第21話
流行り病に感染している可能性を考慮して、母が亡くなってから1週間は誰とも会わないつもりだった。3日後にフレアが訪ねてきたが、ほんの少し会話をしてすぐに家に帰した。
フレアの訪問から4日ほどたった朝、何度も行き来したいつもの道をゆっくりと歩いている。
澄み切った青空に太陽の輝きがまぶしい。木々が揺れて、涼やかな風が心地よかった。空気もこころなしかいつもよりおいしい気がした。
母のことを思うと、心をえぐるような悲しみと切なさで自分を見失いそうになるけど、前に向いて乗り越えていかなくてはならない。
フレアの家のドアをノックすると叔母のマチルダが顔を出した。こころなしか目元に疲れがにじんでいるように見えた。
「いらっしゃい、リアム。アンナのこと、なんて言えばいいか、とても残念だったわ」
「お気遣いありがとうございます」
「実は、フレアも・・・・・・」
そう言うと、マチルダは力なく膝から崩れ落ち、赤く腫らした目を涙で濡らした。
「マチルダおばさん。フレアに何かあったんですか?」
マチルダが落ち着くまで待つ。
「昨日の夜から具合が悪くなって。今、ダニー先生に来てもらっているの。流行り病の症状が出ていて。でも、もう薬がないって・・・・・・」
マチルダに手をかして一緒に家に入ると、フレアの部屋へと駆け上がった。
ベッドの脇で膝を折り、顔を覗き込む。頬は赤く染まり、額に大量の汗を浮かべていた。
「フレア」
声をかけても反応はない。
どうして、なんで、フレアまで・・・・・・。
現実逃避するかのように目を閉じる。すると、母が優しく語りかけてきた。
「大丈夫よ。あなたなら救えるわ」
リアムはゆっくりと目を開くと、すくっと立ち上がり、ダニー先生に視線を移した。
「ダニー先生、どうしたらフレアは助かりますか?」
「残念だけど、治療薬のメビウス草がもうないんだよ・・・・・・」
「メビウス草ですね。僕、採ってきます」
「メビウス草は自生場所が限られていて、専門家でも見つけるのは難しいんだ」
「大丈夫です。メビウス草なら昔頼まれて採取したことがあります」
フレアの痛々しい姿を頭に焼き付けると、その決意の固さを示すようなしっかりとした足取りで、目的地に最も近い西の城門に向かって走り出した。
メビウス草が自生しているトナイ山はここから20キロ以上はある。しかも、山の傾斜は急で険しい。そう簡単な道程ではなかった。
それでも、必ずメビウス草を持ちかえる。そう覚悟を決めると、にわかに空は曇り始め、ほどなく雨が降り出した。叩きつける雨に視界を奪われながらも、ひたすら走り、そして、祈った。
これで何度目だろう?なぜ、フレアばかり・・・・・・。
クヌム神様、どうか、フレアを助けてください。
フレアの笑顔が脳裏に浮かんだかと思うと、すぐさま幻影のごとく雲散霧消していく。フレアがいない世界なんて、どうやって生きていけば・・・・・・。
言い知れぬ恐怖がリアムを襲う。
頬を叩きつける冷たい雨が頬を伝う涙をきれいに洗い流していく。
クヌム神様っー、どうか、フレアをお救いください。
クヌム神様との約束を必ず果たします。だから、どうか・・・・・・。リアムはほとばしる感情を抑えきれず絶叫していた。
ふいに、フレアが数日前に自分を励まそうと言ってくれた言葉が脳裏に蘇る。
「パパとママが死んだとき、私も死にたいと思った。だけど、頭の中にママが現れてこう言ったの。 『フレア、パパとママがいなくて寂しいかもしれないけど、あなたはまだこちらに来ちゃだめよ。あなたを守り、そして幸せにしてくれる人が必ず現れるから。今はそれを信じて頑張りなさい』 それで、もう少しがんばってみようと思ったんだ。そしたら、本当にそうなったんだよ」
「へぇ、そうなんだ」
「そうなんだ、じゃないでしょ。誰のことだと思ってるの?」
フレアは思いっきりリアムの右頬をつねった。
「いてっ」
フレアは顔を背けてぷんぷんしながら、頬を赤く染めていた。
トナイ山が視界に入り、急に現実に引き戻された。
道の勾配が急になり、心臓の鼓動が激しくなってきた。ドクンドクンという音が耳の中で反響している。必ずフレアを助ける。絶対に諦めない。何度も何度も自分に言い聞かせる。
その気迫が血液と酸素を体のすみずみまで送り込み、走るスピードが落ちることはない。木々や石をうまくよけながらどんどん進んでいく。
その刹那、右足が地を滑り、体は宙を舞って、なすすべもなく急勾配の坂を転げ落ちていった。衝撃と痛みの中でとっさに頭を庇った。
岩や木の根に体のあちこちをぶつけながら次第に減速していき、間一髪、深く切り裂かれた断層の手前で停止した。
しばらくはその場に這いつくばって荒い息を整えた。どうにか立ち上がろうとして体重をかけた足が泥にとらわれ制御を失うと、瞬く間に下半身が断層の闇の中に吸い込まれた。
右手でつかんだ木の根だけが唯一の命綱だった。それは、リアムの命だけでなく、フレアの命をも繋ぐものだった。
なんとしてでも生き抜き、必ずフレアを救う。そう強く思うと、体の奥底から無尽蔵のエネルギーが湧き上がってくる。両手で木の根を強く握り直すと、渾身の力で這い上がった。
その場で呼吸を整えると、足元に神経を研ぎ澄ませながら、何事もなかったかのように歩き出した。元の山道に戻ると、同じ過ちを犯さないように少しペースを緩めて、一歩一歩確かめるように力強く大地を蹴っていく。
しばらくすると、目印となる大きな岩が見えた。この先にメビウス草の群生地があるはずだ。大きな岩を越えると一気に視界が開けた。
辺り一面に自生しているメビウス草の姿が目に飛び込むと、安堵の感情に浸る間もなく、すぐに摘み取り麻袋に入るだけ詰め込んだ。
そして、いっときも休むことなく、もと来た道を走り出す。坂道を下るのは登るときよりも危険なことはこれまでの経験上知っていた。小石や木の根をうまくよけて細い獣道を走り抜けていく。
クヌム神様、どうか、この薬草でフレアが救われますように。
体の中の病原菌がすべて体の外に排出されて、全身の痛みや苦しみがなくなり、元気になりますように。そう祈りながらフレアの笑顔や喜ぶ表情を心の中に思い描いた。
そうした祈りを何度も繰り返しながら走っていると、いつの間にかフレアの家が視界に入ってきた。
近くに見慣れない馬車が止まっている。横を通り過ぎようとすると、荷台から3人の男が降りてきた。3人とも剣を携帯している。
「やはりここで正解だったな。賭けは俺の勝ちだ」
黒服の背の高い男が言い放った。
「賭けは負けたが俺がこいつを倒す。そしたらチャラだ」
3人の中では一番背の低いひょろりとした男がリアムの前に立ちはだかった。
「いや、その役は俺がもらう」
がっちりした体格の男が前に出てきた。
3人ともに布と帽子で顔を隠していた。どうやら、自分を狙っているらしい。突然のことで少々混乱していたが、最近はこういう輩ばかりに付きまとわれているせいか、冷静さは失っていない。
リアムは相手との間をとるため素早くあとずりをした。しかし、相手はそれを見て距離を詰めてきた。相手の動きがよく見える。より正確に言うとこれからどう動くのかが見えるような気がした。
黒服の男が剣を大きく振りあげた刹那、リアムはすばやく男の懐に入り込むと右拳を男の下腹に食い込ませた。
「うぐっ」
男は声にならない声をあげた。男の剣を奪うと、膝をついて前かがみになっていた男の頭を思い切り蹴り飛ばした。
リアムは呆然となって立ち尽くしている背の低い男に向かって剣を突き出した。男はなんとか一歩後に下がったが、その甲斐なく剣の先が腹に「ブスッ」と音を立てて刺さった。剣先3センチくらいに血の跡がついている。続けざまにリアムは男の股間を蹴り上げた。
もう一人の男に体を向けた。男は何が起こったかわからないような顔をしていたが、
「おーっ」
と大声をあげて、剣を突き出して走ってきた。リアムはそれをひらりとかわすと、その男の頭頂部めがけて剣の平な面を叩き込んだ。男は道に突っ伏して動かなくなった。
リアムの体はその持ち主の意思とは関係なく勝手に動いていた。つい先日ライアンたちを倒したときと同じ感覚だった。
ふと上を見上げるとマチルダさんが窓からこちらをじっと見ていた。
「マチルダさん、メビウス草、取ってきました」
リアムはそう言うと、どっと疲れを感じてその場に尻もちをついた。
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ノアは、ルカとベンとともにリアムの家を訪ねたが留守だったので、フレアの家に向かっていた。
リアムが男たちと対峙しているのが視界に入ると、ノアたちはすぐさま馬に鞭を入れた。
「大丈夫か?ケガは?何があった?」
ノアはリアムが立ち上がるのに手を貸した。
「僕もよくわからないんです。3人が急に襲ってきて・・・・・・」
「すぐに公安に来てもらって、こいつらが何者なのか吐かせるよ」
ノアは倒れている3人を注意深く観察しながら言った。
「ありがとうございます。じゃあ、後は頼みます。フレアが流行り病になってしまって」
「えっ」
「今はフレアと一緒にいたいんです」
「わかった。こっちのことは任せてくれ」
ノアはルカとベンにこれからの段取りについて言い含めると、ひとりで公安に向かった。
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メビウス草が入った麻袋とともにフレアのもとに急いだ。ダニー先生に麻袋を手渡すと、
「ダニー先生、お願いします。フレアを助けてください」
ダニー先生は大きくうなずくと薬草をもって台所に向かった。しばらくするとダニー先生が戻ってきた。薬を少しづつフレアの口に流し込んでいく。フレアは何度かむせながらもすべて飲み干した。
それからはずっとフレアの手を握り、クヌム神様に祈った。祈って祈っていつの間にか眠ってしまっていた。
窓から差し込む太陽の光でリアムは目を覚ました。顔を上げると、弱々しい笑みを浮かべたフレアが、じっとこちらを見つめていた。
「フレア」
それ以上何も言えなかった。おでこをやさしくなでて、手をやさしく握った。フレアも弱々しい力で握り返してくれた。頬につたった涙を手の甲で拭った。
フレアは薬を飲み始めてからすぐに食事も摂れるようになり、順調に回復した。リアムが付き添って3日目にはベッドから出て歩けるようになった。
ダニー先生から、「もう心配ないだろう」と言われてようやく人心地ついた。




