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第44話

 情報部のダノンはエルドランの二重諜報員であることが判明しているが、現時点では特段対処はせず泳がせている状態だ。ダノンは自分の正体が露見したとは夢にも思っていないだろう。


 こうした二重諜報員を見つけ出すのは極めて難しく、情報漏洩や偽情報の流布を完全に阻止することは不可能だろう。情報漏洩することを前提に対策を立て、情報の真偽は複数のソースで確認していく他ない。


 しかし、二重諜報員を見つけ出すことを決して諦めたわけではない。


 国家の要職者を対象とした人物相関図のようなものはこれまで存在していなかった。が、今回、ナリス長官からの協力要請のおかげで、人事部や各組織の上官の協力が得られたことにより、かなり詳細な相関図を作成することができた。


 今後、この相関図をもとに二重諜報員のあぶり出しを行っていく。


 作戦参謀部、情報部、外交部で働く者たちから調査対象として4人を決めて、カリンとルカ、ノアとベンの2組に分かれて調査を担当してもらうつもりだ。



 その夜、リアムはなかなか寝付けなかった。


 ペレスで過ごした1年は本当にあっという間だった。トポスで過ごしたころの自分とは別人の人生のようだった。


 人生は選択の連続であり、その選択如何で、未来は想像をはるかに越えて変わりうることを、身を持って知った1年だった。


 これまではフレアを守ることだけで精いっぱいだった。でもこれからは仲間やこの国の人たちも守りたいと思っている。


 キール村の惨劇のようなことはもう二度と起こさせてはならない。そのために自分ができることは何でもするつもりだ。


 ひとたび戦争が始まってしまうと、知らない者同士による殺し合い、暴力、略奪、破壊などが果てしなく続く。


 お互いへの憎悪が蓄積すればするほど、戦争を止めることはいっそう難しくなっていく。


 平和で穏やかだった生活は、うたかたの夢のごとく一瞬のうちに消え去り、大切な人を失い、苦労して築き上げてきたものをすべて奪われ、未来への夢と希望も持てず、ただただ恐怖と不安の日々が続き、まさに絶望の生き地獄と化してしまう。


 自分に守りたい人がいるように、相手にだって守りたい人がいる。しかし、戦争となれば、組織化され命令を受けた兵士たちは、その意志に関係なく虐殺者になり果ててしまう。


 もちろん、リアムも例外ではない。正直な思いとしては誰も傷つけたくない。だけど、誰かを守るために、誰かを傷つけることになるかもしれない。


 以前、バルカさんはこんなことを言っていた。

 人を苦しめれば、因果の報いで、いつか自分も同じ苦しみを受けて償わなければならない、と。


 だけど、自分が苦しむのが嫌だからといって、フレアや仲間を守らないという選択肢はありえない。


 ラーク師匠から教えてもらったことの中で最も心に残っている言葉。


「戦争に勝つためにどうするかはもちろん重要だが、それ以上に重要なのは戦争にならないようにするためにどうするか、なのだ。戦争は割に合わない、戦争どころではない、と敵に思わせる状況をつくっていく。それが重要なのだ」


 リアムの脳裏にキール村の惨劇が蘇る。そして、フレアや仲間たちがその犠牲者たちの姿に重なった。リアムの目頭は熱を帯び、名状しがたい衝動が全身を貫いた。


 クヌム神様、どうか、みんなを助けてください。お救いください。

 戦争をなんとしてでも回避し、ひとりの犠牲も出すことなく、みんなが笑顔で幸せでありますように。


 両手の指を交互に組み合わせて手に力を込める。眉間に意識を集中して祈りの言葉を何度も繰り返す。頭の先から血が噴き出し、髪の毛が逆立つかと思うほどに全身全霊でみんなの幸せを祈った。


 そして、いつしか眠りに落ちていった。



 ●●●●●●

 優雅な調度品に囲まれた一室で、軍服姿の男たちが表情を強張らせていた。


「それでは、作戦要旨を伝える。フェンネル領地内にあるルクセン山を登り、そのままアドリア国境を越える。そして麓にあるルチアという街を占領し、そこを要塞化し、アドリアのツヴァイを攻撃する拠点とする。これが今回の出兵目的となる。この作戦についてはすでに国王に了承をもらっている。ゲルド将軍にもこの後報告予定である。今回の出兵数は総勢4100名。尾根伝いの山中移動になるため、歩兵だけの編成となる。ルチアまでの行程はおよそ10日。ジュノス隊長とベゼル隊長がそれぞれ2000の部隊を指揮する。ゲイル隊長には、両部隊の後方で、兵士100人で奴隷1000人を連行してもらう。奴隷には食料物資を運搬させ、ルチアの要塞化の使役とする。必ずこの作戦を成功させ、エストニア峡谷の雪辱を果たす。以上だ。何か質問は?」


「ブスカ将軍。アドリアの第三部隊は我が国とフェンネルとの国境付近に布陣場所を変えたたようですが、第一部隊、第二部隊には未だなんら動きはありません。アドリアのあほうどもは、まさか我々があの険しいルクセン山を越えて攻めてくるなんて考えもしないでしょうな」


「あまり侮っていると足元をすくわれることもある。前回のことがあるからな。アドリアはガルディア国境に配置していた第4部隊を動かさずに第6部隊を動かした。我々の想定を越えた動きをしてきたのも事実。油断は禁物ということだ」

 ●●●●●●



 リアムはゆっくりと体を起こした。


 もう何度目だろう。まるで現実を見ているような極めて明瞭な映像だった。エルドランは再びフェンネル領土を通って攻めてくる。


 キール村の惨劇をルチアで繰り返すことは絶対にあってはならない。頭に血が上っていくのを自覚すると、深い呼吸を繰り返し、冷静さを取り戻した。そして、夢で見た内容をメモにとり、これからどう動くべきか思考の底へと沈んでいった。



 国防省に登庁するとすぐにローラさんにナリス長官と至急面会できるように調整をお願いした。


「リアム君、至急の要件とは何だね?」


「エルドランがフェンネル領土内のルクセン山を越えて歩兵4100で我が国に侵攻してきます。狙いはルチアを占領、要塞化して地方都市のツヴァイを攻撃する拠点をつくることです。おそらく、10日程度でルチアの前に現れるでしょう」


「情報の出所は?」


「ナリス長官、どうか、落ち着いて聞いていただきたいのですが、この情報の出所は、昨夜私が見た夢です。実は、前回のエルドランのエストニア峡谷からの侵攻の情報の出所も私の夢でした。その時は、信じてもらうことは難しいだろうということで、ラーク師匠に情報の出所を偽って相談しました。私はこのような予知夢を今回を含めてこれまでに6回見ています。信じがたいことかもしれませんが、ルチアがキール村のようなことにならないようにすぐに手を打たねばなりません」


 ナリス将軍は終始黙って聞いていた。顔色が明らかに変わっている。


「正直なところ、ラーク前軍師から聞いたエストニア峡谷の情報についてはその出所からして信憑性に疑問を持っていた。しかし、仮に偽りの情報であったとしても大きなリスクはないと踏んで対処することに決めた。そしてバイロン収容所の件が事実だったことから、エストニア峡谷からの侵攻についても確信し、対策を指示した。しかし、今回の場合、情報の出所が君の夢だと言われてしまうと、国防省長官という立場で出来ることは何もない」


「ナリス長官の立場であれば、当然のことだと思います。しかし、私も覚悟をもってこの場に臨んでいます。キール村の惨劇を再び起こさせてはなりません。長官、真偽不明の情報という扱いで、3000の騎馬隊をルチアに向かわせていただけないでしょうか。そして、出来るならば私に山岳を得意とする歩兵200を預けていただけないでしょうか。この機に、キール村の惨劇を起こした張本人のブスカとジュノスにはこの世界から退場してもらうつもりです」


 ローラさんは驚愕と不安がないまぜになった表情を浮かべていた。ナリス長官はしばし瞑目した後、沈黙を破った。


「わかった。今回は君が持ってきた真偽不明の情報に基づき、念のための措置として、前回と同様のかたちでグレンの騎馬隊3000をルチアに向かわせる。そして、歩兵200については山岳訓練という名目で出そう。歩兵隊長のキースには訓練の詳細はリアム君から話があること、そして訓練中に想定外のことが発生した場合は、リアム君の指揮に従うように伝えておく。私ができることはここまでだ。そして、今回の件がもし事実でなかった場合は、残念だが君には国防省から去ってもらうことになる。それでもいいかね?」


「ご承諾いただきありがとうございます。覚悟はできています」



 ナリス長官執務室を退出すると、ローラさんが心配そうな顔で言葉をかけてきた。


「リアムさん、私は立場上なんて言ったらよいのかわかりません。でも、ルチア村のみなさんを助けたいという想いは同じです。私に何か協力できることがあればなんでも言ってください」


「ローラさん、ありがとうございます。巻き込んでしまって申し訳ありません。今回のことは2人だけの秘密にしておいてください」


「2人だけの秘密ですね」


 ローラさんの声色が少しやわらいだように聞こえた。


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