03 任務実行
「サラ、今から特別室に行ってくれないか」
「何でですか!?」
夜、 宿のオーナーから直々に命じられ、思わず抗議の声をあげてしまっていた。
あの気持ち悪い感覚が蘇り、一気に血の気が引いた。
悍ましい出来事はオーナーに報告しているのに、この仕打ちだ。
「お貴族様のご指名で、寝る前にお茶を届けてくれと」
「召使い何人も連れてきてるんだからそっちで勝手にやってよ! てか自分でいれろ!」
「……サラ」
オーナーはため息交じりに私の名前を呼んで、神妙そうな表情を見せた。
「仕方ないんだ。サラを差し出さないと営業できないようにしてやる、と言われたんだ」
「脅迫じゃないですか! 司法に委ねましょうよ! こんな案件」
「特別に手当てを付ける! ……天井のシミを数えているうちに終わるから……だからどうか我慢してくれ」
……こいつ、私を売りやがった!
いやまあ、宿と私、どちらを取るか、なんて言われたら宿を取るだろう。
従業員の小娘の安全は確保してくれない……。
まあ私を差し出しても、命までは奪われないだろうからオーナーにとって罪悪感も薄いだろうし。
世の中概ねそんなもんだってこと、わかってたはずなのになんか悔しくて悲しい。
でも、まあ、特別室には侵入するつもりだったから、もういいや。
やるせない気持ちを無理やり飲み込んで私は頷いた。
ちなみに、オーナーは『組織』の人間じゃない。
あのターゲットのお貴族様のところに行かされるのは『組織』の意向じゃなくて変数ってことで。
やることは変わらないんだけど妙に緊張する。
不安と緊張を抱え、お貴族様ご所望のお茶セットを手に特別室へと向かう。
そういえば、あのお貴族様はどうして『組織』に狙われているんだろ?
誰かが依頼したからに他ならないんだけど、あの手慣れた感じから言ってかなりの恨みを買っているのはわかる。
でもどうやってこんな田舎町にやってくるようにしかけたんだろうな。
『組織』がどうにかしておびき寄せたんだと思うけど、考えたってわかるわけもない。
私は『組織』――フォグリフのことを何にも知らない。
それはいつでも切り捨てられる末端だからに他ならない。
真面目に働いているはずの職場でもこうやって生贄みたいに差し出されちゃうし、組織でも切り捨て可能な末端だし。
何だかな、毎日頑張ってるつもりなのに。
考えている間に、目の前には特別室の建物があった。
絶望的になってしまった思考を止めて、出入り口の扉をノックした。
返事はない。
一秒か二秒、間をおいてからもう一度ノック。
返事を確認するより前に、鍵がかかっていなかった扉を開け放った。
扉の向こうから香る独特の匂いは眠りの香の匂いだ。
特徴のある甘ったるい匂いの中、お茶セットを両手で持ちながら建物の中に侵入。
廊下には、香の効果で護衛たちと使用人たちが倒れ伏している。
なんともまあ、見事な手腕だこと。
組織の完璧とも言える仕事ぶりには舌を巻く。
かすかな寝息だけが聞こえる静かな廊下を、足を音を立てないように気を付けて例の寝室に向かう。
昼間に場所を確認しておいてよかった。――確認させられた、が正しいかもだけど。
あの時の嫌な感情を思い出しそうになって、はっと我に返る。
今はそれどころじゃない。
寝室のドアノブを回すと、がちゃっと思ったよりも大きい音が鳴り響いた。
反射的にびくっと身が竦んだ。でも、香が効いているから大丈夫、な、はず、だよね。
自分に言い聞かせるように、大丈夫、やれる、と繰り返しベッドへと歩み寄る。
ベッドの上に贅沢ボディーなお貴族様が横たわっているのを目視で確認しつつ、サイドテーブルの上に持っていたお茶セットをトレーのまま置いた。
ターゲットから目を離さず、エプロンのポケットに右手を入れ、指先に触れた小さい針の存在を確認。指に張り付けるようにしてポケットの外に出す。
大丈夫、やれる。
指に張り付いた針をつまみ直してベッドによじ登った。
「失礼しまーす」
小声で声をかけながらも眠っているターゲットに馬乗りになる。暴れることはないと思うけど一応逃げられないようにだ。
贅沢ボディーは柔らかクッション……かと思いきや結構かたい。
これから死後硬直したらもっと固くなるのか。
見た目はふんわりなのに、結構残念。
緊張を誤魔化すようにそんなどうでもいいことを考えながら、指につまんだ針を――。
「うひぃ!?」
瞬間、太ももに這いずる回る手の感触を覚えて、思わず悲鳴を上げてしまった。
目下に目を開いたお貴族様が、下卑た目でうすら笑いを浮かべている姿があった。
ちょ、待って――本当に、気持ち悪い!
「ずいぶん、積極的なんだね」
「……ひっ」
悲鳴を無理やり飲み込んだらしゃっくりが漏れた。
劣情に染まるおっさんの顔を直視できず太ももを撫でまわす手を振り払い、立ち上がる。
何で眠りの香が効いてないの!?
あ、違う、駄目だ、取り乱しちゃ駄目。冷静に行かないと。針を刺すだけで終わるんだから。
「ああ、サラ最高だよ、君は本当にかわいい」
なんで私の名前知ってんの!?
っていうか、かわいいって、やっぱり、童顔だから――いや、そうじゃなくって。
これ以上問答はなし! 針を握り直し再びお貴族様に覆いかぶさる。
胸元に伸ばされるターゲットの手を振り払いたい衝動は無理やり抑え込む。
一直線に持った針で頸動脈を狙い突き刺――そうとしたところで横から現れた人物に手首を掴まれて、宙吊り状態にされてしまった。
やばい、針、落とした!
「っ! 離せ!」
腕をつかみ上げている人間を睨みつける。
身に着けていたクロックコートを脱ぎ、クラバットも外しているから印象が違うけど、こいつ、お貴族様の秘書だ。
短い黒髪が闇に紛れやすいせいか全然接近に気づかなかった!
その黒い目は冷たく、無表情で私を見据えている。――ムカつく。
吊られたまま勢いをつけて蹴りを入れようとしたが、届かない。
……何だか、体がうまく動かないような、気がする……?
「は、離してってば!」
「貴様、何をしている! その娘はわたしの――」
「うるさい」
貴族が起き上がって私に手を伸ばそうとしたところで、破裂音とともにもんどりうって倒れた。
え? え? 何が一体、どうしたの……?
訳がわからないまま、音が鳴った方向を探ると、私を捉えている秘書の手に見たことのある形状のものが握られている。
銃だ。
……意味がわからなすぎて、フリーズしかけた思考を慌ててフル回転させる。
話には聞いていたし、絵で見たことはあるけど実物を見るのははじめて。
火薬や魔法によって細長い銃身鉛の弾がからすごい勢いで飛び出していき対象を貫くもの、だよね、銃って。
でもこいつが持っているのって、何かちょっと違うような――あ。
火薬を使わずに魔法で動くっていう魔道具の技術を応用した銃があるってランドから聞いたことがあった。
魔法でターゲットを自動で追撃するとかなんとか、そんなの反則だわって思ったんだった。
私を拘束したまま貴族に命中させるなんて普通に考えたら無理。でも魔道具なら――?
なんであれ、アレで撃たれたら死ぬのは確実なわけで。
倒れたままぴくりとも動かないお貴族様を一瞥して男に視線を戻す。
今私にできることは、ここで死ぬかそれともこの男を殺すか、どちらかだけ。
思うように動けない何らかの力から逃れるために足をバタバタとさせながら、思い切り唇をかむ。
あんまりこの手は使いたくないんだけど!
でも、唯一の武器だった針は落としちゃったから、この手しかない!
嚙み切った唇から流れるぬるりと生暖かい血を舌先で掬い口中へと含む。
手首を返すように私を掴んでいる手から抜け出し、男に体当たりを仕掛けて後方に転がした。
最初からこうすればよかったんだ、とは思うけどテンパってたんだ。仕方ないでしょ!
胸中で言い訳しながら、男の体の上にのしかかり、頬に手をかけ――本当はものすごく嫌なんだけど!
やるしかないっ!
男の唇に自分の唇を重ね、舌で男の口をこじあけながら口中に含んでいた血液を流し込んだ。
飲め! そのまま飲み込んで、お願い!
ようやく我に返ったのか、男に突き飛ばされ後方に転がった。
――今更抵抗したって、もう遅い、わ。
床に背中を打ち付けて、妙に冷静になった。
この方法しかなかったとはいえ、盛りがついた変態みたいな真似をしでかしたことに急に恥ずかしくなった。
もう、動きたくない。羞恥心で死にたい。
そんな自分の純情な感情とか、恥とか、そういうの全部生きるためには邪魔だってわかっているのに。
早く毒が回って死なないかな。
死者とのキスならノーカンだし、今の醜態だって目撃者がいないんだからなかったことにしてもいいはず。
「おい」
都合の良いことを考えていた私の視界に、こちらを見下ろす男が立ちふさがった。
……げ、マジ?
何で立っていられるの? 毒が効かないってこと? そんなことある?
これって、まずくない? まさかの失敗? って冗談じゃない!
そういえば、と、ぼんやりと思い起こすと、毒を服用したのっていつもよりもちょっと早かったような気がする。
本当はもうちょっと時間が経ってからこっそり忍び込むつもりだったから。
ってことは、毒が全身に回り切ってなかったってこと? この男に飲ませた血液って毒になってなかった……みたいな?
これも全部オーナーが私を生贄にしたからだ。やっぱ絶対に許さん。
オーナーに責任転嫁したってこのピンチから逃れることなんてできないのはわかっている。
わかっているからこそ! 言いたくなるもんじゃないの、恨み言って。
思わず笑いが漏れた。
「あーあ」
「いきなり何をする、この痴女め」
人生はあきらめたけど、この言い方は若干傷つくな。
男は激怒しているようで何度か自分の手で何度か口を拭いながら目を見開いて睨みつけてきているのが暗がりでもわかる。
無表情だったけど、ちゃんと怒る時には怒るのか。
「……血、飲んだでしょ?」
「血だと?」
「私の血には猛毒が含まれてる――はずだったけど、ちょっと早かったみたい。運が良かったわね」
ムカつくけどね。
やけくそで笑い声をあげると、男がだん、と大きな音を立てて私の顔の横を踏み抜いた。
そのまま顔を踏みつけることもできただろうに、ちょっと甘すぎない?
「どういう意味だ?」
「……死の口づけってやつよ」
不遜に笑うと、男の顔が引きつったのがわかった。
怒りから、じゃないな、手も震えているのが見える。
「ああ、毒が効いてないわけじゃないのね、痺れてる?」
「くそ! 自爆技か!」
「違うわよ」
意味深な言葉を放って、焦燥感に駆られている男の姿を馬鹿にするように鼻で笑ってやる。
こんなに手の内をべらべら喋るなんて普通はない。でも、喋ってないと怖くてどうにかなっちゃいそう。
「私、毒が効かないの、だから自爆じゃない」
毒針を素手で掴めるのもこの体質だからこそ。
童顔で油断させて、毒で刺す。
それだけしかできないのに、ちゃんと殺し屋やれてるのって、騙されるお人好しが多いからなんだよね。
この男には通用しなかったっぽいけど。
でもま、ちょっと間抜けな姿が拝めたからいいか。
「そういうそっちも、眠りの香が効いてないみたいだけど?」
「……無力化させる魔法ぐらい使えるに決まってんだろ」
魔法か。
魔道具もそうだけど、値段的にも才能的にも、私には絶対に手が届かないって辺りが、反則じゃないの。
眠りの香は無効化したっていうけど、口の端が痙攣しているのがわかる。私が飲ませた毒は効いてるっぽい。何種類か混ぜ合わせた見た目、臭い共にヤバイやつだ。あれ飲みこむのにものすごく苦労したんだから。簡単に飲めてしかも全然効いてないって結構ムカつく。
しかし、時間さえ間違えなければちゃんと始末できたかもしれない、なんて今更言ったって仕方ないけど。
なんだろうな、この人も貴族だって言ってたっけ?
地位もあってまあまあ見た目もいいし、おまけに運までいいなんて、世の中本当に不公平だわ。
親もいなくて、やりたくもない殺しをやり続けて、最後は貴族のおっさんに触られて、痴女呼ばわりされて死ぬ私とは大違い。
今度生まれるんだったら、私も貴族のお嬢さんとして生まれて何不自由ない暮らしをしてやる!
絶対に!
「種明かし終わり。満足した?」
「……ああ」
「じゃあ殺しなさいよ」
絵でしかみたことのなかった銃の銃口が私をとらえる。
毒の影響か、ややおぼつかない動きで男は引き金を引くのを見た瞬間、意識が落ちた。
意識が途絶える直前に頭の中に浮かんだのは白いフワフワの毛。私の猫。たった一匹だけの私の大事な家族。
――ごめんねセレ。
もう会えない。
それから、ごめんねミレイ。
半分冗談だったのにあれが本当に遺言になっちゃうなんてね。
本当に、ごめん。




