第2話
どれくらい時間がたったのだろう?
意識を取り戻したが目は閉じたままだ。下腹部に激しい痛みを感じる。周りの様子をうかがうために神経を集中した。
「兄貴、この男は予定外でしたが、奴隷として売れば金になりますぜ」
「そうだな。まずこの女を予定どおり客に届けてからだがな」
「売値はどれくらいになりますかね?」
「まだ若くて筋肉もしっかりついているから金貨2枚はくだらないだろう」
「取り分は兄貴が1枚、残りを俺とハリソンとタイラーで山分けでいいですかね」
「おい」
「あっ。すいません。でも、こいつら気を失っていますから、聞いちゃいませんよ」
「気をつけろ」
「へい。それにしてもこの女、かなり上モノですぜ。金貨50枚とはボスも大儲けですね。客に渡す前に俺たちで味見しておきませんか」
「それも悪くないが、客にばれたら面倒なことになる。今回の稼ぎでいつもよりいい女を抱けばいい」
「確かに面倒は嫌っすね」
馬車の中に3人。御者台にもう1人ならば全部で4人。相手は最低4人で手足の自由はない。リアムは絶望的な状況に慄然とした。だけど、フレアは必ず助ける。必死に考えをめぐらした。
うめき声をあげながら、静かに上半身を起こした。そしてほんの少しだけ開いている幌の隙間から外の様子をうかがった。
「諦めるんだな。抵抗すれば女を殺す」
リーダーらしき男の低い声が響いた。
リアムはこくんとうなずいた。このときフレアも目を覚ましたようだった。フレアの方に顔を向け、視線を合わせた。目に力を込めて、まだ諦めていないことを伝えようとした。フレアは心なしかいつもより弱々しい笑顔でうなずいてくれた。
しばらくおとなしく外の景色を見ていた。道の左右にうっそうとした雑木林が続いている。リアムは声を張り上げた。しかし猿轡をつけられているのではっきりとした言葉にはならなかった。
「うるさい。黙ってろ」
手下の男が怒鳴った。
それでもリアムは止めなかった。手下の男がリアムの腹を蹴りあげた。商品なので顔は殴らないのだろう。
「猿轡を外してやれ」
リーダーらしき男が言った。手下の男は面倒くさそうにリアムの猿轡を外した。
「トイレに行かせてほしい」
もちろんこんなところにトイレはないが、フレアに気遣い直接的な表現を避けた。
「我慢しろと言いたいところだが、ここで漏らされても困るか。俺も腹が痛くなってきたしな」
と兄貴と呼ばれる男がひとりごちた。
「兄貴、それならここらの雑木林の中でどうすか。ここを抜けた後は人目につきます」
「そうだな。馬車を止めろ。俺が先に行く。しっかり見張っておけよ」
兄貴と呼ばれる男が馬車から飛び降りて周囲を用心深くうかがいながら茂みの中に入っていった。
「手伝ってもらうのも申し訳ないので、縄の縛り方を少しかえてもらえないでしょうか」
リアムは近くの男に丁寧にお願いした。
男はそれを無視して、
「おい、誰が女を連れていくか決めようぜ」
2人はコインの表裏で決着をつけた。
「けっ、ついてねえな」
リアムを無視した男がうらめしそうに言った。
リアムはもう一度丁寧にその男に頼んだ。男は、見たくもないもの、触りたくないものを想像したのだろうか、しょうがなさそうにうなずくと、まず足首の縄を結びなおした。両足の間が30cmほど開くようになった。次に、体の後ろで結んでいた手首の縄をいったんほどき、体の前で結びなおした。
もう1人の男がフレアの縄も同じように結びなおすと、男たちは2人の腰まわりに新たに縄を結び、その縄の端を握った。
男たちはリアムとフレアを馬車から降ろし、
「兄貴が戻るまで待て」
と命じた。御車台にいる男は降りてこなかった。
「もうがまんできません。漏れます・・・・・・」
とリアムはもぞもぞした動きをしながら訴えた。
「しょうがねえな。じゃあ俺ら先に行くから」
と言うと、
「私も」
とフレアが顔を赤らめながら言った。
「じゃあ、俺らも行くか」
フレアを連れていく男がにやにやしながら言った。
リアムの腰縄を持っている男がフレアの後ろをついて行こうとしたが、
「ついてくるなっ」
ともう1人の男に一喝された。
リアムの腰縄を持つ男は仕方なく距離をとってしばらく歩くと、
「この辺でいいだろ。早くしろ」
とリアムの後ろに立って、イライラした口調でせかしてくる。
「キャー」
フレアの悲鳴が聞こえた。
そのとき、リアムは小便しながら体ごと後ろを振り向くと、男をめがけて勢いよく浴びせた。
男は動転して、
「あっ」
と声にならない声を出して後ろに倒れこんだ。リアムは男の急所を両足で思いっきり踏みつけた。男は悶絶して気を失ったようだった。倒れた拍子で男の顔を隠していた布がめくれ、間抜け顔があらわになった。
リアムはすぐさま服装を整え、近くにあったこぶし大の石を2つ手に取り、悲鳴が聞こえた方向に歩幅30cmながら器用に小走りで向かった。
男は、地面を背にして倒れているフレアの服を脱がそうとしていた。フレアの足の縄は解かれていた。リアムは静かに近づくと右手に握った石を背中目掛けて思い切り投げつけた。男はうめき声を上げながら振り返った。そのとき、もう一つの石を頭に振り下ろした。男は地面に倒れこんだ。
「フレアっ。大丈夫?」
「うん。大丈夫だけど・・・・・・」
フレアは顔を真っ赤にして目をそらす。
「あっ、ごめん」
リアムはとっさに横を向いた。
フレアは服装を整えると、
「もう大丈夫だよ」
と恥ずかしそうに声をかけてくれた。
それを聞いて振り向いた刹那、
「何があった。どこにいる?」
と兄貴と呼ばれていた男の大声が響いた。
「逃げよう」
フレアを促して、リアムは短い歩幅ながら両足を前後にすばやく動かし続ける。地面はところどころ石が埋まってデコボコしており、あちこちから伸びている木の枝が行く手を遮っていた。
かすかに水の流れる音が聞こえる。同時に後ろからも追手の声が近づいてくる。リアムとフレアは文字通り死に物狂いで走った。
しかし、たどり着いたところは川に面する崖だった。見下ろすと川面まで15mくらいはあるだろうか。飛び込めば死ぬ確率の方が高いかもしれない。30Mほどの先に、崖の側面から斜め上方に枝を広げた木々が生えているのが見えた。
「逃げれば殺す」
という声に振り返る。
ここで捕まればこれからの人生はまさに生き地獄となるだろう。フレアは一生辱めを受けることになる。ここで捕まるくらいなら、一縷の望みにかけて、ここから一緒に・・・・・・。
クヌム神様、どうか私たちをお救いください。
救ってくださるならば、クヌム神様の願い通りに生きていくと約束します。どうか・・・・・・。
リアムとフレアは同じ想いに至ったのか、ほんの少しの間、見つめ合い、覚悟を決めたようにうなずいた。リアムは縄で縛られた両腕をフレアの頭の上から背中にまわして強く抱き寄せた。そして、自分が下になるようにして、木の枝に向かって飛び降りた。
2人はいくつかの枝を折って落下し続け、川面に最も近い大きな枝でバウンドして、バシャンという衝撃音とともに大きな水しぶきをあげて着水した。
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木の枝の上に落ちたときも、川面に落ちたときも、リアムがかばってくれたおかげで、フレアは体中のどこにも痛みを感じなかった。意識もはっきりしていて、すぐさまリアムを抱えて浅瀬に向かって泳ぐことが出来た。学舎で習った泳ぎが役にたった。
フレアは全身の感覚が研ぎ澄まされ、体中に力が漲っていくのを感じた。川底に足がつくことを確かめると、川の流れに負けないように両足を力強く交互にゆっくり動かして、岸に向かった。
浅瀬にたどり着くとリアムを背負って、川底にひざまずいた。背中でリアムの体温を感じながら、手と膝を交互に動かして岸を目指した。膝から出血していることも意に介さず、リアムを平坦なところに横たえた。
「リアム、リアム」
体をゆすりながら何度も呼びかけるが意識は戻らない。フレアは急に不安に襲われた。もしこのままリアムの意識が戻らなかったら、どうしよう・・・・・・。言いようのない恐怖が全身を駆け巡る。フレアは両目に涙を溜めながら、リアムの名前を呼び続けた。
フレアは学舎で習った医術の授業を思い出した。リアムのあごを上に向けて指で鼻をつまみ、自分の口を大きく開き、リアムの口を覆うように密着させ、ゆっくりと息を吹き込んだ。
いったん口を離して様子をうかがった。これを何度も繰り返した。続いて、リアムの胸の真ん中に両手を添え、体重を乗せて小刻みに30回ほど胸を圧迫した。
リアムと過ごした想い出やフレアに向けられたリアムの様々な表情が、脳裏に思い浮かんできた。
リアムが死んでしまう?
そう想像しただけでこころが壊れてしまうかと思うほど苦しくなった。
フレアは泣きじゃくりながら必死にクヌム神様に祈った。
クヌム神様、どうか、リアムを助けてください。お願いです。
「リアム。戻ってきて」
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別世界の見たこともない不思議な光景が脳裏に浮かんでは消えていった。
自分は死んだのか? それとも夢なのだろうか?
遠くで自分の名前が呼ばれている気がした。
「リアム、戻ってきて」
今度ははっきりとフレアの声が聞こえる。リアムはゆっくりと目を開いた。同時に、咳込みながら水を吐き出した。目の前に泣きじゃくるフレアの顔が見えた。
「よかった・・・・・・」
フレアが自分の顔をリアムの胸に押し付けてきた。
「重たい・・・・・・」
「あっ。ごめんなさい。大丈夫?」
「うん。フレアは?」
「私は大丈夫。痛いところはない?」
「えっーと。どうだろう」
とリアムはゆっくりと確かめるように言った。
「殴られたお腹はまだ痛いけど、他は大丈夫みたいだ。フレア、手首の縄をほどいてくれないか」
「うん」
縄の結び目をほどこうと、フレアはその細くきれいな指を器用に動かしている。
「ありがとう。今度はフレアの縄をほどくね」
緊張と恐怖の連続だった2人の間に、和らいだ空気が流れ始めた。リアムはフレアの縄をほどくと、今度は自分の足の縄をほどいた。腰ひもも外した。縄は捨てずに持っていくことにした。リアムは自力で立ち上がると、体が動くか確かめた。どうやら問題なさそうだ。
「リアム、上を見て。まだ崖の上にあの男がいるよ」
男はこちらをじっと睨みつけていた。フレアを取り戻そうと追ってくるに違いない。ただ、ここに来るには、同じように川に飛び込むか、ここから先に行ったところの橋を渡るしかない。橋を渡るとすれば、どんなに急いでも2時間はかかるだろう。いずれにしてもここからすぐに逃げなければ。
リアムとフレアは男の視界から外れるために、うっそうとした薄暗い森の奥へと進み、男の姿が見えなくなったところで手ごろな場所を見つけて腰を降ろした。
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ライアンは崖の上から2人が森に向かって歩いていく様子を見ていた。女は必ず取り返す。そうしなければ自分たちが始末されかねない。ライアンは踵を返すと、ジェイクとハリソンを探した。
「ジェイク、起きろ」
ライアンはジェイクの左頬をたたいた。
「うっ。あっ。兄貴、自分はどうしたんすか?」
「俺に聞くな。リアムとかいう男にやられたんだろ?」
「そうか。やつはどこへ?」
「崖から川へ飛び込んで逃げた」
「えっ。じゃあどうすんですか?」
「お前のミスだろ。一体何があったんだ?」
ジェイクは事の顛末を話した。
「ハリソンはどうした?」
「ハリソンはこの近くにいると思います。探してきます」
「俺も行く」
しばらく行くとハリソンが仰向けに倒れていた。下半身が濡れており小便くさい。ジェイクはその臭いに顔をしかめつつも、ハリソンの肩をゆすった。
ハリソンは目を覚ますと、苦しそうに股間に手をあて、声を絞り出した。
「あ、兄貴、どうしたんすか?」
「それはこっちのセリフだ。何があったんだ?」
「えっーと」
ハリソンは、そこで起こったことを話した。ライアンはハリソンとジェイクの腹に痛烈な蹴りを放った。
「うぐっ」
ハリソンとジェイクはその場に倒れ込んだ。
「奴らを追うぞ」
ここから奴らのいるデントスの森までは、馬車でも2時間はかかるだろう。その頃には日も暮れる。夜に森に入れば夜行性の肉食獣に出くわす可能性が高い。動くのは明日の朝になる。
あの男、ここを小便の場所に選んだということは、おそらくこの辺りの土地勘があるのだろう。それに、これまでのことを考えると奴は頭が切れる。俺が奴ならどう逃げる?
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