13 弱者は救われない
「今気づいたんだが」
必死に泣くのを堪えていると、奴——じゃなくって、『ご主人様』は不意に私の額にその右手を重ねた。
さわんな! と振り払おうとした手は、素早く押さえつけられてしまった。
片手で軽々と押さえつけるのやめて欲しい。
力量差が悲しい。
「お前に何か妙な魔法っぽいのがまとわりついている、なんだ、これ」
魔法?
振りほどくのを諦め降参の意味で両手をあげると、奴は私の手を解放して額に触れている方の手に集中した。
触っている場所が、熱い!
我慢しきれず奴の手を額からどかそうとして、ふと気付く。
ここ、どこ?
今までいた裏通りとは風景が様変わりしていた。
どこかで見たような? どこだったっけ?
緩い登坂は狭く、左右に立ち並んだ建物は所狭しと限られた土地に詰め込まれたような場所。
道が続く先には——左右に尖塔がそびえたつ、大きな教会——リヴ神教の大聖堂が、ある。
あ。
見たくない!
思わず目を覆った。
鐘の音が辺りに鳴り響いていた。
……この音、知ってる。
鐘が鳴りはじめると、路地のあちらこちらから子どもが出てきて我先と坂を駆け上っていく。
この街に住む孤児の子どもたちへの食べ物の配給、施しの時間だった。
大聖堂の前の広場に広げられたわずかな食糧を奪い合う時間。
両親が亡くなってしまって、行く場所がなかった幼かった私は、ここにいた……?
——そうだ!
私は小さい頃に、この大聖堂の門前町にいた。
他の施し目当てで集まった孤児のみんなと、グループみたいになって暮らしてたんだけど、なんで忘れてたんだろう?
「お前は、神の元へ行きたいか?」
耳に届いたその声に、知らず知らずのうちに俯いていた顔を上げた。
私を覗き込んでいるのは、聖騎士と呼ばれる、ピカピカの鎧で身を固めた人。
『行きたい』と答えたら、殺されるんだろうなってわかってたから。
だから私は、頷くことができなかった。
「頷け。お前が頷かなければ、この牢の中にいる全員がお前の代わりに神の御許にいくことになるぞ」
いつもみたいに施しを分け合って食べていたら、聖騎士たちが私たち子どもを全員大聖堂の中へと招いたんだった。
それで、連れていかれたのは大聖堂の地下。地下牢。
一列に並ばされて、一人一人順番に質問に答えさせられた。
頷けばその場から何処かに連れていかれて、頷かなければ地下牢に入れられた。
私は、頷かなかったから牢に——あれ? それから、どうなったんだっけ?
ふっと目の前が暗くなった。
——覚えていてやる必要もない記憶だから、忘れてしまえばいい。
声が、聞こえた。
知らない声だったけど、どこか懐かしい声だった。
暗闇の中で糸が途切れたようにぷつっと小さな音がしたような気がして、気づけば小さい部屋の中にいた。
「特別に選ばせてやる」
床に倒れ伏す少女たち。
彼女たちの着ている物も床も血で染まっている。
血だまりの中に立つのは私一人だけ。
「その度胸の良さで、娼婦になるか、殺しをするか」
「——売りは、しないって、決めて、るん、です」
まだ幼さが残る表情をした私は震えながらもそう口にした。
娼婦がどういうものなのか何となくしか知らなかったけど、自分を売って生きていけるとは思ってなかった。
だから、選び取ったというよりはそれしかなかった。
「決まりだな」
男がにやりと笑う。
心底嬉しそうな表情が、何だか奴とかぶってムカつく——。
「おい!」
衝撃にはっと我に返った。
両肩を掴まれて揺さぶられていることに数瞬たってから気づく。
「どうした」
「……あ」
っていうか、いつまで揺さぶってんの!
奴の手から身をよじるように抜け出して、大きく息を漏らした。
動悸が激しい。
——今見たのって、昔あったこと、だ。
「一体何がおこった?」
「……子どもの頃のこと、思い出してた」
「子どもの頃?」
あの『忘れてしまえばいい』って声。
妙に懐かしい声だけが生々しく耳に残っていた。もしかして、いいって言われたから、忘れてたってことだったりする?
「——昔、大聖堂の地下で孤児たちが大量死した事件あったでしょ」
「はあ、突然なんだ?」
奴——いえ、ご主人様は何だか不快そうに眉をひそめていらっしゃるけど、かなり有名な話だから知っているはず。
私もゴシップ誌で読んで世の中酷い話があるんだなあなんて同情したから覚えている。あの時は他人事だったけど、まさか当事者だとは思いもよらなかった。
「頭がおかしい聖騎士がやったとか、大聖堂に潜む悪魔の仕業とか色々言われているけど、未解決な事件」
「保護してた路上生活者のガキどもが、夜が明けたら全員死んでたっつー猟奇事件だろ。保護対象を地下牢に入れるって、意味不明なヤツ」
「みんな聖騎士がやったの」
「はぁ? 聖騎士って神にその身を捧げた清廉潔白な騎士だぞ?」
あれが清廉潔白なんて、それこそ信じられない。
血に染まったピカピカの鎧と剣。私はそれを見た。
「……私、生き残り、みたい。あの事件の」
「ガキどもは全員死亡だったはず」
「あの時の記憶、思い出した。変な魔法? あんたが解いたんでしょ。そしたら」
たしかに、こいつ――じゃなくて、ご主人様が怪訝そうな顔をしている理由はわからないでもない。
私、あの場からどうやって、どこに行ったんだろう。
目の前が暗くなって、その後は……ああ、そうだ、貴族のお屋敷で奇跡的に働けることになったんだっけ?
あそこはお嬢様が激しく頭のネジが二、三本飛んだサディストだったっけ。
使用人に掴まえさせたネズミに、すごくいい笑顔でネコイラズを食べさせてたっけ。
私も食べさせられかけたけど。「ネズミより面白くない」なんて言われたら――逃げ出して当然でしょ。
「夢でも見たんだろ。色々無理がある」
「違うってば。覚えてるの。聖騎士なんて名ばかりで、あいつら人を斬り殺すことをゲームみたいに楽しんでた。神教は弱者を救ってなんてくれない」
「声が大きい」
乱暴にその手で口をふさがれ、息が止まった。
力任せに引きはがして気道を確保する。こいつ本当にやることが突然すぎる。
「デカい声で神教を批判すんな。どこに教徒がいるかわからん。あいつらは厄介だ」
「厄介とは」
批判したら糾弾とかされるのかな。
「リヴ神がどれだけ偉大なのか、どれほど素晴らしい神なのかみたいな話を延々ときかされて、挙句に勧誘されるぞ」
「それはたしかに嫌かも」
背筋がぞっとした。それは避けたい。
今までリヴ神教のこと何となく嫌いだったけど、どこかで覚えていたのかもしれない。
慈悲と豊穣の女神だとか崇高な教えを掲げているけど、その陰にあの聖騎士たちみたいな奴らがはびこっているって。
今は絶対に近づきたくない。
「それは夢か、お前の記憶じゃない誰かの記憶だ。そういうことにしとけ。そろそろいくぞ」
「え、ちょっと」
話を強制終了させると、奴――ご主人様は私の腕を掴んだ。
表通りに並ぶ、屋台の中でとりわけカラフルなテントの屋台の前まで半ば強引に連れて来られ、店の前に立った。
屋台に並べられているのはチョコでコーティングされた細長いドーナッツだ。
「食うか?」
「え!?」
いいの? と、はじかれたようにご主人様を見やれば、若干嫌そうな顔してる。そんな顔するなら無理するなって言ってやりたいけど。
「……好きなの、選べ」
「ええええ!」
突然の優しい台詞に思わず変な声が出てしまった。
え、いいの? 本当に嫌そうに顔背けてるけど、選んじゃうよ? いんだよね?
色々な味があるみたいだったけど、素早くミルクチョコレートでコーティングされたの選び取った。
ご主人様はやれやれと言わんばかりの表情で、店主に支払いしている。
「優しいお兄ちゃんでよかったな、お嬢ちゃん」
店主のおじさんはそんなことを言ってがっはっはーなんて豪快に笑っているけど。
いきなり店主を怒鳴りつけたりしない……よね?
顔色を伺いながら、入手したドーナツは両手で大事に抱える。
「……えぇっと、ご馳走になります、ご主人様?」
「気持ち悪いからその呼び方はやめろ」
呼べっていったのそっちでしょ、って結局言えてないけど今更言うのもなあ。
「じゃあ、お兄ちゃん?」
「それもやめろ」
あれもやだ、これもやだって、それはちょっと我儘過ぎるんじゃないの?




