第二十一話 リュシアン・ノワール
時はアイリーンがユビキタス館長とご飯を食べる少し前。
騎士団の寮に鳥族の男性騎士がいた。
その者の名は、リュシアン・ノワール。十九歳。黒曜石のような色味の翼と赤茶の髪に金眼を持つ。
その瞳はいつも不敵に輝き、傲慢とも取れるほどの自信を持つことが表情にありありと現れていた。
だが今は、その自信は鳴りを潜めている。
くそっ。俺は何もできないのか。目の前にこんなに苦しんでいる友がいるのに!
寮は基本二人一部屋で、俺と同室なのは人間騎士だった。もちろん男だ。真面目が服を着て歩いているような奴で、俺とは全く違うタイプだ。
最初はその生真面目さがうっとうしかった。だがその真面目さに、誠実さに救われたことも多々あった。
少しずつ気を許せるようになり、今じゃすっかり信頼している友人の一人だ。
そいつの取り柄とも言える真面目さが、今はそいつ自身を苦しめている。
この前、セオドア殿下の護衛に抜擢された友は、魔物らしいものの襲撃にあった。魔物らしいもの、というのは知識にない魔物だったようだ。
人間騎士は魔物討伐に参加しないが、当然知識は教わるし模擬討伐もする。だから、知識にない魔物というのは、今まで国に現れたことがない魔物だということだ。
殿下を守るため奮闘し、知識が役に立たず、力押しでも勝てず、やられた。自分はここで死ぬんだと思ったらしい。結果、気絶していただけだった。
生きて帰ってきたのを共に喜んだ。だが疑問も生まれた。なぜその魔物は誰も殺さなかったのか。普通ならありえないことだ。何が目的だったのか。全くわからず気味が悪い。
おかしくなってきたのは翌日からだった。小さな諍いが増えた。同室の友だけじゃない、騎士団の食堂、訓練場のあちこちで喧嘩が起きた。
喧嘩を売っているのが人間騎士で、それもセオドア殿下の護衛任務についていた奴らだということはすぐに分かった。
だから任務の失敗でイラついているんだろうと思っていたんだ。事実、セオドア殿下をお守りできず、臥せっておられると聞いた。
人間騎士たちは少し経てば落ち着くだろうと思っていたんだ。
だが、落ち着くどころか悪化していった。
同室の友は、いつもは無視できることで揉め、生真面目さ故にその指摘がど正論だからこそ、相手も向かっ腹が立つ。言い方も良くなかった。
部屋で落ち着いたときに聞いてみた。いつもは流せていたのに、なぜそんなに腹を立てるんだと。友は眉間に皺を寄せて俯きながら言った。
「わからないんだ。気がついたら頭に血がのぼってきて……それで……」
友は頭を抱えたまま落ち込んでしまった。
次の日、魔物の襲撃から二日経っていた。食堂に行ったら、とうとう殴り合いの喧嘩が起こっていた。怒り心頭の人間騎士に触発された獣人騎士たちも加わって、大きな騒動になった。騎士団長が仲裁に赴くほどで、加わった者たち全員に自室での謹慎が言い渡された。
同室の友はもともと自制心が強いのと俺が抑えていたのもあって、かろうじて殴り合いに加わってはいなかったが、自ら部屋に閉じこもった。二人部屋なので、プライバシーを守るため備え付けられているカーテンまで引いて、完全に閉じこもってしまった。
カーテン越しに、どうした、大丈夫かと尋ねても「大丈夫じゃない」と返ってくる。
「俺はおかしくなっちまった。怒りが収まらないんだっ! 会ったら誰にでも殴りかかっちまいそうになる。衝動が抑えられねぇ!」
壁を殴る音と共に、喉を震わせながら友は言った。その声は友が泣くときの声だった。
「どうすればいいか分かんねーんだよ!」
普段はこんな物言いをしない奴だった。真面目で穏やかな奴だったのに。
友が壁と己自身を殴る音を聞きながら、どうすればいいのか途方に暮れてしまった。
友は優しい奴だから、誰かを傷つける前に閉じこもり、自分を傷つける方を選んだ。きっと何かに怒りをぶちまけないと収まらない状態なんだろう。
そういう衝動を俺は知っている。知っているが、何人も同時にこのような状態になるのはおかしい。特に人間騎士にそれが多い。
冷静に考えてみて、原因は魔物だろう。知識としては知っている。人間が魔物を討伐すると悪い影響を受けるから、人間は魔物に近づいてはいけないと。乱暴になると聞いていたが、これは乱暴という言葉で済ませていいのだろうか。
明らかに精神が蝕まれている。魔物がきっかけでなぜこんな状態になってしまうんだ。俺は何度も魔物を倒したことがあるが、こんなこと経験したことがない。人間と獣人の何がそんなに違うと言うんだ。
ひと通り暴れたからか、友は気絶するように眠った。カーテンを開け、完全に眠っていることを確認するとベッドに移し、友が自分で作った痣や切り傷に薬を塗ってやる。
友が寝ている間に上司に報告し、これからどうすればいいのか相談した。だが返ってきた言葉は、もうしばらく耐えてくれ、必ずなんとかするからと。信じるしかなかった。俺にはどうすることもできなかったから。
魔物の襲撃から三日目。友の様子は相変わらずで、責任感が強い故に自分を強く責めてしまっている。
魔物のせいだから、お前のせいではないと何度言っても、「俺の強さが足りないからだ!」と言って聞かない。
俺にできるのは様子を見て、友が眠っている間に薬を塗ってやることだけだ。なかなか食事も摂らなくなってしまった。目を離したすきに死んでしまうのではないかと恐れ、怯えた。こんな感情を持つのは初めてだった。
友の面倒を見るため、常にそばにいたからか、友が寝ているわずかな間しか自分も寝られないからか、少しずつ自分の心が蝕まれていくのを感じた。
このまま、友と俺はダメになって死んでいくのかも知れない……。
そんなふうに思っていたとき、窓の外が突然光り輝き、驚いた俺は窓を開け外を確認した。光が落ち着くと、いつもと同じ光景が戻っていた。
なんだったのかと思ったそのとき、目の前の寮がバタバタと騒がしくなった。騎士団の寮は全部で十棟。全く同じコの字型の寮が並んでいる。
何かが起こっていることにざわつく心を抑えながら、様子を見ていると、空に鳥族の獣人を二人見つけた。
よくよく目を凝らしてみると、一人は知っている人物だ。リナ・クルトワ、俺より階級が上で、悔しいが実力も上だ。いつか追い抜く。
もう一人はとても美しい翼をしていた。翼が何よりも重視される鳥族では、純白で大きい翼は最上級の美人の証である。
まだ幼いから翼自体は小さいが、色が完璧だ。あんなに美しい翼を見たら、絶対忘れないのに覚えがないと言うことは見たことがないのだ。
誰だ? と顔を見ると、猫族っぽい耳がついていた。ん? よく見ると尻尾もついている。
いやいや、待て待て、ありえないだろ。聞いたことないぞ、二つの種族の特徴が出るなんて。っていうか、あれは白虎族じゃないか? 白虎族といえば女王陛下だが、あのちんまいのはまさか……第一王女か?
色々と混乱していると、美しい翼を持ったちんまい白虎族の子は何か祈り始めた。するとキラキラしたものが降ってきて、思わず手を伸ばしたが捕まえることはできず、呆然としていたら突然光の柱が立ち昇った。
思わず目をつぶり、落ち着いたところで目を開いたら、もう空にいた二人はいなかった。
「ほんとになんだったんだ」
「うっ……」
「っ起きたのか、大丈夫か?」
ここ数日は「うるさい」と言われることが増えていたので、また言われるだろうと思っていると、友は以前みたいにとても穏やかな表情をしていた。
「……痛くない」
「え?」
「リュカ、痛くないんだ。どこも痛くない」
友は不思議そうな顔で、怪我の手当てをしたガーゼを剥がした。するとそこには治るのに数日はかかるだろう痣や傷がなかった。綺麗さっぱり治っていたのだ。
「頭も痛くない、……ここも痛くない」
友人はここ、と言いながら自身の胸に手を置いていた。そのまま驚愕した表情で俺を見てきた。
「辛くない。治った……治ったぞ!」
歓喜する友を見て、信じられない想いでいっぱいだった。何かがあったとしたら、あの光だ。そしてあの純白の翼を持ったお方だ。
涙が頬を流れる感触がした。次から次に流れてくる。辛かった、壊れていく友を見るのが恐ろしくて。
でも今、友は以前のように元気だ。まるで悪夢でも見ていたかのように、この数日はなんだったのかと思うくらいに。
そんな俺を見て、呆然とした友は泣いた。泣きながら言った。
「すまない、リュカ。酷い言葉をかけた。当たってしまった。辛い想いをさせた。俺が悪かった、ごめんリュカ」
「いいんだ、もういいんだ」
ごめん、ごめんと謝る友の肩を叩き、肩を組んで慰め合った。そして泣いた。たくさん泣いた。
ちょうど落ち着いたとき、外から声が聞こえてきた。
「姫さま〜! ありがとうございましたー!」
それを聞いたとき、やはり空中にいたお方は第一王女殿下だったのかと納得した。
騎士たちの声がたくさん響き、俺も窓から顔を出し、感謝の言葉を腹の底から声に出した。
姿は見えないけれど、きっと騎士団寮から王宮に帰られるところなんだろう。本来こんなところに王女殿下が来るなんてありえないことなのだから。
状況が理解できていない友に、王女殿下のこと、光の柱のことなどを説明しながら食堂に行った。
数日前まで当たり前だった日常が戻っていた。怒声はどこからも聞こえない。笑い声で満ちていた。
俺たちも加わり、食事をした。お腹より心の方が満たされて、日常のありがたみを噛み締めた。
その後、点呼が行われ、体調の確認もあった。皆驚くほど調子が良くなっており、力がみなぎっていた。俺の目の下にできたクマも綺麗さっぱりなくなっていたから、鏡を見て驚いたものだ。
解散になったので、自室に帰ろうとしたところ、上官に声をかけられた。
「リュシアン・ノワール。第一王女殿下の専属護衛の打診が来た。どうやら国内を巡ることになるらしいから大変な任務になるだろう。大人しく王宮にいるのとは訳が違う。どうする、やるか?」
「やります! やらせてください」
驚いたが反射的に答えていた。
なぜ俺に話が来たのか、俺にできるのか、大変な任務とは具体的になんなのか。色々な考えが頭を駆け巡ったが、俺の答えは分かりきっていた。
俺は王女殿下に仕え、恩を返す。必ず護る。
心がはっきりと未来を示していた。
「俺の分まで頼むぞ、リュカ!」
「おう、まかせろ」
すっかり元気になった友と互いの拳をぶつけて笑った。
リュシアン・ノワールの顔には、いつもの不敵な笑みが戻っていた。




