44 聖域
「ミレイ! しっかりしてよ!」
「……サラ、逃げた、ほうが、……い、い……かも……いける……?」
「行かせませんわ」
ミレイの横の空間に突然膨大な魔力が発生した、と思った同時に人が現れた。
「……魔人は無力化しました」
魔力の中から姿を見せたのは、一人の女だった。
3、40代ぐらいだろうか、青い布を全身に纏った上品な感じの人。髪はすべてかぶっている背の高い帽子にしまってあるため色まではわからない。
美人だけれど、どこか冷え冷えとする印象を与える人だ。
その冷たい茶色の目は私を真っすぐに見据えている。
「動かないほうが良いですよ。無力な魔人を葬ることぐらいはたやすきこと」
今のって、転移魔法だ。前に教授がやっていたのと同じ魔力の形――あれよりも強力な魔力だった。この人が、もしかして、女神リヴなのか?
「たすけてえええ!!」
体を動かさず、とりあえず叫んでみる。
叫べば誰かが来るって言ってた、それに賭ける。
女が動揺するのがわかった。同時にミレイに向かって駆ける。ミレイに抱き着くような格好で転がって女と距離をとる。
「ミレイ! 大丈夫!?」
「……」
ミレイの顔を覗き込んで呼びかけるが反応はない。
目は開いているけど、私を見てるようで見ていない。半開きになった唇も動かすことなく、ただぼんやりしている。
意識があるようでない、って感じか。
「おのれ!」
伸ばしてくる女の手を振り払ってミレイを背中にかばった。
「どうした!」
そこへ研究員さんの一人が部屋に駆け込んできた。
女の姿を見てかたまる。
「な、なんだ、どこから? なぜここに!?」
驚いているのは、やっぱりこの女が女神だから?
たとえこれがリヴだろうが誰だろうが、好き勝手させないって意味ではだれでも一緒だ。
「ミレイを元に戻して!」
「聞けませんわ」
魔力が、満ちていく。
これは――さっきと同じ、転移!?
まずい、と思った時には女に手をつかまれていた。
そして――目の前が暗転した。
目を開ければ、どこだここ?
若干気持ちが悪い。目が回っている。お酒がまだ抜けてなかったのかな。
「……うう」
「起きましたか、ルグランの娘」
どうやらどっかの部屋の床に転がされていたようだけど。
涼しい顔で私を見下ろす女を睨みつけて、上半身を起こす。体は普通に動くから大丈夫、かな。一応まだ私は私のままだ。
「女神さまが呼んでいらっしゃいます。来なさい」
女はそう告げて、さっさと部屋の出入り口へと歩いて行ってしまった。
女神が呼んでいる? 私を? え、じゃあこの人は誰?
「……あなたは誰?」
「ネリエル。女神さまにお仕えする、教皇バルドゥラの妻です」
「……教皇の、妻?」
え、奥さんいるの? あれに?
この人が女神じゃなかったことよりもそれにびっくりしてしまった。めっちゃ女癖悪いらしいじゃん、あれが夫でいいの?
「……皇妃ネリエル、それが私の名です」
皇妃……?
教皇に、皇妃って、リヴ神教って一つの国みたいなものってことなの。国にあって別の国? よくわからないけど。
「早くしなさい」
「行きたくない」
とりあえずごねてみたが、冷たく睨まれてしまった。
……底冷えする冷たさ、だわ。
仕方なく立ち上がって皇妃とやらの後ろに続いた。
暗い廊下をひたすら歩く。
これが聖域か。やっぱりうっすら魔力が漂っている。
形作られる前の純粋な魔力。これって私が力を加えたらセレの魔力みたいに形を変えることができたりするのだろうか。
試してみたいけど、今下手な真似をしたら一撃で殺されそうな気がする。なんだか皇妃が私に向けているのは殺気だ。いつでも首を一突きとかしてきそう。だから怖い。
「リヴ様、ネリエルが参りましたわ」
「入って頂戴」
長い廊下の先にあった古ぼけた木の扉を叩き、皇妃が告げると中から返事が返った。なんていうか、しわがれた老婆の声だ。
扉の先には質素なベッドと、同じく質素なつくりの机と椅子しかない部屋があった。
ベッドに寝ているのは、声から想像した通り一人の老婆だった。
シーツから出ているやせ衰えている手足には分厚い包帯が巻かれ痛々しい。でも重体というほどではない?
白髪を一つに束ねまとめ上げている頭には傷一つない。
これが、この老婆が女神、だというの?
「サラ、会いたかったわ、近くへきて」
「行きなさい。女神の命令です」
行きたくないけれど、従うしかない。
「ああ、私の新たな体!」
そう言いながら伸びてきた手を一歩後退することで躱す。
触られたら、やばい気がする。
「心配しないで、そんな簡単に入り込めるものではないから」
「……禁呪だから?」
「どこまで知っているの?」
突き刺さるような鋭い言葉が老婆から放たれて、思わず肩が震えてしまった。
「誰が教えたの? ユーシュレイ?」
「……」
「あの子のことをどう思っているのサラ?」
「変態だと」
正直に答えれば場が凍り付いたのがわかった。
「だからあの子、あんな真似をしたのねえ。本当はねえわたしの次の体は、あなたとあの子の間の子に決まっていたのよ。それなのに、あなたは全然見つかってはくれないし、あの子を拒否するし」
……何を、言ってんの、この女……。
「だからね、私があなたにとって代わって、あの子の子どもを作って、次代を作ろうと」
「なにそれ……」
だから私で交配計画をするなって本当にもう、何度だって言いたい! 言いまくりたい!
「どうしてユーシュと同じことを言うの? あの子もサラじゃなくては意味がないと言って反抗したのよ? 体はサラなのだから同じことなのに全力で抵抗されてしまった。ひどいわ、育ての親に向かって本気で魔法を放つなんて何を考えているのかしら?」
だって、この老婆、あの変態以上に話が通じない。
そりゃ実力行使やむなしでしょ。
本気で魔法をってことは、その怪我はあの変態がやったのか。
「こちらも本気で抵抗するでしょう? 残念だけど、あの子、もう生きてないかもね」
「は?」
あの変態が、生きてない、って?
死んでも別にいいけど、ぶん殴れないのはまあちょっとだけ残念かな? ぐらいの。
「だからね、サラ、早くあなたになって、ほかの父親候補を見つけなければ。あなたがまだ子を成せるうちに。もうこの体は持たないの」
再び伸ばされた手から逃れるように一歩引きながら、銃を取り出してそのまま引き金を引く。
「リヴ様!」
皇妃が何かしたのか、弾は女神に届く前に掻き消えた。
……気持ち悪いな! 本当にどいつもこいつも!
もう一発!
構えた瞬間、左足に激痛が走った。
太もものあたり、焼ける様に痛い。
「まずは動きを封じましょうね」
穏やかな口調でそう言って、女神が線の形をした魔法を放つ。線? と疑問に思った瞬間、同じ左足の今度は足首近くをその線が貫いた。
痛い。何今の、魔法? そんな魔法、見たことない。こんな形見たこと――
――だめだ、冷静にならないと、混乱しちゃだめ。
「もう片方の足も無力化しましょうね?」
「……マレム!!」
その名前を呼べば、防御魔法が展開するって言ってたけど。
線は私の体の直前ではじかれたのが見えた。
あ――、よかった、まだ、効果、あった――?
「あら、誰の魔力かしら? 消えないわね、厄介だわ」
魔法は弾くことができるようで一安心だけど、この痛みは思考能力を奪う。
何とかしなきゃ、という焦りもあって余計思考が定まらない。
切り札、と手を胸元へ持っていくと、手の動きに合わせて流れる魔力に、もしかしたら、と閃くものがあった。
一回しかやったことがない。だけど。
手にした銃で今度は皇妃を狙う。
おどろおどろしい何かって言ってたけど、相手が相手だから考慮はいらない。
今度は阻止されることなく、黒いゴムみたいなものが皇妃を覆い隠した。まるで虫の繭みたいに。
とりあえず、皇妃はこれでしばらくは動けない、はず。
片手で銃を構え、女神を睨みつけながらも、空いている右手で触れている魔力の形を弄る。
うまく、いけっ!
「治れ!」
形作られた魔力を発動させれば痛みが少しだけ軽減した。
辺りに漂っている魔力でも魔法、ちゃんと発動するんだ。駄目元で試してみたけど、やってみてよかった。
このぐらいの痛みなら、走れる――かも!
「何を?」
もう一度触れている魔力を弄って形を変える。
これは何度も見てきたから、多分いける。
「炎!!」
ランドが使っていた魔法だ。
女神が寝ている寝具に向けて発動したが、初めてとは思えないほど正確にシーツだけを発火させることに成功した。
炎に気を取られている女神に背を向けて私はドアに飛びつくと廊下へと飛び出す。
動くとやっぱり足は痛い。
でも少しでも遠くへ、今は距離を稼がなくちゃ!
誰にも助けてもらえない。そういう怖さは大神官のところで嫌というほど味わったから慣れている。
あの時は閉じ込められてた状態での絶望感だったから、こうやって逃げられる今はだいぶマシ。
このまま逃げてどうにかして飛行船までたどりつくのがベストだけど、捕まらなければセーフなんだから、そんなに難しくはない、と思いたい。
それに、名前を呼べばあいつに私が今いる場所がわかるって言ってた。だから時間さえ稼げればあいつは来る。絶対来る。
暗い廊下を駆け抜け、階段を見つけて駆け上る。
大体3階分ぐらい駆けあがって、階段エリアを出てまた廊下へと飛び出た。
思考を止めて、ひたすらその細い廊下を走る。
しばらく走れば左手に大きな窓があった。
足を止めて、息を整えて、窓を見やればちゃんと開く窓。
窓の外は屋外につながっている。登ってきたはずなのに、地面とこの廊下との高低差はほとんどなかった。
外へ!
考えず反射的に窓を乗り越えて地面へと降りる。
着地した時傷が痛んだけど、気づかないふりをしておいた。もうちょっと頑張りたい。
とりあえず周囲の確認が先。
痛みは誤魔化しきれない。泣きそうになりながら自分に「落ち着け」と言い聞かせ一度大きく深呼吸をした。
屋外に出てもうっすらと漂う魔力は変わらない。
晴れ渡った空が見えた。ちゃんと外、だよね?
そして、ここは裏庭、みたいなもの、かな。
足元は砂利、雑草がちょこちょこ生えているのが見えるが、背の高い雑草は見当たらないから手入れはされているっぽい。
まばらに生えている雑木。その先に立ちはだかっているのは高い壁。
あれをよじ登るのは怪我をしてなくても無理だな。
壁伝いに歩いていればそのうち出入口にたどり着くかもしれない。出入口に行けば確実につかまりそうな気はするけどその前に、あの筋肉自慢な第三王子に合流できれば逃げ切れるんだけど。
あまりにも分が悪い賭けな気がする。でも他に方法があるんだろうか。




