第14話
翌朝、リアムは厨房に忘れてきたナイフを取りに行くため、独りでパン屋に向かった。ナイフを加工して武器をつくるつもりだった。奴らはすでにトポスに戻ってこの街にはいないはずだが、念のため長居はしなかった。
リアムは家に戻ってフレアと昼食をとった後、武器をつくる材料の買い出しに出かけることにした。
「フレア、鍵をかけて絶対ドアを開けてはだめだよ。すぐ戻るからね」
「うん。わかった」
フレアの不安そうな表情がリアムのこころに突き刺ささる。でも、何かあったときのためにどうしても武器を用意しておきたかった。
リアムは荷物を抱えながらドアをノックした。
「フレア。戻ったよ」
返事がない。
いやな予感がして慌てて自分の鍵でドアを開けようとしたが、鍵はかかっていなかった。勢いよくドアを開け、部屋の中をぐるりと見回す。
フレアがいない・・・・・・。
ふと視線を落とすと、ダイニングテーブルの下にフレアの髪飾りが落ちていた。リアムの頭からみるみる血の気がひいていき、膝ががくがくと震え出した。
フレアがさらわれた? 誰に? なぜここがわかった?
頭が真っ白になって何も考えられない。落ち着け。落ち着くんだ。そう自分に言い聞かせた。
もしかしたら、奴らはこの街の仲間に見張りを依頼していて、自分がパン屋に行ったせいでこの場所を知られてしまったのか?だとしたら自分の軽率な行動のせいだ。
リアムは爪が手のひらにくいこむほどに強く拳を握りしめていたことに気づくと、ほんの少しだが冷静さを取り戻した。
まだそんなに遠くには行っていないはずだ。おそらく、フレアはトポスの奴らのアジトに連れていかれた可能性が高い。
ジョバンヌさんに馬を借りてすぐにトポスに向かえばまだ間に合う。ノアたちと合流して必ずフレアを取り戻す。リアムは今にも折れそうだった心をなんとか奮い立たせた。
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時間は1時間前にさかのぼる。
フレアは、ダイニングテーブルでお茶を飲み、不安な気持ちを落ち着かせようとしていた。
私をさらった男たちはもうこの街にはいないから大丈夫。リアムもすぐに帰ってくる。何も心配しなくていい。何度も自分に言い聞かせようとした。
そのとき、ドアの方から、「カチャカチャ」という音が聞こえたかと思うと、見知らぬ男が入ってきた。
「誰っ」
「声をあげれば殺す」
男はそう言ったかと思うと、あっという間にフレアの目の前に立っていた。フレアの下腹に激痛が走った。意識が遠くなっていくのを感じた。リアム・・・・・・。
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リアムはパン屋への道順を頭の中に描くと、行き交う人々の隙間を縫って器用に駆け抜けていく。周囲の人々の動きが妙に緩慢に見える。目の前の景色がまるでスローモーションのようにゆっくりと後ろに流れていった。
パン屋の裏にある馬小屋が視界に入る。いつもの場所に馬の姿を探したがそこには何もなかった。リアムは何も存在しないその空間をしばらく凝視していたが、その場で膝から崩れ落ちて地面に手をついた。
頭の中が真っ白になり、全身の毛穴からじっとりと汗がにじみ出てきた。フレアを守ると約束したのに・・・・・・。自分を責める思いと後悔の念で、全身の血液が逆流しているようだった。
もうだめかもしれない。
いや、絶対に、絶対に、あきらめない。
考えろ。考るんだ。
何があろうと、必ずフレアを助ける。
リアムは覚悟を決めて、半ばパニックに陥いっていた自分を奮い立たせた。フレアは馬車にのせられている可能性が高い。この街からトポスまではおおよそ40キロ。馬車なら少なくとも4時間はかかるだろう。
リアムは額に噴き出した額の汗を手の甲で拭うと、トポスに向かって猛然と走り出した。
灼熱の太陽から降り注ぐ容赦ない陽射しがリアムの頭と両腕の皮膚をじりじりと焦がしていく。周りに日陰らしきものは一切なかった。
馬車の轍に足をとられて何度もふらつき転びそうになるが、必死に踏ん張って、ひたすら走り続けた。激しい呼吸音が耳の奥で規則的に鳴り響いている。
肺が圧迫されて、胸が締め付けられるように苦しい。大きく脈打っている心臓がぎりぎりと握りつぶされて、今にも口から押し出されそうな感覚に陥った。
全身の筋肉が軋み、燃えるように熱くなっている。両足がまるで鉛になったようにどうしようもなく重い。
歩きたい。休みたい。そうした思いが何度もこころをよぎった。その度にフレアの顔を思い出す。フレアのこれから先の辛くて苦しい未来を想像して自分を鼓舞した。
どんなことがあっても、必ずフレアを救う。絶対に、絶対にあきらめない。その思いが全身を雷のように貫き、リアムの疲れ切った体を突き動かしていく。
しかし、突如として弱気な自分が顔を出した。何度となく押し寄せる不安と後悔の波がリアムのこころを抉る。それでも肉体が上げる悲鳴によって、ほんの少しだがその痛みが和らいでいくような気がした。
一定のペースで走り続けているうちに、リアムは冷静さを取り戻した。自分の体に意識を集中してみる。
呼吸の仕方、手足の動かし方が変化しているのに気づいた。そして、つい先ほどまで感じていた苦しさが消えていた。体に疲れは感じるものの、苦しみの感覚が希薄になっている。
しばらくすると急に黒雲が空を覆いはじめた。前方で雨が降っているのがかすかに見える。
まもなく、雨粒がリアムの汗だくの頬を打ち始めた。恵みの雨だった。全身の火照りが一気に冷やされていく。頬をしたる雨を口に含み、喉の渇きを癒した。
クヌム神様、どうかフレアを助けてください。どうかフレアをお守りください。
リアムは走りながらも眉間に力を込めて、頭の先から血が吹き出すかと思うほどに、髪の毛が逆立つかと思うほどに、フレアの幸せを神に祈った。
クヌム神様の願い通りに生きていくことを誓います。クヌム神様、どうか、どうか、フレアを救ってください。お願いいたします。
これまでフレアが自分に向けてくれた様々な表情が脳裏によみがえってきた。フレア、ごめんね。守ってあげられなくてごめんね。
大粒の涙が頬をつたって大地へと流れ落ちていく。必ず救い出すという強固な意志が、今もなおリアムの全身の筋肉を力強く動かし続けていた。




