55 はじまりの記憶
魔法の剣でこじ開けたドアの隙間から家の中に入りこんだ。
窓がふさがれているせいか暗い。何より埃っぽい。
埃を吸い込んでしまい咳き込んでいると、横に並んだマレムが灯りの魔法を発動させて家の中を照らしてくれた。
何も物が置かれていない廊下が真っすぐ伸びている。
咳をしながら足を進め、前方に現れたドアを開けば一つの部屋だった。
居間のようだが、中には家具がない。
備え付けのキッチンにはコンロもない。がらんどうだ。
家具は全部売り払われちゃったのかな。もしくは差し押さえかもしれない。
「何にもない」
「そうだな」
思い出そうと必死に記憶を辿っていれば、セレが私の腕から飛び降りて前方へ歩いて行ってしまった。
何も思い出せないまま、セレの後ろを追う。
もう一つ部屋があった。こちらの部屋はドアが開いていた。
マレムがもう一つ魔法の光源を出してくれて部屋の中に放てば、明かりが内部を照らした。
こちらの部屋も家具がない。
造り付けなのか、壁一面にそびえたつ本棚だけが残されていた。本棚も空っぽだ。見事に何もない。
多分、この部屋は『お父さんの書斎』だった場所、だと思う。
小さかった私は入れなかった場所。扉が閉ざされていた記憶はある。
セレが、本棚の一部の奥の壁を必死で鼻で突いている姿が目に入ったので近くに足を進めた。
「何をしてるの、セレ?」
『この辺りにしかけがあったはず』
「しかけ?」
セレが鼻先で押している壁に触れて力をこめると壁の一部が凹んだ。
同時に足元でかちっとかすかな音がした。
床で何かが起こったんだろうけど、暗くて見えない。
マレムがもう一つ魔法で明かりを作りだして、床近くを照らしてくれる。しゃがみ込んで確認すれば床の一部に穴が開いているのがわかった。四つん這いになって穴まで近づけば、中には冊子が一冊入っているのが見えた。
穴に手を入れて冊子を手に取り穴から出す。
古いもののようで、表紙からもうぼろぼろで今にもばらばらになりそうなほど中を閉じている紐が危い。
崩れないように気を付けながら表紙をめくって中を確かめてみた。
「『わが愛する妻、フェリシア・ルグランとその子供たちへ』? 」
表紙の裏に書かれていた一文をを読み上げてみると、セレが前足を私の膝にのせて『見せてくれ』とねだった。
セレにも見えるように床に本を置き更にページをめくる。
手記なのだろうか。中も表紙裏の文章と同じ筆跡の文字が並んでいる。
「フェリシアって誰だろ?」
『魔法王国最後の王の末姫の名だ。謀殺されかけたフェリシアを市井へわたしが市井へ逃がした』
私のつぶやきに返事をしたのはセレだ。
市井に逃げ込んだ王女様、って、私の先祖?
「『愛する妻』ってことは、これを書いた人はそのお姫様の夫?」
と、すると、これを書いた人も私の先祖だ。
「セレは手記? がここにあるのを知ってたの?」
『フェリシアを逃がした後、魔力を急激に失い普通の猫として生きるのがやっとだった。自我を取り戻したのはフェリシアの死後何十年も経った後だ。代々の当主何かを隠しているなとは気づいていた。まさかフェリシアの夫の手記だとは』
セレも知らなかったんだ。
めくってほしいとセレに促されてページをぱらぱらとめくってみる。
手記の前半は文字、後半は何かの図ばかりが記してあった。
何の図だろう?
後ろまでめくってしまったので、一度手記を閉じて、もう一度開く。
最初のページをざっと読んでみる。故郷を失い諸国をさ迷っていたこの手記の著者がフェリシア元王女に拾われ、夫婦となった。そして夫婦で、魔道具の開発を行い、魔道具販売のための商店をつくった。そんな内容だ。
フェリシア王女を賛美する文章が長すぎて目が滑る。なんなの、この手記。惚気なのか。先祖の惚気を読まされるのって微妙だわ。
「貸せ」
「え!」
私の横にしゃがみこんだマレムが、手記を奪い取るように手にすると、じっと見下ろして、ぱらぱらページをめくった。
「――後ろに書かれているのは魔法の術式だな。しかし、なんだこれ? 見たことねーな」
「魔法?」
その図形は魔法なの?
尋ねれば、マレムは呆れた目を私に向けて、すぐにああ、と納得の声をあげた。
「わからなくて当然か。魔法、勉強するか?」
「え! え、どう、しよう……」
やらない、と突っぱねるほど興味がないわけじゃない。
でも今から学んで身につくの?
勉強したいかって、どうなんだろう? 咄嗟には答えられないかも。
「使う使わないは別として、学問として学んどけばいい。魔法は猫経由で使えんだろ、いくらでも」
「セレの消耗が激しいからそう頻繁には使えないでしょ」
でも女神と対峙した時に使えるのならば身に着けておきたい気はする。
「十年も必死で学べば何とか物になるだろ」
「十年……」
長すぎる。女神から十年隠れていられるかわかんない。
10年待たずに私の体を乗っ取りに来るんじゃないかな。現在の肉体は限界に近かったし。
魔法は女神対策にはならない。諦めよう。
でも――。
「勉強は、してみたい」
「わかった。じゃあ教えてやる」
「は?」
聞きたくない言葉がマレムの口から飛び出してきた気がする。……幻聴かな。幻聴だといいな。
「独学で変な癖つけるより、基礎から叩き込んでやるって言ってんだよ」
「……遠慮します」
「遠慮すんな」
絶対に嫌だ。だってこいつ鬼コーチなんだもん!
「セ、セレに教わる!」
「マヌケ猫が教えられるわけねーだろ。そいつが使うのは俺たちが行使する魔法とはまた別次元の魔法なんだよ」
「そうなの!?」
私のあげた声に、セレは気まずげに一度頷いてみせた。
そうなんだ。セレが使う魔法ってマレムが使っている魔法と違うのか。
「えーと、えーと、がっ、学校みたいなのもあるでしょ?」
「最高クラスの魔法を教えてやるっつってんだから、大人しく頷け」
「うぅ……」
頷きたくないけど、頷くしかない、またこのパターンか。
何なのこれ、いじめなの?
「で、でも、忙しいでしょ」
「そんな毎日付きっ切りで教えてやる必要もない。どうせ気ままな領地暮らしだしな」
「領地? あれ、世紀の魔物退治は?」
「年がら年中魔物退治に出かけるわけないだろ? 馬鹿か」
ご尤もですけどね。
そっか王都じゃなくて、公爵家の領地へ引っ越すのか。
何の相談もなかったことは、この際不問にしてやってもいい。
このまま閣下の脛をかじる生活になるのは、ちょっとだけひっかかる。
やっぱりいい大人なんだから自立はしたい。したいけど、女神の存在が自立を許してくれない。
「俺が留守の間、お前を置いとくのに領地が適切なんだよ。俺の魔力がなじんているから結界も作りやすいし、何かあったらすぐ対応できる。なにより王都より聖域と物理的に距離も離れてるしな」
「ご面倒をかけて、申し訳ないと、思ってます……」
こんなに気を遣わせてしまうのは、私が女神の器だからだ。本当に面目ない。ご迷惑をおかけいたします、だ。
面倒くさいに決まってるのにな、私なんて。
「いっそ先に女神を行動不能にしとくか? そのほうが面倒は少ないんじゃねえの」
女神を行動不能にする方が骨が折れると思うよ!?
帰りの馬車もマレムと向かい合って座っている。
往路と違って気まずくないのはマレムがずっと例の手記を眺めていて、私に一瞥も与えないからだ。
走っている馬車の中で本を読むのって酔わないのかな。一応進行方向を向いているほうの席を譲ってあげてはいる。
私は風景を眺め、寝入ったセレを撫でて、満足だったりする。
「サラ」
「え、何?」
「両手出してみろ」
突然名前を呼ばれ、何かと思えば、手を出せと?
断る理由はない。言われるがまま両手を開いて差し出せば、マレムの右手がその手の平の上にかざされた。
一体何をするつもり?
左手で開いている本に目を落としながら、マレムは魔力を組み上げていく。
緻密で、小さな文字で網を形成しているようなその魔法だ。これは真似をしろと言ってもできないだろう。
一気に組み立て、形ができあがったと思ったら即座に発動した。
魔力できた文字が全部私の手のひらの中に吸い込まれていって魔力が霧散する。
痛いとかかゆいとか、冷たい暖かいすらも感じなかった。
少しだけ魔法の使い方を知ったからわかる。短時間であの複雑な形をした魔法を組みあげてられるなんて、こいつの腕は確かだと思う。天才だとリハト様は言っていたけど身内の欲目じゃなくて本当にそうなのかも。
「今の何?」
「荒野の呪いから身を隠す魔法」
『身を隠す?』
寝ていたはずのセレが飛び起きて叫んだ。
「手記に書かれている。代々ルグラン家の子には必ずこの魔法を施せってな」
「今の魔法で呪いを避けられるってこと?」
「魔法王国があの荒廃した大地を作り出し、あの地に住まうものの怨嗟を買った。王家の血をひくものは未来永劫その呪いに苦しめられることになると書かれている。荒野から身を隠す魔法で解呪じゃないようだな」
私の身に降りかかる不幸は荒野の呪いのせいかもしれない。そう考えていたんだけど、今の魔法で何かが変わった?
「すでに呪われている場合は? これ以上不幸が起こらないようになるの?」
「さあな。そんな事例は書かれてねーよ」
そりゃそうだ。
「だが、この魔法があれば、俺とお前の子は呪いから免れることができるか」
……。
こいつと私の、子?
現実逃避だ。考えたくなかった。忘れよう。今はまだ先送りにできる。
っていうか、呪われた子が生まれるからって言えば回避が可能だったかも。って、違う。もう回避は考えないって決めたんだ。
でも、それはまだ先送りだ。聞かなかった振り。知らない振り。
「我が愛しき子たち、か」
「はあ?」
「術式に隠されたメッセージ」
「隠された?」
マレムが何を言おうとしているのかわからず聞き返す。
「この図形を魔法として発動させるにあたって――ってまあ、結論だけ言や、この図形に描かれた魔法言語のうちいくつか使われていない文字がある。その文字を並べかえたら『我が愛しき子たちよ、強くあれ』」
「強く、あれ?」
「お前のご先祖様のありがたい言葉、だな」
強く、あれ?
強さってどんな強さなんだろう。女神に負けない強さ? それとも、女神から隠れ続けて生きる強さ? 女神に身を捧げるのだってきっと強さだ。
どうあればいいんだろう。私は私だと自信をもって言えるのは確か。けど、怖い。
「こんなの仕込むなんて何者なんだ、ストラス・ルグランってのは。一般市民って嘘だろ」
「ストラス? その手記書いた人の名前?」
「ああ。これ、もう少し借りてもいいか? 他の術式も読み込みたい」
「あ、うん。全部読んでないから、用が済んだら返してね」
「わかった」
会話はそこで途絶える。
怖いと感じてしまえば止まらない。考えを紛らわすように窓から外を流れる風景を眺めた。
王都まではまだ遠い。




