19 やらないのとできないのは違う
「猫?」
夕食を食べた後、膝の上にセレを乗っけて読書をしていたら、奴がやってきた。
「忙しいんじゃないの?」
思わず嫌味っぽく口にしていた。
一応、侍女の一番偉い人にはセレの飼育に関して許可を得ている。侍女長様は猫好きだった。
空いている部屋にわざわざセレの食事とトイレを用意してくれるそうだ。今はお客様がいないからこの客室フロアならセレを自由に歩かせてもいいらしい。私は部屋を出ることを許されていないのに、この優遇っぷり。
「どこで拾ってきた」
「セレ。私が飼ってた猫」
「なんでここに? まさかあそこから単独で来たとか言わないよな?」
「ミレイが連れてきた」
隠しておけるわけもなく先に白状しておく。
奴の顔が面白いほど青くなるのがわかった。
「あの女がここに? どうやって侵入した?」
「普通に窓から侵入してきた」
「馬鹿な! なんだあいつ、マジで!」
「魔人だからでしょ。本人もそう言ってたし」
「それで納得できるか! 屋敷のセキュリティー……っ!」
頭を抱えた奴の姿にちょっとだけ溜飲が下ったような気がした。
ミレイは本気で殺る気だったから、建物の警備見直さないと危険なのはこいつ自身なんだよね。頑張って。
「……猫、ねえ」
気をとりなおしたのか奴は私の膝の上で完全にリラックスしているセレを見る。
「そいつがセレか」
「そう。飼ってもいい?」
「放り出せって言ったら従うのか?」
「従わないけど」
侍女の皆さんが乗り気で、飼育準備は万端だ。今更駄目と言われてもね。
侍女の皆さんの反発すごそう。
「じゃあ好きにしろ。って痛!」
無遠慮に奴がセレに手を伸ばせば、セレは奴の行為を不快に感じたのかその手に噛みついた。
本気で噛んだわけではないけど、この子が噛みつくなんてよっぽど嫌だったのか。
「触りたいなら許可を取らないと」
「許可?」
不可解なのか噛まれた手を見ながらも、奴は眉をひそめている。
そうだ、今がチャンス! 交渉だ、話し合いだ。
今しかない。
「ねえ」
「なんだよ」
奴は聞き返しながらも私の向かいのソファーに腰を下ろした。
先日と同様に侍女さんが音もなく部屋に入ってくるとお茶の入ったティーカップを二客私たちの間のテーブルに置いて、さっと退室していった。
このタイミングの計り方とか、すごいなと思うけど、慣れそうにない。
「部屋出ちゃ駄目なの?」
「出たらそのまま逃亡するつもりだろ」
うっ、読まれている。いや、逃亡は無理なことはわかってる。だからちゃんと話をしているわけで。
「逃げられるとは思ってないけど。あの肉塊は捕まったんだから、街に出たっていいんじゃないの?」
「フォグリフは? 本拠地はこの王都だぞ」
え、組織の本拠地この王都にあるの?
知らなかった。……でもまあそうか。大きければ大きいほど、そういう暗い部分も大きくなるのか。
「私は末端だから、本部がどうこうしてくるとは思わない」
「甘いな」
「でも、ずっとここでお世話になるのも」
「お前な」
侍女の皆さんは優しく接してくれているし、快適だとは思うけど、それでも良くしてもらうのはどこか罪悪感が付きまとう。
こいつの目が届くところにはいるようにするから、せめてこの屋敷の外でって、……よく考えたら私の我儘にしか聞こえないかもしれないな、これ。
「俺と結婚すれば嫌でもこの家にいなきゃならないってわかってんだろ」
「結婚しなきゃ駄目……よね?」
「しないと俺が死んで、この家がつぶれる。今雇っている人間たちも露頭に迷う」
その言い方! そうやって罪悪感を揺さぶるのやめて欲しい!
「でも無理なもんは無理でしょ! どう頑張っても私が貴族様の妻になんてなれるわけない!」
「ガキみたいに駄々をこねるな」
駄々をこねる以外の手段がないから駄々をこねるしかないんだってば。
「孤児の娘には荷が重い!」
「庶民が貴族の妻になるなんて最高のサクセスストーリーだろ」
そんな聞こえのいい言葉でごまかされてなんてやらないんだからね!
「そもそも俺は次男だ」
「え!」
突然出てきた新情報に私は言葉を失った。
家の没落がかかっている妻、という話からこいつが家を継ぐんだろうなと何となく思っていた。違うの?
「だから絶対この家を継がなければならないというわけじゃない」
「含みがある言い方ね」
「……兄は数年前に出奔」
やっぱり。一瞬期待してしまったけれど、そこから叩き落とすのやめて欲しい。
「兄が戻ってくれば俺も継がなくて済むし、それは俺の望むところでもある」
「望んでるの?」
「面倒くせーんだよ。国王は好き勝手言ってきやがるし、家同士のいざこざも」
ああ、苦労してるんだな、とちょっとだけ同情してしまう。
「たいてい俺が次男だってことでたいてい見下してきやがるし、いっそ暴れてやりたい」
「……そうなんだ」
嫡男じゃないだけで見下されるんだ。能力じゃなくて。貴族社会ってのも大変だな。
加えて妻になる人間が孤児の庶民(元殺し屋)って、余計に見下されるってことじゃないの。
改めてそのことに気づいて、血の気が引いた。
「ごめん。ごめんなさい」
「はあ?」
「私、取り返しのつかないことを……」
無意味だったあの死の口づけ、あれでこいつの人生狂わせたのって、私だ。
詫びても詫び足りないけれど。
「はあ? 今更かよ」
「……祝福って解除できないの?」
ふと思いついたことをそのまま口にすれば、奴は怪訝そうな表情のまま小さくため息を漏らした。
「解除する方法を探すより、結婚した方が面倒が少ない」
「いや、絶対解除した方が楽でしょうよ!」
何言ってんだ。面倒くさがりか。
「ちゃんといい家の奥さん貰った方が、これ以上見下されなくて済むでしょ」
「自分の価値を家や妻に頼ってどうする。自分の評価は自分で上げる。当たり前だろ」
今まで膝の上で大人しくしていたセレが、突然「撫でろ」とばかりに、私の手の甲にこつんと頭をぶつけてきた。
かわいすぎる! 久しぶりのおねだりに胸がきゅんとした。これには抗えない。抗う必要もない。
「はいはーい。ここが気持ちいいんですかぁ。こしょこしょこしょこしょ~。よーしよーし」
ちょっと気持ち悪い人になっている自覚はあるけど、やばいものを見たみたいな視線を向けてくる奴もそう思っているのだろう。まずい、こいつの存在などセレにおねだりされた瞬間に吹き飛んでいたわ。
「お前は度胸もあるし、馬鹿でもない。決して無能じゃない」
いきなり褒められても――褒めているのよね、これ、反応に困る。
「付け焼刃でもなんでもやれるだろ? できるって思ってなきゃ、始末して終わらせてた」
声に秘められた冷たい響きに、思わずぞっとした。
殺されていたかもしれないってこと、か。
でも、それが妥当でしょうね。
「で、まあ神殿に金でも積んで祝福を消す方法を探してただろうな」
「……」
こいつのこんなに冷たい目を見たことないかも。
あ、いや、ある。ランドと話していた時だ。
あの時は銃をランドに触らせてたからかな、それ以来。
あの時も怖かったけど、今も怖い。
「やれるよな? 騙せるだろ。馬鹿な貴族連中相手だ、簡単だろ?」
「やりたくないのと、できないのとは、違うわ」
「違わない」
蛇ににらまれた蛙ってこんな感じなのかもしれない。
言っていることおかしいのに、それを指摘するのも許されないような空気が漂っている。
でも、これ頷いたらだめだから、頑張るしかない。
「……じゃあ、始末する方を選んでよ」
声が震えているのは自覚していた。だけど絶対に折れたくはなかった。
「それで、あんたのことを何でも受け入れていうこと聞く人を妻にすればいいじゃない」
私は、こういう脅しをしてくる人間に、もう屈したくないと思ってしまった。
今まで、殺されたくなくて、頷くしかできなかったけど、もう大人なのだ。
そう、大人だから、もう自分の道は、自分で選んだことは自分で責任を負わなければならない。
だったら納得できる道を選びたい。
「お前、じゃない、マレムだ。マレム・クラウディル。忘れたか」
「わ、忘れた、わけじゃ、ない、けど……」
あの時の衝動は絶対に忘れまい。
ヤバイ奴だとは思っていたけど、想像の限界を超えたヤバさだった。
「なんでそんなに震える? 何を怯える?」
「……いつでも殺せるぞみたいな空気出しといて、それ、き、聞く? 怖いに、決まってる……」
「サラ、サラ・ルグラン」
私、家の名前なんてない。
なのに奴が口にしたその家の名前に、訳も分からず動揺してしまった。
私の動揺を察したのか、膝の上に居たセレが勢いよく顔を上げると、膝の上から飛び降り、足元を駆け抜けてどこかに隠れてしまった。
「な、に、それ、誰の名前?」
「……心当たりがあるんだな」
「ない! って言いたいけど、何だろう、知っているような、気がする」
懐かしいような気がする。
だけど聞いた覚えはない。
「また記憶をいじられているのか」
「記憶?」
「お前の両親の」
両親?
思い出すのは、毒入りの施しを食べて血を吐いて倒れたお姉ちゃんを見たときに一瞬だけ思い浮かんだ光景だった。
お姉ちゃんと同じように、血を吐いて倒れた、二人の姿。
そうだ、あの時、私は――私も一緒に食事をしていて――私も二人と同じ毒を、食べていた!
「私は、何?」
何で毒を食べてもなんともないの。
どうして生き延びて、ここにいるの。
「ねえ、教えて、私は何?」
「お前が知らないことを俺が知るわけがない」
「でも名前、その名前は! なんで! なんでわかんないの! 思い出せない!」
思い出そうとすればするほど、霧がかかったように何も見えない。
あの教授の顔を見た時のような感じ、魔力の流れだ。つかもうとすればするほど気持ち悪くなってきる。
「知っているはずなのに、なんで……」
「それなら、知らないままでいればいい」
冷たく言い放って、奴は立ち上がった。
「……外に出たい。部屋の中だけなの、無理」
「わかった、中庭までなら許可してやる。銃は?」
隠しポケット――はないんだった、普通のポケットに手を突っ込んで例の銃を取り出し、奴に渡した。
奴はそれを受け取るといつものようにカートリッジを取り出して、魔力を込めて装着しなおし、すぐに私へと手渡した。
「やばいと思ったら遠慮なく撃て。もみ消すぐらい容易い」
受け取って再びポケットに戻す。
私もその場に立ち上がって、笑ってやった。多分力入ってないから情けない笑いになっているのだと思う。
「――守ってやる」
「はい!?」
「ここで大人しくしてるんだったら」
なんだからしくない奴の言葉に、焦燥感にも似た動揺が一瞬でかき消えた。それはこいつのセリフに動揺したせいかもしれない。
「何言ってんの! そんなこと言われても絶対に頷かないんだから!」
「頷け。騙すのを楽しめよ。好きだろそういうの」
好きじゃない! 絶対私のこと誤解してる。
「他に何か不自由があったら言え。誰にでもいい。わかったな、妻」
「妻じゃない。許可得られないんでしょ、国王様の」
「黙らせるだけだ」
どれだけ横暴なんだろう。
こいつのこれ、私が庶民だから横暴な態度かと思ったけど王様に対してもこんな横暴なこというなんて筋金入りだわ。ホント、親の顔が見てみたい。
言いたいことはそれだけだったのか、奴は踵を返すと足早に部屋を出て行った。
残され、とりあえず覚めてしまったお茶を一気に飲み干す。
本当はちびちび飲むものなんだよね。
贅沢にも部屋に完備されているお風呂にゆっくり入らせてもらって、もう今日はいいにしよう。疲れた。
「なんだろ、眠い」
足を踏み出そうとした瞬間、眩暈に襲われた。
今でも目を閉じたくなるような睡魔に慌ててベッドへと方向転換する。
倒れこむようにベッドに寝ころべば、すぐに眠りにいざなわれた。
――忘れてしまえばいい。
大聖堂で私の目をふさいだ、その人の声が耳元で聞こえた。
――今は。すべてを忘れて、幸せになればいい。
そっか、全部忘れちゃえば幸せになれるの?
幸せになってから思い出せば、ショックが少しは和らぐの?
全然わかんないけど、今はゆっくり寝たい。
私の体の横でセレが丸くなったのが気配でわかった。
セレがいるなら、大丈夫。私は大丈夫。




