10 何もない一夜
夜に馬車を走らせるつもりはないようで、今日は宿で休むことになった。
かなり疲れているのは事実なので、休めるのは素直に嬉しい。
「兄妹なんでしょう、一部屋じゃ駄目かしら?」
と、宿の店主に問われたら「無理です」って言いたかったけど、なぜか男は頷いてしまった。
え、嫌じゃないの?
お金を出すのは私じゃないから、文句は言えないけど。
空いていたのが一部屋だけなんだから、文句言っても仕方ないし。
自分を納得させるように胸中で言い聞かせつつ、廊下を歩く。
それよりなにより、私たちが兄妹に見えるって方に驚きだった。
黒髪黒目って、確かに色合いはよく似ているから――に、したって顔つきは全然違うのに、判断が雑過ぎる気がする。
「その髪の色、もしかしてあなたたち古の魔法王国の末裔だったりする?」
「古の魔法王国?」
好奇心で目を輝かせた店主に問われ、魔法王国って何だろうと聞き返すと、奴が打ち消すようにやや大きな声で店主の言葉をさえぎった。
「よく言われるが違う」
「あら、ごめんなさいね」
誤魔化すように愛想笑いを浮かべ、店主は部屋に到着するやいなや逃げるように受付の方へと戻って行ってしまった。
いるんだよね、世間話をしただけなのに急に怒り出すお客さんって。
稀に遭遇したから、意味がわからなすぎて誤魔化して逃げるしかない気持ちよくわかる。
本当に、ごめんなさいって気持ちで、責めるような気持ちで男を睨んだ。
「古の魔法王国って何?」
「荒野を作り上げた魔法王国だ。国民は黒髪黒目が多かったらしい」
ああ、あの滅びた王国の話か。
それなら聞いたことがあった。何でも魔法を使いすぎて大地の魔力を全部吸い上げてしまって挙句に滅んじゃった、みたいな話だったかな。
「同じ色合いの人間を末裔だと担ぎ上げる変な宗教がはやってんだ。厄介なことに」
「ふうん。そんなのいるんだ」
「他人事みたいに言いやがって。絡まれたことないのか? そういう連中に」
「ない」
そんな宗教の人がいることも、魔法王国の国民の特徴も聞いたことなかった。
「そもそも私あの街から出たこともなければ、まともな教育も受けてないからそういう話全然わかんないのよね」
「田舎者め」
こいつは人を貶さないと死ぬ病気にでもかかっているのではないだろうか。いちいち腹立つ。
でも、言い争っていても何も生まない、時間の浪費だけだ。
我慢我慢。
「人から絡まれやすいくせに」
「そこまで面倒臭いのは寄ってこなかったの、日ごろの行いが良いせい?」
「一番面倒臭い肉塊を引き寄せてんのによく言うわ」
「思い出させるのやめてくれない!?」
あれを思い出すと吐き気を催すんだけど。
名前を出すことすら汚らわしく感じる。
文句を口にしつつも、男より先に部屋へと入り込んだ。
よかった、ベッドはちゃんと二つある。
それは超えてはならない一線だ。最悪床で寝る想定までしていたが、何とかベッドは確保できそうでほっとした。
荷物という荷物はない。ベッドの上に置かれた備え付けの寝間着を手に取る。
焦げ茶色のロングシャツタイプのそれは多分ぶかぶかだけど、他に着替えはない。
「えーと、自由行動でいい?」
「好きにしろ」
奴はそう言って、もう一方のベッドの転がって私に背を向けた。
許可を得る必要はないと思うけど、ちゃんと言質はとったぞ。
部屋を出ようとしたら転がってこちらを見やった。
「攫われんなよ。めんどくせーから」
「善処する」
神妙な顔つきでそれだけ告げて部屋から出た。
どういう行動が善処なのかって聞かれたら答えられないから逃げるしかない。二人きりでいるなんて息が詰まりそうだし。
とりあえず、共同風呂だ! 地面転がったから土埃を落とそう。色々キレイさっぱり流そう!
ちゃんと湯舟があるって最高だ! だから宿って好き。
職場の共同風呂も仕事あがりには好きなだけ入れるのだ。しかもシャワーのお湯も潤沢に使える。
まかないの食事といい、風呂といい、良い職場、だったんだけどな。
感傷も砂埃と一緒にお湯に流すに限る。傷がお湯に染みて痛かったが全身を丁寧に洗って、あったまって共同風呂を後にした。
ここ、魔道具もある! 感動しながらもドライヤーで髪の毛をのんびり乾かしてから部屋に戻る。
あいつは寝息を立てて寝ていた。
よし! なんて都合がいい! ガッツポーズで備え付けの寝間着に着替え、今まで着ていたワンピースを持って洗面台へ駆け込み、ささっと洗う。絞って、ハンガーに吊るして洗濯完了。
やることはやった! よし、寝よう!
ベッドに飛び込むように倒れ込んで、シーツに包まるようにして目を閉じた。
あ、何かものすごく、眠い、か……も……。
ぐるぐるぐるぐると、いつも聞こえている音が、聞こえない。
「……セ……レ……どこぉ……?」
何だか体が重くて思うように動けない。いつものようにセレが胸の上に乗っているせいじゃない。
疲れているから、かな。
あの白い毛玉に無性に会いたくなった。どこにいるんだろう、いつもみたいに起こしてくれないと不安になるじゃない。どこかに行っちゃうなんてこと、ありえない、はず。
「セレ!」
自分の叫び声で飛び起きた。
そして、気づく。セレがどこかに行ってしまったんじゃない。私が遠くに来てしまったのだ。
辺りは暗く、どうやらまだ朝にはなっていないようだった。
大きく息を吐いて、泣きだしそうになるのを堪える。
セレは今頃何をしているのだろう。ミレイが面倒見てくれているとは思うけど。
「……セレってのは誰のことだ?」
暗闇の中から上がった声に、悲鳴を上げそうになった。
すぐに人でなしの声だと気づく。
「私の猫」
眠い。答えるの、面倒。
短く答えてベッドに転がる。
何だかイラついたようなため息が聞こえたような気がしたが、眠りに落ちる方が早かった。
本当に、疲れてるんだな、と頭の端っこで考えていたが、その思考もすぐに眠りにのまれた。
次に目を開けた時には、もう明るくなっていて、すっかり朝の空気が漂っていた。
今度はセレを探すような真似はしない。ちゃんとここが自宅でないことはわかっていた。
わからないのは、私の横に奴が寝ているその理由だ。
寝相が悪すぎて奴のベッドに飛び移った? と荒唐無稽なことを考えたが、どうみても私が選んだ方のベッドだ。
ってことは、不法侵入しているのはこいつの方ってことになる。
頭だけ布団から出していて、体のほとんどは布団の中の私に対して奴は布団の外に寝転がっている。
ってことは、同じ布団で寝てはいない、ってことだ。
少しでも動けば頭と頭がぶつかりそうな距離ではあるけど、何もなかった。絶対何もない。
これだけ至近距離だと、見たくなくてもよく見えてしまう。
まじまじとその顔を観察してみる。
育ちがいいんだろう。髪も肌も艶がある。髭も剃り残しがない、綺麗なものだ。
まあ最初見た時から見目はいい方だと思っていたから、人によっては目の保養にもなる顔立ちなのだろう。
整った顔ってあんまり好きじゃないから、私的には好きでも嫌いでもない顔って感じ。
手足は長いし、まあ、目鼻立ちは整っているし、普通に好かれそうな感じなのに。
なんでこいつ、いい年して未経験なんだろう? 素朴な疑問。
「……堪能したか?」
「起きてたの?」
目を開けて鼻で笑う男に、私は努めて冷静に言い放つ。
じろじろ眺めるのはあまり品がいいとは言えないから、後ろめたさはある。
「なんで、私のベッドで寝てんの」
「食事を食うか食わないのか聞こうとして起こしても起きなかったのはお前の方だろ」
食事について聞かれた記憶はない。ぐっすり寝入っていたようだ。
ちなみに食事は食べなくてもある程度は平気だったりする。疲れている時は食事よりも睡眠派だ。
「起きなかったからって一緒に寝てる理由がわかんない」
「悪いか。眠かったんだよ」
やっぱり理由になっていないわけで。
でも、こんな至近距離っていうのはやっぱり嫌だ。体を起こして物理的な距離をとる。
「こんな状況でぐっすり寝るなんて、警戒心足りなさすぎだろ!」
「あんたに言われたくな――」
言いかけて、こいつの貞操観念がガチガチであることを思い出して口を噤む。
少しは恥じらいとか貞淑とかを持て、なんてこいつ以上に説得力を持つ人間なんていない。
「以後気を付けます。できれば別室で」
「ああ」
奴も上半身を起こして怠そうに伸びをする。
そして私の目を真っ直ぐに見てから口を開いた。
「心配なんだ、愛しているから」
「………………」
何だか、頭痛する。
真っ直ぐに私を見る目は真剣で、胡散臭さはない。けど。
「――っていえば女はみんな落ちるんだろ、単純すぎる」
続けて出てきた種明かしっぽい台詞に、こいつが今まで未経験なその理由を光の速さで理解した。
思わず深いため息が漏れた。
余計な一言を言わなきゃまだ何とか誤魔化せるのに。
「傲慢すぎ」
「はあ?」
「口説き落としたいの? 馬鹿にしたいの? どっち」
ここまでくると、人格破綻者って言っても過言じゃない。
「馬鹿にしてるつもりはない」
これで!?
ああ、ああ、もう、そういうつもりね! じゃあ私も何を言っても許されるってわけ?
「私、今までこんな気持ちになったことないから、よくわからないけど」
本業は殺し屋だ、詐欺師じゃない。
ちょっとだけ良心が痛まないわけじゃない。でもやられたことはやりかえすのみ!
決意を固め、思いきり息を吸った。
「あんたは人格破綻者っぽくって、もう矯正もできそうにないし、どうしようもないなーって思う。それでも、目が離せないのは――」
若干上目遣いを意識して、じっとその目を見つめてやる。
これはやりすぎると、ますます幼く見えるから注意だ。
「私があんたに惹かれているから、なのかな」
「……なっ!?」
え、うそ、思った以上に反応してる?
狼狽えるそいつに、勝利よりも驚愕が勝った。それ以上にこいつ大丈夫か? と心配してしまう。
こんなにあからさまなのに、ひっかかるか、普通。
「私、あんたを、す……好き……なの、かも……!」
「一体、何を、い、言う!」
「ひ、人を、騙すんだったら、これぐらいやってよ!」
これ以上は良心も羞恥心も耐えられない!
早口で単なる騙りだとバラしてすぐに目をそらす。
多分私も赤くなっていると思う。頬が熱い。なにこれ、嘘なのに、なんでこんなに恥ずかしいの!?
「――お前、自爆が好きなのか?」
「好きなわけないでしょ!」
奴は怒らなかった。
ただ呆れたように尋ねて来ただけだった。
力いっぱい否定して心に誓う。こんなの、もう二度とやるもんか。
「とにかくあんたは口説き文句も最悪だし、下手なんだから、やるだけ無駄!」
「……なんか……わかりたくないが、説得力はあった」
大人しく頷いているあたり、一応私が自分の身を犠牲にした甲斐はあった、と思いたい。
「だいたい、いっつもそんな口説き方してるの?」
「女を口説いたことなんてない」
そんなこと威張るな! と怒鳴り返すのはもう面倒くさくなってきたんでやめておいた。
「必要ないし」
「……そう」
それって口説く必要もなく寄ってくるから? 厭味か、とも口にはしなかった。
「婚約者がいるからな」
「っはあああ!?」
聞き捨てならない言葉には力いっぱい聞き返してしまった。
でも、貴族だからいても当然か。
貞操観念がアホみたいに高かったのはそのせいか。
確かに別の女性を口説く必要はないか。
なんて色々納得できた。――んだけど?
いや、ちょっと待て。
「え、婚約者いるのに、……子孫繁栄?」
「もちろん、婚約は解消に決まってんだろ」
「あんた有責の破棄でしょ! こんなの!」
「連帯責任」
やめて、私悪くない! ……いや、悪いのは私なのか……?
違う! 断じて違う! 婚約者いるんだったらチューぐらいしとけって話。さっさと結婚しとけって話!
「色々と思うところはあるけど、とりあえず、婚約関係を清算してから動け! このすっとこどっこい!」
強引に私を連れてくる前に誠意を見せろって話だ! この人でなし!




