加すればいいと思うわ。
家と家との関係性とかいろいろしがらみはあっても、結婚はお祝いするもの、よね?
「そのたびに、『次はそちらですわね』と嫌味を言われる気持ち、どんなに屈辱か、あなたにわかるの!?」
「そんなにか!?」
奥様がこんなに拗れてしまっているのは、婚約者までいたのにいい年して全然結婚しようともしなかったこいつが悪いんだと思う。
もっと言うと全然そんな気配も見せないリハト様の罪も重いに違いない。
「そんなにですよ! この母の気持ちを踏みにじるなんて言わないわよね!?」
「――わかった」
ため息交じりにそう承諾の意を示したのは閣下だった。
……え……うそぉ……。
目の前が暗くなったような心地だ。
だって閣下の言うことは絶対だ。絶対ってことは、やるってことでしょ、結婚式。
「父上!?」
「そなたがそこまで言うのならば開催しよう。だが、マレムに授けるのは下位貴族の爵位だ。それを踏まえて招待客は――」
「うふふふっ! あはははは! あの侯爵夫人も! 伯爵母娘も! ついに! ついに! 見返してやるときがきたっ! 目にものをくれてさしあげるわっ!」
豹変する奥様に、閣下は言葉を失い口を開いたまま固まってしまった。
って、いや、ちょっと、待って!
「おっ、奥様!」
ここは流されるわけにはいかない。
何があっても! 勇気を振り絞って口をはさむ。絶対に、絶対に! 阻止したい!!
「わ、私は、庶民です! 庶民の嫁を娶ったなど、貴族のご夫人方にとっては嘲笑対象になりえるのでは!?」
奥様は血走ったその眼をゆっくりと私に向ける。
その動作がすでにホラーなんだけど?
「は、恥をさらすということに、なってしまうのではないでしょうか?」
「サラさん」
幽鬼のようにふらふらと奥様は私に歩み寄ってくると、ものすごい勢いで私の両手をがしっとつがんだ。
「『お義母様』です」
「お、お、おか、おかあ……さま……」
歯の根がかみ合わず、言葉もまともに出てこない。恐怖だ。さすが裏ボス。言葉も紡げないほどの恐怖を与えてくる。怖すぎる。
「王家が欲する古の魔法王国の末裔ですもの。誰もが羨むに間違いありません」
「で、でも!」
怖いけど、負けちゃダメだ! 再度勇気を振り絞って反論をする。
「そ、そ、それは珍獣に向ける、もの、だと、おも、思います」
「珍獣?」
「そ、そんな、珍獣を、娶ったご子息に、向けられるのは、珍奇なものを見る目だけですよぉっ!!」
「お前、そんなことよく言えるな……」
完全にあきれ果てた口調で言ってくる子息は当然無視だ。
だって、ここで承諾したら結婚式をやる羽目になる。結婚式だけじゃない、多分その後も披露宴みたいなのもやるに違いない。つまりは社交。そんなの絶対に無理。
「大丈夫よ。そんなことを言う羽虫など叩き潰せばよいのです。公爵家の全権力を使ってでも」
どう考えても権力の使い方間違っている気がする。
「あなたはもうこの公爵家の一員です。自覚を持ちなさい」
「じ、かく……?」
自覚なんて持てないって! だってやっぱり貴族様って一般市民と世界が全然違う。
でも、家族、か……。ちょっとだけ心に響いてしまった。家族として扱われるのって、ちょっとだけ、嬉しいかも。
――じゃなくて! これとそれとは話が別!
「お、奥、お義母様!」
「良いですか、サラ。そう思うのならば笑われぬよう、振る舞いを覚えればよいのです! そうと決まれば叩き込みましょう! マナーの基本から!」
「え! お、お待ちください! 奥様、お義母様っ!」
なんていうか「思い立ったが吉日」「即行動」的な人だな、と考えつつも、奥様に手を引かれるがまま執務室を退出――ってちょっと待ったあああ!!
「お待ちください!! か、閣下ぁああ! じゃない、お義父様! 止めて! 止めてください! あなたの妻を!」
「不可能だ。受け入れろ、サラ=ルグラン、義娘よ」
「いや、なんでそんな神妙な顔して適当なこと言ってんの! 止められるのは、あなただけなんですけど!! っていうか息子! 何ぼーっと見てんの! あんた私の夫になるんでしょ! 助けてよ! 無理なもんは無理でしょ!!」
「無理なもんは無理。そのまんま返す」
こいつまで何で適当なこと言ってんの! ここで止めないと本当に面倒臭いことになるってわかってんのにその反応!?
何なのよ! この一家! これと家族になるなんてやっぱり絶対承諾したくない! 絶対に絶対なんだから!
「皆快諾したようです。さあ行きますよ」
せめてもの抵抗と扉の枠を固く握っている私の手を奥様が外した。
そして再び私の両手を拘束するとどこかへ向かって引きずっていく。
いやー! 絶対いやー! だって社交やらなくていいって前に言ったもん!
こんなの、こんなの、契約違反なんだからあああ!




