26 来た!
食欲がわかず、ぼんやり過ごしていると不意に扉が開き誰かが部屋に入ってきた。
顔を上げれば、昨日来たばかりの教皇だ。今日は、大神官はいない。一人きり。
「やあ、どうもサラ。どうしてもユーシュレイのいないところで話をしたくて」
「……はあ」
嫌だと言うのは簡単だったけど、受け入れてもらえるとは思わない。
下手に逆らって何かされるのも勘弁だった。
どうぞ、と手で示せば教皇は断りなくソファーに腰を下ろした。
私も特に何も言わずに折り畳みの椅子を持ってきて、応接テーブルを挟んで教皇の向かいに座る。
あいつの家の中のように、どこからともなく白い装いの女性がお茶を運んで来て教皇と私の前に置いて部屋を出ていく。
「若い女性の間で人気のあるお茶を用意してみた」
教皇自らがお茶を用意するの? 驚いて教皇の顔を見れば私の反応が嬉しかったのか目じりをさらに下げて微笑んだ。
なるほど、女遊び一環でこういうのも得意なのかも。
選んでもらったからには口をつけないわけにはいかない、か。
一口飲んでテーブルの上に戻す。
薔薇っぽい匂いがする。いい匂いだとは思うし、若い女性が好きだったのもわかる。
「あの、話って?」
「ユーシュレイが選んだ女神の器を見極めたくってな」
「女神の器?」
何言ってんだ、このおっさん。
最近こういうわけのわかんない話ばっかでうんざりしてんだけど?
「正直、なんでこんなガキが、という気持ちだよ」
「ああ、私も『んなわけないだろ、馬鹿か』って思ってますよ」
あ、ちょっとあいつっぽい言い方になっている気がする。まあちょっと口が悪いぐらいでちょうどいいか。
「……目の前にいる私を恐れないのか、ガキが」
「怖いですけどあなたのような人間なんてたくさん見てきたので」
組織もそうだし、宿屋の客にもいたし。
善人ぶった悪人なんてこの世に捨てるほどいる。
「わかりやすく怯えてほしいですか。お望みならそうしますけど」
「口の減らない。ユーシュレイが選んだ女じゃなければ、捻り潰しているぞ」
「やればいいじゃないですか。別の人に罪をなすりつけるぐらい容易いでしょう」
私には帰るところもない、迎えに来てくれる人だっていない。そういう身の上だ。
それに、大神官から逃れられるんだったら……って駄目だ、何を弱気になってるんだろう。
確かに偉い奴かもしれない。でも裏の人間だったとしたらもっと怖い人間と対峙してきたから、こんなの怖いうちにも入らない。
「大神官の恨みを買えと? 小娘、お前がいなくなればあれは間違いなくここを燃やし尽くすぐらいはやるだろう」
「……はい?」
「誰がお前を消したかなど関係なく、私も含めここにいる者全てを破壊し尽くすだろう。そういうモノだ、彼奴は」
病んでる……。
いや、何かそれやりそうな雰囲気はちょっとだけ感じてはいるけど。単なるエロキモイ奴だった、そう思っていたかった。
組織内のミレイの扱いに似ている。ものすごく似ていて、ストッパーが私ってのも同じ。
「だからうまくコントロールをしてくれ。幸せになる祝福を送っておこう」
「いりませんよ!」
なにそれ、何の話だ!
こんなに投げやりな祝福なんていらないし。
祝福を途中でやめて、教皇は疲れたようにため息をつきながら立ち上がった。
「もし大神官を捨てるなら、息の根を止めて破棄をしろ」
「……」
なんでそういう重いものを背負わせるの!
だって私大神官に何にもしてないじゃん! 勝手に惚れて! 拉致してきて! 監禁して! 愛を囁いて! 全部気持ち悪いし、返品するときには殺せって、どういうことよぉ!?
「ご自分でどうぞ」
「できるものならとうにやっている。あれでもリヴ神に愛された子だ。生まれつき力も強く、敵うものなどいない」
諦めないで!
それってそういう風に育てたこの神教が悪いんじゃない。責任はそっちがとるべき。
それ以上何も言わずに立ち去る教皇の背中を睨みつける。
最高責任者がそれじゃ困るの! こっちは!
何かもう、疲れた。
教皇が爆弾発言をぶつけてきたあの日から三日。
ベッドに横たわって起きる気力すらわかない。
起きたところでやることもない。ただ部屋にいるだけ。
朝部屋を出て行って夜になると戻ってくる大神官に愛を囁かれるだけだ。
いや、あれは気持ち悪いって思えるからまだ正常だと思いたい。
だけど、何かぼんやりしてしまう。
このままじゃいけないとわかっているのに。
「ねえ、女神の器って何?」
そういえばそれを聞けていなかった。
今日も部屋に戻ってきた大神官にさっそく問いかけてみれば目を丸くして私を見た。聞いてはいけないことだったのか。
「誰から聞い――教皇か、早いこと処分しておけばよかったかな」
「あれはどうだっていいでしょ、私に何をしてほしいの?」
「女神リヴはサラが新たな女神になると言っているんだよ。大神官であるわたしと新たな女神が聖なる婚姻をして神教の新しい歴史が始まる」
「……」
なにそれ。私が女神になる? 意味が分からない。
しかも大神官と婚姻って、ふっさげんな!
「絶対嫌」
「サラ……決まったことだよ」
近づいてくる顔を手のひらで叩きつける。
昨日あたりからまた触るようになってきた。不快すぎる。
「サラ、いいでしょう? もう君は私のものなんだし」
「私の体は私の!」
「触れたくてたまらない」
「じゃあ、やってみれば? 舌噛んで死ぬけどね」
「サラ」
咎めるような口調で大神官は言いながら私の口の中に指を突っ込んできた。
何を! と文句を言うより前に口内をかき回すようにその指を動かす。
あまりの出来事に硬直していれば、大神官が劣情にまみれた表情をしたのがわかった。この顔つき、気持ち悪いし、怖い。
恐怖で身を引こうとするよりも前に大神官の空いている方の手で背中を抱かれるような形で止められてしまった。
しばらく楽しむように指をゆっくり動かしていたが満足したのか、指を引き抜いた。
そのまま、自分の口元に――
「本当にやめてよ! 変態!」
叩き落として、取り出したハンカチでその指を拭う。
「直接、もらおうかな?」
「何を?」
今日の距離の近さは、ものすごく嫌で、でも離れようとしても絶対阻止してくるのが、もう、怖くて怖くてたまらない。
でも、まだ負けたくない。恐怖に屈したくない。近づいてくる体を両手で押しのけながらもその腕から懸命に逃れた。
「愛しているのに」
「私は嫌い」
愛している、か。
便利な言葉だな、と思った。
その言葉で全部が許されるのか。
嫌いの一言に、大神官ははっとした表情を見せて、すぐにうつむいた。
手を伸ばして強引に私を抱きかかえる。
「わたしたちは夫婦になるんだよ」
「なれないわよ」
「リヴ様に祝福されて――」
どん、と下から突き上げるような揺れがあった。
「地震?」
どん、もう一度地響きが鳴り響いた、と思ったその瞬間に忌々しいこのすべてが白い部屋の壁と天井が一瞬にして朽ち果てた。
「え?」
目の前で起こったはずなのに、信じられない思いであたりを見回す。
うん、部屋の形は残っているけど、壁と天井がなくなって……?
薄い青に、白のぼかしを入れたような色が白ばかりだった天井の変わりにそこにあった。あれは空、だよね。本物の、空なんだよね?
「無茶な……」
大神官は怒りのこもった声音で呟いて、私から手を離した。
この機を逃すまいと、私も大神官から離れて息を吐く。助かった、で、いいんだよね?
何だか感情が追い付かない。気力が尽きかけてぼんやりしていたせいかな。
「マレム・クラウディル! 自分が何をしているのかわかっているのか?」
「誘拐犯にどうこう言われたくない」
すっかり見通しがよくなった元は廊下だったであろう場所に、奴が浮いていた。
魔法で空中に浮かびながら破壊魔法をぶちかましているってことか。いつものように無茶苦茶だな。
正直、怖いわ、あれも。
あれか、これか。最悪な二択だなっていうのが本音。
でも、ここに残るよりはあっちの悪鬼みたいな奴の方がいいか。
「おい、下僕」
その呼びかけに、私は立ち上がってあいつの方へと歩み寄る。
「結界を張っているから向こうには行けないよ、サラ」
大神官がなんか言ってるけど、無視。
結界ね。床も天井も綺麗になくなった状態で、部屋が残っているのはそれのおかげかな。
扉があったあたりまで歩いて行ってそのまま外に出ようとしたら、ばちっと何かに弾かれた。
恐る恐る手で何かに触れれば複数の針が突き刺さったような激痛がはしる。
めっちゃ痛い。
「サラ! 結界に触れてはいけない。怪我だけでは済まない」
駆け寄ってきて私の手を掴んだ大神官を思いきり振りはらった。嫌だって言ってんの!
「さわんないでよ!」
これを破らなきゃ外には出られないんだったら、ちょっとぐらいは痛くても我慢できる。
「無理すんな。下僕」
「そろそろさ、ちゃんと名前で呼んでよ」
痴女やら下僕やら、どうしてそんな呼び方なの。
まあ、私もそうだから人のことは言えないか。
「これ、めっちゃ痛いんだから」
「だからやめとけ」
「応援してよ、マレム」
その名を口にすれば、急に力が湧いてきたように、平坦だった感情に急に色付いたような感覚があった。
なにこれ、何らかの魔力が私の周りを取り巻いたのはわかるけど、何の魔法なのかはわからない。
辺りが眩しく感じるほど、視界が明るくなった。結界とやらが見えるようになったし、先ほど触れた位置にドアノブっぽいのが発生しているのも見える。
このドアノブを回せば結界が失せるの?
やってみようと手を伸ばす。
もうここは嫌。神教なんか嫌い! 絶対に出て行ってやる!
ドアノブに触れればまた手に激痛を覚えたけれど、力をこめてドアノブを握りしめた。
勢いよく回す。
もう限界! 扉を開けるようにドアノブを思い切り押して、手を離した。
その一瞬で、辺りを取り囲んでいた魔力が霧散した。
「消えた……?」
「よくやった!」
「サラ!」
あまりの痛みですぐにも気を失いそうだ。
私を褒め称えるあいつの声と、慟哭をあげる大神官の声が交差していて、もう何がなんだか。
「行かないで! サラ!」
懇願されても、応えられない。
愛してないのは本当だし、ずっと気持ち悪いって思ってた。
子どもを見捨てるみたいで、後ろめたさはある。けど大神官が欲しているのはこの同情心じゃないんだろう。
そんなに泣くほど傷つけるつもり、なかったんだけどね。三倍ぐらいで返したかった仕返しが、十倍ぐらいになっちゃったかな。
「もう会いたくない」
「嫌だ! ずっと君が欲しかったんだ! 他には何もいらないから!」
でも私も嫌だ。
一方的にぶつけられるのは不快だし、触られるのは怖かった。
「もう二度とごめんだわ」
それだけ口にした途端、意識が暗転した。




