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第48話

「気を失っているようです。傷口自体は小さいですが頭を強く打ったのであれば楽観できません。今は患部を冷やして様子を見るほかありません」


 国防省の担当医のヨセフさんは、手当てが終わると、その場にいたみんなに説明してくれた。


 どこか遠くの世界で聞いているような感覚に陥っていたが、ルナの寂しげな声がリアムの意識を現実の世界に呼び戻した。


「フレアお姉ちゃん・・・・・・」


 ルナの目尻からこぼれて頬を伝う涙が雫となって落ちていく。


「フレアは絶対大丈夫。きっと明日には目が覚めるわ」


 カリンがルナを抱きしめて髪を優しく撫でる。



 ヨセフさんを玄関まで見送り、みんなを食卓に集めて事の顛末を話した。


「一体誰が何の目的でやったのか? リアム、何か心当たりはあるかい?」


「わかりません・・・・・・」


 リアムはそう答えると席を立った。ノアには悪いけど今はフレア以外のことに心を砕く余裕がなかった。


 フレアが眠っているベッドの横に膝をつき手をやさしく握った。


 守ってあげられなくてごめんね。


 大粒の涙がぽたぽたと落ちてフレアの冷たい手を濡らしていく。


 結婚を約束してあんなに幸せそうだったのに。


 クヌム神様、どうしてフレアばかりが、こんな目にあうのでしょうか。あまりにもかわいそうです。

 クヌム神様、どうかフレアが一日も早く元気になりますように。


 リアムはフレアの手を握り、ただひたすらにフレアの幸せを祈った。そして、いつしか頬の涙は渇き、深い眠りに落ちていった。



 誰かに呼びかけられているような気がした。うっすらとまぶたを開くと、フレアが上半身を起こしてリアムをじっと見つめていた。


「フレア、よかったぁ。大丈夫? どこか痛いところはない?」


「あの、すいません。ここはどこですか?」


 頭の中が真っ白になった。一呼吸おいて、やっとの思いで言葉を絞り出した。


「覚えて、ないの?」


「はい」


「ちょっと、待っててね」


 リアムの声は震えていた。部屋を出て食卓に向かった。


「おはよう、リアム」


 ノアは手にしていたパンを皿に戻すと、いつもより優しい口調で話しかけてきた。


「フレアが目を覚ましました。だけど、記憶を失くしてるみたいなんです」


 なんとか声を絞り出した。


「カッシャーン」


 弾け飛んだ皿の破片が四方に散乱している。視線を上げると、カリンは凍りついたように立ち尽くしていた。


「ど、どういうことなの?」


「僕のこと、覚えていないって」


 みんな席から立ち上がるとフレアのもとに向かった。


「フレア、僕たちが誰だかわかるかい?」


 ノアはベッドの前に膝まづいてフレアと目線を合わて優しく語りかけた。


「ご、ごめんさない。わかりません。自分のこともわからないんです」


「フレアお姉ちゃん、ルナのことも覚えてないの?」


「ごめんさい。私、どうして、覚えてないんだろう」


「逆に、何か覚えていることは?」


「・・・・・・。何も思い出せません。イタイっ」


 両手で頭を抱え、痛みに耐えているようだった。


「ルカ、ヨセフ先生を呼んできてくれないか。カリンはフレアのそばにいてあげて」


 ノアはフレアとカリンを部屋に残してみんなを食卓へと促した。


 リアムは気が動転したまま、何も考えることができなかった。息苦しい沈黙に包まれたまま1時間ほど過ぎたころ、ルカがヨセフ先生を連れて戻った。


 ヨセフ先生は診察を終えて部屋から出てきた。


「ヨセフ先生、フレアの記憶は戻るんでしょうか?」


 その声色から狼狽しているのが自分にもわかる。


「何かのきっかけで記憶が戻る場合もあるし、戻らない場合もあります。今は本人に精神的な負担をかけないようにすることが大事です」


「フレアにはしばらく傷の回復に専念してもらって、記憶喪失のことは極力触れないようにしよう。カリン、ルナ、しばらくフレアのそばにいてくれないか。俺たちは仕事に行こう。ここで何もせず悶々としていても仕方がない」


 ノアの言葉が遠くに聞こえる。


「申し訳ないけど、僕は今日はお休みをいただきます」


 リアムは自分のベッドで横になった。


 昨日、フレアと結婚する約束をした。そして、今日、フレアは僕のことを忘れてしまった。


 フレアとの思い出が次から次へと脳裏に浮かぶ。


 初めて会ったときのこと。学舎で一緒に過ごしたときのこと。さらわれたフレアを助け出し、川に飛び込んだときのこと。そして、そのあと初めて唇を重ねたこと。一緒にパン作りをしたときの輝くようなフレアの笑顔・・・・・・。


 この大切な思い出はもうフレアの中に存在しない。一片のかけらさえも残らず消えてなくなってしまった。


 フレアにとって僕は今日初めて会った人。僕を愛してくれたフレアはもうどこにもいない。


 そう思うと、リアムの目尻から涙が滂沱のごとく流れ落ちてくる。毛布にくるまって肩を震わせ嗚咽を漏らした。


 ひとしきり泣いて少しだけ心がすっきりと軽くなったような気がした。フレアの記憶が戻る可能性もある。まだ諦めるのは早い。


 なんとかしてそう思い込もうとしても、やっぱり今すぐ気持ちを整理することなんて出来ない。こころが搔きむしられて、やるせなくて、切なくて、辛くて、苦しくて。


 クヌム神様、このやりきれない気持ちを僕はどうしたらいいんでしょうか。

 なぜこのような目にあわなければいけないのでしょうか。

 僕とフレアは前世でそんなにひどいことをしてしまったのでしょうか。


「愛する人と別離することはとても辛くて苦しいものだ」


 リアムの頭の中に馴染みのある声が飛び込んできた。


「バルカさんですか?」


 リアムは心の中で問う。


「そうだ」


「お久しぶりです。今日はなぜ来られたのですか?」


「そなたが私のことを意識したからだ」


「ああ、そうだったんですね。すいません」


「謝らずともよい。そなたの辛くて苦しい気持ちは私にもよくわかる。以前にも同じことを言ったが、人は何度も生まれ変わって、楽しいことやうれしいことだけでなく、苦しいことや悲しいことも含めて様々なことを経験する。そして、その経験こそが魂の成長・進化の糧となる。この世的に見た不幸や悩みや葛藤も、魂の成長・進化には必要なことであり、逆にそうしたものがなければ成長・進化もないということだ。だから、一見不幸に見えることであってもそれを前向きに捉え、自らの魂の成長・進化につなげていくという考え方の工夫が大切なのだ。家族や恋人や友人は魂を成長・進化させていく道中でお互い励まし合い助け合う仲間であり、ただ単に仲間同士で幸せに暮らすことだけが本来の目的ではないのだ」


「おっしゃっていることは、頭では理解できますが、それでも私はフレアを失いたくありません」


「それがまさしく執着心であり、捉われた心なのだよ。幸いにもフレアは生きている。万が一記憶が戻らなくても、またゼロからやり直せばいいではないか。いつまでも失ったものを嘆いているよりも、今あるもので幸せを築いていけばよいのではないかな」


「おっしゃるとおり、もう一度やり直すことはできるのかもしれませんが・・・・・・」


 さらに言葉を続けようとしたが、リアムはマイナスの言葉を発すればそれが現実になってしまうのではないかと思い直し、それ以上の言葉を発することをやめた。


「今のそなたにもう少し伝えたいことがある。よいか」


「はい」


「人は、自分の思い通りにならず、苦労多く、理不尽な思いをすればするほど磨かれていく。人の苦しみや悲しみをわからない者に、慈悲や寛容の心はなく、人を導くことはできない。若いころから苦労させられるのは、人の苦しみや悲しみを誰よりも知るためである。そう信じて、そなたの志を貫いていくのだ。今は不運に思えることであっても、神が大愛で与えるものと信じれば、どんな事でも明るく乗り越えられる。今は苦しくて悲しいかもしれないが、考え方を工夫することで、その気持ちを何とかするのだ」


「う~ん。考え方を工夫するとはどういうことなんでしょうか?」


「今は不運・不遇だと思えるようなことであっても、後々、なくてはならない経験だったと思えるように、神が大愛でなさっておられるのだと受け取る。自分の狭い尺度で見ているからわからないだけで、神の尺度で見れば、この不運・不遇と思えることもすべて後々必要なことなんだと考える。そして、この苦しみによって自分が過去に積んできた劫を払ってくださっていると感謝する。魂が練磨された分だけ、素晴らしい未来が待っている。どんなに困難や失敗が続いても、どんなに思いどおりにならなくても、どんなに苦しくて悲しいときでも、おのれの運命を呪い、世の中を呪い、周りの人を呪い、神を呪うことをしない。そういうふうに自分の心を持っていく。これこそが永遠の幸せの妙諦なのだ」


 バルカさんが教えてくれたことは頭ではなんとなく理解できる。だけど、どうしても感情がついていかない自分がいるのも事実だった。


 僕を愛してくれたフレアはもういない。また戻ってくるかどうかもわからない。この切なくて、寂しくて、悲しい気持ちをどうしたらいいんだろう?


 でも、確かにフレアは生きているし、いなくなったわけじゃない。もう一度フレアと初めて会った頃に戻ってやり直せばいいだけなんだ。


「バルカさん。まだすべてを納得できているわけではありませんが、考え方を工夫して、今の自分に出来ることを精一杯やっていこうと思います。助言いただきありがとうございました」


 今はフレアが元気になるのを見守っていこう。



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