第55話
休日の4日目。
「とーってもあまーい香りがしてきた。どんな味なんだろう。楽しみだな」
きれいに水で洗った赤いもを焼き窯の中に整然と並べて薪をくべ、今、ちょうど焼き上がったところだった。
布を巻いた手で赤いもをひとつ取り出して、真ん中あたりから半分に割ると、微かな蒸気と甘いかおりが立ち上ってくる。ひとつをルナに、もうひとつをフレアに渡した。
「熱いから気を付けて」
ルナとフレアはふーっ、ふーっと言いながら熱を冷まして、一口かぶりついた。
「おいしー。とっても甘いよ」
大きく見開いたルナの目を見れば気に入ってくれたことはすぐにわかった。
「じゃあ、つぎはパン生地を作るよ」
「リアムお兄ちゃん、こんな感じでいいのかな」
小さなかわいい手で一生懸命にこねているルナの姿が微笑ましい。
「ルナ、とっても上手だよ」
「やったー!ルナ、お料理だーい好き」
「フレアも上手だよ」
「ありがと。なんか勝手に手が動く感じなんだよね~。もしかしたら、前にやったことあるのかな」
「うん。実はフレアと僕は一緒にパン屋で働いていたことがあるんだ。もし知りたいなら、あとで話してあげるよ」
フレア自身が覚えてもいない過去のしがらみを一方的に押し付けるようなことはしたくはなかった。だけど、フレアが聞きたいことは包み隠さず話すことにした。
「うん。ありがと。さあ、ルナ、がんばって作るわよ」
「はーい。フレアお姉ちゃん」
こねあげたパン生地を3時間ほど一次発酵させ、その後成型して二次発酵させる。そして、焼き窯で焼いて出来上がりだ。
リアムはパン生地を一次発酵させる時間を使ってフレアがさらわれた日からのことをぽつぽつと話し始めた。
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話を聞いても、何一つ思い出せなかったけど、優しくて温かみのある声に耳を傾けていると、次第にフレアの心の中に言い知れぬ感情の波が押し寄せてきた。
リアムは何度も命がけで私のことを助けてくれた。私のことを本当に大切に思ってくれている。そのことがこころにじんわりと伝わってきた。
この人は私を愛してくれている。頭では何も覚えていないけれど、こころがそうだよと言っている。涙が目尻から零れ落ちた。
「フレア、大丈夫かい?辛かったらまた今度にしよう」
リアムがハンカチを差し出してきた。涙をそっと拭った。
「ううん。大丈夫。平気だよ。ねぇ。リアム。どうして命がけで私のこと助けてくれたの?」
「どうしてと言われても・・・・・・。フレアのことを助けたいと思ったから、としか言えないよ」
「そう、なんだ。ありがとう。リアム」
「うん。フレアが今ここにいてくれて僕もうれしいよ。ありがとう。フレア」
フレアは自分の顔が熱くなるのがわかった。
「フレアお姉ちゃん。顔が真っ赤だよ」
ルナがにこにこしながら見ている。
「そんなことないもん」
フレアは下を向いて表情を隠した。こんなに想われて私って本当に幸せなんだな。過去の記憶は失くしてしまったけど、また新しい思い出をつくっていけばいいんだ。
******
「こんにちは!リアムさんはいらっしゃいますか?」
「はーい」
玄関のドアを開けると、ローラさんとエリンさんが立っていた。
「リアムさん、こんにちは。引っ越し先についてご報告に参りました」
「ローラ師匠、エリン師匠、わざわざありがとうございます。どうぞこちらへ」
2人を食卓に案内すると、改めてフレアを紹介した。
「こちらが幼馴染のフレアです」
「フレアと申します。よろしくお願いします」
「リアム副官の補佐をしているローラです」
「リアム副官をいちばんよく補佐しているエリンです」
「ちょっと、エリン。何よ、それ」
フレアもルナもきょとんとしている。
「あのー、要件は引っ越し先の件でしたよね?」
「はい。リアム副官の警備負担軽減の一環として、住居を国防省の近くにしていただくことになり、居住先を探していたのですが、とてもよい物件が見つかりました。個室が8部屋ありますので十分かと思います。明日朝10時から見学できるように手配しております。こちらが住所になります」
「ありがとう。ローラ師匠。それじゃあ、お言葉に甘えて明日見学させていただきますね」
「はい。私も現地で10時にお待ちしております」
「じゃあ、また明日ね」
「エリン、あなたは来なくていいわよ。私一人で大丈夫だから」
「はぁ?これは私の担当でしょ」
「あのー。フレアとルナもいますし」
「す、すいません。エリンといると調子が狂ってしまうんです。それでは私たちはこれで失礼しますね」
「わざわざありがとうございました」
パン生地の発酵が終わったので、いよいよお待ちかねの焼き上げの時間だ。
「赤いもパン、どんな味するのかな?楽しみすぎる」
ルナは自分で作ったパンを食べるのが楽しみで仕方ない様子だ。
「ローラさんとエリンさんてリアムの補佐官なのにどうして師匠なの?」
「うん。ちょっといろいろあってね。僕が副官になる前、2人にはとてもお世話になっててさ」
「そう、なんだ。ローラさんもエリンさんもすごい美人だよね。いつも一緒に働いているの?」
「うん。まあ、補佐官だからね。だいたいいつも一緒かな」
「ふーん。そうなんだ」
「エリン師匠は、ノア、ルカ、ベン、カリンの上司でもあるんだ」
「私は誰と一緒に働いてたの?」
「フレアとルナは国防省の食堂で働いていたよ」
「私とルナちゃんだけ別のところで働いていたのはどうして?」
「ええと、それはね。ルナはまだ小さいし1人にするわけにはいかないから、フレアと一緒にいてもらうのがいいということになってね」
「私とルナちゃんが一緒にリアムと働くことはできないの?」
フレアの寂しそうな表情を見ると答えるのが辛い。
「ノア、ルカ、ベン、カリンの場合、その経験と能力が認められて作戦参謀部で働いているんだけど・・・・・・」
「私とルナちゃんには経験も能力もないから無理、っていうことなんだね。わかった」
「うん。ごめん」
「ううん。気にしないで。当然のことだもん。ところで、私ってさ、何か得意なものあった?何か人の役に立つこと」
「そうだな。フレアは薬草の勉強をがんばってたよ」
「そか。じゃあ、また薬草の勉強がんばるよ」
「そうだね。いいと思うよ」
「ルナも一緒に薬草の勉強してもいい?」
「うん。もちろんよ。一緒にがんばりましょ」
「やったー。ルナもがんばる」
焼きたての赤いもパン、鶏肉とトマトがたっぷり入ったスープ、干し肉、チーズ、ドライフルーツ、ナッツが、ところせましと食卓に並べられている。ノアたちもいつもより早めの帰宅をしており、家族みんなで食卓を囲んだ。
「いただきまーす」
「おおー。久しぶりの赤いもパン。うまそうだ」
ベンは赤いもパンに目がなかった。
「うん。うまい。このスープと合うな」
ノアもおいしそうにかぶりついている。
「ルナも一緒に作ったんだよ」
「そうか。そうか。ルナもがんばったな。とってもおいしいぞ」
ルナの頭をやさしく撫でるルカ。
「わーい」
「このパン。懐かしい味がする」
フレアは感慨深げに赤いもパンを凝視している。その表情はなんだかほっこりしていた。
「このパンは昔フレアと一緒に作って食べてたからね。まだ1年も経っていないのになんだか懐かしいな」
「そう言えば、俺たちが初めて出会ったときもこの赤いもを食ったな」
ノアもなんだか感慨深げだ。
「そうだね。リアムと出会ってなかったら、こうしてカリンを取り戻すことも出来なかったかもしれないな。リアム、俺たちに奇跡を起こしてくれてありがとう」
ルカの言葉にカリンが頷いていた。
幸せだなぁ。こうしてみんなと楽しく一緒に暮らせて。この幸せがこれからも続くといいな。
「ところでさ。まだみんなに話してなかったんだけど、僕の警備の負担軽減のために、国防省の近くに引っ越ししたらどうかという話があってさ。それで引っ越し先候補を明日見学してこようと思ってるんだけど」
「えー。そうなの。俺たち全員が引っ越しするってこと?」
ベンが食べ物以外に反応している。
「うん。まあ、みんながよければなんだけど。僕はみんなと一緒がいいなと思ってる。今度の家だと全員に個室があるんだよ」
「それはいいな。俺は賛成。職場から近いと楽でいいや」
ベンの返事にみんなも頷いている。
「急な話なんだけど、明日見学して良かったら、必要な家具を揃えて明後日引っ越ししようと思ってる。みんな大丈夫?」
「いいんじゃないか。そんなに荷物もないしな」
というノアの発言に、みんな笑顔で頷いてくれた。




