35 内輪話
「サラ」
ふと、ランドが立ち上がって抱き合っている私たちの近くまで歩み寄ってくると、真顔になって私に一本のペンを差し出した。
「今のうちに渡しとく。何とか持ち出せたのがこれだけ」
私は無言でそれを受け取ると、シンプルなキャップ付きの黒色をしたそれを眺めた。
「ごめん、ミレイ多分危ないやつだから」
「そうね。さすがの私も毒にはコロっといくかも」
ちょっとだけ眉をひそめて、ミレイは慎重に私から手を放して少し距離をとった。
手の中にあるのは、インクの代わりに毒が入ったペン。前に使ったことがあったっけ。
「素手で触ってて、平気なの?」
「一応密封はしてある。けど、万が一があるからな。サラ以外は触られないように保管しとけ」
そんな場所あるのかな? と考えながら頷く。よっぽど強い毒なんだ。
「使う機会がないに越したことはないんだけどさ」
「うん、わかってる」
私もそう願いたい。
でも敵は一筋縄ではいかない相手だ。最悪この手で葬り去ることも考えないときっと勝てない、あの変態には。
あの顔を思い出しただけで身の毛がよだつ。
力で支配されて好き放題される恐怖をあの男にわからせるのには必要になるのかもしれない。
「どこに隠せばいいんだろう?」
とにかく私以外に触らせるわけにはいかない。
意図しない人物を害するつもりはないのだ。
「そうね、ベタだけど下着に隠しちゃえば? 取り出しやすいように胸元」
「あ、それ、しかないか」
ミレイの提案を聞き、首元のボタンを外してそれをさっと胸元にしまい込んだ。大きさははみ出すほど大きくなくて助かったが、ちょっと違和感はある。
でも、身体の形を拾うようなぴったりとした服を着ない限りは外からはわからないと思う。多分。
と、なんだか気まずそうに顔を背けているランドの姿に一度咳払いをする。
ランドを異性として意識してなかった。
そうだよね、見せていないとはいえ、下着の話は異性の前では駄目。
よし、さっさと話題を変えて忘れてもらえ。
「あいつのお兄さんの情報って本物なの?」
「勿論。組織の情報網使ったからな」
聞いたことある。組織が持つ巨大な情報網。ランドはものすごく頑張れば利用ができる程度の立ち位置だったらしいけど。
ってことは例の長男はリヴ神の元にいるってことか。なんでまた。
「なんの理由があって出家したかなんてことはわからないけど」
「あの感じだと連れ戻しに行ったのかな」
「ものすごく怒り狂ってたよな。沸点低すぎだろ」
「否定はしない」
怒ると怖いんだから、みんなあいつをあんまり怒らせないでほしい。
「んで、サラは結婚いつすんの?」
「なっ!」
不意打ちみたいな質問に飛び上がってしまった。
いきなり何を聞いてくるのこいつは。
「しない! っていうかしたくない! でも、しなきゃいけない……」
「だから逃げちゃえばいいじゃないの」
「そうなんだけど!」
ミレイの手を借りればどうにか逃げられるだろうとは思うし、もし大神官が追いかけてきてもミレイなら返り討ちにできるのかもしれない。
でも、ミレイが危険なのは確かだし、当然無傷じゃ済まないだろう。私はミレイに怪我なんてしてほしくないし、できれば面白楽しく暮らしたい。
それが叶うのって、逃亡生活の果てにはないような気がするんだよね。
「衣食住をまかなってもらってて、さらに二人の就職までお世話になってさあ、逃げちゃダメじゃない?」
「そりゃまあ、……そうだろな。じゃあ、結婚いつにする?」
「あいつに愛想尽かされる方法急募」
揶揄うような口調で投げかけて来るランドの質問は無視。
私が知りたいのは、あいつが完全に私に生理的嫌悪感を抱いてくれるその方法だ。
「今国王様が反対してるんだって。だってこんな立派な家に元殺し屋の女が嫁に入るとか絶対無理でしょ! だから今のうちにいい方法を見つけないと! それが唯一の逃げ道!」
さっきのファーナ様の言い方だと、頼ればまた雇ってくれそうだったんだけど。
ただあのお屋敷だと、奴はやって来るに違いない、確実に来る。
「そんなウルトラ技使うよりは受け入れた方が楽だろ」
「なんでよ、あの男にサラは本当に勿体ない!」
「でも、変な趣味持つ奴らよりはマシだろ、ただでさえ可愛らしい容姿してんだし」
その可愛らしいって表現は若干悪意を感じるけど。
実際問題それもある。あいつも守ってくれるっていうけど、そういう変態と接触しなくてもいいのはありがたい。
食べるものに困らないのもあいつのおかげだし、この二人に無事に再会できたのもあいつの――ううう。
そ、そもそも、あいつが私を好きだってみんな口をそろえて言ってくるけど、絶対そんなことないんだから。
たまに優しかったりするけど、たいてい怒っているし、機嫌悪そうだし。
悪口ばっかり言うし。
苦労する未来しか見えないから絶対に受け入れちゃ駄目な気する。
「ランド、サラの嫌がる気持ちをわかってやらないのは何で? あんな性格最悪な奴、絶対泣かされ続けるわよ? サラに苦労してほしいわけ?」
「あ、いや、そういうわけじゃないけど……」
ミレイに詰め寄られて、ランドは困ったように一歩後退した。
「泣かすかな、あの人。むしろサラ、泣くか?」
「……血も涙もないって言いたいの?」
何かランドの言葉にはひっかかるものがあって問いかければ、ランドはもう一歩後退した。
たじたじの体で言葉を発する。
「いやそれはどっちかっていうとミレイの方――待てミレイ、考えを改めるからそのこぶしはしまえ。サラは反骨精神が強いっていうか、負けてたまるかって考えてるだろ」
ミレイが冷めた目つきでランドを見ながらも握りこぶしを解いたので、止める必要はない、と。安堵しつつ、私は一回頷いた。
だって、やられっぱなし、言われっぱなしは悔しいし、絶対負けたくなって思う。
「あの人、多分そういうの、好きなんじゃないのか」
「は?」
「サラのそういうところが好きなんだと思う」
好き、と言われても。
「趣味悪すぎる!」
「悪くはないわよ。サラのそういうところも私は好き」
ミレイのフォローはありがたい。ありがたいけども。
なんだろう、むず痒いような感じ。あいつに好かれるのって全身を搔きむしりたいほどのむず痒さだ。
「そういうの、やめて!」
「なぜ涙目?」
「なんかやだ、そういう好かれ方はされたくない! かといってベタ惚れとかそういう系もなし! 普通に尊敬して尊重し合う、そういうのがいい!」
あんまり自分の理想とかわかってなかったし、考えたこともなかったんだけど。
そういえば、ミレイも私もかつては独身主義者だった。
ミレイは愛が募るほど殺害衝動が高まるし、私は自分に寄ってくる特殊性癖持ちのあまりの気持ち悪さに、男という性に幻滅していたから。
絶対に結婚するより一人でいた方が楽だと思ったし、愛って言葉で迫りくる連中がとにかく気持ち悪いと嫌悪感が強くって。
何より私が幸せになることなんて絶対ありえないって思っていたのもある。
あいつは子どもだけ産めばもう私に用はないと言った。
それで離れで普通っぽく生活を送れるようにするって。
つまりは夫婦として過ごす気はないってこと、で。
あれ? でもこの間「夫婦としての役割を果たさないか」とかって言ってた? 役割って何?
セレには「尊重し合えればいい」みたいなこと言ってたんだっけ? 尊重ってことはそれは私の望むものかもしれない?
思い出したらだんだんわかんなくなってきた。
一つだけわかるのは、あいつの態度って全然私を尊重するって感じじゃない。
あいつの言う尊重は私の理想に思っている尊重と違う!
「あれを尊敬することはできないし。だけど、仕方なく仮面夫婦するしかないのかな」
「は? いやいや何言ってんのサラ? 仮面夫婦すんの? なんで?」
「絶対どっかに隠しておいて、自分だけが楽しむタイプよね、あれ」
「ミレイ言い方! それはちょっと言い過ぎっていうか、まあ、なんかもうそれが的確な気がするけど」
「え?」
なんか、二人の言い方からは不穏なものを覚えるんだけど、多分そんなことしないと思う、よ、ね、多分。
だって、ほら、あいつあんなだし。
「とりあえずあの人ときちんと話をしろよ。お前に足りないのは会話だと思うぞ? いやお前にじゃないか?」
「どういうこと?」
ランドが言っている意味がわからなくて聞き返したが、ランドは苦笑いを浮かべるばかりで答えてくれるつもりはなさそうだ。
でも会話が足りないって。話はしてるような気はする。
「……人の気持ちはさておき、サラはどう思ってんの、あの俺サマ貴族のこと」
ミレイに改めて問われると、わからない、としか言えないことに気づく。
少し前だったら嫌いと即答していたと思う。
「嫌いではない、と思う。嫌悪感はないし」
そうだ、世間の男という性に向けていた嫌悪感は抱いてない。今は。
抱いていないだけで、嫌いじゃないだけで、好きじゃないから。
「だけど、結婚したいとは絶対思えない。絶対に」
「……好きでもない人間と結婚なんて地獄よね?」
「夫婦になればそのうち愛も芽生えるんじゃないのか」
ランドは何だかかなり適当なことを言っていると思う。
人生がかかってるんだからもうちょっと真剣に向き合って! と思うけれど、これぐらい適当でいてくれた方がありがたいかもしれないと思い直した。
ミレイはランドのその態度にムカついたのかランドを睨みつけている。
私の飲み込みもうとしている感情をいることをミレイがストレートに表現してくれるし、ランドもそれをぶつけても軽く躱してくれるから、この二人といるのは居心地がいい。……本当にここにいてくれて嬉しい。そう改めて思った。




