09 希望
座っているだけなのに疲れた。
たどり着いた街道沿いの村で荷馬車から降りた瞬間、大きく伸びをする。続いて深呼吸。
「休んでろ」
奴は短く言い放つと、二頭の馬を引いて村の中央の方へと行ってしまった。
宣言通りここで馬を売り払うらしい。
高く売れるといいけどね、と何も言わず頷いて、人でなし男を見送った。
振り返って荷馬車を見やる。
やっぱりお尻が痛い。荷馬車って荷物を運ぶためのもので、人を運ぶものじゃないと再認識。
長時間乗り続けるのって本当にきつかった。
「王都までここからどれぐらいかかるんだろ?」
まだあれが続くのかと思うと思わず遠い目をしてしまう。
幸いなことにあの後追手もなく、順調には順調。
だけど乗り心地は最悪だから、時間が経つにつれ辛い気持ちが増していく。
どれぐらい耐えればいいのか、わからないのが本当につらい。
「あと丸二日ぐらい馬車で走ればって感じかな」
「うげー。そんなに?」
後ろからかけられた声に、何気なく返事をして――あれ、今のあいつの声じゃなかった気がする?
はっとして慌てて振り返る。
「よう、死神姉妹の姉」
「ランド」
見知った顔に少し安堵してしまって、安心しちゃ駄目なんだってば、と胸中でそれを否定する。
私と組織を繋ぐ人物、つまりは追っ手。
「逃亡生活、楽しんでるか?」
「楽しむって……」
追っ手の癖に自然に話かけてくるの、やめてほしい。戸惑うしかない。
けどランドって殺傷能力のない魔法しか使えなかったはず。それに本人が非戦闘員って自称してたし。そこまで警戒しなくても大丈夫? いや、でも自分の能力ってそこまで馬鹿正直に打ち明けるわけでもないからやっぱり信用しすぎるのは危険かも。
やっぱりどういう対応をするのが正解なのかわからないから迷う。
迷いながらこっそりいつでも逃げられるように身構えて、曖昧に首を傾げてみせた。
「楽しい旅じゃないんだったら、そろそろ戻るぞ、サラ」
「……それは無理」
戻るって、私、戻れる、の?
ランドの言葉に心が大きく揺さぶられたのが自分でもよく分かった。
だって、もう戻れない、その場で消されるって思ってた。
もしかして、――戻った後で消される、とか?
「なんで?」
「だって、戻ったら殺されるん、でしょ?」
「今戻れば、まだ間に合う」
「でも私、失敗しちゃったし」
「あれは相手が悪すぎ。何とかしてやる」
ランドは無表情で首を横に振ってそう言った。
何とかって、ランドに何とかできちゃうの? 元通りに戻れるってこと?
もし、本当に元に戻れたとしたら――。
「組織は、お前をあのお貴族様に売りつけることにしたらしい。だからお前に生きてて貰わなきゃ困る」
「う、嘘、でしょ?」
宿のオーナーに引き続き、フォグリフまでそんなことする!?
――ちょっと、本当に、もう、……なんでってそりゃ私が末端だから他ならないんだけど! ……わかってるんだけど!
「あのお貴族様の暗殺を依頼した人間以上に、お貴族様が金を積んだんだと。ったく信用どうなってるんだって話になるけどな」
「や……やだ! 絶対嫌だ! あんなおっさ――お貴族様のとこなんて行きたくない!」
叫ぶのを自制できなかった。
それぐらい嫌悪感が強い。かつ、私、ランドには割と心を許していたんだって、今更気づく。
子どもみたいに駄々をこねるなんて、絶対にやらないって思ってた。
「俺が、サラが行かなくてもいいように交渉してやる。お前、売りはやらないってずーっと言ってたもんな」
「ランド……」
「何より、そんな話、ミレイがブチ切れんだろ」
ミレイはブチ切れると怖い。
怖いというか、もう誰にも止められなくなるぐらい暴れる。
あの子が暴れたら、組織も無傷では済まないだろう。それぐらいの実力はある。
強いけど制御不能だからあんな田舎町に置かれてるんだって本人、自嘲してたっけ。
「あの狂犬を止められんのはサラだけだし」
「む、無理! 遠目で見ているしかできない」
親友だけど、怒りに我を失ったミレイを止めるなんて無理。
「ミレイの精神安定剤なんだよ、お前。そういう役割もあるんだ、無慈悲な天使なだけじゃなくって」
「その二つ名で呼ばないでよ」
誰が天使だふざけんな。
『死神姉妹』の方がしっくりきているんだからもうそれは忘れて欲しい。
「それで、そのミレイは?」
「留守番。俺がここでサラを回収できなきゃ、まあ暴れるんだろうな……」
ランドはちょっと嫌そうな表情をしている。
気持ちはわかるけど、私に何を求めているわけ? ミレイの精神安定剤って、無理があるでしょ。
……だけど、ミレイに、もう一度、会ってもいいってこと、なのか……。
もう二度と会えないかもってうっすら覚悟してたから、すごく魅力的な提案なのかもしれない。
「ランド、私」
小さく、息を吐いて私はランドを見た。
でも私は、その提案には乗れない。
だってランドの交渉が決裂したら私は確実にあのギルティ貴族のとこに行く羽目になる。
逃げ場のない一本道だ。
それに私、だけど、私――。
「私――普通に生きてみたい」
「はあ?」
口から飛び出た本音に、私自身が驚いた。
普通って何? って、鼻で笑いたかった。でも、今は笑えない。
「もう、殺し、できないかも」
「……ああ、俺と同じ仕事するか? 情報伝達屋っていうか、エージェントともいうんだけどな」
「そっか、そういう仕事もあるんだ」
組織に残っても、殺しじゃない仕事もあるのか。
ああ、でも無理だな。私の特異体質はそれを許さないだろう。
「私が組織に戻ったら、貴族の家一つ、没落に追い込むことになるみたい」
ランドを説得できるような戻らない理由が思いつかなかったので、はぐらかすようにそう告げる。
それを聞いたランドは意味が分からないと言いたげに顔を顰めたので何だかおかしくなって笑ってしまった。
私も同意見だったから。
あいつの語った予言だか呪いだか、実のところ半信半疑なのだ。
「ランド、私と一緒にいるあいつ、元はソナーウィック卿の秘書やってた男なんだけど、どこの貴族かわかる?」
「あいつ貴族なのか? つーか、なんであの男と一緒に行動してるんだ?」
「話せば長くなるんだけど、結婚しなきゃなんないんだって、私。あいつと」
「はああ?」
やっぱその反応だよね。
私もそう言いたい。何度でも聞き返したい。嘘だよねって。
「なんでお前、そんなことになってるんだよ?」
「私が、あいつの初めてを奪っちゃったから?」
「は、はじめて!?」
赤くなったり青くなったり、ランドの顔面は忙しい。
「え? つまり、なんだその、大人になりやがって! ってことかよ! てか、え? 何だ、あの男、無敵なのか? お前と同じ毒が効かないってことか? そんなんあり!?」
あ、まずい! これ誤解されてる!
「お前、全身に毒回ってるはずだろ! お前を、その、アレして無事って」
「違っ! 違う違う! アレしてない! 違うの! その、アレじゃなくて、あれを試したのよ」
「アレじゃなくてアレ?」
何だか会話がわけわからなくなってきた。羞恥心から焦って自分が何を言っているのかもよくわかんなくなってきた。
一旦落ち着こう。深呼吸だ。
「私の血液には毒が回っているはずでしょ。仕事の前には切り札になるかなって服毒してるし。あいつが立ちはだかってきた時に、私の血を飲ませたの。口移しで」
「冗談で『死の口づけ』とか言ってた奴か。あれをやったのか」
依然ランドの顔は引きつったままだ。
冗談で考えていただけの最終奥義だったから、実行するなんて考えもしなかったのだろう。私も考えていなかった。
「で、その、はじめてのキスを奪っちゃったから」
「それで結婚!? なんだそりゃ! 箱入りのお嬢さんなのか、あの男!」
やっぱりそういう反応だよね、私間違えてないよね?
「何か生まれた時に、初めての相手と結婚しないと没落して死ぬって予言があったみたいで」
「あー……、貴族ってそういうよくわからん習慣大事にしてるとこあるしな。にしても横暴というか、サラが加害者みたいに言っているけど……いや、何であいつ死んでないんだ?」
「私の全身に毒が回りきる前だったっぽいの。あいつも耐性があったみたい」
「なるほど。わかった。そういう情報があればわかりやすい。生まれた時の予言、か。それであいつの身元探ってやるよ」
探ってくれるんだ。
一緒に戻らないのに、いいんだ。
「他に何か情報あるか。小さいことでもいい」
私は隠しポケットから例の銃を取り出してランドに見せた。
「うおおお! なんだそりゃ、マジックガンじゃん! なんでサラが持ってんだ!」
「知ってるの? あいつが貸してくれてる」
「当たり前! そんな貴重なもん簡単に手渡すとか……。あいつひょっとしたら、ひょっとするのか?」
私の顔をじっと見て、そんなことをランドはぶつぶつ言っている。何を納得しているのか、こっちはさっぱりだ。
「サラ、お前意外に……あ、いいや。ちょっと貸してくれ」
ランドに銃を手渡せば、さっきあいつがやったように細長い部品をさっと取り出してみせた。
「これがカートリッジ。魔力を充填する場所。今"麻痺"が入っているな。運が良ければここに持ち主の名前が刻まれてたりすんだけど、無記名だな」
へえ。
ランドの詳しさには舌を巻くばかりだ。
「こうやれば、魔力がこめられるはず。それで、こう」
カートリッジにランドが念をこめると、さっきみたいに鈍い光を放った。そして、さらにランドが指先から魔力をカートリッジに移すと、何だかカートリッジの持つ魔力の質が変わったことが私にもわかった。
「これで俺の火の魔法が放てるようになった」
「え! そんなに簡単に中身の魔法って変えられるの?」
元通りに戻してから、ランドは私の手に銃を戻した。
すぐに隠しポケットにしまって感嘆のため息を吐く。
「あ、悪い。つい感動で色々いじっちまった。麻痺魔法使えないから戻せないけど、うまく誤魔化せよ」
「……」
はい?
え、なにそれ。
まずい、ような気がする、けど? 問題ない、よね、うん。
「黒髪の貴族で妙な予言を与えられていて、マジックガンを扱える、か。結構絞れそうだな。それだけ情報があればわかるだろ」
「無茶はなし、で、わかってるよね?」
「心得てる。サラも、組織に戻ること考えとけよ。これ貸しだからな」
ひらひらと手を振って、ランドは足早にどこかへ消えて行った。
ごめんね、と言えなかった。けど、また近いうちに会えるからいいか。
それに、あいつの本当が少しでもわかるかもしれない。
「……普通に生きたい……か」
さっき自分で言った言葉を思い出して、呟いてみる。
今まで考えたこともなかった。抱いたこともなかった、希望、とか。
普通に、か。
正直、私の手は血にまみれている。
だから、きっとそんな甘い夢見ることだって許されないかもしれない。
だけど、願ったら、夢を見たら、近づくことができるのだろうか。
目の前が急に開けたような感じだった。
私、普通になりたい。
罪を償う方法があれば、許しを得られる方法があるのなら、それを選んで。
私は普通になれるのだろうか。
「なりたい……。なれるんだったら、そう生きたい」
心が震えるような感覚。叫びたいほどの衝動だった。
希望を抱いたのって、どれぐらいぶりだったのか。
どれぐらい立ち尽くしていたのか、気づけばあいつが戻ってきていた。
「どうした」
「疲れただけ」
私の様子がおかしいことに気づいたのか、そう問いかけて来るが適当に答えて首を横に振った。
馬はどうなったのかと聞けば普通に売れたと上機嫌な様子で答えた。




